2025/02/03

いつ輪 itsuwa


 コンビニにカフェラテを買いに行くと、顔見知りの坊主がいた。
この坊主は、うちの町内会の一軒家に住むある夫婦の一人息子だが、特に話しかけたこともなく、その家族とも別段仲良くしているわけでもない。ただ、彼がまだ小さな時分から、うちの町内は子供が少ないので、道端で走り回る姿はよく目にしていた。

もう8歳ぐらいになるのか?一時期は、自分のお母さんの病気で、かなり不安げに、その塞いだ気持ちを健気にも彼なりに乗り越えようとする様が美しく、思わず心の内で「なんとかなるよ」と、見かけるたびに遠くから目で声をかけていた。

やがて彼のお母さんは癒え、少年は明るさを取り戻したが、しばらくしていつも一人で遊んでいることに気がついた。すでに小学生である彼には、まだ遊び友だちは出来ないのかしら?と、ある時は近所のタバコ屋さんでウロウロと、何をしているの?そのタバコ屋の前を通るたびに気に留めていたが、おばちゃんの掃除の手伝いをしていた。が、どう見ても、そのおばちゃんが彼の為の時間を作って上げているように見えた。

今日、久しぶりに見かけた少年は、コンビニのカフェスペースで、やはり居場所を無くし毎日のようにそこに来ては何かしら食っている老婆と仲良く?いや、互いの孤独を紛らわす、埋めることなど叶わぬと諦め切った者たちの奥行きのない会話をしていた。

顔に深い澱みと濃い陰りを持つ少年。老い先短い、ボロ雑巾のように丸まった嗄れ声の老婆。

この少年と老婆の出会いには理由があるのだろう。そしてこれを目撃、ってほど大袈裟ではないが、これを見た僕にも何かしらのメッセージが、また書く理由があるのだろう。


少年と老婆、それは僕の心が作り出したキャラクターの一部。人は自分の内にあるものしか見ない、見えない。

外なる世界の何かに触れ、「あんま見たくないよな〜」と、もしこう感じるなら、それは自分自身の内なる闇から、(気がつくようにと、)外に現れたもの。なので、慎重にその不愉快さの中へ沈潜してゆけば、自分の心の闇から解放される瞬間、機会ともなる。


そして、こうして彼らについて想い、考えていると、少年と老婆がすくっと心の舞台に現れた。

―僕を見ている。

なぜか、柔らかく笑いかけている。

 


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