2024/09/12

写真集のメイキングレポート⑬

〜西行について〜

12世紀の歌僧西行の辞世の句に「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」とあります。

「虚空ノ如クナル心ノ上ニオイテ、種々ノ風情ヲ色ドルト云ヘドモ更ニ証跡ナシ」と断じている者の心、証跡ナシとは、現象世界(種々の風情)が確かに実在しているという証拠となる痕跡はないと、そんな彼の千里眼から生まれた言葉であることを踏まえ先の辞世の句の内に入ってゆくと、この和歌の裏面には子供のような無邪気さと笑いに包まれている西行の姿が見えて来るようです。己の死について思い巡らしながら、実はまったく自分が死ぬことについて気にもしていない、彼特有の輝くようなユーモアが。

西行は、四季折々の風情を詠んだ歌人として知られていますが、「自分が歌を詠むのは、遥かに尋常とは異なっている」という明恵上人に洩らしたこの言葉、感慨には、この世界の全ての現象、事象は移り変わり、そこに恒常不変なるものはないという空観(emptiness)があるようです。
では、なぜ歌を詠むのか?

それは花や雪、月という無常なる対象を通して不滅なるモノや事を歌の中で、歌を通して甦らせようとしたからでしょう。なぜなら、歌うことが、まさに彼にとって至福の瞬間だったからです。
僕が西行をとても身近に感じるのは、たぶん似たような視座を抱えて写真に取り組んで来たからかも知れません。

西行の心象とは、この世に生きる、あらゆる人間がやがて通らざるを得ない天上の歌が遍満する欄干のない橋だと思います。
 

 


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