2009/05/28

空白ノ予感 / the feeling of the blank


映像と音楽:海沼武史
a film & music by Takeshi Kainuma

2 件のコメント:

はっちい さんのコメント...

なんか、コメントの仕方がよくわかんないので、すんませんが前回のコメントの続きです。

笑えるって書いたのは、バカにしてるんじゃないからね。そんなこと正面から言ってるのがいいなってこと。

武史が農芸両道とかいうのはちょっと意外なかんじもするんだけど、よく考えればあたりまえなんだよね。

武史は妙にエキセントリックにも見えるんだけど、実はすっげえ素なんだよなあ。映像のイメージで黒があるんだけど、それは根が暗いとかじゃないんだよな。

NPOならミッションとか、企業なら利益とか、社会システムにはいろいろあって、そこで自分がはまるものを出していけばいいと僕は思ってる。自然と自分が一つになって、次に社会とつながって前へ出る。全部言うのをあきらめると、120%言えたりする。

武史はすっげえでっかい「素人間」だから、切り売りするのがもったいなく思えちゃって、実際いろいろやってるんだけど、映像にはもうそのままが全部詰まってるから、やっぱり写真とか、陶芸とか、最初っから瞬間を切り取るしかないものが、扱いやすいというか、まあ実際旨い酒も飲めるし、壁に張って眺められたりね。

しかしやっぱり映像もやってね。
空白ってのはいいよね。着物とかゲタの無駄な空間、役に立ってないような生地が作るフォルムってゾクゾクするよ。しかしこの空白は恐ろしくでっかい。そして当然のような顔をしてそこらじゅうを満たしている。それが実は世界の正体なのかも?と思ったりしてしまう。

海沼武史 / Takeshi Kainuma さんのコメント...

畑事をはじめて、そこで採れた完全無農薬の野菜をいただき、僕が強烈に実感してしまったことはさ、「なんだよ、いくら頑張ったって、そんじょそこらの野菜より味は濃厚でグッと来るけど、まるで野草の味にはかなわないじゃん!」なのでした。

「ほら、これ、食べられるからね、お湯でさっと茹でてね・・・。ほら、これもね」と、野草が、最高級食材(?)であり、調理の仕方、食し方ね、触れ方、等々をそっと教えてくれたのは、はっちいだからね、野草を食べることが「素朴」な行為としてあるのではなく、非常にエレガントな時間、空間であることを告げたのはさ。
だからなんだろう、野菜を野草化するための畑仕事って、妙な、馬鹿げた、ん~、自身が野草化するためのセミナー、レッスンって感じもするね。
広義な意味でのアウトドア派は「自然はすばらしい、自然にはかなわない」などと仰ってますが、そりゃそうなんだけど、そういったことをどこまで、どのくらいのスケールでそれぞれ体感しているの?我がものとしているの?って。だから芸事感覚は必須だよね。

はっちいについて、ぼくがどう感じているか、感じていたのか、流れだから書いてしまうけれど、現代の、誰にも似ていない、つまり類例の無い「吟遊詩人」だと思っています。
まあ、全的な信頼を寄せられる稀有な人だね。
(稀有、稀有って本当はあまり使いたくない嫌な言葉なんだけれどね・・・。)