2024/10/04

写真集のメイキングレポート⑳


 昨日、62回目の誕生日だった。

自分の誕生日月についてはもちろんのこと、僕は他人の誕生日について、長く生活を共にしているカミさんの誕生日についてさえも全く興味がない種族で、いや、動物も自身の誕生年月日について頓着してないという意味ではそこら辺に近い生き物なんだろう。
が、昨日は、ようやく2冊の写真集の入稿が完了し、「ん?自分の誕生日に、印刷所へデータ入稿が為されたというのは、なんだか感慨深いよなぁ」と、すこし誕生日の意味について考えさせられた。

誕生日が来ると、カミさんはいつも「なんかして欲しい?」と聞く。こちらはいつも決まって「いや、別に」。時に「コンビニのケーキでも買いに行くか」とか、「んじゃ、外食にでも」と応えた時もあったが、あまり普段の日と変わらずに過ぎてゆく。
だが、そう言えば彼女は僕の誕生日には必ず、「誕生日おめでとう!」と、やや恥ずかしそうに僕に向けて放つ。では、僕が彼女の誕生日の時にはどうだったのか?どうしたのか?「誕生日おめでとう!」なんて言ったことはあっただろうか?つい気紛れに花束を買った時は2、3度あったが……。

ふと、昔ニューヨークに住んでいた頃のことを思い出した。
ブロンクスの公園内にあるドッグランで知り合ったアダムが、やはり同じ犬仲間のマットとサブリナの第一子をドックランに連れて来た際、サブリナに抱かれたその赤子に向かって顔を近づけ嘯いた。

「地獄へようこそ!」

ビットブルというアメリカでは何かと問題を起こす闘犬を相棒にしていたアダムは、実はめちゃくちゃ心優しいのだが、産まれたばかりのベイビーに向けての第一声を聞いた時、僕は「ケッサクだな(笑)」と思った。日本ではついぞそんなことを言い放った奴はいなかった。
「地獄へようこそ!」
もちろん赤ちゃんを抱えていたサブリナはひどく怪訝そうな顔をしていたが、その横にいた旦那のマット、自分の父親がベトナム経験者であるハイスクールの先生は、あらためてベイビーを愛おしげに見つめてニヤニヤしていた。

誕生日おめでとう!
それとも「地獄へようこそ!」生誕場所の選択の誤り?
誕生日おめでとう!
こう言うべきなのか、それともこの世界の狂気を嘆き、口を噤むべきなのか。
アダムのあの言葉の裏には「(この世界は地獄だけど、なんとか皆んなで支え合って、労り合おうぜ!)」という柔らかな思いが広がっていた。

たとえば、「この世界は天国ですよ」なんて言う輩がいたら、たぶん「きみ、頭変なの?」とドン引きされて、誰にも相手にされないことだろう。

この世界、この地球で産まれた者はやがて死を迎える。もしこれが覆すことの出来ない事実なら、ここで誕生することは悲劇としての終幕に向けての倹しい暮らしに過ぎないのではないか。

それでも、僕はこれから「誕生日おめでとう!」と、その月並みなひと言を放とうと思った。
それはなぜか?一体誰に向けて? 

この件に関してはまたいずれ。

 "この世界は、否定や拒絶によってではなく、祝福することにより、光の内で昇華する。"(マグマン大使)

 


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