2008/11/15

Yuta in Bronx


ユタ♂ at John's Run

最近のテレビ番組、ドラマ、CMなどは、軽はずみに、人間の心情面、その「叙情性」に訴えかけようとする代物、そんな類の演出または台詞が著しく増えたなあーと、感じるのは僕だけでしょうか??
「繋がってる」とか、「ぼくがきみを守るから」とか、「(何々)・・・だから」とか、なんだろうね、「信じているから」とか・・・、いちいち言葉にせざるおえなくなったんだろうね。
小生などは、たぶん皆さんご存知なように、ニンゲンの、「負の感情」というか、ネガテイブな面を、その暗がりをやみくもに、これまで散々渡り歩いてきましたから、この21世紀という「感情の時代」について、・・・・いやまて、「ユタ」についてすこし書こうと思っていたんだ。
ケモノはいいなあ、自然体で。余計な言葉、未来の不安というものを持たない完全無欠のシンプルライフ、そう「一張羅(イッチョウラ」」だよ。
僕らはたぶん余計なモノを持ちすぎてしまったのかもしれない。が、いわゆる「自給自足生活」をはじめるってのもなんだかちがう気がする。その由は、たぶん長くなりそうなのでここには書きませんが、いま、じぶんの足元、眼前に広がる場所、此処で、つかめない者は、たぶんどこいっても、どんな暮らしぶりに変えても、ほんとうに確かなこと、死の恐怖を蹴飛ばしてしまうくらいの「生の横溢」や銀河即我々体験、もしくは「ん~、世界はマーヤ(幻想)だったのか、でもサイコーさ」などなど、けっして手にすることは出来ないでしょう。犬の姿形をとった「ユタ」は、そんなことを僕に言葉ではなしに「態度」で教えてくれました。
この表情、イイでしょう。犬だって、「人間」なんですよ。

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