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2013/02/11

道すがら、 / fake plastic trees


道すがら
日は  そこに在った。
だれかを なにか見るでもなく
そこに 在った。

道すがら
ひとは 立ち止まる。

 直視できない 
 ずっと見ていたら 眼が潰れる

それが こころのくすみを
しこうのいたずらを 洗い清めるまで
ひとは そいつを浴びて
他愛も無いこと かんがえていたわけじゃない。
いま ここで その場所まで・・・

通り道では、
いつも なにかが起こる。

顔をあげな、内側でさわぎまわるコトバに
耳を傾けていても 埒が明かない
この目の前に 
 その目の前に
もし ヒカリ <それ>が見えるなら
くずれかかった闇の向こうへ
刹那 瞬間を切り・・・・・・

一眼レフ
高画素数カメラを かまえる
余裕などぼくには無いのさ
道すがら、
だから尻ポケットから 
携帯電話を取り出した。


Radiohead - Fake Plastic Trees

 

 

2013/02/03

風が通う道 / bad dreams are good



なめらかに、
袖を振る

気まぐれに
たっぷりと、息を止め
小石たちが遊ぶ 場所に 

脇をくすぐる
「だれ?」風 が
通う道に咲く 花
その袖に留まる
歌声 と
小鳥たちのその日暮しをまねて
なめらかに、
進む だれにも知られず
ぼくたちの道行きを
かれらが、興味をもつ
無いでしょう。
<無し>に向かい
袖を通す
気まぐれに それで
鮮やかに遊ぶ
「ここはどこか?」
囁きかけるのは、、、だれかな?
たったひとつしかない
<世界の秘密>と 共に
夢の、最果てまで。



2013/02/01

鳥のライン / Luminous Emptiness



…憑き物が取れたのかもしれない。
(霊感はつよい方だった)
いや、憑き物というコトバ、自然のフィールド
動植物たちの舞台には無い。
 山に入り、思考を手放し、無闇に動き回る
脳内イメージをほっといてください、ヒト
カラダ、あからさまに
山道をただ、ずんずん進んでゆく
無防備で 脆く 傷つきやすいモノとして
どこにも向かったりはしない、目的は
今更 無いのだから。
山頂を目指すこともできたが
登らない
(やがて降りることになるから)
ただ、歩くことだけが、主
”、。

ここは<圏外>
時計がわりに持参した携帯電話
今日のヒカリは異様に眩しい

「なぜ撮影するの?」
生きているから…ただ、歩いていれば良い。
はじまりも おわりもない 無法の道を

ヒカリが
在る、トキに



「鳥のライン」 - Riwkakant リウカカント

 

 


2012/05/18

<海>が見える場所まで / the Oceans

海に浮かぶ船をまねた
カモメがそれに気づくように

生きてゆくための口実が
教え込まれた数多の意味が
三千音階の潮風にやられ
途方に暮れ
さすらう者たちの胸から
出て行った
逃げ往く
多くの祈りや涙の棺どもの来歴を
忘れ去る
この夜に乗り
声をまね
目的もない波紋の手招き
カモメがそれに気づくようにと
人は
人であることを
速やかに 終わらせた

ようやく
晴れ渡った空の向こうにひろがる
中心のない
無限のヒカリが明滅する闇の響きに感応し
コトバをもたない星たちの生成消滅を
その何億ものヒカリのドラマが
垂直に
誰の身体に突き刺さる
誰かの身体に突き刺さる
水平に
海に浮かぶ船をまねて
カモメがそれに気づくようにと
恒星の微笑みが
銀河の自在さが
遂に僕のがさついた欲望を奪い去ったのだ
記憶のざわめきも消され
震える最後の“わたくし”の死を見届けながら
<海>が見える場所まで 
あと僅か・・・

善という切ないコトバの連なりが
悪と重なるようにして
もだえあうこの国では
正義と不義の顔つきの区別もつかぬ
虚無と希望の歌声が響き合うこの場所で
惑星の激しい息づかいと共に
人は はじめて
この世界の<自然> その心づくし
「生」そのものと化す。

 

 

2010/10/19

“Love”って何さ / LOVE ?


“Love”って何さ

ラヴラヴ・・・って軽々しく
言葉にしなきゃおさまらないほど
僕らは冷たく 此処は
凍えそうなのか

季節はめぐる
まるで何事もなかったかのように・・・


“Love”って何さま

「愛してるよ」なんて
よくもまあ言葉にできるものだね
アイも 恨み辛みもない
何も無い だから全てがひらく
眠っている
きみも僕もいない


その美しさに
ただ討たれていること

2010/10/17

アントナン・アルトーの受難劇 / Antonin Artaud




アントナン・アルトーの受難劇 (Aug/28/04)

----ネガテイブな亡霊ごっそり背につけアルトーさん
底で何してんの?

「・・・私は彼女を抱く。彼女に口づけをする。ある最後の圧力が、私を引き止め、凝結させる。私の腿の間で、教会が私を止め、嘆くのを感ずる。
(中略)・・・いや、いや、私はこの最後の壁を押し開く。かつて私のsexを監視していた、アッシジの聖フランチェスコは今や離れ去る。聖ビルイッタが私の歯を開く。聖アウグスチヌスが、私の帯を解く。シエナの聖カタリナが、神を寝入らせる。」*

エクリチュールのデルタ地帯
照れ隠しの自己劇化
苦痛に酔うケンタウロス
自虐への耽溺は
中世以来の信徒の流行

「・・・一切の文章表現は豚のやるような仕事だ。
曖昧なものから出発して、それが何であろうと、とにかく己の思考の中に生ずるものを明確にしようと試みるような連中は、まさしく豚野朗である。」*

五歳の時 彼は脳膜炎前躯症を患い 九死に一生を得たが 後 神経症の兆候を示すようになり 生涯 身体的苦痛と狂気の極限で生きた 詩人にして前衛演劇の実践者 アントナン・アルトー  晩年は 八年八ヶ月におよぶ入院生活(精神病院のハシゴ) そして千九百四十六年 最後の宿・ロデーズの病院から退院 その二年後 永眠五十二歳。

風の上にありか定めぬ塵の身はゆくへも知らずなりぬべらなり 
(古今和歌集)

狂気とは何か? 
ヒトを無闇に姦淫し 
憎悪に駆られ
ヒトを殺めた経験のない者が
せいぜい公園で無法の雄叫びを上げ
ちょいと小部屋の片隅でアヘン吸い
(ゴッホは、片耳を削いで愛する者へ贈った・・・)
高ぶった神経を弛緩させようと
ほんのりよい気持ちを貪っていただけの男が
時に熱に魘され文章書き
ウンチなんかしませんよ!
なんて顔したマドモアゼルが群がる都心部へ
ショーウインドウを真似た
数多の装飾的な恋愛劇に亀裂を
古代のカミナリを走らせようとした男が
ある日“精神分裂病”というモダンな病名を宣告され
半ば強制的 ほぼ暴力的 
柵で仕切られた白い巨塔に連行され
そこの大親分から狂人初心者マークをペコンと御でこに張られ
狂気とは何か?
そして院内では サドマゾ愛好家もびっくりするような
原始人も腰を抜かすであろう最先端の治療法
電気ショック療法とクスリ漬けの日々
ああ これが本物の<残酷劇>
舞台は客席不在の白を基調とした病室X
これではノーマルな人間も
アブノーマルな人間さえもが
正真正銘の狂人へと変容できる
・・・狂気とは何か?
それはどこにある?
どこにあったのか?

「かつては、魂は実在していなかったし、
精神もまたそうであった、
意識にいたっては、誰もそんなもんについて考えたこともなかった、
それにまた、破壊されるやいなや再び組み立てられる、まったくの戦闘状態にある要素だけでできた世界においては、思考はどこにあっただろうか?」*

『神の裁きと訣別するために』
こんなタイトル(書名)を考えつく者は
たぶん敬虔な裏クリスチャンか
骨の髄までバイブルのお伽噺に洗脳された隠れ信者
ザ・西洋人!以外には考えられまい
(日本のクリスチャンとは憧れちゃんレベル 踏み絵を踏むべきか踏まざるべきか 絵に描かれた偶像神を前にして思い悩むなんて 悪魔が見たら さぞかしぶっ魂消ることだろう)
アルトーさん
貴方の歯軋りは全くのヨーロッパ仕込み
そう考え 離れてみることもできた
文明がこしらえた架空の夜は
神経衰弱者から南国の放神を奪い
機敏な魂たちを磔にかける
『ヴァン・ゴッホ 社会が自殺させた者』
こういったタイトル(書名)を思いつく者は
本来 純朴なる魂の持ち主か
沈黙を愛する 生まれる時と場所を誤った羊飼い・・・

「・・・卑劣な猿どもや、濡れしょぼった犬どもから成る人類を前にすれば、ヴァン・ゴッホの絵は、魂も、精神も、思考もないような時代の、次々と結ばれまた離れる原初的な要素以外の何も無いような時代の絵と思われたことだろう。」*

神経の秤=アルトー
神経の秤に引っ掛かって来るモノやコトなど
実は高が知れている
そこに質量を感じてしまうのは
己がひどく西欧文明に毒され
キンジュウソウモク(自然)から切断されてしまったからだと
そう考えてみることもできた

「・・・人は、無限のために生きることもできるし、無限によってのみ満足することができる。この地上と諸天体には、無数の偉大な天才を満足させられるだけの無限がある。」*

ふりかえる
灼熱の眼は
ひるがえる
黒いマントの裾
水気を含んだ
初老のガラス細工
そよ風が
無限定を
引き寄せた
未明の刻
無数の星々が散りばめられた
深紅の底なし絨毯
硬直したカラダは
惑星メトロノーム
小刻みに震え
意味を剥ぎ取られた
黒い穴のあいた襟首から
二頭の幻獣が
熱に侵された彼の頭上をめがけ
その外部思考まで食いちぎる


*アントナン・アルトー『ヴァン・ゴッホ』粟津則雄訳(ちくま学芸文庫)
 
 
 
 

2010/09/25

波長ヲ合ワス / breeze

インディアン居留地(2001)


波長ヲ合ワス (Sep/09/01)

スコシダケ
クタビレタ晩ハ
風ノ唄デモ聴キナガラ
夜ニ
波長ヲ合ワス

アノ
星ヲ隠シタ
ヤミノ内 へ
ヤシシイ ヤミノ家 ヘ

ムダノナイ
空(くう)の
ココヲ放チ
波長ヲ 合ワス
コノ夜ニ
波長ヲ合ワス

脳ミソヤト
胃ブクロマデ
足クビガ反リ返ル
モシ
マゴコロ在ルナラ
滑リ込マセテ居タイ
ソコニ 滑リ込マセテ居タイ

ヒトリデニ浮カビ
ヒトリデニ bye
カラダノコトヲ忘レ
内ヲ外ヘ
外ヲ内へ
ヒックリ返シテ闇雲ニ
ヤサシイ
ヤミノウチへ
アノ
フクヨカナ 初マリノ方へ

産マレル前ノコト
ドーモ
忘レテシマッタ 
ヨーダ
死ンダアトノコト 
モ ナゼカ
忘レテシマッタ

連レテユケルモノナド
何ヒトツナイカラナ
名前モ形モ
ソーダ 気楽ナモノダ

波長ヲ合ワス
コノ夜ニ
波長ヲ合ワス


2010/09/24

ぜつぼうのうた / the Last Resort

ヘンリー・ハドソン公園                                                   John's Run


ぜつぼうのうた (Aug/01/04)

ぜつぼうのうた
ぜつぼうはゆめ
ぜつぼうのくち
ぜつぼうのうち
ぜつぼうをしに
ぜつぼうのはて

絶望とは
よくいるモダン
足踏み外さぬ
ドウショクブツには無縁の贅沢
コトバ食べて生きる僕らのドストエフスキー
エクリチュールの水死体
意味をめぐるフーガの技法
うっとりとまあ耽溺
絶望は 欲望の裏山こえて
つましい日だまりで消されたか
ほら コトバ悶えた
意味は困った

ぜつぼうのうた
こえなき草花
メロデイーはやさしさ
母音から見捨てられた孤児
子音からのあやしいギフト
蛇の目だらけの現場にて
とうざいなんぼくうおうさおう
どうしてうたがうたえよう
どうしてうたがうまれよう

蝋燭を点し
のびるぜつぼうの影
鉱物たちの思考のしじま
ぜつぼうのち
書斎に飾られた髑髏と
コトバを食べしのぐポーの酩酊
最期のタンゴ
ノヴァーリスの華

ぜつぼうてきなしかい
詩?
むしの詩 史の死
されどコトバの売人にも生活あり
肉体あり
食事の時間だバスタイム
寝たり起きたりルールにのまれ
日々のやりくり脅し脅され
暗がり探索は最早時代遅れ 
(恥部を照らす明かりの強度が怖いから)
ぜつぼうのはてのうらのうらかた
詩策とは
つまり陽気な人の為せる技
どうしてうたがうたえよう
どうしてコトバがうまれよう

 彼女をベッドに運ぶまえに
 ピタゴラスは夜々に唄をあたえた

(希望がなければ絶望なし?)

きぼうのうた
ぜつぼうをわすれ
クウをとりだす
きぼうのうた
おもくのしかかった
せつない濁音が
いっせいにコトバの罠から解き放たれ
意味をうしない軽やかに
せんばんへんげ
ため息の傍でそっと服をぬぐ妖精を
みごとよるのすみずみまで
無限のやさしさを添え
神殺しの惑星として悪名高きこの地にて
ひとりベッドに誘うのだ
ほかの惑星まで 届くようにと
妖精のなきごえにあわせ
きみがしずかにきぼうをうたうのだ

どこから連れてこられたのか?
なにを教え込まれてきたか?
ひとびとのふかいそのねむりをめがけ
夜と石
コトバなき住人と供に ドウショクブツのもと
むすうの星々のライトをうけ
きみがひとりしずかにきぼうをうたうのだ

++++++++++++++++++++++++++++++++

では、今夜ご紹介する曲は、アメリカ西海岸のイーグルス(Eagles)ってバンドの『ホテル・カリフォルニア(Hotel California) 』の最後に収録された曲「ラスト・リゾート(The Last Resort)」。
このLP(当時はレコードのことをLPとかアルバムって呼んでました)がアメリカで発売されたのが1976年、僕がこのアルバムを購入したのが高校一年の頃、だから1978年、二年遅れ。
当時、洋盤はリアルタイムで日本発売されず、だいたいその一年後ぐらいにレコード店に並んだんだけれど、イーグルスなんて、優等生的な感じがして馬鹿にしてたから、“まじ聴き(まじぎき)”はやや遅れたんだね。
その頃の感想は、なんでこんなクライ、重いアルバムがアメリカで空前のヒットを飛ばすのさ、ちょっと分からないなあ、でもイイ、素敵!!と、結局レコードが擦り切れるまで聴いていました。
歌の内容なんて、実は昔からほぼ興味がなかったんで、なぜって人が歌っている、何を言っているかわからない、でも痺れてしまうんだからデクショナリーは無用、つまりロック音楽において歌詞の正確な内容なんてもんはどっちでも良かったわけ。“意味”を聴いていたわけではないから、ね。
で、なんとなく今回この散文をアップしようと思ったところ、なぜか、イーグルスのこの曲がひょいと鳴って、早速検索すれば曲名は「ラスト・リゾート」。なるほど、確かにそんなタイトルだった。見覚えあるある。ついでだから歌詞の内容はと検索すればありました、ちょっと長いんだけど、興味のある人はここを参照してください。
それで改めて歌詞の内容を知れば、「へーっ!」て感じです。
アメリカの当時のリスナー環境はほんと上質だったんだね。堀内幹の「祈り」が空前のヒットを飛ばすようなものだ。それに比べて現在のリスナーの程度の低いこと低いこと・・・(なーんてね)。


The Eagles - The Last Resort(1976)
 
 
 
 

2010/09/23

わずかなひかりあうと / the village of the wind

わずかなひかりあうと (July/20/01)

わずかなかおりあうと
わずかなひかりあうと

ちいさな威光をはなつ
クリムゾン絨毯のうえ
ひびきながら点滅する 
傀儡女のように火照る
秘めるsmellサムシング
わずかにかおりながれ
わずかなひかりアウト
古の液が零れ落ちた
薫るコトバひびく声の
ひかりmeetサムシング

底なしのコトバさぐり
さぐりやめた夏の夜に
闇に浮かぶ天の逆鉾
わずかなかおりあうと
かすかにひかりあうと

またたきの虹
星国の冠
淡の島にて
ひとしれず艶やかに
鷹の羽を身につけた
長い黒髪の民族
さんらんせよと きせいをあげ
薫るコトバひびけ唄よ
結びあえばわれる岩戸
わずかにひびきあえば
汝eatサムシング

わずかなかおりあうと
わずかなひかりあうと

2010/09/21

ひふとひふが / totheotherside


ひふとひふが (July/17/01)

ほのぐらいトイをかさね
迷うほどにヤミに暮れる
ここに来て何処にとまる
懐かしい彼の地の鎮まり

瑠璃色のツミをたばね
しらずしらずミチに迷う
いづれ妖しいヒトのよ
安らげるトキも来るか

ひふとひふがふれあえば
流れるかなよのかなしみ
落ちるかなよのざわめき
果てるかなよのくるしみ

かぞえかぞえた彼岸の骸
ひふとひふがふれあえば
ただひとりわれはさとる
世は
余ははるかいにしえの事


The Doors - Break on Through (1967)
 

2010/09/20

サシダサレタナイフ / Howie's jackknife


サシダサレタナイフ (Aug/30/01)

近所にあるヘンリーハドソン公園にて、今夜ユダヤ人のHowieが僕にジャックナイフを手渡した。
「預かっておいてくれないか」

1969年にブロンクスで生まれた彼は、二十代の終わり、なにを思ったのか単身イスラエルに行き、そこでアーミーに志願したそうな。
が、どう見ても、現在の彼は元兵士には見えない。葉っぱ好きの、女性をこよなく愛する、「俺はチベットのタントラ密教を学んだからな、あっち方は凄いんだぜ」なんて、ニヤニヤしながら嘯くあたりはパンク・ジュー、単なる生粋のブロンクス育ちだ。

夏の夜
互いのカラダの輪郭が空ろになるまで
暗闇の中を
芝生の上 ふたり暢気に横になっていれば
生まれた国のちがい 魂の色合いの差など
どうでもよくなり
使い慣れた言語の顔つき
網目だらけの言葉の絡まりなど
静かに
闇が吸い込んでくれる

そして、架空の故郷イスラエルでの生活、摩天楼の人口色でも恋しくなったのか、二、三年後にはアーミーを辞め、実の故郷であるニューヨーク・ブロンクスに戻り、以来「いつも携帯しているよ、当然だろ?」と、Howieはその隣で寛いでいた僕の腹の辺りにそっと護身用のジャックナイフを置いたのだ。

「ギャングでもないお前がなぜそんなもん持ってんだよ」
「自衛のためさ、当然だろ」
「そうかな・・・。ナイフが暴力を、血を誘うってこともあるだろ」
「タケシ、真夜中の地下鉄に乗ったことあっか?」
「あるさ」
「お、恐っかねーだろ!!」
「もちろん怖いさ・・・」

サシダサレタジャックナイフ
ナゼワタシニ?
無造作ニ 
サシダサレタ銀ノナイフ
カレノ 指紋ガビッシリ憑イタ・・・

夜露で光る僕の懐の片隅で、Howieのナイフは、今、ようやく眠りに就こうとしている。
このナイフには、彼の悪夢が、傷つくことをまったく恐れない魂たちへの憧憬が、奇妙な形で混在し、付着している。
かれのangerが
そして、あの濡れたようなマナザシの奥に仕舞い込まれたfearが・・・。


Lou Reed - the Gun(1982)
 
 
 

2010/09/16

草は・・・まねる / moonforest


草は・・・まねる  (Sep/06/04)

狼が

ひらいた
声の

暗雲は途切れ
マ に
月の光をかざる
草 は・・・

かがみこめ
うすく横になり
肌に彫りむ
言の葉の様 が
目を覚ます
その奥行きから
膨らむ
乳白の調べに 酔う
草 は

折りこまれた
写しとられた
黄泉のヒ 戸
天蓋はひらき流れ
千切れた願い縫い合わす
宙のさだめと銀河の 吐息 を
クウとトキのマに

草 は・・・
まねる

呼び合う
おおかみの
声を ・・・まねる


++++++++++++++++++++++++++++++++

それでは、今夜はまた僕の未完成楽曲をお送りしたいと思います。
タイトルは「月の森-moonforest-」。
静かな、それぞれの森の中へまぎれ込んでみてくだされ。

2010/09/11

夏ノ終ワリ / at the end of summer

 


夏ノ終ワリ (Sep/10/01)

スクット立ッタ
樫ノ樹ニ背中ヲツケ
根元ノ膨ラミニ 身ヲアズケテ
今日 ボクハ
天ニ拓イタ夏ノ葉ノヒトツニ
変ワッテイタノダ

誰カガ 
隠シテイタ
見ズ知ラズノ夜ヲ
見セテクレタ

天ニ拓イタ夏ノ葉ヨ
空ニ届イタ言霊ヨ
受ケ止メキレヌホドノ
星ノ優シイ視線ノ下デ
「足が有るなら歩けば?」ト
囁ク樹 囁イタ命・・・

柵デ仕切ラレタ
切ナイコノ地デ
スクット立ッタ樹ノ元デ
夏ノ終ワリニ
夏ノ終ワリト始マリニ
沈メテイタカナ染ミガ
スクット天マデ拡ガル

タッタ四次元ノ現象ニ
見蕩レテバカリイル
ジブン以外ノ人間ニ成レレバト
イツモ夢見テイル
多クヲ語ラナイ小動物ヲ前ニシテ
喉ヲ詰マラセテイル
戻ルハズノナイ
過去ノ記憶ヲ追イカケテ
手ヤ胸ヲ合ワセテイル

カリソメノ
言葉デデキタ
「教え」ニハ
モウ頼ルマイ
今夜ハ タダ星空ノ下デ
キミノ歌バカリヲ聞イテイル

++++++++++++++++++++++++++++++

↑の散文が書かれたのは2001年9月10日ですが、当時、僕はニューヨークのブロンクス、Riverdaleという街に住んでいました。そして翌日、あの「9.11.同時多発テロ」、マンハッタンの世界貿易センタービルが倒壊するという大惨事が起きたのです。
今日は、奇しくも9月11日で、別に狙ったわけではありませんが、あの日から、すでに9年もの歳月が流れています。ちょっと不思議な気持ちになりますね。


9月11日----。午前中、僕たちは突然の電話、高知県に住むカミさんの母から「あなたたち大丈夫!テレビ点けてみなさい!いま、大変なことが起こっているじゃない!!」という連絡が入り、事態を知りました。
暢気なもんで、現場近くに住んでいる人間が知らず、日本に住む親から教えてもらうなんて。幸い、ブロンクス・リバーデイルという地区は、マンハッタン島からやや離れた北に位置しているので、なんら被害を受けずには済みました。
そして、テレビを点けてみると、まるで良くできたドキュメント映画を見ているような感覚・・・。「大変なことが起きてしまった!!」それでも、成す術ないので、いつものように犬の散歩へと、歩いて5~6分の所にあるJohn's Runへ(それが僕たち夫婦の日課)。仲間たちと朝の挨拶を交わし、いつものように犬の手綱を解き・・・。

犬たちにとって、WTCなるものは存在しませんから、その巨大なビルが爆破されようが、倒壊しようが、数多くの人間が瞬時に殺されようが、死のうが、まるで別世界のお伽噺、普段どおり、犬たちは大はしゃぎ。でもその朝は、僕たち人間はあまり冗談を飛ばしあうことなく、皆、やたら静かにしていたことを想い出します。
その「John's Run」という名のドッグランは、高台にあったので、南の方角に眼をやれば、濛々とした煙が上がっていることをすぐさま確認出来ました。
成す術がないとき、そしてその成す術のない状態を共有せざるを得ない時、僕たち人間はあまり多くを喋らなくなります。そして、人種、そこの犬仲間たちはユダヤ人もいればユーゴの人、ラテイーノ、チャイニーズ等々と、人種的に多様でしたが、なんだろう、あの朝だけは、皆、生身の人間として、無防備な、人種を超えた裸のヒトとして、異様な時間の流れを、ただただ共有し、見つめあい、ひとりひとり立っていた様な気がしました。
もし自然災害であったなら、僕たちはまたちがった感情を抱くことになりますが、あの出来事は、あくまでも“人為的”なものであったこと、生暖かい血が通う僕たちと同じ人間によって引き起こされたという事実が、言葉にはならない状態へと、僕たちをある心理の奈落の方へと緩やかに突き落としたのでしょう・・・。
普段、John's Runに集う犬仲間たちを、「この粗雑なアグロサクソンどもめ!」とか、「ここは個人主義の末期の国さ!」とか、毒づきまくって、彼らからモンスターと呼ばれていた僕が、あの朝だけは、・・・どうもうまく言葉になりませんが、なにか、人間の一等深いところにある真の“姿”を、ありありと見せてもらったような気がしたのです。
今から9年前のこの日に起きたあの大惨事も、実はアメリカの自作自演であったとか色々言われています。が、僕たちのような庶民にとって成す術のないことが現実の裏手で動き続けていることは、たぶん間違いないことで、それもある少数の人間、グループによってこの社会が、経済がコントロールされていることも、まあ、確かなことかも知れませんね。
あの、なにが言いたいかって?
かわりに誰か言ってくれませんか? 

・・・僕らはどうしょうもなく意気地なしで、また、崇高なんだ、と

 


2010/09/09

はてなしの舞 / In the Moment


はてなしの舞  (July/17/01)

はてなしのはて
そのはてまいり
そのはての國へ

さてはワカモノ
ひとり首すじに
いとうるわしき
ちょうをつれて
遍く聲にゆられ
よいと体うかし
気を祓いしずめ
はてなしのはて
そのはてを往く

こころ以て
こころ伝え
こころ以て
こころ送り
非を割るか
無を身篭り
カミくだき 
カミおろし
カミむかえ
カミのみや
よのしらべ
よにしらせ

はなたれた矢
ゆくへ知らず
われをわすれ
遍く聲にふれ
めざせやあの
はてなしの國
更にめざせや
はてなしの宇
はてなしの空
町も人も離れ
あのはてなしの國にてはてなしの舞

 


2010/09/08

やがてよるもひるも / closeyoureyes

やがてよるもひるも  (July/28/04)

やがてよるもひるもめをさますだろう
自己滅却という
ことばのウラを覗くまえ
草原が
ほら 全身に 
拡がりはじめた

やがてよるもひるもめをさますだろう
自己認識という
ことばのハリを消し去るまえに
朝顔が
ほら全身に
咲きはじめた

気をもんで
気をもんで
気を枯らす
医者が繁盛する時代はおかし

沖縄の民は
気の振れた者を丁重にあつかう
都会では
気の振れた者をクスリ漬けにする
病名が増え続けるこの世界
健全な人間は同情に値しない

のびちぢみのびちぢみ
ひきこもるとくべつなりゆうもなしにひきこもる
のびちぢみのみくだし
ろうじんまでもがひきこもり
ひとめをきにしてひきこもる

すでに部屋の中は世界
世界はもはや部屋の中
だれが満月に触れようとするのか
手を延ばせば
届くかもしれないというのに

ああ だれか三千年ぶんの雨を
はやく三千年ぶんの愛を

百の姓を名乗っていた農民が
スターだった時代は疾うに過ぎた
道ゆくエンジェルたちはポッチャン便所を知らぬ
芸のない成金にはどうか無人島三年ひとり暮らしを
テレビのない明るい生活
満点の星空とふるえるような闇の中で
換金できない至上のヒカリは
今もただ黙ってそこに在るというのに
だから三千年ぶんの愛を
はやく三千年ぶんの雨を
ここに降らせよ

巧妙なブレイン・ウオッシュ
顔のない神経風の悪戯か
気をもんで
気をもみすぎて気を枯らす
おおジーザス煙色の御人
あての無いココロたちの内ではやく目覚めよ

こどもをあいせなくなった親たちの集い
親たちをみとめられなくなったこどもたちの黄昏
部屋の外に住む
動植物たちがみたら さぞかしおっ魂消ることだろう

三千年ぶんの愛を

お肌の曲がり角
地球にも幾多の曲がり角はあった
地球というボデイーのお臍は
ギザのピラミッド とは?
この世の片隅で起きた馬小屋の奇跡 
それは美しい物語
菩提樹の下では柔和な笑みがうまれ銀河もふるえた
世界史の裏通りでは
数多の見知らぬ覚者たちの歌声が 音楽が
今もなお響きつづけている
数千の御ワザと数十億のアヤマチ
無意識の泥濘は視界を被い
ろくでもない思考はココロを惑わす
<存在>にはあの楽園の記憶
午睡の光景 ことばによっては囲いきれぬヒカリが
びっしりと詰め込まれている
齧られた真紅の林檎
だれの仕業か
善と悪が真っ二つに割れ
善悪を知り
善悪の愉悦に酔い
混乱し 追い込まれ 
ゆえ彼岸へと渡り
宗教が生まれ
此岸へ返り 芸術がうまれ
どこに置き忘れたのか
こじんてきな
すいたほれたはもういいから
はやく
はやく三千年ぶんの愛を
終わるまえに
ここが終わるまえに
まぼろしがまぼろしとして朽ちてゆくまえに
ここに降らせ

嘆きつづけた壁たち
立っていることに疲れ
人間の切ない祈りに耳澄ますことを止め
ヨーロッパの国境あたりの死の淵で
思い思いに倒れこむ

だが

こうして・・・
やがてよるもひるもめをさますだろう

 


2010/08/28

瞳が空に消える前に

僕の甘ったれた心を突き刺した理不尽な出来事が早朝すくっと予期せぬ方角からやって来た。それが僕をまたあの哀しみの沼地へと誘い、今ここ、には、そんな出来事は記憶の夢跡、すでにリアルではないのに、厭世観というコトバ、誰が考え付いたのか、みょうちくりんな文字の呪縛、罠に引っかかりそうなのさ。
ニンゲン界にはさほど期待しておらぬ絶望の果てにも愉悦が在るのだと、すでに幼児期に悟りを得たカミさんからすれば失笑されそうな出来事であることには違いないが、今だ崖っぷちは「ヒカリでできている」のだと、・・・いや、逆にカミさんこそがニンゲンのどうしようもない程の残酷非道ぶりを、いや、真善美を確信し・・・、が、真相はどうだろう?希望も絶望も無いフィールドで、なんとも懐かしいような、深い、点滅する黄金色の粒子を撒き散らす存在の、思わず自意識などという架空の物語が幾重にも層を成してバウムクーヘンのような不埒な「私という(名前)意識」をとろけけさすような「微笑のヒト」には、今だかつて出会ったこと無いから、どこで身に付けたものやらニヒリズム、ヒロイックな思想感覚にたぶらかされている僕は、ニンゲンの、いや、人類の何マン年の歴史の様々なドラマについて行けず、困っているのだ。
…ならば、
旅に出ようか?
…「どこへ?」
虫になろうか?
…「どんな呼吸か?」
名前を持たぬ小さな草花の祈り
いずれにせよ、さほど長くもないヒトの世の夢。いっそ芸に身を滅ぼすまで歩いてみようか、それとも…。

 


2010/01/03

パウル・ツェランの栄光 / Paul Celan



昨日、グーグル検索で遊んでいたら清野賀子写真集『至るところで 心を集めよ 立っていよ』というページと出会った。
彼女の死後、ある編集者が編んだものだ。タイトルが素晴らしい。
 ―至るところで 心を集めよ 立っていよ―
誰の言葉と思いきや、ドイツの詩人パウル・ツェランの晩年の詩、言葉・・・。たぶん、編集者が決めたのだろう。
これは、故・清野賀子らしい。大きな言葉をいただいたものだ。だが、この言葉の元に集められた彼女の写真、仕事は、かなり凡庸なものだ。弛緩している。

「至るところで 心を集めよ 立っていよ」

この言葉は、実際、彼女のファースト写真集『The Sign of Life』(2002)のサブタイトルにこそ相応しい。

<本書について>という文を読んでみると、かなり無闇な言葉が並べられていた。
「・・・スナップショットともプライベートな生活の記録とも異なる、独特のヴィジョンが立ち上がっています。」
独特のヴィジョンは立ち上がっていない。
清野賀子写真集『至るところで 心を集めよ 立っていよ』、この中の清野賀子、彼女の仕事の水準、視の強度、方位等を測定することはさほど難しいことではない。
ただ、ふと、ダイアン・アーバスの死後、彼女の娘によって編まれたあの途方もない仕事、アパチャーから出版された『Untitled』という写真集のことを思い出していた。

+++++++++++++++++++++++++

Paul Celanの栄光 (2004.8.29)

昏い 意識の痕跡が
黄金の 叩き鑿を
工作し

かれ は 言葉の大理石 
あと

古の黙
その明くる日の言葉たち を
顕わにせんと
絶滅収容所の裏地にて
まばゆい小径を横切って 逝く者の影

 *荒地を眼の袋のなかに 詰めよ
生け贄の叫びを 潮を、

*ぼくと息をしに来い
そして それを超えて出よ

やがて 青空を呑み込んだ
セーヌ川の水面へ 還る



記された歴史
記されることを拒否した歴史
くちうつしくちうつされた
あめのしずくのもと
みずのたまりがえがく
歴史とは
しるされることなく
くちうつしくちうつされたながれるよるの
なみだにかかる
にじいろの音韻
肉眼ではみえぬ
響きのカラダをもった 言葉たちの光景
しんじつの
ゆめの くさのしとねをふるわせる
琥珀のかたまり
われる
あざやかに
やみを
くいやぶるかのように
ヒトまえに
あらわれる
*くっきりと、遠くまで、ひらいている

栄光



*引用・パウル・ツェラン『暗闇に包み込まれて』中村朝子訳(青土社)
 
 
 
 

2009/05/14

Michiとのあるき / walk on the unknown


彼女の掟にしたがうならば
花はここ
罪はあちらへ河はどこ?
むすうの屍がうかぶう河は?
手入れのゆき届いたドレスはあちらねミチはここ

 まだ 触れたことの無い月の花弁をまさぐって・・・
彼女の掟にしたがうならば
唄はここに
指揮はあちらねチェロはどこ?
おおくの棺を仕舞いこんだ夢は?
手入れのゆき届いた意味はあちらねミチはここ

 カザルスの
 無伴奏チェロをききながら
 長くのびたバッハの影を宿にして
 もうしばらくの間
 ここにこうして居ようかな
 炊事洗濯あとにして
 もうしばらく
 ここで休んでいようかな

指揮者不在の初春の朝へ
夢やドレスは打っ棄って
チェロの小舟に身をまかせ
花の唄でもききながら
ミチとのあるき
Michiとのあるき


(May/06/01)

2009/04/13

エミリーの背骨 / Emily Dickinson



エミリーの背骨   (Sep/30/04)

れいによって
エミリーは棺のうえ
ひとりワッフルを食べていた。

れいによって、
部屋のなかに住む
影たちに名前をつけ 遊んでいた。
遊びがすぎればきみもやがて
影の国の一員
やせ細った身体をカガミにうつし
「この世でいちばんかわいい人はだあれ?」
応える声は訊ねる声
秋の 隅の木暮れの下駄箱に
埃かぶったキュートな赤い靴
つんと横向き座ってる ね 
エミリー
は たったひといき
きみは ちいさく
ゆめをみていた。

背骨がみょうに軋むのは
たんに運動不足ゆえ
(詩人は運動不足)
引きこもるには
ちょうどいい品々が
この生家にはあった
窓の向こうに広がる人口絨毯
気に入りの肘掛け椅子に身をまかせ
コトバの鉄棒にぶら下がり
逆上がりを試みる童女のように
じぶんだけのナイトを
ちいさく ゆめにみていたんだ
エミリー
ディキンソン

フフッ・・・さっ、
〈表〉がわらっている
〈表〉が、
フフッ・・・わらっている。
きみはその毛むくじゃらのわらい声にたえる術をしらない。
---黄ばんだ白鳥の羽をつけた潔癖症人?
〈表〉は肉欲と熱情のオンパレード う
生々しい世界の冷たい輪郭 頑ななフォルムを 
うけとめるだけの肉厚が 素養が
きみにはあたえられなかった から
エミリー コトバの草原へ逃げ込もうよ
イメージの園できみはいく度も失神
ええ 息をひそめたニューイングランドの押し花
れいによって
一族が遺した生家の影たちと供に暮らしたのさ。

フフッフフッ・・・
〈表〉がわらっている
〈表〉が、
ゆめみるものたちをわらう。
野生の十字架を背負うためには筋肉が
丈夫な肺と
獣のような足腰が
ホト丸出しで神楽舞えるだけの無邪気が
 必要だなんて!!
い きみの背骨は脆弱可憐
・・・〈表〉への切符は?
*Elysium is as far as to
The very nearest Room
If in that Room a Friend await
Felicity or Doom--
もしこれが真実なら
〈表〉は
ことばなど 要らない
神秘とは
なんと安上がりなんだろう。

Emily
〈表〉は
いつもいつもきみを
呼んでいたというのに・・・



*『対訳デイキンソン詩集』亀井俊介編(岩波文庫)


2009/04/10

つきせぬおもい / To be, or not to be

二千三年七月二十一日(みず)

つきせぬおもい
つきもせぬおもい
まどろみの
こころのやみにまどうか
かたやぶりもし
カムイあるならいでよ
つきせぬおもい
*つきもせぬ
ヒカリの間にもまぎれなで
おいてかえれるカミのつれなさ

うたれよみち
うたれよいの
たびのはざまに
しのしずく
ゆめみのはての
しのいずみ
とわのまにまに
しのしずく

 ・・・つつしみたまえどうか
 因果応報 すべてこの身へ・・・


それにしても
どうにも気色わるい
つけられた名がいたむ
時間は
立っているのか?
空間は 
のけぞっているのか?

つきせぬおもい
つきもせぬおもい
まどろみの
こころのうみにはしるカムイ
*月影の
澄みわたるかな天の原
雲吹きはらう夜半のあらしに
ことばの技か 瑠璃色の
ランプ ランプ瞬く

         +

豪奢な 毛皮のレースに
その身をすっぽり隠しこんだ野生児が
ぼくをみている
カガミにうつる ぼくをみている




*つきもせぬ光の間にもまぎれなでおいてかえれるかみのつれなさ    
 -冷泉院太皇太后宮

*月影の澄みわたるかな天の原 雲吹きはらう夜半のあらしに    
 -大納言經信