2026/04/09

陶芸考③ ~掌の眼差し~

京都在住の石井久弥子さんがそのInstagramで子供たちにお茶を振る舞う写真を載せていた。
彼女がお茶をたしなむことは知っていたが、本人がそれについてあまり積極的に話そうとしなかったので、こちらも根掘り葉掘り聞くことを遠慮していた。
ただ、ときおり彼女から送られてくる京都のお土産、品々はちょっとシロートの域を超えた美意識高い系チョイスで、これまでの人生航路で彼女が無理なく身につけてきたであろう審美眼を感じさせてくれた。
そして、そのInstagramの子供たちとの野点写真を見たときに、LINE上で、やや踏み混んだ質問をしていた。

石井久弥子は、どうも小学生の時分からお茶を習いに行っていたらしい。そして実家には魯山人のお皿などがフツーにあったそうな。
大田区の矢口西小学校グラウンドの鉄棒で、逆上がりをする女の子のクリーム色の毛糸のパンツを眺めては、密かときめいていた僕の幼年期とはえらい違いだ。
そして翌る日、ふと思い立ち、「あの子供たちの手のひらサイズに見合った小ぶりのお茶碗でも作ってみようかな」と。

アルカイックスマイルなお茶碗、微笑みかけるお茶碗、やたら人懐っこいお茶碗、それに触れた途端、優しさとか柔らかな気持ちが込み上げて来るような……。
通常の陶芸家では思い付かないアイデアと視座が、なぜか僕の内で瞬いた。

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陶器は、たぶん最終的にはその所有者、使い手によって仕上がってゆく、いい塩梅に変容してゆくのだろう。
特にお茶碗やぐい呑みなど、常日頃掌との関わりを持つ器は、その使い手にそっと近づき、寄り添い、そのヒトの手や生活、心の色に染め上げられることを美しとする。
なので作家性の強い、我の出っ張りすぎた、使い勝手があまり宜しくない陶器とは、たぶん陶器の本来の役割や意図から外れた、そもそも「陶芸」である必要のない、鑑賞用オブジェ、彫刻、またはそれに類した3次元の立体「作品」と位置付けられるかと。
ただし、花瓶や壺など、使い手の叡智を誘い、刺激する陶器もある。

陶芸家-。その指が、見ている夢。
その指が、夢を愛でている。
 
 

 


 

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