住所:東京都八王子市裏高尾町268-1
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写真は、僕たちの眼前に、
写真家の写真集とは、実際、
今朝、2004年にニューヨークからこの町に引っ越し、昨年「20周年だった!」ことに気づき、お陰様で友人たちのお力添えで初の写真集を2冊も上梓出来たことが、何やら不思議な運命の計らいだなと感じました。
「わたしたちはここで学んでいることを通じて、
(『
ヒンドゥー教では、この現象世界、宇宙の営みを「リーラ(lil
ちなみに宇宙の始まりについて、
このビックバン理論以降は、
「リーラ」
「御心のご意志は人知を超えているのだ」
やはり現代物理学の達成であるビックバン理論やインフレーション
話を戻し、ヒンドゥー教の「リーラ」
神(真理)本体から分離、
この推論は、釈迦の言葉、
繰り返します。
この宇宙とは、神仏の子である〈意識〉
宇宙物理学者が想定するビッグクランチや熱的死などの宇宙の終焉
そして目覚めが、たまたま(?)個人の意識上で起こった際に(
「神がエゴを創造し、またあるときは、
これはマハラジの元で学んだラメッシ・
ある人がバスターミーの家の扉をノックする。『誰にご用?』
『バスターミーにお目にかかりたいのですが』
その人にバスターミーは言う。
『お引きとり下さい。お気の毒だが、
(『イスラーム思想史』井筒俊彦)
goblet~reprise(2020年作)
信念ーー。
自分が、何を信じているのか、
日本最古の書物とされる『古事記』
神話は、この世界で暮らす人間たちの心に、
一神教と多神教、『古事記』
さらに、
神話とは何か?
その書物、物語りを通じてこの世を超えた事象、
さしずめ小説とは、
『古事記』に触れ、
僕たちは今なお微睡んだ神話的な夢の営みに翻弄され続けているの
ある村の、
放ったらかしにされ、寂れ果てた神社を、
僕らは世界という夢の舞台で、
外的な神社とは、本来、人間が自分の内なる不壊の社に気づき、
これは教会の使命が、心の内なる祭壇を見出し、
たぶん自分の内側に形なき神を見出した人間は、1、1、1……、
古の心も形なし。今の心も形無し。
〈質問:〉
ニサルガダッタ・マハラジならきっとこう応えると思います。
「あなただよ」
letter from farther(1994年作)
この世はすべて舞台、男も女もみな役者に過ぎぬ。(
「男であるとか女であるとか、
この物理的な身体の世界では、男性は男を演じ、
しかし心の領域に入れば性差はありません。
性別に囚われない心、性差からの自由とは、
この眼に見える世界だけを信じ、
たぶん人間が作り出した社会の諸問題や
身体(知覚)中心主義の世界の限界と不条理、
ところで、旧約聖書『創世記』
「善悪の知識の実を食べた2人は目を開け、
映画『マトリックス』のモーフィアスの台詞ではありませんが、「
この世界、
「人間はもともと反逆者にできあがっておるのだが、
この世界は、エデンの園から離脱した〈意識〉による夢に過ぎないのか。
主体と客体という分裂のない全一の状態にあるエデンの園=神
古今東西の賢者?リチャード・バックやボルヘス、
小さく見積もっても、ドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』
「ぼくは神を認めないんじゃないぜ。ぼくには神の創った世界、
加害者と被害者は同時に存在します。どちらかが欠けても「事件」
世界(他)が消えれば意識(自)も消滅するように、世界(物質)
つまりビックバン、宇宙の創世とは、意識の仕業なのです。
「心は主人なり、形は家来なり。悟れば心が身を使い、
そして最後に、「アダムとイブ以前」とは、
home out home(1991年作)