2009/12/28

破壊(創造)せよ、と彼女は言った。/ N-04A



たぶんぼくは、もう振り返ったりはしない、だろう

めくるめくヒカリの元で、撮影している瞬間(トキ)が 

消え入りそうな予感 と “無”へ うながす 

豊潤な風のオンガクに包み込まれ

滲みあうものたちの夢のない眠りのフィールドへ 


2009/12/24

イフンケに守られて / Ms.Saki Toyama



以前、このブログでもご紹介させていただいた『遠山サキ、唄の伝承』のDVDがこちらにて販売しております。

上記の動画は、そのPV(?)のようですが、ご興味のある方はどうぞご覧になってみてください。

僕は、このDVDを下倉洋之のアトリエ「rakan」にて鑑賞させてもらいましたが、床絵美の祖母である遠山サキさんの存在感を肌身で感じている者にとってその記録・映像は、率直に申し上げて、まだ“資料”の域を出ていないように思いました。

アイヌの唄とは、資料ではないんですね。アイヌの着物とは、けっして民族衣装などという名称を与えてはならぬ、今なを生命をもっている、現在を生きている正装なんですね。民俗学者、文化人類学、どこどこの研究者等々のつまらぬファンタジスタ(?)が興味本位で扱ってはならぬ、また、近寄ってはならない「今」の事、今を生きているモノでありコトなんです。
うーん、巧く言えんのだけど、こういった認識というか直知、了解は、もちろん人間•床絵美との付き合いや下倉洋之の所作、言葉がヒントとなり、またこれを通して僕の内で少しずつ育まれていったものですが、この“感覚”は他人にはまったく伝えようがないから、もうすこし真剣に対峙してみてくださいね、としか言えない。アイヌの民と対峙するんじゃありませんよ。自分自身と、です。そうすれば、たぶん気づくと思います。本当に大事なモノ、コト、とは、何であるのかを。

2009/12/01

あの、此の世 / Hachiōji, Tokyo-03

photo by Takeshi Kainuma

(ええ、、荒涼とした、世界、風景・・・と言いますが、寂しげな光景・・・とも、映るのでしょう。が、よくよく感じ、視てもらえば、そこに在るのは、ひとつの、状況なんだね。「現場」って呼べばいいのかしら、場が現れている、・・・ここで、僕たちは、ひどく甘やかされたカラダとかココロと言われている「モノ」、装飾された、中身のないパッケージを・・・ハクダツされてしまうんだねえ・・・。
ヒトは、よく誤読するね、目をくらまされる、真実の、僕らの肉体、その存在の真ん中に位置する、イノチの切ないほどの温もり、ひどく懐かしい生暖かさ、尊さ、有り難いね、気高さというものを、こういった極限の場所、風景の極北にて、はじめて、ああ・・・強烈に実感する、視えて来るんじゃないのかな。困ったことにヒトという生き物は、そんな風にしか出来てないんだね。ゴージャスな、どこにも困窮のない生活、文明の輝かしい5LDKの暮らしの内で、もし、イノチの真実の官能性を味わおうと目論んでも、そりゃ無理だね。フワフワした人工色の飴玉の快楽って? うーん、気分転換にはいいかも。でも、やがてヒトは死を迎える、寿命というサークルの内でフッと消えざる負えないなら、持ってゆける「モノ」など何ひとつ無いなら、ほら、愛を語りだすならこのむき出しの場所で・・・。)