2025/03/21

family あなた(と自分)の元まで


 

この世界に生まれて、奇妙な違和感やたった1人取り残されたような孤絶感を味わったことの無い人は誰も居ないと思いますが、どうでしょう?


「自由でないと鮮明にものが見えません。自由がないと美を感じとることができません。」(ジッドゥ・クリシュナムルティ)


はじめて自分を意識した瞬間、外側に世界や風景が広がり、手で触れる距離には様々の形をした物たちが、そして自分と似たような身体をした人間が動き回り、四方八方から色々な音が聞こえてくる。ときおり自分に向かって話しかける人たち、風を感じ、陽射しの眩しさや、暗闇の訪れと、この世界のすべてが自分と離れて存在しているような感覚、世界と自分が同時に現れた瞬間、はじめて距離を知った切ない瞬間……

自分がここに居ることを自分が意識した瞬間に、自分がひとつの小さな身体に閉じ込められたことを知り、外的な世界、多くの人々、空を駆ける鳥たち、草むらの中の昆虫や、長閑に目前を通る小動物たちから分離していることを強く自覚させられて、眠りが来ては、とたん自分と世界が消える。そして眠りから覚めたら、また世界が現れその繰り返しの中で、意識はややもすれば疎外感へと迷い込む。寂しいという感情が生まれ、不可解な恐れや警戒心がただ膨らんでゆく。


「目に見えるものには、みんな限りがあるんだ。だからきみの心の目で見てごらん。」(『かもめのジョナサン』リチャード・バック)


自分の身体を絶えず意識させられて、その身体の機能や状態に振り回されている自分の思考や感情が、知覚による快不快の個人的な感情体験から離れた、「あなたと私は別々の身体」という隔絶感が、なぜか時間と空間のことを知らない歓びと微笑みを含んだ光の洪水の内で、融けてゆく。やがて自分意識は私の身体を超えあなたの元まで広がってゆく。だから今ここで、意識がひとつであり心もひとつ、全一であることを見出せる場所へと自分を放つ。

この外的な世界はいずれ消滅し、内と外はひとつとなり、自分が世界そのものであったことに気づく瞬間がやって来る。


知覚という魔法を横切って、今までこの世界から学んできた怪しげな教えやルールの数々をひとつひとつ思い出し、ためつすがめつ吟味して、永遠という名の秤にかけすべて放り出してしまえ。

「空手でここまで来なさい」と、そう懐かしい声がする。 


やがて自分意識は私の身体を超え懐かしいあなたの元まで広がってゆく。

 

family(1992年作)

 

 


 

2025/03/15

akuru いまだけがとわのいりぐち 

 


「きみの知覚内容はそもそもきみの思考内容だよ」

光輪の藪からふわふわ現れた小指サイズの精霊が、その小ささに見合わぬきっぱりとした声で、記憶の波間をゆれ動く心に、「きみが見ている世界は(きみがまだ気づいていない)きみの意識が作り出したってことさ」

「きみが作り出したものはすべて夢 実在しないよ」と、まるで懐かしい歌を口ずさむかのように話しかけてきた。


僕が作り出したものがすべて僕の意識が生んだ夢なら、この僕の夢の中に現れたきみは誰?


「きみが見ている世界と きみが考えているきみというイメージを作り出したのはきみだけど きみを生んだのは僕だよ」


じゃあ、僕が夢を見ている原因はきみにもあるってことかな。 


「そうだね だからこうしてきみがまだ夢を見ていることに気づいてもらいたくてね ちょっときみの夢に現れたってことさ」


でもどうやって、夢を見ているという自覚のない僕が、夢から覚めることが出来るんだい?


「夢は変化するよね 変化するものは仮想で 真実ではない なぜなら 時間と空間の影響によって変化するものは真理 永遠 実在するとは言えない きみの感情も きみのその身体も この世界も この世界についてのきみの考えも 変化するから真実ではないよ」


自然の奥行きの外側で、小鳥たちのすべての花が揺れている。


「夢をリアルに感じさせているのはきみの身体と五感 それと意識のせいだけど きみの身体はやがて土に還り きみが考えているきみ(イメージ)はやがて消滅する その時 身体とくっついていたきみの自分意識は 個人としての自覚が消え すぐさま意識はたったひとつしかないことに気づくはず きみがまだ信じているきみとは現れたり消えたりするだけのものだから まさに夢みたいなもの」


“Where have all the flowers gone?”


じゃあ輪廻転生ってアイデアも夢なのか……

で、きみは一体誰?


「僕はきみの心 きみの心の始まりさ」


akuru1996年作)

 

 



2025/03/13

サザンカ spring tune

 


ずーっと机の上で、誰かが書いた文章が行儀よく並んでいるだけの本と呼ばれる観念世界上で、心の見方や心理のバリエーション、行動における統計学的な反応パターンや主観的な心理観察レポートの記述をひたすら読み込み、暗記して、知識を蓄えたとしても、たとえばコンビニのレジ打ちのバイトなんかしながらその場所でしか見えない世界と五感を通じての生々しい体験、世の中には様々の背格好を持った心模様が、多彩な嘆きと音色の異なる懊悩が、職業が、またこの社会の構造が生み出したプライドや劣等意識、そしてよーく耳を澄ませば幼児期のトラウマ独奏曲が静かに鳴り響き、挫折感のトーンとその強弱や、環境によって育まれた性格と持って生まれた気性からの影響、屈折の度合いとその微妙な角度や方位の差があって、執筆家のような言語表現力を持たないクライアントの症状告白への真偽を嗅ぎ取る反射神経などなど、実地で、つまり人様の具体的な身体と心たちの土俵の上で、混雑した生の現場で、自身の身体と知性を張り巡らし見聞きして、謙虚に学んで来なかった暗記力抜群の机上の妄想者たちに、果たして精神科医とか臨床心理士などの資格を与えても良いものだろうか?
「これを読めばお絵描きが上手くなる!」的な教則本を読み込むだけでは絵が上手くはならないように、ただひたすら椅子に張り付き本を読み国家資格をゲットした20代30代のガリ勉くん、社会の不条理や低所得者の倹しい暮らしを身近でビシビシ感じて来なかった者に、または時給1000円?の重みを味わったこともない象牙の塔の住人が(笑)、社会が強要または提示した身分の差やお金にまつわる問題、さらに歪みまくった人間関係で精神に異常をきたした弱き心の元へとすっと近づけるのだろうか?

分裂病が「病気」ではなくて、他人との関係において歪められた「生き方」だという考えは、私自身の内部ではとっくに自明のことになっていた。(木村敏)

絵が上手くなりたければ、ひたすらキャンバスに向かい絵を描くしかないが、人間の心理とは、キャンバスのようにはじっとしてはおらず、絶えず動き回る。そんな動的な心を相手にカウンセリングする、治療する、そのスキルを上げてゆくということが、どれほど困難なものであり、また膨大な経験値を必要とするか、切に自覚している精神科医はまだ少ない。

私たちは分裂病という事態を「異常」で悲しむべきこととみなす「正常人」の立場をも捨てられないのではないか。(木村敏)

もちろん精神科医として日々クライアントの面倒をみている彼らの仕事はなかなか厄介な、まるで達成感が得られない、刻一刻と自身のプライドを蝕んでゆく可能性大の仕事だから、これに抗う為に、ついつい「この病気は遺伝です。だから治せません。薬物療法でずーっと付き合ってゆく病気です」なんて信じ込もうとする気持ちは分からないでもないが、「私は絵描きです。でも絵を描けません!」と、もしこう仰る方がいたら「んじゃ、絵描きを名乗るなよ!」と突っ込みたくなるもの。

「きみはなぜ精神科医に対してそんな辛辣というか、拘るの?」
だって高給取りじゃーん!ってのは冗談で、たぶん僕が小学4年生の時に、母が精神分裂病と診断され、話せば長くなるので端折って書けば、ある人間の精神の病が引き起こす様々の問題を、苦々しい場面やそれに伴う逃れようのない切なさを、そして堂々と公表できない秘密を持たされた者の哀しみや人格が突如豹変する姿を目の当たりにする恐怖、心理学の本を読み漁ってもその内容は部分的な視座に過ぎず、具体的に何も変えられなかった家庭内で多くの〈疑問〉を若くして持ってしまったからだと思う。

ところでGoogle検索によれば、今から150年前の1875年(明治8年)に日本で最初の精神病院が京都の南禅寺境内に開院され、その後1948年に児童精神科医療が始まったそうである。然るに精神医療とは、まだまだ改良の余地ある未開拓ゾーンであり、発展途上部門だと個人的には思うが、確かに母が入院していた50年以上前と比べれば、向精神薬の種類は増え、そのグレードはかなり良くなったような気もする。電気けいれん療法(ECTという脳に程良い電圧調整も可能となり、アメリカで一時流行ったアイスピック・ロボトミー手術の効能を信じる精神科医はさすがにもう居ない。鬱や狂気の原因を数値や画像で発見したいという使命や欲望が、はたまた治療費請求のためか、高価なMRIを置いてしまうという不思議感はあるが、年若いカップルが手を繋いで気軽に精神科の門を潜ることを可能にした世間的イメージの変化、つまり「お、お、おまえ、精神病院に行くんか!」というかってのハードルの高さは無く、これは良きこと。だが、昭和の時代なら、単に「しようがねーな〜」と放っておかれた少々落ち着きのない子供らをADHDアスペルガー、自閉症と、すぐさま発達障害スタンプを押し薬漬けにする現状は如何なもの?

精神医療とは、目に見えない心の障害を、目に見える身体への取り組みによって解決しようとする(狂気の)試みですが、では精神病院の〈外〉である正常な者たちが過ごしているこの社会、この健常者スペースではこれまで一体何が行われて来たのか?起こってきたのか?
縄張り争いが高じての戦乱戦国の世にはふつ〜にさらし首、リハーサルなしのチャンバラ、斬首刑、釜茹でが……。NHKの大河ドラマなどで取り上げられ美化された武将なども、所詮は現代の暴力団の親分でもたじろぐような大殺戮を指示してきた者たちではないか。そしていまだ海の向こうでは殺し合いが。〈外〉の世界も十分狂っていて残酷極まりない人類の歴史。
100年前、50年前と、確かに鉄格子がチラつく劣悪な環境と残酷な治療法は少しずつ改善され、患者同士の軽い殴り合いはあっても血みどろの殺し合いはない現在の精神病院とは、社会の熾烈な椅子取りゲーム、競争、狂気から一時的または長期的なエスケープを許してくれる、日がな一日ボーっと、いや、一生働かずに冷暖房完備3食看護付きの殿様のような暮らしを補償してくれる薔薇色の駆け込み寺として機能しているようにも見える。
 
この世界のどこに正気のスペースがあるのだろう? 
それは病院の中か?〈外〉か?
狂気とは、確かに直接的には知覚されぬ心から起こり、この物理的な現象世界で多様な表現方法を取る。
僕も十分狂っている。
ならば心を見詰めるしかないではないか。
そこに答えがあり、真実が在る。

(と、オチのないお話でした。)
 
spring tune(1991年作)

 

 



2025/03/10

Peruvian City 見ずの開き

 



土木作業員からすれば「何言ってやがんだ〜!」となりますが、屋外専門フォトグラファーも、鋭い陽光に照らされ、また雨の中をぶるぶる震えながら、大地と仲良しとなり、また道を這い回る人種なんだと。

そんな撮影スタイルで、30年間歩き続けて来た者が、屋根や壁に守られた部屋で物撮りを始めても、屋外撮影での記憶がびっしり刻み込まれた身体と眼で撮影に望むわけだから、そこから生まれる写真は、きっと通常のスタジオ撮影とは異なるオーラが定着されるだろうし、またそんな期待を抱いていなければ、雨風に晒されることのない屋内での物撮りなどナンセンスさ、と息がってみました。笑

さて本題ーー。

今朝、Yahooニュースで村上陽一郎という科学史家・科学哲学者の新刊案内の記事を見かけ、名前は知っていましたがその著作を手にしたことは無く、ただそのインタビュー記事を読むとなかなか興味深いことが書かれていて、思わず色々検索してたら大森荘厳という哲学者の文章に行き当たる。

最近、このブログで、写真や音楽のみならず意識とか真理、知覚や身体、心などについて書いていますが、僕が考えていることはすでに様々の哲学者が考え抜いてきたことなんだなぁ〜と。

ただ、面白い!と感じたのは、似たような意味、内容、視座について、人それぞれの言語表現が、言い回し、表し方がありますよね。

土木作業員からすれば、たぶん「何言ってやがんだ。さっさと手動かせや〜!」ですが、大森荘厳が書いてます。


"いずれにせよ、次のことは言えよう。もし私に「見え」、私が「触れ」、私が「味わう」ものすべてが「心像」であるならば、私の生きる世界はすべて「心像」であるはずである。だとすれば、「心」は私の内にひそむ何ものかではなく、私の部屋に、街に、海に、空に、日に月にまで拡がっている何ものかなのである。幻といわれるものすら私の外に見えるのである。まさに「心」と呼ばれたものは「世界」なのである。"『物と心』(1975


哲学とは、そんな堅苦しいものでも、難しいものでもありません。それが始まった理由は、結局この地球という場所に産まれて、「なんだかここで暮らしていても、どうにもこうにも納得いかんこと、解せないことが多過ぎるんだよなぁ。なんでこんなカタチをした身体を持ってなきゃいかんのだろう? 生まれるとか死ぬとか、考えるとか感じるとか、モノが見えるとか、食べるとか、訳の分からん空間や時間に制限され支配された人生って、何のためにあるの? ここは一体何なのさ?」という疑問からなので。

もし、人類が登場し、この地上生活がすべての人間にとって満足のゆくものだったなら、決して〈哲学〉なんて生まれるはずも無し。

たぶんこの地球上の暮らしとは、大昔からニンゲンにとってはどうにも合点がいかぬものだったんじゃないかしら。

 

Peruvian City(2019年作)

 

 


2025/03/08

Boys Meeting 落とし所


 

精神病院の経営はリピーターによって成り立っていると言っても過言ではない。そこにご新規さんがぞろぞろ新たに仲間入りするのだから、商売として見たらコレ笑いが止まらない。
しかし実際、この精神科スペースに数多の無表情はあっても明朗な笑いはない。
精神病院の右肩上がりの成長率とは、我が国の経済効果にはまったく寄与せず、せいぜい外資系の薬品会社を潤すだけ。(しかしこんな感じで患者数が増え続けたなら、一体この先、我が国はどうなるんだろう?)
サイキアトリストでもクリニカルサイコロジストでも肩書きはどうでもいいから、「早く治せやー、この給料ドロボー!」と、ある看護師の嘆き。笑
そしてある快晴時、アホの三浦(仮名)32歳が仕事中の僕に近づいて来た。
「カ、カ、カイヌマさん、いまそこを通った人に僕は税金ドロボー!って言われました」と、無表情に愚痴った。
「あぁ、彼か……。よく見かけるよね。役所関係の人だよね」 
やや哀しみを押し殺したような複雑な表情を浮かべ、小さく頷いた若き生活保護受給者。
「そりゃ、立場上、腹の中で思ってても決して面と向かって言っちゃ〜いけないコトバだよな。(笑)でも、それ事実じゃん!ハハハ」と僕。
さらに次いで「まぁでも、悪意があってそう言ったんじゃないから。とにかく疲れてんだよ、ストレス溜まってんだよ」と、50手前の国税によって老後は安泰万全の暮らしが待っている地方公務員をなぜか弁護していた。
合点のいかぬ顔をしながら聞いているアホの三浦。
皆、それぞれの立場から様々の不服、不満を抱き、本音を押し殺し生きている。時に漏れてしまうこともあるが、とにかく必死で、幸せになりたいと、アホの三浦だって同様、もちろん僕も御多分に洩れずこの世にしがみつき、生きている。
一見、公平に、死を待つだけの何とも奇妙なこの世界。
だが、こんな説もある。「きみが見ている世界とはきみの意識、思考内容、欲望的信念、心の一部が作り上げた(想像)世界だよ(だから実在していない)」と。
さらに「この世界の存在証明は、きみの身体と知覚の連動によるものだけれど、そもそもその身体もきみが世界を存在しているような錯覚を起こさせる為に作り出された(妄想された)ものだからね」。
ってことは、アホの三浦も市民からのクレームに酷く怯えている公務員も、全員僕の一部であり、この世界そのものが(本人はあまり自覚出来ていない)自虐的な妄想に起因する、と。
だからもうそろそろ、この銀河世界劇場を作り出した意識本体まで遡行し、この意識そのものを観照しうる視座(気づき)へと移行し、この意識そのものが実は夢のセントラル採掘場、張本人であった事を見抜くこと。これが、最期の落とし所。

Boys Meeting2019年作)
 
 

 

2025/03/06

the end park ただのジョークさ

 


社会に対してとやかくその倫理的な不備について物申す、または愚痴るのは実に容易いことで、だいたい社会的劣等感の強いタイプが総じてこの「とやかく正しいことを言う俺ってイケてる」的な罠に引っかかりやすい。


インドのガンジス川と東京の多摩川はもちろん違う。

公的に、水浴できる場所があるのは良いことだ。さらにそこが祈りを捧げる場所でもあればもっと美しい。

僕は最近常々思うのだか、公的に、「ここなら野垂れ死にしても構わないよ」的なスペースが(もちろん屋外)、この国のどこかに作られたら、ほんと死に対する考え方の革命的な取り組み、希望や安堵も膨れ、それはまさに豊かさの爆発なんじゃないかと思っている。笑

ホームレスや乞食、いわゆる社会的心身脱落者の不幸とは、現在の社会が、その経済システムの原理原則上、国の衛生管理学上、「君たちはこの社会のお荷物だからそこんとこよろしく!」という烙印をその傷ついた心にさらに追い打ちをかけるか如く、無表情に押してしまうところにある。そんな気がする。

今は、野垂れ死にを希望し、姥捨山ではないが、静かに死にゆくまでの時間をゆっくりと休めるスペースがどこにも無い。それがこの国の貧しさだ。


庶民の、心理面における強度は、江戸の世と比べたら、確実に落ちている。いや、体力も、寒暖への抵抗力も、バイ菌の免疫力も確実に落ちている、はず。

食生活や娯楽の豊かさ、職種の多様さと心の強度は決して比例しないもの。

ただ、現代人は江戸時代の人々と比べ、総じて意識の明瞭さは手にしたかも知れない。


国策と政策ーー。

この世界は、どんなOS(システム)を導入してもバクが出るようになっている。身体の世界、五感に信を置く現象世界とはそういうものだ。

20世紀にコンピューターが開発され、あっという間にお茶の間の必需品となり、コンピューターにまつわる仕事や犯罪が、19世紀には誰も想像できなかった新種の問題や恐怖をぎょうさん生み出してしまったように、今後の未来、いわゆる宇宙開発がますます進み、めでたく地球以外の星々の移住がふつーに可能になったとしても、やはりそれに付随しためちゃ厄介な問題を膨大に抱え込むことになるだろう。

ゴールの無い、何処にも行きつかないゲーム。この世界とは、人間の暮らしは、外的にどんな状況に移り変わろうとも、いわば上がりの無い、死という上がりしか容認しない。(ならば死に方ぐらいに自由にさせて〜。)

どーせ世界についてあれこれ考え思い悩むフリをするなら、もし世界や人々の生き方や環境等々に真面目に憂慮するなら、一度そこまで極端に考えを推し進めるガッツが無ければ、全てその場しのぎ的な、精神病者への気休め薬物治療とおんなじ、対処療法的な薄められた取り組み、卑小な問題解決でしか無いのに「あれが問題だ!これが問題だ〜!」と大袈裟に騒ぎまくるだけで、この世のゲームを俯瞰することも叶わず、一歩も〈外〉には出れないだろう、死以外には。


覚者とは、絶えず根源的な視座に立ち、絶対的な根本療法を明示してきた稀有な存在であったように益々感じる今日この頃のオヤジの雑感。


この世界とは、この世界が狂気の場所に過ぎなかったことを悟るまで続く。


the end park1991年作)

 

 



2025/03/02

owarikata はじめ方

 


郊外の、土日祭日には都心の方から登山客でごった返す観光地の外れにある総合精神病院の外来駐車場のド真ん中で、仕事の合間、その立ち位置から見える辺りの遠景を、何かが到来する予感に満ちた感情の色彩が濃厚に滲んだ定点観測風写真撮影を続けていたのは確か今から7年前のこと。ついこの間のような気もしますが、現在は撮影することもなく仕事中はじっと思索しています。笑
「撮影を続けないの?また撮影すれば良いのに」
「散々撮ったからね。また撮影を始めたらそれこそ無味乾燥な定点観測写真になっちゃうじゃん」と、その場所に立ち、何か新しい光景が見え出したら再び撮影を始めるのでしょうが、今はただ精神科病院の外来駐車場のど真ん中で思索三昧!(最近のブログの文章は全てここで考えたこと。)

ところで、この病院で成り行き上親しくなった入院者は数名いますが、今日はそのひとりを紹介ーー。
この方、若い時分に心の病に罹り、30年近く入退院を繰り返し、現在50歳ちょい過ぎの、関東方面の精神医療施設、病院などを転々とし、9年ほど前この病院に送り込まれ、なんとその人生の半分以上が施設と病室暮らしというかなり数奇な運命を辿って来た方。たまたま音楽の趣味が合い、こちらがズケズケものを言ってもさほど動じない無邪気さと、根は豪胆な部分もあり、仕事の休憩時間を利用しては様々のことを話し合った。
40代の頃に密教思想にハマり、母親との諍いごとで思わず九字切りをして倦厭され、のちにクリスチャンとしての洗礼を受け、今は行きつけの教会でゴスペル音楽を歌うことを歓びとしていますが、たぶん音楽と自己防衛的な信仰心が彼の唯一の心の支えとなっています。
では本題、彼との会話のエピソードをひとつ。
ある時、僕としてはかなり意を決して(笑)、「この世界ってさ、ほんとうは無いんだって知ってた?」と切り出してみた。
すると彼は一瞬不安げな表情を浮かべ
「また〜、海沼さん、やめて下さいよー、そんなこと言うの」と明らかに動揺し始めた。
「でも、お釈迦さまだって、この世はマーヤ、幻って言ってたじゃん」とフォローのつもりで続けると「海沼さん、その話はまた今度にして下さい」と後ずさり……
「この世界は無い、幻想である」と言う発言が、人間社会から狂人のレッテルを貼られ、監視付きの隅っこの方へと追いやられ、薬漬けにされて、院内では人間の様々のバリエーションの狂態ぶりや摩訶不思議な悲劇を見てきたであろう精神病院のベテラン入院者でさえも「この世界は幻!」というあの仏陀のコペルニクス的大転回なお知らせには恐れ慄き、そそくさと院内8床室へ退散。
さんざん人間と人間が壮絶な殺し合いをしてきた野蛮な歴史を持つこの地球、社会通念や公的マナーからちょっぴり逸脱し、自分たちをクッション付きの壁に囲まれたガッチャン小宇宙(保護室)に隔離したこの世界が夢であったらそれこそ最高の救い、救済ではないか?
こんな世界、こんな寒々とした真っ暗闇の宇宙空間でもまだ存在して欲しいという人間の奥深い荒唐無稽な欲望、圧倒的狂気、深く吟味されたことも無い潜在的な信念(この世界はある、時間と空間は存在する、とか)について、彼を通じ、あらためて深く考えさせられた。いや、人ごとでは無いのだ。人間の心、意識の実態、その巧妙極まりないカラクリとは?
「(この世界が無いってことは、つまりきみや僕が考える、もしくはこの自己実感って奴も幻想、イメージに過ぎないってことになるよね)」 
なるほど、この言葉、この知らせ(真理)こそが、人間社会にとっては最大の狂気かも知れない。
なぜなら、この仏陀の教え、達眼をそのまま了解したなら、たとえば日本仏教の諸々の形式、行事、決まりごとなどは反仏陀、仏陀の思想に非ずという恐るべき論理的および感性的帰着。
さらに仏陀の教え、この眼差しによれば、世界について考える、社会に蔓延る諸問題について考えること自体が、幻想について思案し、幻想に取り組むということとなります。
限られた自分の想念、反復的な妄想から逃れられない統合失調症者と比べ、この世界を少しでも良くしようとする者たちの思考の情報量、豊富な経験値、さらにその正義感に満ちた想い、良き想像力などなどをベースにした取り組みは、きっと世界の多くの不平等をなだらかにし、より住みやすい社会、人間の暮らしをより快適に、より便利に、未来の子供たちの為に大いに役立ってくれることでしょう。
ですが、常人も、いわゆる社会的排除者も、両者共に幻想の中に居て、夢を見ているという意味では五十歩百歩。仏陀の明視は、人間の根本的問題、人類の不幸の根とは、移り変わる諸現象であるこの社会や世界構造の不備や欠陥部分、ありとあらゆる問題や不条理にあるのではなく、人間がまだ夢の中に居てこれに気づかず執着し、翻弄され、夢と戦い、挑み、また魅了され、この夢の世界での幸せのみを追い求め、ひたすら夢を見続けていることにあると。
ではなぜ、一体誰が、僕たちが共有できる「現実」としてこの夢の舞台を必要とし、作り出したのか?

owarikata2010年作)