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2018/11/23

Riwkakant_new PV


リウカカント - 風の旅人 traveler in the wind


リウカカント - 頂にて on the top

 

 

2017/11/12

蜂須賀公之 Masayuki Hachisuka / INTO THE LIFE OF




「彼の料理の味は?」と問われたら
ぼくは戸惑いつつも、“清純”と答える。
野生とエレガントが見事に融け合った
言葉にしようと思えば、すぐさま逃げ去ってしまう風味。
風味? 風の味
彼の料理は清清しい、どこか懐かしい風を喚起させる。

(動画では伝えようがない)

彼が好んで扱う食材、ジビエとか野草とか、キノコ・・・。
彼の熊のような風貌からは想像できないだろう繊細で、透明感のある味覚が
ぼくの舌から意識の奥行き、そのベースへと広がる。

もし、チャンスあれば、ぜひ一度体験してほしい
難しいけれど、彼がそこに居れば、ね。

あまり見せてはくれない自然の本体と
人間の世界を繋ぐ男・・・。

2014/08/29

カピウ&アパッポ Kapiw & Apappo - HUTTARE CUY



KAPIW & APAPPO : 
床絵美 Toko Emi – vocals
郷右近富貴子 Fukiko Goukon – mukkuri,tonkori and vocals

recorded, mixed and soundscape by Takeshi Kainuma

2011/07/26

遠山サキ / Saki Toyama



7月初旬。
祖母がバスと飛行機を乗り継いで、私達が住んでいる高尾へ足を運んでくれました。
そして祖母が生活の中から身につけた知識の一つ、カエカ(糸作り)を地域の方々と学びました。
この映像は、その時の様子を海沼武史氏が撮影・編集したものです。

祖母が来る前に、私は海沼氏に「歌を録音して欲しい」と、伝えていました。
記録としての意味もありましたが、彼の眼を通して祖母がどのように映るのか興味がありました。

昭和一桁生まれの祖母は、まだアイヌ語が生きていた頃の記憶を残している数少ない長老の一人。
沢山の苦労話や歌は、涙無しには聞けませんでした。怖くて聞きたくない時もありました。

けれども今は、全国各地から祖母の話を聞く為に沢山の人々が遠く北海道の浦河まで訪れては去っていきます。
祖母は、そんな人々を暖かく迎えて、ゆっくりと親身になって話を聞いていました。
幼い頃の私は、その横でその風景を静かに眺めていました。時には嫉妬もしたし、私もあれこれ教えて欲しいこともあったけれど、それよりも同じ時間を過ごしていることの方が嬉しかった。

大人になってから、一人で歌うことが多い私は、「祖母は一人で歌う時どんな想いで歌うのだろうなぁ」と、ふと思いました。
そして今回、無理を言ってお願いしたのです。疲れていたのだろう、眠りから醒めた祖母は「お前に残していくからなぁ~」といって、快く引き受けてくれました。本当に、それは嬉しい一言でした。

今頃は、遠く太平洋の向こう側で歌を歌っているのでしょう。
ku kor huci ソンノイヤイライケレ~ありがとう。

それから、緊張しながらも苦心して制作して下さった海沼氏、ありがとうございました。感謝します。


Toko Emi

2011/07/04

饗宴 / Symposion



先週の日曜日、我が家に蜂須賀公之がやって来た。
彼のことだから、また料理を作るのだろうと予感し、最近、中村明博の紹介で知り合いとなったフラワーコーディネーターの美之さん、野草に興味があると聞いていたので、ぐぐっと誘ってみた。
が、彼女はその日、かなり体調が良くなく、「せっかく誘ってもらったのに、、、ごめんなさい」と、電話口で丁寧に断ってきた。
「これは縁が無かったのだな」と、僕は蜂須賀公之からの電話だけをぶらぶらしながら待っていた。
彼がウチに遊びに来るのは、1年ぶりとなる。その時の模様は、勝手に動画にした。
1年に1度しか会わない、会えない男。いいねえ、そんな関係も。お互い、もう十分知り尽くしているからね、このぐらいの距離とスペースが、ふふふ、美しいのだ。
突然、電話が鳴った。
なぜか、美之さんからだった。

「どうしたの?」
「いま、高尾に居ます」
「って、あれ?カラダは大丈夫なの?」
「この機会逃したら、次は無いかなと思って」
彼女は2時間近くかけ、ウラ高尾にやって来ていた。

思い切りのいい人、度胸のある人って好きだな。
それは、多分に自分の小ささを、きちんと受け止めているから、知っているからだ。
ここだけは逃げちゃいけない、ここは無理しなきゃ、という野生的な、根源的でモダンなセンサーが働いている人、そうあろうと努めている人って、素敵だね。
自分の弱さをしかと受け止め、認めた人にしか、何かを表現する資格はない、いや、作家には成れないと思うんだな。
別にモノを表現する側などに立たなくても良いし、表現者が偉いわけでもなんでも無いが・・・。
みーんな、小さいのだし、弱っちい。だから、美しさを、この目で見たいし、顕わにしたいんよ~。



The image of the poet's in the breeze
Canadian geese are flying above the trees
A mist is hanging gently on the lake
Our house is very beautiful at night


by Lou Reed

 

 

 

2011/06/22

額装デイレクター・中村明博 / Akihiro Nakamura (frame director)



彼、中村明博の額装デイレクションについて、僕自身がもっとも感銘するところは、作品に対する、彼のその「接し方」にあります。もちろん、この接し方は、作品に対する彼の理解および解釈といものがベースに生まれるものですが、これは作品それ自体への真摯なまなざし、精緻な審美眼というものが無ければ、かなり乱暴で無作法なものとなります。が、彼の額装デイレクションに触れるたび、彼の作品への、絵画や版画、写真への読み、味わい方などを、「この男は一体どこで、どうやって身に付けたのだろう?」という、不可思議な気分に落としてくれます。この世に存在しないだろう濃密で深い湖のブルーの源まで連れていかれるような、華やかで清清しい感情をいつも僕の内に残してくれます。
ある時、彼に「あなたが思う究極の額装とはなんだろう?」と尋ねたことがあります。
「作品を囲うという行為において、実は、究極的に言ってしまえば、紐でもテープでもいいんですよね」と微笑みながら応えてくれた。
ここに、今回アップされた動画には描ききれなかった、彼の額装に対する思想の核心があります。
つまり、作品という「イノチの現場を囲う」ための結界としての役割、機能を立ち上げようとする額縁・・・。
西洋美術史上で生み落とされた額縁、額装というジャンル、これを、東洋の滋賀県の琵琶湖近くで生まれ落ちたある男が、その際際、あの普遍的な処まで「額装それ自体」を、追いつめようとしているのです。

 

 

2011/05/02

床絵美 Toko Emi / yaysama



今宵は、2011年4月22日(金)アイヌ伝統音楽ジョイントコンサート『Ainu New Wave -床絵美 X SANPE-』から、床絵美の「yaysama」をお届けいたします。


*前回のSANPEと同様に、この動画のライブ映像はフォトグラファー熊谷絵美によって撮影され、他は海沼武史により撮影・編集されたものです。

2011/05/01

サンペ SANPE / Sarorun Kamuy



2011年4月22日(金)アイヌ伝統音楽ジョイントコンサート 『Ainu New Wave -床絵美 X SANPE-』から、SANPEの「Sarorun Kamuy」のライブ映像をお届けいたします。

この国の行く末が見定まらぬ不安定な現実の内、様々な想いがよぎりますが、広尾の会場までわざわざ足を運んでくださった方々には大変感謝しております。

2011/04/26

床絵美 Toko Emi in La MaMa,NY / A Prayer For Japan



2011年4月25日(月)夜7時半、ニューヨークの「ラ・ママ劇場」にて、 東北関東大震災の支援コンサートが開催されました。そこに、ビデオ出演という形で床絵美が参加させていただきました。
上記の動画です。

この動画制作において、快くスチール写真を提供してくださったporonnoteiこと郷右近好古氏、輪唱で参加していただいたYuこと大住祐子さん、そしてこのビデオ制作において貴重なアドバイスをくださった舞台美術家の江頭良年氏をはじめ、ご協力を賜りました関係各位に謹んで感謝の意を表します。


海沼武史 拝

2011/02/28

『器』 / utsuwa



先日、ここ裏高尾には雪が降りました。
その際、撮影した映像を、以前制作した楽曲「itsuwa -いつ輪-」という、ちょっと実験的な音楽と重ね合わせてみました。

僕たちの五感は、たぶん、まだ使用されたことの無い、眠り続けているパーツが豊富に在るのでしょう。
この五感、知覚が、感覚の射程範囲というものが拡大すればするほど、この世界は、人間が作り出す文明は、今とはまったく違うものになるのかもしれません。
いわゆる真のアナーキズム、「革命」とは、表面的な、社会学的な視点による、その領域内での挑戦、または実践というより、僕たち人間の「五感」にそのヒントが、個々人の(無意識も含む)意識の舞台上に、希望もしくは秘密があるのではないかと、つい1年ほど前まで、僕はそう信じていました。
また、そのような内的革命を促す、まだ使用されたことのない感覚を刺激する、開花させるような作品を良しとし、これは18世紀の詩人ウイリアム・ブレイクの言葉ですが、「もし知覚の扉が浄化されるならば、全ての物は人間にとってありのままに現れ、無限に見える。」を、自身の創作信条として参りました。
が、少しずつ僕の内で何かが起こり、始まり、・・・。

以前作られた楽曲の質感、狙い、真意等は、幾ら再ミックスダウンを施したところで、変えようがありません。ですから、上記の動画は、やや消化不良気味に感じる、ピントがぐらつく箇所があります。が、この澱み、分裂こそが、現在の僕の心境、立っている場所そのものの姿ではないかなと、漠然と、出来上がった動画を見て、そう感じます。

ところで、話は変わり、今年は4月から、床絵美のソロアルバム第2弾、そしてリウカカントの3枚目のアルバムの録音・制作に入ります。
年内には発表できるかと思いますので、またどうか宜しく、乞うご期待ください。


film and music by Takeshi Kainuma / 映像と音楽:海沼武史

2011/02/10

道志村にて / Doshi



先日、舞台美術家の江頭良年・小山令子ご夫妻のお招きに預かり、ここ高尾からは車で約一時間半、山梨県は道志村へ行って参りました。
その村には、ご夫妻の2階建て別荘あり、僕ら夫婦はそこに1泊させてもらったのですが、もちろん、美味しい手料理の数々も・・・。久方ぶりに、温泉にも浸かっちまっただ。
で、道志にて、ちょこんちょこんと撮影し、そのあらましが上の動画。
音楽は、千葉伸彦のソロCD『トンコリ』から、“イフンケ ihunke ”です。

友たちは、いつも美しい。

2010/10/13

日川キク子 Kikuko Hikawa / 阿寒 AKAN


日川キク子 Kikuko Hikawa : 唄 Vocal


日川キク子さんの第二弾PVのご紹介をさせていただきます。
撮影に協力してくれた様々な方々、阿寒に住む人々の温かな心情に感謝いたします。
そして僭越ながら、この動画はアイヌの若い唄い手の皆さまへ贈らせていただきます。

*film and soundscape by Takeshi Kainuma  海沼武史

2010/09/15

サンペ SANPE / カピウ ラン Kapiw Ran



一昨日に引き続き、SANPEこと千葉伸彦のトンコリ演奏をお愉しみください。

それでこれは余談ですが、今月末、僕はカミさんと供に阿寒のアイヌコタンへ行く予定です。
一ヶ月ぐらい前、事の成り行きで(?)、いや、星の誘惑により、日川キク子さんの元へ挨拶に往くことになりました。
たぶん、郷右近富貴子さん、その母上である床みどりさんにはかなりのご迷惑をお掛けしつつの小旅行になるかと思います。でも、今回のショートトリップは決して僕にとっては“旅行”ではないのよね。
数年前、一度だけ、阿寒に足を踏み入れたことがあります、という言い方も変ですが、これは千葉伸彦さんの研究、フィールドワークのお手伝いで、フォトグラファー海沼としての同行でありました。千葉さんご自身も、ミュージシャンとしてではなく、アイヌ民族音楽の研究者という立場、阿寒地方に古くから伝わるウポポ(うた)を採譜化するためのレコーデイング、記録、調査等が主な目的でありました。
しかし、アイヌ民族の文化、またはその伝統音楽の研究者ではない僕はひたすら暢気なもので、「ああ、床絵美の歌声が育まれた場所はこういった空気と温度が流れていたのか・・・」と、かなり千葉さんにご迷惑をお掛けしたことを思い出します。それで、第二回目の調査の折にも、千葉さんから「また阿寒に往かない?」と誘われましたが、千葉さんと僕の微妙な立場の違いから、ちょっとした行き違いとなり、その時はお断りしたのでした。
あれから、はじめての阿寒往きから、もう二年以上が経ちました。「もう二度と、僕はここに来ないだろうな」と、釧路空港へと向かう車の中でひとり心に決めたことを、さらっと、まるで無かったことのように胸底に沈め、「奥さんも連れていらっしゃいよ」という床みどりさんの一声により、また、床絵美の配慮(?)から、カミさんご同伴ということとなり、「(んー)」、今から、すでに少しばかり緊張しつつ、やや気が重くもある武史さん、「ハイ!」でした。

2010/09/13

トンコリ奏者・千葉伸彦の軌跡 / Nobuhiko Chiba



昨日、「世田谷ものづくり学校」で、トンコリ奏者・千葉伸彦のライブがあった。

一ヶ月ほど前のことか、千葉さんから、「ライブをやるんで、撮影してくれないかな」という電話があり、「あ、いいですよ」と返事をしておきながら、ちょっと不安になって詳細を訊ねたところ、どうもそのライブの始めから終わりまでの記録映像を残したい、撮影して欲しい・・・そうな。
基本的に、僕は“記録”のための撮影はやらないので、そんな撮影は、舞台の位置を確認し、三脚でも立てて、ビデオカメラ君に任せておけば良いのだし、なにもわざわざそこまで行き、Recボタンを押す必要もないでしょう。(笑)
でも、千葉さんからの依頼なので断るわけにもゆかず(彼は滅多に人にものを頼まない)、「もし、youTubeにアップできる動画を撮っていいなら手伝ってもいいけど」と。
単なる記録映像と、“作品”としての記録映像の違いを、今ここに書こうとすれば長くなるので止めますが、とにかく、昨日の千葉伸彦のギグは最高だった。久方ぶりに、彼のトンコリ演奏、歌声を聴き、撮影しながらも、僕は思わず泣きそうになりました。

三年前に、僕はアイヌの唄い手・床絵美の紹介でアイヌの血は流れていない千葉伸彦というトンコリ奏者、音楽家を知り、彼が奏でる、紡ぎだすトンコリの音、その深い、奥行きのある“響き”に打ちのめされ、当時、僕は床絵美との共同作業、スタジオワークに専心していましたから、その勢いで、彼の初めてのソロCD『千葉伸彦 Nobuhiko Chiba / トンコリ Tonkori』のサウンドスケープおよびプロデュースのお手伝いをさせてもらいました。
あれから、早いもので、もう三年の歳月が流れました。
それで、「これは手前味噌になるから」と、今まで彼のソロCDについて書くことを一切自分に禁じて来ましたが、そろそろ書いてもいいかな、と。
CD『千葉伸彦 Nobuhiko Chiba / トンコリ Tonkori』は、たぶん十年に一度出るか出ないかの、ちょっと奇跡的な作品に仕上がったと感じております。

千葉伸彦とは、アイヌの、古くから伝わる伝統曲の“演奏家”、トンコリ奏者ですが、唯一無二、天才的なプレイヤーです。そして、トンコリ楽曲の、現存するただ一人の正統継承者かもしれません。
もちろん僕は、ここに“アイヌ”という言葉、枠を入れる必要は最早無いとは感じています。なぜなら、音楽家として、演奏家として、彼のその表現レベルは、美しい位階へと達しているからです。スペインのパブロ・カザルスというチェロ奏者が、ドイツの作曲家であるバッハ作品の天才的な表出者、演奏家であったという、その客観的事実において...。

床絵美という野生とエレガントを見事に融和させたような存在と出会い、彼女の歌声を通じ、僕ははじめてアイヌの唄を耳にしましたが、アイヌの唄、伝統曲が、いかに人間にとって根源的な響きをみなぎらせているか、“作品”として恐るべき完成度に至っているのか、これについては以前リウカカントのCDのライナーノーツで簡単に触れました。また、北海道の阿寒湖畔に現在する天才シンガー(あえてシンガーと書いているのです)、日川キク子さんについてもこのブログにてご紹介させてもらいました。
本来一人の作家であり、批評家、言葉と印象を弄ぶだけの評論家ではない僕が、非常に高度な、すぐれた表現を紡ぎだす彼らの、千葉伸彦と日川キク子のご紹介など、実はたいへん不本意なことだと思っています。もし誰かが、彼らの素晴らしさを、僕のような稚拙な言語表現ではなく、明瞭なる形式によって紹介してくだされば、書いてくだされば、どんなに有り難いことか・・・。

上記の、アップした動画は、昨日の千葉さんのライブからです。この日のライブより、千葉さんはご自身をサンペ SANPE (アイヌ語で心臓の意)と名乗っています。
アイヌ伝統曲であるとか、トンコリという見慣れぬ楽器であるとか、こういったことを括弧に入れ、なんら“音楽的な”先入観なしに聴いていただければ、演奏家としての彼の偉大さが、十分にご理解していただけるかと思っております。

p.s.この映像の音、その録音の質はあまり良くありませんし、前半、ガタンゴトン!という会場音がかなり気になりますが、その発信地は千葉さんのお二人のお子さんによるものなので、どうかご了承ください。

2010/08/11

舞踊家・伊東由里 / the contemporary dancer Yuri Ito





現代舞踊家 contemporary dancer : 伊東由里 Yuri Ito


舞踊家の伊東由里さんについて、以前このブログでご紹介しましたが、今回は彼女のPV(プロモーションビデオ)です。
しかしこのPVという呼称は、かなりいかがわしい感じがして、自身で多用しておきながら、なかなかしっくり来ないものですね。
さて、今回の映像作品の狙い、テーマは、『Shika -紫花-』同様、「伊東由里というニンゲン紹介」ですが、「ダンスという一表現ジャンルについて」の僕の考え、想いなども散りばめられております。
それで、なんでしょう、今まで現代舞踊(コンテンポラリーダンス)に興味を持てなかった人に、「伊東由里さんってどんな人だろう?一度生の舞台を見てみたいな」と、こういった気持ちを引き起こすことが出来たら、僕の役目は終わりで、成功なんじゃないかなと思っています。
どうぞごゆるりと鑑賞してくださると有り難い。

一人の才能あるダンサーが、もし“天才”に変身する瞬間があるとするなら、いや、これはダンサーに限らず、あらゆるジャンルに存在する表現者すべてに言えることでもありますが、僕たちの、つまり観客、視聴者たちの圧倒的なまなざし、全存在を賭けた真摯な鑑賞によってこれは起きる、と信じているところが僕にはありまして、いや、こういった荒唐無稽な信念なくして本来PVは作れないのだし、いや、そもそも「写真」など続けてはいられませぬ・・・。ん〜、信じ切って表現者たちと付き合った方が愉しいしね。才能とは、ほんの些細なことで開花するのだし、ちょっとした他人の言葉、行為によってすくっと大きく育ってしまうものだから。あとは本人の度胸のモンダイ。“素直さ”のもんだい。
(由里さん、そんな度胸ありますか?)

そしてずばり、ダンスとは何か?
二十代の頃、僕は遊び半分で短期間踊っていましたが、二年程前、僕のファーストCD『時空の破片』が縁で、伊東由里さんというダンサーを知り、今回、彼女に集中的にスポットを当て、この“動画制作”をくぐり抜け、はじめて、僕は「ダンスとは何か?」、その答えを見出したような気がしたのです。

p.s.
あ、それでこのブログをちら読みしたカミさんから「“圧倒的なまなざし”って何よ?よ〜わからん」と云われ、いわく、これはダ・ヴィンチのモナ・リザの視線であり、広隆寺の弥勒菩薩像の「視」であります。なんて、ますますわからぬか、、、。

2010/08/08

書家・紫花 / calligrapher Shika





書道家 calligrapher : 田中紫花 Shika



書道家の田中紫花さんと知遇を得たのは二年程前の事か、当時、遊びで動画制作に手を染めだした僕は、いつものように軽々しく、「田中さん、ご自身のプロモーションビデオなどを作らない?」と、確か、六本木にある美術館に展示されていた彼女の書の前で、ふっと思いついたように声をかけていた。

今月の初め、わが家から一番近くにあるコンビ二「ポプラ」へ、カミさんとアイスクリームを買いに行った際、レジのおばちゃんと無駄話をはじめたカミさん、これはこれは時間つぶしモードに、と僕はいそいそ本棚に…。すると、『Pen』という雑誌の表紙に大きく描かれた「書」という文字が眼に飛び込んで来た。
普段、滅多に印刷物は購入しないのだが、二年前、紫花さんに気軽に提案してしまった自分の言葉と、凛とした彼女の清純な人柄を思い出し、『Pen』という雑誌を即購読、「書か、よくわからんな」と、翌日には紫花さんに電話をかけていた。
「どうですか? 二年前は滅相も無いと言っていたけれど・・・」

これまで、僕はなんだかんだと勢いで動画を作ってきましたが、実は惚れた人しか撮ってませんよ。録っていません(微笑)。それで今回も、意味不明なる衝動に突き動かされ、『Shika-紫花-』という作品を、撮影もふくめ、2週間足らずで仕上げてしまいました。なんて、僕の事はどうでもよろしい。
この動画は、「紫花」という書道家、そして「書」についての作品です。


p.s.余談ですが、「youTube」は10分以上の動画がアップできないので、不本意ながらpart1、part2と分けております。さらに、紫花さんの書はすでに「リウカカント・Riwkakant / gift」と「海沼武史 Takeshi Kainuma / カリフ kalif」で使用させてもらっています。



film and music by Takeshi Kainuma 海沼武史