2008/12/31
この日、あの日
とりたてて、甘い気に包み込まれて、居た風ではなし、今年も、「あっ!」という間に、オワリが近づきつつ、が、「今日寝て起きれたら、今日」に揺れる者らは、「来年」というコトバも知らず、毎日が新年、真実はアヤフヤ、あかるい陽だまりにつどう音の活躍に、ただただ見、聞き惚れていたのでした。
努力なされた方々も、悲しみに暮れた人々も、親をうしない、子をうしなった方々も、株やゴルフに思う存分興じた居場所のない方々も、人の世は長いようで、「実」はほんの一瞬、すべて、良いではないか、全て、が、「生」である、生と死の架け橋に心在り、この世に酔い、あの世にあそぶ、それぞれの小さき感情の波間にて、身体を連れ、あっち行き、こっち行き・・・、そして静かな夜更けは唯一朝日の仕業・・・、あの日は、今、ここにて思い出す者らのすぐ傍らに在り。
2008/12/14
ピカソ・青の時代 / PICASO - blue period
上の写真は、1901年ピカソ「青の時代」の自画像ですが、なんだかこの顔、ロシアの文豪ドストエフスキーの面相と相通ずるものがあると思いませんか? ほらちょうど、この頬のこけ具合が・・・。
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー、1864年に書かれた彼の小説「地下室の手記」を読んだことがありますか?彼の「青の時代」のピークとは、たぶんその頃なんでしょう。(いやいや、彼は死ぬまで「青の時代」だったのかもしれません・・・。)
1926年に生まれたジャズ・ミュージシャン、マイルス・デイビス---。彼の「青の時代」は? 1959年8月17日、コロンビア・レコードから発売された「カインド・オブ・ブルー(Kind Of Blue)」。当時、彼の演奏は「卵の殻の上を歩くような」と称されたそうです。
「青の時代」とは何か?
それで下の方の写真は、Edward S. Curtis・エドワード・カーティス(1868-1952)という北米インディアンばかりを撮り続けたアメリカの写真家の作品が飾られたアリゾナのとある文明ホテルの一室。
たとえば、やたら言葉を費やさなくても、この二つの写真を見ただけで、これをアップした、このツインを選ぶ者の意図というか、メッセージのようなものは伝わってしまうものですが、ぼくはちょうどこの真ん中を、この狭間に在ることこそが、真に、「今」を生きることだと思っております。(やや馬鹿っぽい発言かな。)
PCのマウスやキーボード、または写真機の可愛らしいシャッターボタン、もしくはピアノ鍵盤を叩くこの手、ちょいちょい動くこの指先、これを「仕事」とした者、その手が、鉈や鋸を腰からぶら下げ、近くの荒れ果てた植林杉山に分け入り、間伐や下草刈りに勤しむ、または荒れ地になっていた畑を友人らと耕し始める、こういった経験、手や腕や足の運動のうちに、腰の使いや筋肉の動きの最中、それまで見えてこなかった、見ていなかった、忘れていた、文明の道具にひどく甘やかされた身体と意識の内側へ、未知の“実体”が、その中心めがけ、どっと入り込んでくるのでした。
2008/12/01
渋谷Bunkamura 『ナディッフ モダン』へ御越しください。
お蔭様で、渋谷東急BunkamuraB1 『NADiff modern・ナディッフ モダン』にて絶賛発売中の、床絵美・千葉伸彦・リウカカント・海沼武史のCDは、ご好評につき、年内12月31日まで延期販売されることになりました。
そして、同館『ザ・ミュージアム』の方では、「アンドリュー・ワイエス/創造への道程」展が、12月23日(日)まで開催されております。
お近くまで御越しの際は、ぜひぜひお立ち寄りください。
*ワイエスは真摯な作家です。
通説では、アメリカの原風景のようなものをモチーフにした、平凡な田舎にて誰もが眼にするであろう風景、「何でもない、さり気ないシーン」を描いた作家であると、認知されております。
彼が描いた作品、その画面から発散される「厳しさ」、「センス」、「緻密さ」・・・等々は、昨今のぺらぺら現代アートや、観念を張り巡らせることが今だカッコイイことだと勘違いしている絵が描けないことへの眼くらまし、マルセル・デユシャンの亡霊やトリックに誑かされている現代の作家らの仕事と比べてみますと、かなり刺激に満ちた、「本来」の視覚体験を、観る者に与えてくれます。ですが、残念なことに、ぼくがアメリカに在住していた頃に、もっとも身に沁みた「アメリカの風景」とは、ワイエスのそれではなく、あのアメリカ先住民が聖地とした、場所、「現場」にこそ在ったのです。(って、つまらぬ余談ですが・・・)
そして漠然と思うに、画家アンドリュー・ワイエスの悲劇とは、彼がアメリカというアングロサクソンにとっては歴史の浅い場所で、生まれ、「アメリカ人」として生きざるを得なかった処にあったのではないかと思っています。彼が、もし、その画業の舞台をイギリスにおいて展開できたなら、たぶんターナー(Joseph Mallord William Turner, 1775年4月23日 - 1851年12月19日)級の評価を、間違いなく手にし得た事でしょう。
ワイエスがモチーフにした数多のさり気ないアメリカの古き良き時代(?)の風景、彼はそこに自身の存在を丸ごと貫入することができず、ある種のよそよそしさを感じていたような気がいたします。たとえば、ピカソは、彼自身が選んだ画題、またはモデルについて、全くぶれていない事を確認することが出来ます。(余談でした。)
そして、同館『ザ・ミュージアム』の方では、「アンドリュー・ワイエス/創造への道程」展が、12月23日(日)まで開催されております。
お近くまで御越しの際は、ぜひぜひお立ち寄りください。
*ワイエスは真摯な作家です。
通説では、アメリカの原風景のようなものをモチーフにした、平凡な田舎にて誰もが眼にするであろう風景、「何でもない、さり気ないシーン」を描いた作家であると、認知されております。
彼が描いた作品、その画面から発散される「厳しさ」、「センス」、「緻密さ」・・・等々は、昨今のぺらぺら現代アートや、観念を張り巡らせることが今だカッコイイことだと勘違いしている絵が描けないことへの眼くらまし、マルセル・デユシャンの亡霊やトリックに誑かされている現代の作家らの仕事と比べてみますと、かなり刺激に満ちた、「本来」の視覚体験を、観る者に与えてくれます。ですが、残念なことに、ぼくがアメリカに在住していた頃に、もっとも身に沁みた「アメリカの風景」とは、ワイエスのそれではなく、あのアメリカ先住民が聖地とした、場所、「現場」にこそ在ったのです。(って、つまらぬ余談ですが・・・)
そして漠然と思うに、画家アンドリュー・ワイエスの悲劇とは、彼がアメリカというアングロサクソンにとっては歴史の浅い場所で、生まれ、「アメリカ人」として生きざるを得なかった処にあったのではないかと思っています。彼が、もし、その画業の舞台をイギリスにおいて展開できたなら、たぶんターナー(Joseph Mallord William Turner, 1775年4月23日 - 1851年12月19日)級の評価を、間違いなく手にし得た事でしょう。
ワイエスがモチーフにした数多のさり気ないアメリカの古き良き時代(?)の風景、彼はそこに自身の存在を丸ごと貫入することができず、ある種のよそよそしさを感じていたような気がいたします。たとえば、ピカソは、彼自身が選んだ画題、またはモデルについて、全くぶれていない事を確認することが出来ます。(余談でした。)
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