この写真集『インスピレーションの庭』は、9月15日(月)~23日(火)まで開催される高尾駒木野庭園で販売いたします。
『A Garden of Inspiration インスピレーションの庭』
判型:210×297㎜
頁数:108頁
写真点数:91点
製本:ソフトカバー
発行年:2025
定価:3,500円(税込)
この写真集『インスピレーションの庭』は、9月15日(月)~23日(火)まで開催される高尾駒木野庭園で販売いたします。
『A Garden of Inspiration インスピレーションの庭』
判型:210×297㎜
頁数:108頁
写真点数:91点
製本:ソフトカバー
発行年:2025
定価:3,500円(税込)
写真は、僕たちの眼前に、
写真家の写真集とは、実際、
今朝、2004年にニューヨークからこの町に引っ越し、昨年「20周年だった!」ことに気づき、お陰様で友人たちのお力添えで初の写真集を2冊も上梓出来たことが、何やら不思議な運命の計らいだなと感じました。
「わたしたちはここで学んでいることを通じて、
(『
ヒンドゥー教では、この現象世界、宇宙の営みを「リーラ(lil
ちなみに宇宙の始まりについて、
このビックバン理論以降は、
「リーラ」
「御心のご意志は人知を超えているのだ」
やはり現代物理学の達成であるビックバン理論やインフレーション
話を戻し、ヒンドゥー教の「リーラ」
神(真理)本体から分離、
この推論は、釈迦の言葉、
繰り返します。
この宇宙とは、神仏の子である〈意識〉
宇宙物理学者が想定するビッグクランチや熱的死などの宇宙の終焉
そして目覚めが、たまたま(?)個人の意識上で起こった際に(
「神がエゴを創造し、またあるときは、
これはマハラジの元で学んだラメッシ・
ある人がバスターミーの家の扉をノックする。『誰にご用?』
『バスターミーにお目にかかりたいのですが』
その人にバスターミーは言う。
『お引きとり下さい。お気の毒だが、
(『イスラーム思想史』井筒俊彦)
goblet~reprise(2020年作)
信念ーー。
自分が、何を信じているのか、
日本最古の書物とされる『古事記』
神話は、この世界で暮らす人間たちの心に、
一神教と多神教、『古事記』
さらに、
神話とは何か?
その書物、物語りを通じてこの世を超えた事象、
さしずめ小説とは、
『古事記』に触れ、
僕たちは今なお微睡んだ神話的な夢の営みに翻弄され続けているの
ある村の、
放ったらかしにされ、寂れ果てた神社を、
僕らは世界という夢の舞台で、
外的な神社とは、本来、人間が自分の内なる不壊の社に気づき、
これは教会の使命が、心の内なる祭壇を見出し、
たぶん自分の内側に形なき神を見出した人間は、1、1、1……、
古の心も形なし。今の心も形無し。
〈質問:〉
ニサルガダッタ・マハラジならきっとこう応えると思います。
「あなただよ」
letter from farther(1994年作)
この世はすべて舞台、男も女もみな役者に過ぎぬ。(
「男であるとか女であるとか、
この物理的な身体の世界では、男性は男を演じ、
しかし心の領域に入れば性差はありません。
性別に囚われない心、性差からの自由とは、
この眼に見える世界だけを信じ、
たぶん人間が作り出した社会の諸問題や
身体(知覚)中心主義の世界の限界と不条理、
ところで、旧約聖書『創世記』
「善悪の知識の実を食べた2人は目を開け、
映画『マトリックス』のモーフィアスの台詞ではありませんが、「
この世界、
「人間はもともと反逆者にできあがっておるのだが、
この世界は、エデンの園から離脱した〈意識〉による夢に過ぎないのか。
主体と客体という分裂のない全一の状態にあるエデンの園=神
古今東西の賢者?リチャード・バックやボルヘス、
小さく見積もっても、ドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』
「ぼくは神を認めないんじゃないぜ。ぼくには神の創った世界、
加害者と被害者は同時に存在します。どちらかが欠けても「事件」
世界(他)が消えれば意識(自)も消滅するように、世界(物質)
つまりビックバン、宇宙の創世とは、意識の仕業なのです。
「心は主人なり、形は家来なり。悟れば心が身を使い、
そして最後に、「アダムとイブ以前」とは、
home out home(1991年作)
昨年10月に、
まぁそんなもんだ。
それで今年に入り、集中的に音楽と向かい合う日々が続いている。
22、3歳からインストルメンタルの音楽を作り始め、
20代の頃から本気になって写真をやり音楽をやり、当時は「
還暦を過ぎ、当然のことながら、
僕の中の誰かが「もう充分作ったよ」と。
blank(1984年作)
"Writing is nothing more than a guided dream."
これはアルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・
これ、いいですね。
不遜にも自分に寄せてみるなら、写真家として撮影をすることも、
ボルヘスはまたこんなことも言っています。
「我々の住む世界は一つの錯誤であり、役立たずのパロディーだ。
手厳しいですね。
僕たちが住んでいるこの世界はパロディーだと言うこの発言は、
さらに英国の劇作家ウィリアム・シェイクスピアは『テンペスト』
「われわれは夢と同じ材料で作られている。
"We are such stuff as dreams are made on; and our little life Is rounded with a sleep."
もしこの台詞の後に続く言葉があるとするなら、それは「
知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを。
周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。此を之れ物化と謂う。
「ところで、荘周である私が夢の中で蝶となったのか、
荘周と蝶とは、確かに形の上では必ず区別がある。
そしてふと、紀元前5〜7世紀の釈迦の「この世界はマーヤ(
Borges's dream(2020年作)
この世界に生まれて、奇妙な違和感やたった1人取り残されたよう
「自由でないと鮮明にものが見えません。
はじめて自分を意識した瞬間、外側に世界や風景が広がり、
自分がここに居ることを意識した瞬間、
「目に見えるものには、みんな限りがあるんだ。
自分の身体を絶えず意識させられて、
この外的な世界はいずれ消滅し、内と外はひとつとなり、
知覚という魔法を横切って、
「空手でここまで来なさい」と、そう懐かしい声がする。
やがて自分意識は私の身体を超え懐かしいあなたの元まで広がって
family(1992年作)
「きみの知覚内容はそもそもきみの思考内容だよ」
光輪の藪からふわふわ現れた小指サイズの精霊が、
「きみが作り出したものはすべて夢 実在しないよ」と、
僕が作り出したものがすべて僕の意識が生んだ夢なら、
「きみが見ている世界と きみが考えているきみというイメージを作り出したのはきみだけど きみを生んだのは僕だよ」
じゃあ、僕が夢を見ている原因はきみにもあるってことかな。
「そうだね だからこうしてきみがまだ夢を見ていることに気づいてもらいたく
でもどうやって、夢を見ているという自覚のない僕が、
「夢は変化するよね 変化するものは仮想で 真実ではない なぜなら 時間と空間の影響によって変化するものは真理 永遠 実在するとは言えない きみの感情も きみのその身体も この世界も この世界についてのきみの考えも 変化するから真実ではないよ」
自然の奥行きの外側で、小鳥たちのすべての花が揺れている。
「夢をリアルに感じさせているのはきみの身体と五感 それと意識のせいだけど きみの身体はやがて土に還り きみが考えているきみ(イメージ)はやがて消滅する その時 身体とくっついていたきみの自分意識は 個人としての自覚が消え すぐさま意識はたったひとつしかないことに気づくはず きみがまだ信じているきみとは現れたり消えたりするだけのものだ
“Where have all the flowers gone?”
じゃあ輪廻転生ってアイデアも夢なのか……。
で、きみは一体誰?
「僕はきみの心 きみの心の始まりさ」
akuru(1996年作)