写真家の写真集とは、実際、
それは「(まだ)この世界にしがみついています」 というタイプの写真集と、「(もう)この世界から解放されます」 という眼差しを持った写真集、このどちらかだけです。
ほとんどの写真集は前者ですが、それは撮影という行為が、 対象を必要とし、良くも悪くもこの世界の事物や現象に魅了され、 はじめて成立するからです。
「この世界とは何か?」
「この世界は本当に実在するのか?」という問いが、 なぜか自分の内側で湧き起こり、 後者のメッセージへと突き進もうとする写真家、 写真集は今のところまだ顕著に現れてはいません。 これは写真の世界のみならず、映画や小説というジャンルでも「 この世界へのこだわり」を、様々な物語り、ドラマ、 仮想の設定を舞台に、そこに無数の人間模様、現象学的記憶や世界の不条理、葛藤劇、狂気を抉り出し、 この閉じた世界内での「やりくり、やり取り」 への嗜好に囚われ続けているからです。
ただし、音楽や絵画、論考などの表現世界では、「 この世界から飛翔することによってはじめて見出される世界」 について、 作者の意識が向けられた作品は少なからず存在しています。 例えば、ヨハン・セバスティアン・バッハの音楽作品、 モネの睡蓮画、円空の木彫作品、リチャード・バックの『 イリュージョン』、ニサルガダッタ・マハラジの講話録などは明らかに後者に属します。
芸術のジャンルを問わずに、 作品とは作者の思考内容や知覚内容が反映された表現世界なので、 僕が近々発表する写真集『A Garden of Inspiration (インスピレーションの庭)』 は後者であり、昨年上梓した『廻向』や『奇蹟』も同様に、 この世界の背後、 存在の本質へと踏み込もうとする僕の世界観が色濃く入り込んでいますし、またそうあることを望でいます。
出来れば、僕が撮影した写真や、音楽作品でも、 僕のそんな想いを念頭に置いて、 皆さんに触れていただければ光栄です。
芸術とは、 この有限の世界で不滅なるものを指し示す美しい道標であると思います。


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