2025/02/14

堀内幹の「コブシの花びら」


 

〜堀内幹の「コブシの花びら」について〜


この「コブシの花びら」という歌は、一見、バラードの風合いですが、日本の音楽では珍しい三拍子のリズム、スローテンポのワルツの拍子を持たせています。そこに堀内幹ならではの大らかさやユーモア、奥行きなどが表れています。


では、その歌詞、まず「月が消えたら」と始まります。

月が消える、この歌の舞台は夜であることを告げ、月明かりのない不吉な暗闇の中では通常の視覚は奪われますので、いわば盲いた状態。そこに彼はすぐさま明かりの代替として白いコブシの花を見せます

身体上の眼が効かなくなれば、コブシの花を知覚することなど叶いませんので、堀内幹が取り出したこのコブシの花とは、五感を超えた存在、もしくは意識または心を凝らさなければ見えてこない何か、ある神秘的な象徴であることが示唆されます。


月が消えたら

コブシの花びら

風を掴んで 飛んでゆく


「風」という言葉は、堀内幹の歌詞世界ではかなり使用頻度の高い言葉ですが、彼にとって「風」とは、異界と現界を繋ぐ役割を担ったガイド、精霊的な存在であるように思われます。


川の向こうで

揺れる帽子は

闇を泳ぐ 子供たち


月が消えた夜に見えた幻影なのか?

川、帽子、闇を泳がざるを得ない子供たちへの哀悼……


春待ち人は

コブシで消した

今日もずぶ濡れの微笑みを 


春を待つ人とは、寒い冬の中にいる人、その凍えた心を、コブシ(ヒカリ、温もり)で消すよ、と。

ずぶ濡れの悲しみではなく、これを微笑みとする。

月明かりが消えても、コブシの花をさっと差し出す彼の優しさによる視覚の変移、技量。別の見方、感じ方を示そうとする彼の心の機微。


流れた血の上

祈る背の上

コブシの花びら

舞い落ちる


流れた血、累々たる屍から流れる赤い血の上に、無念の死を遂げた者たち心の上に、または地に額をつけ祈る者たちの背の上にこそ、あのコブシの花びらは舞い落ちるのだ、という堀内幹の確信、願い。


月が消えたら

コブシの花びら

風を掴んで

飛んで行く


つまりこの「コブシの花びら」という歌は、ある種の鎮魂歌であり、コブシの花とは、月明かりのない真っ暗闇の世界で、肉体の眼が効かなくなったがゆえに心眼は開き、このもうひとつの「視」によって見出されたヒカリの花ではないのか。そしてその白い花びらは世界の嘆きの場所へ舞い落ち、ガイドである精霊的存在である「風を掴んで」、死者の魂を、彷徨える魂らを黄泉へと安らかに運ぶ、その「飛んで行く」情景を、泉鏡花や宮沢賢治とはまた違った幽玄性を持たせ、描いた歌であるように感じます。


p.s


あらたまって確かめたことはありませんが、幹ちゃんはあの太古の花を予感させるコブシの花が大好きなんだと思います。


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