2009/07/20

額装ディレクターの誕生 / Akihiro Nakamura

絵画にとっての「額装」、その由来というか来歴について、僕はあまり定かではありませんが、「額職人」という職業が歴史上初めて登場した国は、たぶんフランスかイタリア辺りだったのでしょうか。

写真という表現媒体が、印刷物や個人宅から離れ、アートギャラリーや美術館に展示されるようになったのは前世紀、1950~60年代からだと思います。
が、当時の写真愛好家または関係者が、1枚の写真がオークションにかけられ1千万円近くの高値で落札される時代が来るとは夢にも思わなかったことでしょう。
写真の価値をいかに高めるか?
これは写真家サイドの発想ではなく、当時のアート・デイーラーやギャラリスト、美術関係者たちのアイデア、手法の功績でしょう。1点ものの絵画、数点ものの版画(版が駄目になるまで)、何枚でも複製可能な写真・・・、では写真プリントの価値を高めるためにはどんな夢を付与する必要があろうか?
版画のエデイション機能を模倣する。
オリジナルプリントと命名し、「写真家みずからが焼いた写真」と「プリンター(ラボ)が焼いた写真」との差別化を図り、さらに「いや、素材は写真、印画紙だけれど、現代美術として扱う」・・・。
これらは、商売上の工夫であり、言わば、いかがわしいトリックでもありますが、写真家の仕事を「真摯に見ていただきたい」であり、「写真家の仕事、作品も、絵描きや版画家に劣らず、注目に値するもの」を社会化、一般化せんとした努力の賜物かもしれません。

写真が、印刷物や個人宅から独立し、ギャラリーや美術館に展示されるようになり、これまで、様々な写真の見せ方、展示法が模索されてきました。特に1960~70年代は、写真を裸のままピン止めだけするものや、大判のプリント、絵画でも版画でもない写真専用のフレームの研究、シンプルで機能的、直射日光や紫外線をきらう写真の保護を十分かんがえたフレーム、等々・・・。
では、「現代写真」の額装についての思考・嗜好、その動向は?
特に名画と呼ばれている絵画作品の装飾的な額装、その意匠から逃れるべく、アート否定の身振りをさりげなく主張しようとするスタイルが主、クールであり、マッティングやフレームを拒絶し、写真をそのまま「アクリル密着」するだけというシンプルなものが主です。が、これは単に1960~70年代のピン止め写真のバージョンアップ、最新技術に寄り添った振る舞いに過ぎません。

本来「ただ写真を見ればよい。作品を味わえばよい」だけですが、どうもこれが難しい。
ですから、写真の額縁とは、ある一人の鑑賞者へ向け、一枚の写真を見つめてもらうための、ある種の視覚体験に臨んでいただく為の舞台装置に過ぎません。故、慎重に、丁寧に、額装者はこれに気を配る必要があります。

マルセル・デュシャンやヨーゼフ・ボイスの仕事は、見る側に様々の言葉と思考を促す、誘発する類いの作品なので、美術批評家などに愛されますが、絵画でも版画でも写真でも、「美は人を沈黙させる」という言葉を、時代はどこかに置き忘れてしまったようです。
美術批評家、美について書く、アートについて所見を述べるとは、本来、誰よりも正確に、その作品に触れ、言葉もしくは思考の臨界点へと赴き、そこで強烈な沈黙を強いられ、さらにその不可思議な沈黙に耐えつつも、あえて語ろうとする知覚のスペシャリスト、すさまじい耐力、精神の持ち主、もしくは愛の所有者だと思います。

最近、僕はある「額装ディレクター」との知遇を得ました。
彼は額職人ではありませんが、写真、絵画、版画などの作品を手にし、彼の全感覚、直覚によってその作品を理解し、あの不可思議な沈黙を守りつつも、作品が希求したフレーム、さらに言うなら作品にとって必要な「状況」をデレクションするという高度な技を生まれつき所有している方です。

下記の写真は、その1点ですが、この複写、スタジオではなく自宅にて簡単に撮影されたものなので、現物、額装のうつくしさ、重量感、等々がまるで伝えられておりません。
 (中村氏、大変申し訳ない。)



写真:海沼武史
photo by Takeshi Kainuma
額装ディレクター:中村明博
frame director by Akihiro Nakamura

額サイズ:539型 780x609インチ
・パウダーカラー 3mmマット ブック式
・調湿紙
・無反射ガラス、等々



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