2025/08/28

写真集『インスピレーションの庭』発売中!

 

この写真集『インスピレーションの庭』は、9月15日(月)~23日(火)まで開催される高尾駒木野庭園で販売いたします。

直接ご購入希望の方は、下記のメールにてお問い合わせください。郵送、もしくは(近隣の方は)手渡しをします。
 

『A Garden of Inspiration インスピレーションの庭』

判型:210×297㎜

頁数:108頁

写真点数:91点

製本:ソフトカバー

発行年:2025

定価:3,500円(税込)

 
写真集1部・定価3500円+送料430円(レターパックライト) 合計3,930円
(写真集2部まで・送料430円)
 
〜お振込先〜
みずほ銀行
店番号:161
普通預金:1733565 
名義:カイヌマタケシ
 
郵送先のご住所とお名前、お電話番号をお知らせください。
 

 
写真集『インスピレーションの庭』は、1995年から2010年までに撮影した幾つかのシリーズの中から代表的なカットを選び、撮影年月日にはあまり囚われずに、一枚一枚の写真が放つ微妙に異なる響きやメッセージに寄り添い、纏め上げたものですが、音楽のベストアルバム的な離散感は与えないように、ページとページをどのように紡いでゆき、展開させれば、ひとつの大きな世界が立ち現れてくれるのか、随分苦心しました。
昨年発表した2冊の写真集はチャプター毎に区切った、時系列によるオーソドックスな編集スタイルでしたので、今回は少し新しいフェーズに挑戦してみたのです。
ところで、写真家の写真集とは、映画や小説などと比べますと、一般的にはあまり手にする機会のない、決してポピュラーなジャンルとは呼べませんが、それでもこれまでに数多くの写真集が発表されて来ました。ただ、ややもすれば一部のコアな読者層に向けた趣味嗜好性の強い写真集ばかりが出版されて来たような気もします。
「より開かれた可能性と甚深な内容を持った写真集とは?」
それが今回の僕のテーマのひとつでした。そしてこの写真集『インスピレーションの庭』の本望は、皆さんにとっての"直観の庭"となること、これに尽きると思います。
写真集でしか表せない、味わえない魅力というものを、存分に愉しんでいただけたら、大変光栄に存じます。
 

 



2025/08/23

海沼武史写真カタログ/Takeshi Kainuma Catalogue 2025

 






 

海沼武史写真展『而今』2025年9月15日(月・祝)〜23日(火・祝)無休

*本展会場にて、(お一人様一部)ご自由にお持ち帰り下さい。

2025/08/12

海沼武史写真展『而今』 / Takeshi Kainuma Exhibition 2025


 

海沼武史展『而今』
2025年9月15日(月・祝)〜23日(火・祝)無休
開閉時間 9:00〜16:30 入場無料 
 
場所:高尾駒木野庭園
住所:東京都八王子市裏高尾町268-1
TEL :042-663-3611 
 
【トークショウ vol.1】
9月20日(土) 開始14:30〜16:00終了 
 海沼武史 + 蜂須賀公之(作家ナチュラリスト) 
ゲスト・中村明博(額装ディレクター展示設営コーディネーター)
 
【トークショウ vol.2】
9月21日(日) 開始14:30〜16:00終了
 海沼武史 + 内田和男(カウンセラー) 
ゲスト中村明博(額装ディレクター展示設営コーディネーター)
 
※トークショウに関しては、当日中止になる場合も御座いますので、どうかご了承ください。 
 
 
 

 
 
共催:高尾駒木野庭園指定管理者・駒木野庭園アーツ 

 

2025/08/07

写真家の新たなる挑戦 / A new challenge for photographers

 写真は、僕たちの眼前に、現れては消え現れては消えを繰り返す現象世界のある一面を切り取ることを得意とするメディアですが、ただ移り変わるだけの現象世界の彼方、背後には、通常の五感の働きでは知覚し得ない普遍的な事象、ヴィジョンが隠れ潜んでもいることをも予感させることが出来ます

現象を通じて、これを踏み台にし、視覚の可能性を押し開いてゆくことの意欲や意志を持つこと、これが「見る」から「観る」への移行となり、これまで写真家や鑑賞者が見過ごしてきた新たなる視覚の開示へと繋がってゆくのです。
 
この「観る」については、以前このブログやFacebookでも取り上げましたが、宮本武蔵の「観の目つよく、見の目よわく」、これは身体上の目を使って見ることだけに頼らず、心の目で観ようとする、心眼を磨くことの大事さを伝えています。肉眼による知覚はすべて形態上の差異に依存せざるを得ませんが、心の次元には色や形はありませんので、そこで捕まえることの出来る世界とは、肉眼による知覚世界とは全く異なる新しい世界、様相を呈しているはずです。心眼による目付け、この眼差しで「観る」ことは、前世紀には叶わなかった写真家にとっての新たな挑戦であり、撮影行為の新しい試み、冒険です。
 
なぜなら、世界はすでに撮り尽くされ、似たような現象、表層的な、網膜上の差異のバリエーションを、写真家は繰り返し撮影しているだけだからです。
そして現代では、動画による表現が主流となり、世界の(表層的な)出来事の記録、伝達手段として写真に期待された役割りは影をひそめ、情報量の的確さや密度においては動画の方がより優っています。
 
しかし、動画は撮影者および鑑賞者の「観の目」の開花については抑圧的に働きますが、「瞬間」を捉える写真の方は、撮影者の意識次第では、現象世界を別の見方で見ることを促す、「観の目」の誘いとしての機会を十分に提示しうる、形而上の機能を秘めたメディアへと変容を遂げることが可能です。

作品の内に、それを鑑賞する側が「内観」へと向かう為の配慮、スペースを作り出すこと。意図的に作り出すことは出来ませんが、そこに向けて絶えず心や視を意識的に開き、磨いてゆくこと。
AIによる合成写真が興隆すればするほど、この「内観」へと誘う、「心眼」による写真作品の重要度は増すことでしょう。なぜなら、表層上のアレンジや編成しか知らないAIには五感を超えた世界は迫り切れず、AIとは、五感の向こう側の世界を知覚しようとする意欲や機能とは無縁な、心を持たない否芸術的な道具だからです。

美(芸術)とは、この世のものではないのです。
 
 
 

2025/08/03

写真集について / About the photo book

 

写真家の写真集とは、実際、被写体としてそこに何が撮られていても、厳密に言って、この世界には2種類の写真集しかありません。

それは「(まだ)この世界にしがみつきます」というタイプの写真集と、「(もう)この世界から解放されます」という眼差しを持った写真集、このどちらかだけです。
ほとんどの写真集は前者ですが、それは撮影という行為が、対象を必要とし、良くも悪くもこの世界の事物や現象に魅了され、はじめて成立するからです。
 
「この世界とは何か?」
「この世界は本当に実在するのか?」という問いが、なぜか自分の内側で湧き起こり、後者のメッセージへと突き進もうとする写真家、写真集は今のところまだ顕著に現れてはいません。これは写真の世界のみならず、映画や小説というジャンルでも「この世界へのこだわり」を、様々な物語り、ドラマ、仮想の設定を舞台に、そこに無数の人間模様、記憶の乱舞や世界の不条理、葛藤劇、狂気を抉り出し、この閉じた世界内での「やりくり、やり取り」への嗜好に囚われ続けているのが現状です。
ただし、音楽や絵画、論考などの表現世界では、「この世界から飛翔することによってはじめて見出される世界」について、作者の意識が向けられた作品は少なからず存在しています。例えば、ヨハン・セバスティアン・バッハの音楽作品、モネの睡蓮画、円空の木彫作品、リチャード・バックの『イリュージョン』、ニサルガダッタ・マハラジの講話録などは明らかに後者に属しています。
 
芸術のジャンルを問わずに、作品とは作者の思考内容や知覚内容が反映された表現世界なので、僕が近々発表する写真集『A Garden of Inspiration (インスピレーションの庭)』は後者ですし、昨年上梓した『廻向』や『奇蹟』も同様に、この世界の背後、存在の本質へと踏み込もうとする僕の世界観が色濃く入り込んでいるように思います。またそうであることを望んでいます。
出来れば、僕が撮影した写真や、音楽作品でも、僕のそんな想いを念頭に置いて、皆さんに触れていただければ光栄です。 

芸術とは、この有限の世界で不滅なるものを指し示す美しき道標なのです。