2008/10/29

映画『金糸雀(かなりや)は唄を忘れた』予告編

伊参スタジオ映画祭シナリオ大賞2007
短編の部・大賞受賞作品『金糸雀は唄を忘れた』 監督・脚本:赤羽健太郎
 -2008年11月22日(土)~23日(日)初公開-

床絵美 - 出演+唄
海沼武史 - 音楽


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映画『金糸雀(かなりや)は唄を忘れた』、この予告編だけでは、なかなか作品の「あらすじ」というものが見えてきませんが、監督は「あらすじ」を極力見えづらくしたかったのか、抽象度の高い「編集」をあえて選択したのか?この映画の物語、あらすじが明確にされても、それによりこの映像作品の価値が損なわれることはないだろうと、僕は勝手に独断し、監督の思惑は無視し、映画『金糸雀は唄を忘れた』のストーリーとは、唄を失った男女の「同行二人」、その旅の姿を描いたものです。二人の、自殺志願者の物語りです。しかし、監督が、こういった、ある種暗いテーマを選んだ由は、たぶん、いま、生きているという事、現代という、この世の中で生きるという事は一体どういうことなのか?という「問い」の深度にあり、ですから、この映画は決して「暗い」映画ではなく、「切実」な映画、ということになります。

映画『金糸雀は唄を忘れた』は、それを観るだろう人々に、「唄」を忘れたカナリアは死を選ぶしかないのか?と、問うわけです。
しかし、この「存在論的な問い」に答えられる人は居ないでしょう。
なぜなら、この「問い」への「答え」とは、いま、眼前に映る数多の人間、その誰か一人の「裸の生」によって、たえず示されてゆくものだからです。

新人監督・赤羽健太郎とは、ただ「誠実」であろうとしただけなのです。

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