あるラジオ番組で、アメリカ在住の映画評論家の町山智浩さんが「
2026/01/05
~無垢の在り処~
2026/01/03
~眼差し、写真のポテンシャル~
日々の暮らし、身の回りの生活圏内での撮影から生まれた写真と、
2025/12/29
~融究に存つ~
1なる神の園では、信念を持つ必要はなった。無限と自由、愛だけが在った。
神の外で、無数の信念が作り出された。
「愛されたい」という想いは、認証願望でもありますが、当然のごとく「自分は愛されていない」という自己評価および自己否認が前提になっています。
自分という存在が、他者から愛されているか?もしくは、愛されていないか?この判断は、厳密には確証に至れません。なぜなら自分以外の他人の心の動きは、想像することしか出来ませんし、人間の感情は絶えず動き回り、時の経過と共に変化するからです。
つまり自分が「愛されていない」と判断できるのは自分だけで、その判断、思いが、「愛されたい」という願望の源です。
まず最初に「自己否定」があるのです。
自分自身を愛せない者は、他者からの愛を求めますが、他者も、自分を愛せないゆえに誰かからの愛を求めます。
自己否定から始まる他者からの愛の希求は、いっ時の喜びの瞬間や期間はあっても、永遠に満たされるわけにはいきません。なぜなら、自己の否定は、世界に原因があるのではなく、自分自身による決断だからです。
「自分は愛されるに値しない存在である」
自己愛という言葉がありますが、自分を他者との関係性を排除した上で全的に自分自身を愛することは不可能です。なぜなら、愛とは「関係性」の賜物だからです。
「自分は愛されるに値しない存在である」という思いが、あらゆる人間存在の意識の根底にあります。
これは何故か?
自分と他者との関係とは、横に広がろうとする関係性ですが、縦軸の関係もあります。これは天もしくは神と繋がろうとする関係性です。
他者を愛する。
何の見返りを期待せず、愛する。
相手からは何も求めずに、特定の個人のみに向かうのではなく、自分が知覚したすべての存在を愛する。
無償の愛と呼ぶのでしょうか?
もし意識を絶えずそこに向けようと努めるなら、自分の内側にあるその荒唐無稽な脈打つ愛が、無限への想起と繋がり、意識の根底にある執拗なる自己否定、「自分は愛されるに値しない存在である」を溶解させることでしょう。
自己否定とは、ある種の「裁き」です。では、誰が自分を裁くことが出来るのでしょうか?(もちろんこの視座は外的な法的世界でのことではなく、あくまでも心的次元のことです。)
裁かれる者と裁く者が同一人物であることは本来その関係構造上、不可能なことですが、この自己矛盾を回避する為に、僕たちは「空想上の神」を捻出しました。そして裁く者の役割りをその空想上の神に与え、自己ジャッジという機能を作り出しました。しかし「裁く神」とは、神という言葉が示す定義上、裁く働きを持っている存在は決して「神」とは呼べませんので、裁く神とは意識が作り上げた「概念」にすぎません。
では、創作された神イメージ、「裁く神」つまり「裁く自分」と「裁かれる自分」という自己矛盾、誤認識を、なぜ必要とするか?
自己否定のカラクリを明視しようとする試みは、人間存在の心の盲点を修復する行為となります。
自己を否定するという心の動き、その根源的な原因を明るみにし、言葉によって説明することはかなり厄介なことですが、無謀にも結論だけ述べてしまえば、「自己否定」という衝動は、この世界や社会との、個別意識における遭遇や関わり合いによって生じたことではなく、この世界に産まれることを選んだ者たちの「信念」なのです。
その信念を持たない人間はそもそもこの時空間によって構成された世界には産まれません。
自己否定を知らない心、魂は、たぶんこの世界に生まれる必要がないからです。つまり、自己否定の由来、その理由とは、全体性、神(超越的存在)の否定ではないのかと、推察できます。
繰り返しますが、自分の心、存在性を否定、裁くことが出来るのは、自分以外にはありません。
僕たちはこの世界の、仏陀が説いた輪廻転生という夢の中の流離人であり、「確かにここに自分は存在している」という自己実感の条件として、ひたすら自己否定を続けることを選んだのかも知れません。
2025/12/25
〜愛について〜
2025/08/07
写真家の新たなる挑戦 / A new challenge for photographers
写真は、僕たちの眼前に、
2025/08/03
写真集について / About the photo book
写真家の写真集とは、実際、
2025/03/31
goblet~reprise リーラとビッグバン
「わたしたちはここで学んでいることを通じて、
(『
ヒンドゥー教では、この現象世界、宇宙の営みを「リーラ(lil
ちなみに宇宙の始まりについて、
このビックバン理論以降は、
「リーラ」
「御心のご意志は人知を超えているのだ」
やはり現代物理学の達成であるビックバン理論やインフレーション
話を戻し、ヒンドゥー教の「リーラ」
神(真理)本体から分離、
この推論は、釈迦の言葉、
繰り返します。
この宇宙とは、神仏の子である〈意識〉
宇宙物理学者が想定するビッグクランチや熱的死などの宇宙の終焉
そして目覚めが、たまたま(?)個人の意識上で起こった際に(
「神がエゴを創造し、またあるときは、
これはマハラジの元で学んだラメッシ・
ある人がバスターミーの家の扉をノックする。『誰にご用?』
『バスターミーにお目にかかりたいのですが』
その人にバスターミーは言う。
『お引きとり下さい。お気の毒だが、
(『イスラーム思想史』井筒俊彦)
goblet~reprise(2020年作)
2025/03/28
letter from farther あなただよ
信念ーー。
自分が、何を信じているのか、
日本最古の書物とされる『古事記』
神話は、この世界で暮らす人間たちの心に、
一神教と多神教、『古事記』
さらに、
神話とは何か?
その書物、物語りを通じてこの世を超えた事象、
さしずめ小説とは、
『古事記』に触れ、
僕たちは今なお微睡んだ神話的な夢の営みに翻弄され続けているの
ある村の、
放ったらかしにされ、寂れ果てた神社を、
僕らは世界という夢の舞台で、
外的な神社とは、本来、人間が自分の内なる不壊の社に気づき、
これは教会の使命が、心の内なる祭壇を見出し、
たぶん自分の内側に形なき神を見出した人間は、1、1、1……、
古の心も形なし。今の心も形無し。
〈質問:〉
ニサルガダッタ・マハラジならきっとこう応えると思います。
「あなただよ」
letter from farther(1994年作)
2025/03/27
home out home アダムとイブ以前
この世はすべて舞台、男も女もみな役者に過ぎぬ。(
「男であるとか女であるとか、
この物理的な身体の世界では、男性は男を演じ、
しかし心の領域に入れば性差はありません。
性別に囚われない心、性差からの自由とは、
この眼に見える世界だけを信じ、
たぶん人間が作り出した社会の諸問題や
身体(知覚)中心主義の世界の限界と不条理、
ところで、旧約聖書『創世記』
「善悪の知識の実を食べた2人は目を開け、
映画『マトリックス』のモーフィアスの台詞ではありませんが、「
この世界、
「人間はもともと反逆者にできあがっておるのだが、
この世界は、エデンの園から離脱した〈意識〉による夢に過ぎないのか。
主体と客体という分裂のない全一の状態にあるエデンの園=神
古今東西の賢者?リチャード・バックやボルヘス、
小さく見積もっても、ドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』
「ぼくは神を認めないんじゃないぜ。ぼくには神の創った世界、
加害者と被害者は同時に存在します。どちらかが欠けても「事件」
世界(他)が消えれば意識(自)も消滅するように、世界(物質)
つまりビックバン、宇宙の創世とは、意識の仕業なのです。
「心は主人なり、形は家来なり。悟れば心が身を使い、
そして最後に、「アダムとイブ以前」とは、
home out home(1991年作)
2025/03/24
blank 音楽の羊水
昨年10月に、
まぁそんなもんだ。
それで今年に入り、集中的に音楽と向かい合う日々が続いている。
22、3歳からインストルメンタルの音楽を作り始め、
20代の頃から本気になって写真をやり音楽をやり、当時は「
還暦を過ぎ、当然のことながら、
僕の中の誰かが「もう充分作ったよ」と。
blank(1984年作)
2025/01/02
実験音楽について / Experimental music
〜実験音楽についての雑感〜
音楽作品を深く味わおうと思う時、人は自ずとその瞳を閉じ、心を鎮め、ひたすら耳を澄まそうとするものですが、1952年にジョン・ケージが発表した作品《4分33秒》は、音楽を鑑賞しようとする者たちの心的な態度、まず耳を澄ます"以前"の、音楽に対するこれまでの固定観念を白紙に戻そうとする試みであり、問いかけでした。
そもそも前衛芸術、アバンギャルド(avant-garde)
そして、「美しい音楽は人を心地よくする」
"空の下で、樹のことばを、聴くように見、見るように聴く。"(
ところで、20世紀に作曲され、
ジョン・ケージが思い描いた夢、音楽は、
またクセナキスの、
では、人間が作曲する、音楽を作り、聴く意味とは?
"音楽の究極の目的とは、神を思い出す為の手段となること。"(
無白を得て、あらゆる音の先、
この世界に生まれたすべての音、人間が作り出した音楽は、
それでは、芸術作品の究極の目的とは何でしょう?
それは、美の開示であり、神(源泉)への想起となります。
そして、








