photo by Takeshi Kainuma
『新・新・新 岩田先生の日記』より
February 14, 2010 [Riwkakantというユニット、いいなあ。]
もう十数年も前に北海道を旅した時、阿寒湖にあるアイヌ・コタンと、平取町二風谷に立ち寄った。阿寒湖は、かの坂田明さんもゲスト参加していた「舞踊団MOSHIRI」の拠点であったし、二風谷は、「アイヌの碑」の萱野茂さんのゆかりの地であり、そのクーキを吸いたかったのだ。当時、喜納昌吉&チャンプルーズの一熱烈支持者であった僕は、喜納さんが起こした「ニライカナイ祭り」への感心もあって、先住民について理解を深めんとしていた時期でもあったのだ。80年代~90年代に、国連が先住民に関して動き出すようになり、今、何らかの変化が起こりつつあるのかどうかを知りたいという思いもあった。(その後、「先住民の権利に関する国際連合宣言」が2007年9月13日に採択されたということだ。2008年には「Tokyoアイヌ」という映画も上映されたらしい。「プロモ」でしか、知らないけれど。)
文学と音楽が自分が生きるための軸にあるので、沖縄やアイヌに関わる音楽は、多少なりとも追いかけている。伝統の掘り起こしだけでなく、新手のOKIさんも好きだ。最近のDUBを取り入れた彼のスタイルも、「ああ、こういうやり方もあるのか」と表現方法に驚くだけでなく、楽曲自体も気に入っている。
しかし、このところ、頭の中に繰り返し鳴っているのが、Riwkakantというユニットの「Gift」という曲(床絵美さんの歌声の魅力を海沼武史さんが引き出しているらしい。)である。アンビエントというか、ミニマム・ミュージックというか、そのコアに伝統を内在させながらも、「新しい世界」を構築している。
正直なところ、モシリは「心静か」だが、いかにも寒いと思った。「酒造りの歌」をはじめ、大好きな詞曲も多いが、「毎日は聞きづらい」と感じた。OKIさんは、北と南のリズムの融合を試み、新しい地平を開いていて、その「胎動」に賛同するが、大きなうねりが持ち上がる前の「過渡期」であるように感じる。
して、Riwkakantというユニット。何ら「無理」を感じない。毎日聞ける。「聞くもよし。聞かぬもよし。」のアンビエントとして、しっかりと成立しているように思う。新しい可能性を感じる。
「音楽を寄せ付けない鬱状態の自分」が言うのだから、確かなことだと思う。
一音楽好きとして、しばらくは、目が(耳が)離せないな、と感じた次第。
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