2011/08/13

マイケル・ヘッジス / Michael Hedges


それでは、今夜はマイケル・ヘッジス。
この天才ミュージシャンについて、以前このブログでも簡単に触れましたけれど、ん~、彼は、もうこの世にいないんです、って、あまり彼について書くことは、、、、無いね。彼の音楽は僕に無言を強いるのです。
サウンド的に見たら、昨日ご紹介したロドリーゴ・イ・ガブリエーラより前に出る音と、その音域をささえる裏面の音?、「響き」とのバランスが絶妙ですね。最近の音楽は、どうしても前に出る音ばかりを突出させる傾向にあるから、奥行きがデッド、死んでるんですね。これ、デジタル録音の弱点と、まあ、山下達郎さんを腐心させている処ですが、僕はね、実はアナログもデジタルも、あまり関係ないと思ってます。たぶん時代が、奥行きを消していった、というか、人々が、奥行きの中に入っていけなくなったんじゃないのかな。奥行きの内をさまよえるだけの体力、と書けば、最近の人はほんと“文字通り”にしか受け取らないので、精神力ね、これを失ってしまった。



一番重要なことは、音楽を聴く際、どこにピントを合わすかです。
これは「生身の人」と出会う瞬間と、よく似ているよね。
姿形、その音楽の形式や様式、こういった表層的な面に捕われてしまえば、心の美、音楽の美とは、なかなか出会えなくなるものです。
顔かたち、プロポーションで選んで失敗したという話はよく聞きますでしょ(笑)。

「あなた」というものがなければ「わたし」はいない。つまり「わたし」とは「関係」によってうまれる。
だから出会いは激しいほうがいい、「関係」は、緻密で、開放的で、それぞれのスガタカタチを突破し、素性から解き放たれて・・・。
注視しなければ、「人」は見えて来ないはず。「音」と出会う、聴くとは、そういう事。
「娯楽」とは、自己閉塞的な状態、故に「自分」とも「他人」とも出会えない。

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