2025/02/06

fillmore east フィルモア・イースト

 

 

先週の火曜日あたりに風邪を引き、思うように回復せず、今朝も起きるには起きたがリビングの炬燵の中でグズグズしていた。

なので近場の東京富士美術館へ、カミさんがタダ券を陶芸教室の仲間から貰っていた「愛しのマン・レイ」展を観に行った。

マン・レイと聞くと、高校生だった頃を思い出す。芸術とは無縁な若者に、最初にこのダダイズムの作家を紹介したのは2歳上の先輩だった。

彼は、当時の僕にとって、未知なる世界への水先案内人、彼が勧めるレコードや書物、アーチストは僕が取り組むべき最優先事項となった。

彼との出会いがなければ、僕はアートの道へは進まなかっただろう。いや、もしかしたら、彼との出会いにより僕の中にあった何かがヒカリを得て、動き出しただけなのかも知れない。
いずれにせよ出会いとは不思議なもの、それは人のみならずある作品だったり風景だったり……、ある出会いが、彼または彼女の生き方を、進むべき道を明らかにし、鼓舞する力を持つ。

そして今日のマン・レイ展。主催者サイドの意図が明確な良い展覧会だったと思う。準備や展示法にはずいぶん頭を悩ませ、苦労したことが伺える。都心の美術館、たとえば東京都写真美術館あたりで開催すれば最も多くの若者に来てもらえたと、彼の仕事、その足跡をトータルに観る機会はそう滅多にないので、そこはすこし残念。

ただ、マン・レイ広場は、すでに僕の芸術の森マップから消滅している。

これは、例えるなら、小学校で学ぶべきこと、吸収すべきことをすべて終え中学へと進級した者が、再び小学校の授業には戻れないようなものだ。

そんな感じで、あるせっかちな者たちは、身体上の自身の死に触れる前に、この銀河系地球学校での学びを終え、〈空〉と出会ったのだろう。

そして、自身が無限定であったことを知ったのだ。

    

0 件のコメント: