上の写真は、1901年ピカソ「青の時代」の自画像ですが、なんだかこの顔、ロシアの文豪ドストエフスキーの面相と相通ずるものがあると思いませんか? ほらちょうど、この頬のこけ具合が・・・。
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー、1864年に書かれた彼の小説「地下室の手記」を読んだことがありますか?彼の「青の時代」のピークとは、たぶんその頃なんでしょう。(いやいや、彼は死ぬまで「青の時代」だったのかもしれません・・・。)
1926年に生まれたジャズ・ミュージシャン、マイルス・デイビス---。彼の「青の時代」は? 1959年8月17日、コロンビア・レコードから発売された「カインド・オブ・ブルー(Kind Of Blue)」。当時、彼の演奏は「卵の殻の上を歩くような」と称されたそうです。
「青の時代」とは何か?
それで下の方の写真は、Edward S. Curtis・エドワード・カーティス(1868-1952)という北米インディアンばかりを撮り続けたアメリカの写真家の作品が飾られたアリゾナのとある文明ホテルの一室。
たとえば、やたら言葉を費やさなくても、この二つの写真を見ただけで、これをアップした、このツインを選ぶ者の意図というか、メッセージのようなものは伝わってしまうものですが、ぼくはちょうどこの真ん中を、この狭間に在ることこそが、真に、「今」を生きることだと思っております。(やや馬鹿っぽい発言かな。)
PCのマウスやキーボード、または写真機の可愛らしいシャッターボタン、もしくはピアノ鍵盤を叩くこの手、ちょいちょい動くこの指先、これを「仕事」とした者、その手が、鉈や鋸を腰からぶら下げ、近くの荒れ果てた植林杉山に分け入り、間伐や下草刈りに勤しむ、または荒れ地になっていた畑を友人らと耕し始める、こういった経験、手や腕や足の運動のうちに、腰の使いや筋肉の動きの最中、それまで見えてこなかった、見ていなかった、忘れていた、文明の道具にひどく甘やかされた身体と意識の内側へ、未知の“実体”が、その中心めがけ、どっと入り込んでくるのでした。
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