2025/03/21

family あなた(と自分)の元まで


 

この世界に生まれて、奇妙な違和感やたった1人取り残されたような孤絶感を味わったことの無い人は誰も居ないと思いますが、どうでしょう?


「自由でないと鮮明にものが見えません。自由がないと美を感じとることができません。」(ジッドゥ・クリシュナムルティ)


はじめて自分を意識した瞬間、外側に世界や風景が広がり、手で触れる距離には様々の形をした物たちが、そして自分と似たような身体をした人間が動き回り、四方八方から色々な音が聞こえてくる。ときおり自分に向かって話しかける人たち、風を感じ、陽射しの眩しさや、暗闇の訪れと、この世界のすべてが自分と離れて存在しているような感覚、世界と自分が同時に現れた瞬間、はじめて距離を知った切ない瞬間……

自分がここに居ることを意識した瞬間、自分がひとつの小さな身体に閉じ込められたことを知り、外的な世界、多くの人々、空を駆ける鳥たち、草むらの中の昆虫や、長閑に目前を通る小動物たちから分離していることを強く自覚させられて、眠りが来ては、とたん自分と世界が消える。そして眠りから覚めたら、また世界が現れその繰り返しの中で、意識はややもすれば疎外感へと迷い込む。寂しいという感情が生まれ、不可解な恐れや警戒心がただ膨らんでゆく。


「目に見えるものには、みんな限りがあるんだ。だからきみの心の目で見てごらん。」(『かもめのジョナサン』リチャード・バック)


自分の身体を絶えず意識させられて、その身体の機能や状態に振り回されている自分の思考や感情が、知覚による快不快の個人的な感情体験から離れた、「あなたと私は別々の身体」という隔絶感が、なぜか時間と空間のことを知らない歓びと微笑みを含んだ光の洪水の内で、融けてゆく。やがて自分意識は私の身体を超えあなたの元まで広がってゆく。だから今ここで、意識がひとつであり心もひとつ、全一であることを見出せる場所へと自分を放つ。

この外的な世界はいずれ消滅し、内と外はひとつとなり、自分が世界そのものであったことに気づく瞬間がやって来る。


知覚という魔法を横切って、今までこの世界から学んできた怪しげな教えやルールの数々をひとつひとつ思い出し、ためつすがめつ吟味して、永遠という名の秤にかけすべて放り出してしまえ。

「空手でここまで来なさい」と、そう懐かしい声がする。 


やがて自分意識は私の身体を超え懐かしいあなたの元まで広がってゆく。

 

family(1992年作)

 

 


 

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