2010/12/16

待望の豪華DVDプレゼント! / Ainu music video plus one



先日お伝えしましたように、純粋な「Ainu music video」集は、幻と化してしまいましたが、装いあらた、「Ainu music video plus one」というDVD映像作品集を、下記のCD6枚の中から3枚以上お買い上げの方、先着100名様にプレゼントいたします。

「床絵美 / ウポポ」 ¥1.800(税込)
「千葉伸彦 / トンコリ」 ¥2.000(税込)
「床絵美+千葉伸彦 / ハンター」 ¥1.800(税込)
「リウカカント / リウカカント」 ¥2.000(税込)
「リウカカント / ダブルファンタジー」 ¥2.000(税込)
「the Pianoscaoe across ... / 海沼武史」 ¥2.000(税込)

既に、これらCDをお求めになったという方々も、大切な人への贈りもとして、再度ご購入してくだされば光栄であります。

詳細はこちら

そしてオーダーは riwkakant@yahoo.co.jp まで。


2010/12/14

on 海沼武史 radio / FM Taman in 沖縄


それは先月のこと---。
以前にもここにアップしましたが、沖縄は糸満市のFM局「FMたまん」にてDJの仕事をしていらっしゃる戸恒慎司氏より電話あり。
「明日なんですけど、また電話インタビュー出演してもらえませんか?」
僕はその時、すぐさま堀内幹と床絵美、千葉伸彦のことを思い浮かべたのですが、「ちょっと返事は一時間後でも良い?」と、なんとなし「どう思う?」とカミさんに相談。
すると「あなたも一応音楽家なのだから、他人ばかり紹介せんで、自分の音楽を紹介しないでどうする」と言われ、「・・・それもそうだな」と。
確かに、僕もいちおうはミュージシャンであります。そしてそのキャリアは「写真」より長いときてる。

では、そのあらましです。

2010/12/12

アイヌ民族とは? / AINU NEW WAVE


「問う」とは、何だろう?

若い頃は、「答え」を手に入れようと、忙しなく、遠くを旅したり、色々な試みや実験を自分に課しては、その途中途上にて、多くの葛藤や不和、軋轢などを起こしてしまい、またこれも過ぎ、それでも、一歩一歩「答え」に近づいているという思いだけは捨て切れずにいました。でもね、ある時、様々な直感的行為、態度の持続によって身につけた視界の広がり・・・そのフィールドで、「答え」なんぞはそもそも必要ないことに気付くんだね。いや、在ってはいけない、というか・・・。
たぶん、僕が求めていたものは、己を安心させてくれる、もしくは戦慄させてくれる「答え」などではなく、方法論でも、「教え」でも、イデオロギーでもなく、この視界の「広がり」そのものだったのかも知れないなと、今夜、熱に浮かされた、思考停止ぎみのオヤジは相変わらず適当な感じで、ふと思うのでした。

求めて見つかるものなど、手に入るものなぞ、たぶん、高が知れているよね。その瞬間は、満足するのかも知れないけど、多分すぐ飽きるのよね。

問い続けることによって、得るだろう、得てしまうだろう無数の謎、謎は、どんどん深まって往く、否、「広がり」は彼方へと通じる門前まで、深まってゆく(?)。早朝の、霧の立ちこめる森の隅にポツンと置かれた芥子色のベンチ、遮るモノたちをまるで楽しむかのように自在に舞うヒカリの粒子たち、無限の、数えきれない、抱えきれぬほどの「謎」に包まれて、暮らす。

この世は、楽園であり、煉獄である。そして奇跡であり、幻なんだなあ〜と。。。

2010/11/30

あたたかな死


この歳になれば、自身の死について、ふと思うことはある。
今夜、夕食前に、そんなイメージがわき起こった。
目頭が熱くなったのはなぜだろう?
死は、誰にでもやって来る、とても静かで、平和な出来事のはずなのに・・・。
僕は思った。
「そうだな、死に場所は、・・・できれば外がいいな。」
明るい初夏の昼下がり、新宿の代々木公園のような、グリーンの絨毯がまばらに広がる場所が良いね。地べた座り、寄りかかるには丁度素敵なぐらいの樹の元で。
僕はそこに凭れかかり、静かに息を引き取れたらサイコーだね。
愛するカミさんが傍に居なくてもいい。僕は誰にも見取られたくないのだ。
甘い、そよ風を感じながら、無邪気にはしゃぐ小鳥たちの意味のない生の、天から降下する響きを受けて、もう最後の呼吸を楽しんでさ、、、、向こう側が見える、遠くが見える所がイイね。
僕はただ、ただ独り、消えるように、静かに深い眠りに就く。

 

 

2010/11/22

伊東由里の挑戦 / Yuri Ito

drawing : Akira Ito 伊東晃


昨年の十一月、舞踊家・伊東由里さんから「第30回選抜新人舞踊公演にて新人賞を受賞しました」というメールをいただき、僕は「当然といえば当然だと思いますよ。ようやくあなたのダンス表現の真摯さが“届いた”っ感じかな」などという、ほんとエラソーですね、僕の言葉はいつも・・・。でも、正直、彼女のソロダンスは一度しか見ていませんが、彼女の踊り、そのパッションの質が、僕には非常に心地よかったし、他の若手ダンサーの表現と比べ、現代の表現者が陥りがちな、自己愛から来る自虐性への“耽溺”がすぱっと切れていて、硬質で、純度の高い魂、可能性を予感していましたからね、伊東由里さんへの言葉に嘘はなかった。

そして今年の七月の終わり、なにを思いついたのか、一度しか面識のない、携帯の番号も知らぬ、ましてメル友でもない伊東由里さんへ、突如「PVでも撮りませんか?」とメールを出していた。

そのPVのあらましは、このブログにもアップしましたので、皆さんはもうご覧になっているかと思いますが、つい三日前の十一月二十日(土)、彼女は「第25回神奈川県芸術舞踊祭ヨコハマ・コンペティション・モダンシニア部門」で、作品『JIKUU ー時空- 』により、第一位最優秀賞、並びに横浜市長賞をいただいたそうな。

確実に進んでいるなあ。
でもね、ちょっとグサッと来ること、言いたい事はちょっぴりあるんですがね、今回は書かずにいまーす。なぜなら、彼女は、僕があえて書かずにいる事を、すでにキャッチしてますから、たぶん。


p.s.
上記のドローイングは、由里さんの弟・伊東晃さんが描いた「舞踊家・伊東由里」です。ゆたかな才能を感じさせてくれる確かな絵ですね。

2010/11/21

宇多田ヒカル讃 / Hikaru Utada


宇多田ヒカル - Goodbye Happiness

これまで、このブログと辛抱強く付き合ってくださった皆さんからすれば、今回の動画チョイスはやや意外に感じるかもしれませんが、何を隠そう、僕は宇多田ヒカルという音楽家をそのデビュー当時から注目していたのでした。

宇多田ヒカルさん、ボーカリストとしてはさほど恵まれた喉、歌唱力は与えられませんでしたけれど、「音楽家」として、トータルにその存在の有り様に接近してみれば、その歩みを追いかけてみれば、ほんとすごい才能の持ち主であることを感覚することができます。

たとえば、Perfumeなどはね、そもそも多くの広告系プロフェッショナルによって加工され、吟味、捏造されたイメージの集合体、商品に過ぎませんから、僕はマジに聴こうとは思わないし、なんらこちら側を啓発するものが無いので興味のわき様もありませんが、宇多田ヒカルさんのこれまでの音楽家としての歩み、その実験精神は、なんだろう、とにかく「粋」なんだよなあ。美しいんだ。もちろん全米デビューにおけるあの日和見主義はちょっと、「またかあ」って気がしましたけど、あれはたぶん周りにいたスタッフ、デレクターのアドバイスの欠如ですね。

ポップスであるとか、アバンギャルドだとか、土着派?都会派?現代音楽、少数民族音楽、コンピューターミュージック等々と、僕は音楽の周りに付与された「イメージ」、ご都合主義的なジャンル区分ではその輝きの、響きの総体の内側に入り込み、耳を澄ましたりはしませんので、聴かないので、ちょっとマニアックな音楽を聴いて知ったかぶり、通を気取っている方々には、ぜひ一度、宇多田ヒカルさんの真摯さと対面、マジに触れていただく機会になればと、すこしご紹介させていただきました。

謙虚になりますよ。あるジャンル、職業におけるプロフェッショナルとは、その姿とは、立ち位置とは、マナザシとは、一体どうあるべきなのか、どういうことなのか、彼女は、慎ましくも、そっと教えてくれるのです。

『人間活動』宣言? 
僕ら極貧系の表現者からすれば、ずいぶん暢気な事が言える身分だなあ、羨ましい境遇だなウンウンですが、宇多田ヒカルはその与えられた能力を十二分に、それも短期間で、「売れっ子」であるという凄まじいプレッシャーの内、なんら動じる事なく、淡々と、矢継ぎ早に「CD」というカタチに注ぎ込んで来た人間だから、そのケツノマクリ型も潔い事潔い事、お見事です、ボーダレスチルドレンさん!

 

 

2010/11/19

海沼武史・展覧会用カタログ / Takeshi Kainuma's catalog



海沼武史・展覧会用カタログ

限定500部 
定価¥1.000

(発行: エモン・フォトギャラリー)
 
 
 

2010/11/10

プリュスアートフェア / Tokyo Contemporary Art Fair


この度「+Plus Tokyo Contemporary Art Fair」に出展することになりました。
エモン・フォトギャラリーから、飛田英夫、尾仲浩二、海沼武史の3名が作品を展示致します。
作品集の販売も行うそうです。皆様ぜひ足をお運びください。

プリュス トウキョウコンテンポラリーアートフェア
2010年11月19日(金)-11月21日(日)
東美アートフォーラム(東京美術倶楽部)
*詳細はこちら

 

 

2010/10/19

“Love”って何さ / LOVE ?


“Love”って何さ

ラヴラヴ・・・って軽々しく
言葉にしなきゃおさまらないほど
僕らは冷たく 此処は
凍えそうなのか

季節はめぐる
まるで何事もなかったかのように・・・


“Love”って何さま

「愛してるよ」なんて
よくもまあ言葉にできるものだね
アイも 恨み辛みもない
何も無い だから全てがひらく
眠っている
きみも僕もいない


その美しさに
ただ討たれていること

2010/10/17

アントナン・アルトーの受難劇 / Antonin Artaud




アントナン・アルトーの受難劇 (Aug/28/04)

----ネガテイブな亡霊ごっそり背につけアルトーさん
底で何してんの?

「・・・私は彼女を抱く。彼女に口づけをする。ある最後の圧力が、私を引き止め、凝結させる。私の腿の間で、教会が私を止め、嘆くのを感ずる。
(中略)・・・いや、いや、私はこの最後の壁を押し開く。かつて私のsexを監視していた、アッシジの聖フランチェスコは今や離れ去る。聖ビルイッタが私の歯を開く。聖アウグスチヌスが、私の帯を解く。シエナの聖カタリナが、神を寝入らせる。」*

エクリチュールのデルタ地帯
照れ隠しの自己劇化
苦痛に酔うケンタウロス
自虐への耽溺は
中世以来の信徒の流行

「・・・一切の文章表現は豚のやるような仕事だ。
曖昧なものから出発して、それが何であろうと、とにかく己の思考の中に生ずるものを明確にしようと試みるような連中は、まさしく豚野朗である。」*

五歳の時 彼は脳膜炎前躯症を患い 九死に一生を得たが 後 神経症の兆候を示すようになり 生涯 身体的苦痛と狂気の極限で生きた 詩人にして前衛演劇の実践者 アントナン・アルトー  晩年は 八年八ヶ月におよぶ入院生活(精神病院のハシゴ) そして千九百四十六年 最後の宿・ロデーズの病院から退院 その二年後 永眠五十二歳。

風の上にありか定めぬ塵の身はゆくへも知らずなりぬべらなり 
(古今和歌集)

狂気とは何か? 
ヒトを無闇に姦淫し 
憎悪に駆られ
ヒトを殺めた経験のない者が
せいぜい公園で無法の雄叫びを上げ
ちょいと小部屋の片隅でアヘン吸い
(ゴッホは、片耳を削いで愛する者へ贈った・・・)
高ぶった神経を弛緩させようと
ほんのりよい気持ちを貪っていただけの男が
時に熱に魘され文章書き
ウンチなんかしませんよ!
なんて顔したマドモアゼルが群がる都心部へ
ショーウインドウを真似た
数多の装飾的な恋愛劇に亀裂を
古代のカミナリを走らせようとした男が
ある日“精神分裂病”というモダンな病名を宣告され
半ば強制的 ほぼ暴力的 
柵で仕切られた白い巨塔に連行され
そこの大親分から狂人初心者マークをペコンと御でこに張られ
狂気とは何か?
そして院内では サドマゾ愛好家もびっくりするような
原始人も腰を抜かすであろう最先端の治療法
電気ショック療法とクスリ漬けの日々
ああ これが本物の<残酷劇>
舞台は客席不在の白を基調とした病室X
これではノーマルな人間も
アブノーマルな人間さえもが
正真正銘の狂人へと変容できる
・・・狂気とは何か?
それはどこにある?
どこにあったのか?

「かつては、魂は実在していなかったし、
精神もまたそうであった、
意識にいたっては、誰もそんなもんについて考えたこともなかった、
それにまた、破壊されるやいなや再び組み立てられる、まったくの戦闘状態にある要素だけでできた世界においては、思考はどこにあっただろうか?」*

『神の裁きと訣別するために』
こんなタイトル(書名)を考えつく者は
たぶん敬虔な裏クリスチャンか
骨の髄までバイブルのお伽噺に洗脳された隠れ信者
ザ・西洋人!以外には考えられまい
(日本のクリスチャンとは憧れちゃんレベル 踏み絵を踏むべきか踏まざるべきか 絵に描かれた偶像神を前にして思い悩むなんて 悪魔が見たら さぞかしぶっ魂消ることだろう)
アルトーさん
貴方の歯軋りは全くのヨーロッパ仕込み
そう考え 離れてみることもできた
文明がこしらえた架空の夜は
神経衰弱者から南国の放神を奪い
機敏な魂たちを磔にかける
『ヴァン・ゴッホ 社会が自殺させた者』
こういったタイトル(書名)を思いつく者は
本来 純朴なる魂の持ち主か
沈黙を愛する 生まれる時と場所を誤った羊飼い・・・

「・・・卑劣な猿どもや、濡れしょぼった犬どもから成る人類を前にすれば、ヴァン・ゴッホの絵は、魂も、精神も、思考もないような時代の、次々と結ばれまた離れる原初的な要素以外の何も無いような時代の絵と思われたことだろう。」*

神経の秤=アルトー
神経の秤に引っ掛かって来るモノやコトなど
実は高が知れている
そこに質量を感じてしまうのは
己がひどく西欧文明に毒され
キンジュウソウモク(自然)から切断されてしまったからだと
そう考えてみることもできた

「・・・人は、無限のために生きることもできるし、無限によってのみ満足することができる。この地上と諸天体には、無数の偉大な天才を満足させられるだけの無限がある。」*

ふりかえる
灼熱の眼は
ひるがえる
黒いマントの裾
水気を含んだ
初老のガラス細工
そよ風が
無限定を
引き寄せた
未明の刻
無数の星々が散りばめられた
深紅の底なし絨毯
硬直したカラダは
惑星メトロノーム
小刻みに震え
意味を剥ぎ取られた
黒い穴のあいた襟首から
二頭の幻獣が
熱に侵された彼の頭上をめがけ
その外部思考まで食いちぎる


*アントナン・アルトー『ヴァン・ゴッホ』粟津則雄訳(ちくま学芸文庫)