2010/10/05

沖縄・久高島の思い出 / accident in Kudaka


僕がはじめて沖縄の地を踏んだのは確か2002年の頃だから、今から8年前の事。以来、沖縄とは無縁だね。
当時、僕はニューヨークで生活していたから、長い時間のフライトの末、アメリカから入国するという、ちょっと厄介な入り方をしました。
なぜ沖縄に向かったかと言えば、その頃、まだ寝起きを供にしていた犬のユタ、このユタという名前は沖縄では“口寄せする者”、つまりシャーマンのことを指すのですが、名付け親であるカミさんが異様にそこらへんの事情に精通していて、「沖縄にね、久高島という小さな島があるんだけれど、そこに行ってみない?」と囁かれ、彼女がプレゼンスする旅行はいつも快適なものだったから、「よし、行こう、行こう!」と。透き通るような海を眺めながらのんびり海水浴、僕が沖縄についてイメージしていたのはその程度のものでした。

久高島に入り、僕らはある中年のカップルと出会いました。
この夫婦は、旦那さんのお母さんがユタより各が上(?)である“ノロ”、そのノロを育てるという役割を担った中心者、中枢であり、息子さんである彼自身も母親の能力を濃厚に受け継いだ雰囲気を発散させ、また現在のパートナーである奥様も口寄せする人という、いわば最強の霊的カップル?、なんて表現は不味いですが、ちょっと辺りの風景をすとーんと静けさの中に落とし込むような摩訶不思議なエネルギーを放つ二人連れに、なぜか出会ったのでした。

「今、私たちは・・・と・・・を融和させるため・・・をしているところですが、もし宜しければ貴方たちもご一緒に同行していただけませんか?」

あまり細かく書きたくないので、ぐいぐい省いてゆきますが、久高島に着いたその夜、僕たちは島で一泊するつもりで、ある民宿を予約していましたが、そのカップルの旦那さんのお母さんが生前住んでいたという家に、「今はもう誰も住んでいませんから」と、「(泊まりなさい)」となり、さらに彼らのひそやかな道行き、儀式へと、同行することに・・・。どのくらいの時間を供に過ごしただろうか、太古の、真っ暗な夜の海を見つめながら、波の音が全身を貫通するという不可思議な体験、訳も分からず、ただただ彼らに付き従い、神秘的な時空間をギフトされ、ちょっと口外できない、公にされていない幾つもの聖地、場所に案内され、いや、連れて往かれ、僕は生まれてこのかたあれほどまで濃密な時間を過ごしたことが無かったな、ひたすらコウベを垂れ続けた日はなかったと、彼らとの道往きで見た無数の光景と霊妙なサウンドは今なお僕の内側を巡り続けています。

霊的な話、神秘的体験、事象について、人によっては煙たがる、拒絶する人も多いので、僕はあまり直接的には、そこら辺の事を話して来なかったけれど、いや、たぶん、こう見えても、小生、極端に他人から理解されなくなることを恐れていたんだね。
でも、この恐れというものが、僕の中で徐々にほどけ、さらに、神秘的な体験、霊的現象等について、ほとんど重きを置かなくなった自分が今ここにあり、なんて言ったら良いのか、気が向けば話せばいい、乗らなきゃ口をつぐめば良し・・・。
“それ”は、在るとも言えるし、無いとも言えるから。

(話変わり)最近、たまたまカミさんが点けていたテレビのニュースで、朝昇龍が引退するシーンを見かけましたが、彼は、その最後に土俵ギワで、まるで大地に口づけするかのように、そこに深々と口を寄せたのです。
祭事や儀式というものは、その場で暮らす民をまとめるために、その風土が生んだ、育てた形、有効に働くひとつの手段でもあり、またそれ以上の、他所のものがとやかく言うものではない“It”を圧縮した必然としての形式なのですが、朝昇龍がただ一人、単独で、土俵ギワに接吻するシーンは、僕の心をひどく討つものがあり、なんだろう、「存在感覚」とでも言うんでしょうか、現在の日本社会ではなかなか見え辛くなった、味わえなくなった、全的に喪失したものとは、この「存在感覚」なんだなあと、朝青龍の所作に触れ、強く感じたのでした。
存在感覚とは、自身の根底を揺るがすような体験、あるシーンとの対峙、出会い、注視、傾聴により引き起こされる知覚、全的感覚の謂いですが、いろいろ問題を無邪気に引き起こし、びくびく見え見栄の建前社会に成り下がった日本の上っ面の形、常識、マナーと呼ばれているものの犠牲者であった朝昇龍が、最期に途方も無い美しさだけを置いて去ってゆく姿は、たぶん、今の日本人には誰も真似できないだろうなと、これは切ない現実認識でありますが、「じゃあどうすの?」って話し・・・、いやいや、人はそれぞれの道を往けば良いのです、僕もミチを往きますから、思いが観念に逃げ込む前に・・・。


++++++++++++++++++++++++++++++++

では、今夜の未完成楽曲をーーー。
タイトルは「huna」。funaではないよ、フナ。

以前、このブログでも案内しましたが、10月末まで開催されている「海沼武史x中村明博」展のDMに使用した写真、あれはハワイのカウアイ島で撮影されたものですが、その島での出来事がこの音楽作品のモチーフになっています。

0 件のコメント: