"Writing is nothing more than a guided dream."
これはアルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスの発言ですが、「書くことは、導かれた夢に過ぎない」。
これ、いいですね。
不遜にも自分に寄せてみるなら、写真家として撮影をすることも、音楽を作ることも、確かに共に導かれた夢に過ぎません。ただし、表現者の創作行為のみならず、あらゆる人間の生き方、個々の生、運命とは、導かれた夢ですよね。
ボルヘスはまたこんなことも言っています。
「我々の住む世界は一つの錯誤であり、役立たずのパロディーだ。(The earth we inhabit is an error, an incompetent parody.)」
手厳しいですね。
僕たちが住んでいるこの世界はパロディーだと言うこの発言は、ヒンドゥー教の世界認識「リーラ(lila)・神の戯れ」という教え、観点と重なります。注目すべきところは、この世界をパロディーもしくは神の戯れと断じるには、その認識者がこの世界内で起こる諸現象に自分の知覚が振り回されることなく、この世界の外に出てこちらを見なければ獲得できない視点、認識です。超越論的視点とでも言うのかなぁ。もしくは時間と空間を超えた「空」からの眼差し。
さらに英国の劇作家ウィリアム・シェイクスピアは『テンペスト』でプロスペローにこう言わせています。
「われわれは夢と同じ材料で作られている。我々の儚い命は眠りと共に終わるのだ」
"We are such stuff as dreams are made on; and our little life Is rounded with a sleep."
もしこの台詞の後に続く言葉があるとするなら、それは「そして我々は永遠と共に再び目覚める」。
知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを。
周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。此を之れ物化と謂う。
「ところで、荘周である私が夢の中で蝶となったのか、じつは自分が蝶で、いま夢を見て荘周となっているのか、私にはわからない。
荘周と蝶とは、確かに形の上では必ず区別がある。これがまさに物化(万物の変化)というものだ」(『胡蝶の夢』荘子)
そしてふと、紀元前5〜7世紀の釈迦の「この世界はマーヤ(幻想)である」と言う歌声が、あらゆる場所、あらゆる時代の人間たちによって多様な言い回しでさらなる命を吹き込まれリフレインされているなと思うのです。
Borges's dream(2020年作)
0 件のコメント:
コメントを投稿