たぶんぼくは、もう振り返ったりはしない、だろう
めくるめくヒカリの元で、撮影している瞬間(トキ)が
消え入りそうな予感 と “無”へ うながす
豊潤な風のオンガクに包み込まれ
滲みあうものたちの夢のない眠りのフィールドへ
photo by Takeshi Kainuma
(ええ、、荒涼とした、世界、風景・・・にも見えますが、寂しげな光景・・・とも映るんでしょう。が、よくよく開き、感じ、視てもらえば、そこに在るのは、ひとつの状況。「現場」って呼べばいいか、場が現れている。・・・こんな場所で、僕たちは、たぶん、ひどく甘やかされたカラダとかココロ・・・、装飾された、中身のないパッケージを・・・ハクダツされてしまうんだろう。
ヒトは、よく誤読する。目をくらまされる。真実の、僕らの存在の中心に位置する、イノチの切ないほどの温もりや、ひどく懐かしい思い、尊さ、気高さというものを、こういった極限の場所、風景の極北にて、はじめて、ああ・・・強烈に実感する、視えて来るんじゃないかな。
困ったことにヒトという生き物は、そんな風にしか出来ていない。困窮を知らぬ生活、文明の輝かしい勝利、超安全で快適な暮らしの中で、もし、イノチの、真実の官能性を味わおうと目論んでも、そりゃ無理。
やがてヒトは死を迎える、数多の所有物が、寿命というサークルの内でフッと消えざるを得ない、持ってゆけるモノなど何ひとつ無いのなら、ほら、愛を語りだすのはこのむき出しの場所で・・・。
「ロードムービー」というコトバを世に定着させたのは、たぶん映画『パリ、テキサス』や『ベルリン・天使の詩』で著名なドイツの映像作家ヴィム・ヴェンダースだと思いますが、彼の1970年代の仕事に「ロード・ムービー3部作」というのがあって、これは『都会のアリス』、『まわり道』、『さすらい』、どの映画も僕はまだ見ておりませんが、ヴェンダース、けっこう好きな監督でした。
ただ、ロードムービー(Road movie)とは、映画ジャンルの一つの呼称ですが、その萌芽は、すでに1950年代にアメリカの小説家ジャック・ケルアックの『路上』 On the Road (1957年)という作品に、またはスイスからの移民写真家ロバート・フランクの写真集『アメリカ人』Les Americains(1958年)などなどにあり、が、まあ、しょせんはアメリカ大陸という白人種にとって根のない場所での「必然感情」、「まなざし」だったんじゃないかと、今更ながらに思うわけで・・・。いや、もう少し綿密に語れますが、まあ、いいか・・・。もちろん僕はケルアックやフランクが描いた作品に10~20代の頃、かなり愛着を覚えていました。
前置きが長くなった、ということで、「畑・ムービー3部作」の3作目が、偶然、出来上がったので、どうぞ鑑賞してください。
唄は、アイヌの歌い手・郷右近富貴子。歌詞はこちらを参照。
ちなみに、1作目は『after the storm』、2作目は前回アップした『family album』です。
「橋」であるとか「トンネル」、または「三途の河」ね。もしくは「踏切」とは、どうもニンゲン存在に「こちらとあちら側」を強烈に意識させる文物であり、メタファーに使われたりもしますが、僕は最近、この町に住みだしてずうっと気になっていた「踏切」を、ある夜、とうとう撮影しに行った。
「最近は携帯電話でしか撮影してませんから・・・」などと告白しましたが、なんとなく、3~4日前、近所にときおり深呼吸しにいくお気に入りの場所があるのですが、三脚かついでそこに赴き、「ああ、撮れるね」とココロ騒ぎ、一眼デジタルで「踏切」を撮影しました。
この写真---。
ちなみに、この踏切以外にも、もう一つだけ、僕の愛する踏切が近くにありますが、そこには「とまれみよ」という表示板が取り付けられています。
「とまれみよ!」だよ、凄い表記、コトバですね。
たとえば、踏切の形而上学、精神の踏切としてこのコトバを注視するなら、この「とまれみよ」とは「汝自身を知れ」であり、「あんた、“無知の智”、ね」でありましょう。ソクラテスの「無知の知」とは、「わたしはな~んも知らない事を知っている」ですが、「世界」というのはそれぞれの心、意識の劇場内でのドラマ、投影認知でありますから、「あんたはあんた自身の事をなんも知らない」とは、「世界」のことを実はみんな何も知らない、となります。
ちょっと疲労コンバインの中でいま書いてますので、かなりイイから加減なすっと飛び文章になってますが、僕が「踏切」を撮影して、ひどく痛感したことを最後に書いて、なんとか文態を保とうとするなら、あの世だのこの世だの、それは「踏切」を超えてない人たちの概念、物語であり、そこをひとたび超えてしまった、踏切超えをした人たちにとっては、恐るべきことに、あちらもこちらも無いわけで、つまり「踏切これ自体」が消滅する。「踏切」だの、「橋」だの、「三途の河」ね、いわゆる「境界」自体が無化してしまう。この考えは、いまの僕にとってはたいへん心地よいアイデアで、ほら、お釈迦さんの滅茶苦茶ツッパッタ言葉、「あの世もこの世もともに捨て、犀の角のようにただひとり歩め」な~んてオンガクが、まるで響いてくるかのよう。。。
学生の頃、僕は17,8で、ウイリアム・ブレイクおよびドアーズの「ブレークスルー」という概念、思想にひどく心臓を揺さぶられましたが、あれからすでに30年が経ちました。そしてようやく、とうとう・・・、僕はニヤニヤしながら、この身体を連れ、生きたまま、この「踏切」を渡っちまおうかと思っています。
でも、もし失敗なんかしたら、どうか皆さん、笑ってくださいね。
僕が生まれたのは昭和37年10月3日で、今月は47回目の誕生日月、なんともはや、一昨日、勤務中に車にはねられてしまいました。もちろんこれは初体験。が、命に別状ナシ。別状あれば、こんな風にブログは書けない。ちなみに僕が車にぶつけられる瞬間、その一部始終見ていた人々はなぜか多く、目撃した隊員(同僚のこと)や職人さん、現場監督さんらによると、まるでひょろ長い人形がガクッと倒されるかのようだった、と。
この仕事に就き、1ヶ月ぐらいして、僕は生まれてはじめて人身事故というものを目撃しましたが、まさかその数ヵ月後に自分が車に“轢かれる”のではなく“ハネラレル”とは、フツー想像しない。犬のユタは轢かれて死んだけど、僕ははねられた。なんか…辛いね。
10月19日月曜日の18時頃、あたりはもう真っ暗で、僕はいつものようにH氏と組んで片側交互通行、息のあった誘導ぶり、「あと15分ぐらいで開放だな」と、まあ、最後まで気を抜かないように誘導灯とジャケットを赤くピカピカ点滅させて、で、僕は身長が186ありますから、まあ、目立ちます。じゃあ、なんで車がどーんとぶつかって来るのよ…。しかし運が良かったのでしょう、救急車に連れ去られることも無く、なんだあーかんだあーと警視庁の交通捜査係のマニアックな現場検証に付き合わされ、約2時間ぐらいその場に佇んでいなければならず、ドライバーの方、お気の毒に、そして最後までお付き合いしていただいたウチの警備会社とはまったく関係のないクライアント、現場監督さん、ただただ申し訳なく…。でもね、一歩間違ったら、つまり打ち所や交わし方を間違えていれば、もし車が軽自動車ではなく四駆だったら、そしてもし、その車の速度が30キロではなく50キロ以上のスピードでぶつけられていたら、僕はこの世とおさらばしなければならなかった、いや、通院生活とリハビリとか、半身不随とか・・・、そう考えると「嗚呼・・・」、実に恐ろしくなります、だから考えない。
それで、現在、僕はぴんぴんしているんですが、昨日今日と現場に出れたし…。ただ、近づいて来るクルマに対してやたら身体が引く、皆さん、運転にはくれぐれも気をつけましょう!!
「ガードマンズ・レポート-2」でした。
p.s.それで家路に着きカミさんに事後報告した際のその一言がケッサク。「あんたねえ、いつも人とぶつかっているから、車にぶつけられるのよ」だってさ。
カタチとはナニカ?
カタチへのこだわりや執着は習慣をうみ
ちょっとした安心感を与えてくれる
やがてヒトはココロをどこかにおきわすれ
おきわすれられたココロは、死んだのではなく
カタチへの執着にまきこまれ、ただ眠ってしまっただけ
眼をさましてみたら、カタチは変幻自在だったと気づき
その真ん中のイノチを見つる
ずっとカタチのない音楽をつくってきた
床絵美が歌う アイヌの唄
これは 削ぎおとすだけそぎ落とされた 極限のカタチか?
Riwkakantの音楽とは カタチのないカタチの楽音?
際と際が出会うからこそ 宇宙がうまれる
若い頃 きいてきたロック音楽 etc
離れてしまったのは あまりにも形式的すぎたから
安心とは ある日 とつじょ息苦しさをおぼえる 牢獄の音楽たちよ
イノチがうごきはじめたら
うんと旅にでようか
ウン!
あ 境界のない旅かも
まるで風のように
a film & music by Takeshi Kainuma
今日10月9日はユタの命日で、彼が僕の眼の前で車にはねられ、逝き、もう3年が過ぎた。
この、「morningscape -孤独な散歩者の夢想-」というタイトルがつけられた作品が生まれたのは、床絵美(敬称略)と、「Riwkakant リウカカント」というユニットを結成してまだ間もない頃だったか、アイヌの唄に編曲を施すという途轍もない緊張を日々強いられたその作業の合間に、ふと、窓の向こうに広がる初夏の瑞々しいグリーンと、見え隠れする細い山道に眼をやった瞬間、「ああ、ユタとよく散歩したよな、あの道・・・」と、そんな想いが高ぶった神経の内部からポッと膨らんだ瞬間、一気呵成に仕上げてしまったものです。
しばらくして、その音楽を使い動画を作った。一切の説明を排した。このブログにもアップしてましたが、少し間をおき(1年ほどか?)、再編集してみた。どこかが納得いかなかったというより、僕はもうそろそろ何かを手放すときだとつよく感じたからだ。
音楽に、耳を澄ませてほしい。
映像が余計だと感じる方は、その眼を瞑り、聴いてほしい。
この曲は、言葉にならない、声にもならない、僕のもうひとつの唄なのです。
ああ、風邪をひいてしまった。
そして朝から雨・・・。現場はまたもや中止、もう秋なんだな、カミさん手製の鍋焼きうどんを昼食に、ああ僕は、いつも身体の具合が芳しくないときにも食欲だけはある、でもまったく太らない、なぜだ?つまり交通誘導はさ、“天使のシゴト”なんだなと、昨夜、熱にうなされた頭の内にコトバは浮かび、この仕事をはじめてからまだ2ヵ月半ぐらいしか経っていなにのに、否、経っていないから、風邪ばかりひいている、この十数年間、1度も風邪をひいたこと無いのに、Aaa...この世は寒いって、冗談を綴るのもこのぐらいにして、今さっきちょっと写真の整理中にインターネットを閲覧していたら思わぬ人、懐かしいPVと再会したんで、今日は暇つぶし、病気つぶしにその方々を紹介---。
おふたりとも、僕がまだ20代後半、そう20年前に登場した女性シンガーです。皆さんご存知かな?まだ産まれてませんでした?
僕はこのブログにおいて、たまにワケワカランダロウPV、自作の音楽のための動画をご紹介させてもらっていますが、僕のベースなんぞは非常に分かりやすいというか、まあ、下記のような歌を聴いてきたんですね。
久方ぶりにシンニード・オコーナーとトレイシー・チャップマンの歌声を聴きました、20年ぶり、こんな秋雨の日には・・・うっとりする。
Sinead O´Connor - Nothing compares to you
Tracy Chapman - Baby Can I Hold You
額装デイレクターである中村明博については、以前、このブログでも触れましたが、最近、彼は『私の額装』というタイトルにより、彼自身の額装についての考えを述べました。興味のある方はどうぞこちらをクリックしてみてください。
“額装”をデイレクションするという仕事、その営みについて、ここまで指向・思考した人は、(大袈裟ですが、)たぶんあまり居ない事でしょう。
たとえば、西洋の世界、西洋美術の歴史において、額装についてのアイデアは、所詮は作品の見栄をよくするためだけの「装飾」の域を出れなかったのではないでしょうか。作品を囲う、作品のための「衣装」という卑小な価値しか見出してこなかったように思われます。
むろん、『私の額装』における中村明博の文章は、額装という非常にマイナーな分野について書かれていますから、興味のない方、もしくはアートと聞いて思わず後ずさりしてしまうような方にとっては眠くなるような文章でしょう。
ですが、アート、「芸術」というのは、別に恐れるほど難解な怪物では無く、かなり「面白い!(ゾクゾク…)」するジャンルのひとつです。
本来、彼の文章を読むより、直に彼の仕事、額装に触れていただくのが一番良いのですが…。やがてそんな機会もあるかと思います。
写真家である僕が感じる彼、中村明博の仕事は美しい、たいへん見事なものです。透明な美感を共有、感受しうる貴重な方だと直覚しています。
(p.s.)
額装デイレクターとして、彼は「当たり前のこと」を書いたまでだ、と言えばまさしくそうですが、「当たり前のこと」とは、案外、人間存在の根底は討ち貫くほどの威力があります。実際、人はこれを真っ直ぐに「見る」ことを厭い、無意識裡に避けて通ろうとします。ですが「当たり前のこと」とは、非常に静かですが、善悪を超えた、パワフルな覚醒体験を呼び込もうとするものなのです。
あまり自分の様式に縛られない方が良い。これは長年ひとつの事を続けてゆくと、どうしても陥りがちな「自己模倣」を回避するための技芸でありますが、先人が教えてくれた知恵、教訓です・・・。でも、今の状態、ちょっぴりキツイです。
8.24.2009
昨日今日と、二日かけて終わらせるはずの現場が、そこの監督さんの配慮か、はたまた機転か、昨日一日で終ってしまい、当然、すさまじい、タフな勤務時間となりましたが、故、今日は目出度くお休みということで、そんじゃあーちょいとこの警備業務というか、そこで働く人々について、この不思議な領域で感じ、考えた事々について書きますか・・・。(久しぶりだな~文章書くの。)
え、それでアップした写真は勤務中の僕なんですが、新しい仕事にも少しずつ慣れ、車や歩行者が途切れた際などに、おもむろにポケットから携帯電話を取り出しサッサッサ~と撮影(じつは最近、携帯電話による撮影に凝ってます!)。まあ、そんな心の余裕もうまれたのでした。
んー、でも、まだ文章を書くのがしんどい。・・・この辺で。
「ガードマンズ・レポート」でした。
在米中、ある月刊誌に「TAKESHI KAINUMA from N.Y. 小夜曲」というタイトルでしばらくフォトエッセイを連載していたのですが、今回は趣向を変え、そこに書いた星野道夫についての拙文を再掲載したいと思います。
今月は、ごく最近気になっている1人の写真家について書きます。その写真家の名を、星野道夫と言います。
1996年8月、今から5年ほど前に、ロシアのクリル湖畔の小屋で就寝中のところをヒグマに襲われ、逝去した動物写真家として有名な彼のことは、皆さんよくご存知かもしれません。たしかに、星野道夫の名前はよく眼にするし、その写真については度々見る機会があります。けれど当時の私は、動物写真家たちの写真など軽蔑していたので、彼の写真については「ただのカレンダー写真じゃないか」と、さほど魅了されることもなく、「被写体に頼りすぎている内はまだ“写真家”とは呼べないのだ」と、星野道夫の写真は私の興味の圏外にありました。
ところが先日、イラストレーターであるカミさんが絵の資料のためにと買ってきた彼の写真集を漠然と見ていたら、私もここ1年あまり近所の犬ばかり撮影していたせいか、彼の写真をとても身近に感じることができたのです。かつて見落としていた、見過ごしていた「なにか」が、どさっと意識の中心に飛び込んで来て、謎が解けたというか、はじめて、星野道夫の仕事の意図といいますか、その数多の写真の連なりに、遅ればせながら「ガツン!」とやられてしまったわけです。
それで早速、『旅をする木』という彼のエッセイ集を紀伊国屋ニューヨーク支店にて購入し、精読、彼の人柄、その輪郭に触れ、今では「参りました!」という気分です。
何はともあれ、星野道夫という人物は“ただ者”ではなかったのですね。「そんなことは百も承知さ」と皆さんに笑われてしまうかもしれない。ですから、いま、ここには、皆さんがまだ気づかれてはいないだろう事を書きます。
それは、星野道夫の“死”についてですが、ニュースではこれを「事故死」として扱い、以後、思考停止しています。でも実際は、そんな単純に片付けられる類の死ではないですよね。この死について、彼の作品、仕事、彼という存在そのものを真摯に、また精密に追い駆けてゆけば、星野道夫の死が、実はサクリファイス、供儀ではなかったかと、ふっと視える瞬間があります。
異様に聞こえるかもしれませんが、あの日、クリル湖畔で、星野道夫に起こった出来事は、表面的には事故死なんですが、そういった演出法による“秘密の供儀”だったんじゃないのかと私には映るのです。(藤原新也が何かの記事に書いた彼の死に対する“読み”はジェラシーですね。)
たぶん、現代の、高度なテクノロジー社会の内側では非常に稀な、ひとつの神秘的な出来事が、あの日、クリル湖畔で起こった、彼の身に降りかかったのだ、と。
「君ノ務メハ十分デアル」と、その“声”は、一体どこから? 天から? 自然神、ワタリガラスから・・・。
故、星野道夫を襲ったヒグマとは「使者」にあたります。もちろん、そのヒグマの聖なる暴力に対する彼の叫び声は肉体器官による反応に過ぎず、精神からのものではありません。
太古の心をもってしか理解できない出来事が、あの日、私たちの記憶の一番深い層にもある、懐かしい、ひどく秘境的な出来事が、クリル湖畔で起こったのではないでしょうか。
ということを、かつて僕は書きましたが、もうすこし噛み砕くなら、星野道夫は、唯一、あのアイヌ民族が指差した処、カムイの国、「熊たちの世界」へ入ることが許された人間ではなかったか。たぶん、彼は、この世の人間の世界、営みより、野生の、僕たちが近づくことはできても、決して交じり合うことのできぬ、越境することの許されていない<向こう側>へ、大自然の生命圏、動植物らが無心に暮らす場、白銀の熊たちの聖地へと、誰よりも強烈に魅了され過ぎたゆえ、超えようとしたのではなかったか?
生活者としての彼は、結婚し、子供に恵まれ、人間の世界にとどまることを良しとしていたが、信じがたいほど多くの神秘的な光景、無垢で、無駄のない、美しいシーンを見てきてしまった彼の無法の意思は、すでに収まりがつかない処まで来ていたのではないだろうか・・・。そして遂に入る事が許された・・・。僕はこんな風に感じる。
もちろんこんな考えは、「星野道夫を伝説化しようとしている」と思う方々もいるだろう。が、彼が伝説、神話化されたとしても、実は誰も困りはしない。事実というものは、過酷で、暢気な言葉、流行キャッチや甘ったるい表現、感傷など入り込む余地はないのだから。
そして、最後に、これはあえて書きますが、星野道夫という人は、登山家ラインホルト・メスナーのような超人的な記録を残したわけでもなく、写真家として革新的な仕事をした人でもないだろう。ただただアラスカに魅せられ、そこに在住するために、「something great」に感応するために写真を撮り、そこで考え、感じたことを綴り、徹頭徹尾、個人的なこだわりのみを生きた、普通の、ある種極端に無骨、正直で、物静かな人だったんじゃないかと僕には映る。日本人として生まれ育ちながらも、一等身近であるはずの日本人に対して、他人に対し、まったく思いやりを持てなかった人・・・。けれど、星野道夫はひとり黙々と<奇跡のルート>を辿り、向こう側へ入る事が許された・・・。
--以上です。
Yuta by Takeshi Kainuma