抹茶茶碗 Tea-bowl
(銘)うつほ
陶芸における粘土成形には大きく分けて2つあります。
代表的なものとしては、轆轤(ろくろ) を回しながら粘土成形してゆく方法と、手捏ね(てづくね) という手や指先だけで粘土をこね成形してゆく手法があります。
手捏ね(てづくね)による作陶は、 多様な手の動きやその痕跡が残せますので、穏やかさ、歪み、 使い手が器物に触れたさいの触り心地や人肌の柔らかさのような感 覚を伝えることに秀でます。
轆轤の場合は、均等性や形の精緻さを表現することを得意とし、 作り手の技量が明確に表れますが、 その形状は限られた特定のパターンに陥りやすいです。
では、陶器とそれを使う側との距離感についてはどうでしょうか?
これは僕の印象ですが、 手捏ねによる成形の方がより使い手に近づこうとしています。
均一性を目指さない手捏ねによる作陶は、 作り手の心の形や色合い、 躊躇いや思いの機微がより深く定着されるのです。 指先の微妙なチカラ加減、強弱、リズム、細やかさが、 陶土に直に伝わるからでしょう。
いずれにせよ、陶工が自分の器物に「何を求めたのか?」 が肝要であり、使う側はそれを感じ取ろうと直接触れてみること、 そこに陶芸ならではの醍醐味があるように思います。なので本来、 陶芸の鑑賞とは、視覚ではなく「触覚の眼」で為されるもの、 博物館等のガラスケースに収まった名碗、名物の類も、 視覚による鑑賞だけではその豊かさには決して近づけません。
特にお茶碗や湯呑み茶碗、ぐい呑みなどのように、 手の平との強い関わりを持つ陶器類は、 轆轤より手捏ねによる作陶の方が、 手の平から伝わる作者の想いや景色、 光彩などが深くこちら側に迫って来ます。
つまり、 お茶碗やぐい呑みなどの陶器は触ってみなければその良し悪しは分 からない。これは人間との付き合いによく似ています。 他者の外見、外観は付き合うきっかけを与えてくれますが、 その関係の継続の決め手はその人の内見、相手の心模様、 内観の膨らみや甚深さによるものだからです。
陶芸、陶器とは、触り、使い、付き合ってみてこそ、 その美しさにぶつかり、共鳴し、自分の外側へと連れ出され、 生命の形なき源泉へと誘うものです。
ここに、触覚によって開かれ、触感が呼び起こす、 他の芸術作品には叶わぬ陶芸ならではの魅力があるように思います。

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