〜心残り〜 (2023.11.××)
2ヶ月前から、それまで9時〜16時までの2人体制の警備業務が、1名だけ1時間残業の17時までとなった。
この2人現場の責任者である僕は今年の9月、人生始まって以来の強鬱状態に陥り、まるまる1ヶ月間休職し、10月に入りようやく仕事復帰したばかりだったので、さすがに残業の方は勘弁してもらっていた。
今月、たまたま休みの日にその現場前を通りかかった。時はすでに11月下旬、迂闊にも残業中の同僚と出くわした。
「あ、どうもどうもご苦労様です」
やや恐縮しながら声をかけた。
僕より20歳年長の同僚は、ニコニコしながら「今日は寒いね〜」と穏やかに応えた。
すでに夕闇は迫り、辺りはまるで見知らぬ荒野のような様相を呈していた。
2人の身体の輪郭は徐々に闇に溶け込み、2色の声だけが不思議と人肌の温もりを放ち、しばらく立ち話を続けていると、僕の内で何かが弾けた。
翌日、僕は残業をすることにした。
〜気づき〜 (2023.12.××)
今日は寒かった。
残業中、身体はぶるぶると震え、「あ〜、いやだなぁ。なぜこんな想いをしなきゃならんの?」と、虚無的な想いがどんどん膨らんでいった。
そんな時、「いや待て、このいやだいやだの想いの先には一体どんな考えが隠されているのだろう?」という言葉が浮かび、「じゃ、このいやだいやだの向こう側を見つめてみよう」と、僕の中で生まれた初めての感情、言葉に、付き添ってみることにした。
そして、暗闇が近づく寒空の下で、「いやだいやだ」は消え、すこし静かになっていた。
「あなた、誰だぁ〜」
〜移行〜 (2024.1.××)
この世界に価値はないと、こう言い切ることは誰にでも出来る。
やがて死ぬのになんでそんな頑張らなきゃいけないの? 頑張らないと、まるで「死んでから!」天国には連れてってもらえないかのような、そんな信仰、信念、錯覚を誰もが少なからず持ち続けている。
それって思い込みじゃね?
なぜなら、死んでから幸せになる為に今生きている間に頑張るってのはある種の「取り引き」であり、脅迫じゃん! 果たして、神や仏がそんなセコいこの世のニンゲンが思い付きそうな取り引きや脅迫を喧伝なさるだろうか?
たぶん、肝心なことは、今、幸せであるかどうかだけで、死後のことなど実はどうでもいいことなのだ。じゃあ、頑張ることの理由を各自がそれぞれの立場や境遇の中で、自らに深く問うてみることからまず始めること。
で、この問いは、ある洞察を生む。
「この世界はそもそも意味ないが、この世界における自分の生にどんな意味を見出せば良いか?」という問いが生まれて、さらなる省察へと導かれる。時間と空間の法則から自由な、つまり時間の切断や空間の限定などを受け付けない生の意味、目的とは?と。
そして世界は突如ニュートラルなものとして、知覚や心から滑り落ち、新しい世界が出現する。ただしこの世界には「頑張らなきゃバチ当たるよ」的な古くからある考えや恐れは一切どこにも見当たらない。
天国や極楽浄土とは、心の内側から起こり世界へと拡がる今まさに此処にあり、未来や外なる何処かにあるわけでは無い。
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