2008/10/31

NADiff modern(ナディッフ モダン)へ御越しください。

渋谷東急BunkamuraB1 『NADiff modern・ナディッフ モダン』にて
床絵美・千葉伸彦・リウカカント・海沼武史のCDがズラリと並ぶことになりました。
明日から、約一ヶ月間、各CDがそこで試聴できるようになっております。
お近くまで御越しの際には、ぜひお立ち寄りくだされ。(期間限定だよ~ん)





『NADiff modern・ナディッフ モダン』
〒150-8507 東京都渋谷区道玄坂2-24-1 東急BunkamuraB1 
TEL. 03-3477-9134
OPEN 10:00 - 21:00 / 無休
アクセス:JR山手線「渋谷駅」ハチ公口より、徒歩7分

2008/10/29

映画『金糸雀(かなりや)は唄を忘れた』予告編

伊参スタジオ映画祭シナリオ大賞2007
短編の部・大賞受賞作品『金糸雀は唄を忘れた』 監督・脚本:赤羽健太郎
 -2008年11月22日(土)~23日(日)初公開-

床絵美 - 出演+唄
海沼武史 - 音楽


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映画『金糸雀(かなりや)は唄を忘れた』、この予告編だけでは、なかなか作品の「あらすじ」というものが見えてきませんが、監督は「あらすじ」を極力見えづらくしたかったのか、抽象度の高い「編集」をあえて選択したのか?この映画の物語、あらすじが明確にされても、それによりこの映像作品の価値が損なわれることはないだろうと、僕は勝手に独断し、監督の思惑は無視し、映画『金糸雀は唄を忘れた』のストーリーとは、唄を失った男女の「同行二人」、その旅の姿を描いたものです。二人の、自殺志願者の物語りです。しかし、監督が、こういった、ある種暗いテーマを選んだ由は、たぶん、いま、生きているという事、現代という、この世の中で生きるという事は一体どういうことなのか?という「問い」の深度にあり、ですから、この映画は決して「暗い」映画ではなく、「切実」な映画、ということになります。

映画『金糸雀は唄を忘れた』は、それを観るだろう人々に、「唄」を忘れたカナリアは死を選ぶしかないのか?と、問うわけです。
しかし、この「存在論的な問い」に答えられる人は居ないでしょう。
なぜなら、この「問い」への「答え」とは、いま、眼前に映る数多の人間、その誰か一人の「裸の生」によって、たえず示されてゆくものだからです。

新人監督・赤羽健太郎とは、ただ「誠実」であろうとしただけなのです。

2008/10/20

無防備な心の眺望 / Itasankata by Fukiko Goukon


先日、「第1回国際口琴フェスティバルin東京」出演のため、北海道釧路市阿寒湖アイヌコタンからお母様とお二人で上京していた郷右近富貴子さんのレコーデイングを、ここ裏高尾の「high tail studio」にて、お二人のタイトなスケジュールを調整していただき、ややチカラずくで敢行させてもらいました。
郷右近富貴子さんの唄声は、一度、阿寒湖にお邪魔した際に聴いており、もし機会あればレコーデイングしてみたいなと、うっすら考えていたわけです。

僕にとってレコーデイング、誰かをプロデユースするとは、写真の仕事、「撮影行為」に近いものがあります。決して片手間では出来ないことですし、一切、手は抜きませんが、一人でモノを作っているほうが気楽だなあと感じてしまうこと多々…ですね。アイヌの唄い手は、僕ら日本人とは違った感覚、自らの民族の唄について強烈な倫理感を内に秘めているので、まず、この心境について、十分に理解しておく必要があります。いや、理解しようとする息吹のようなものを持とうと絶えず心がけなかれば、そう安々とレコーデイングはさせてもらえないのです。

たぶん、僕が床絵美さんや、そのお母様である床みどりさん、郷右近富貴子さんの唄声を録音する事について、違和感を覚える方がいるかもしれない。「アイヌかぶれ」という、安易な了解で済ませてしまう方も……。僕がアイヌの唄にかかわっている理由を、単なる政治的、または「社会的・歴史的」意識の延長と想像する方もいるかもしれません。

かつて、わが国の政府によって「土人」と認定されたアイヌ民族が、じつは日本という島国の「先住民」であった、とか、こういった社会的・政治的議論、史実について、僕は(幾つかの理由により)まったく距離を置いています。また、このような「視点」につきものの「運動」に参加するような事も、まずないでしょう。これは僕が社会的な問題、または政治的な問題について無感覚、軽視しているということではなく、政治的または人種的な問題といって良いかも知れませんが、深くかかわりすぎれば、実際、モノがみえなくなる、「人間」が見えなくなるという、僕個人の体験的認識からよるものです。
(ああ、詰まらない、意味の無いことを書いてしまった。)



郷右近 富貴子:ボーカル   Fukiko Goukon : vocal

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ここに唄が在る。
ここに、無防備な意識が、心の光景が在る。
唄い手である彼女は、まるでその眼前に距離を喪失した暗闇が無限にひろがる断崖にて唄っているようでもある。
アニメ映画『ゲド戦記』の主題歌「テルーの唄」を唄った手嶌葵より非情な場所に、どうやら彼女は立っている。
心を支えるものを一切失った状態で、「唄だけ」が、「唄う事だけ」がその存在を支えているかのようである。

現代曲、現代の歌というものは、そのほとんどが「演技」でありましょう。
たとえば、絶品の歌唱力・表現力をもっていた美空ひばりの歌は演技であり、その楽曲はいわば一級の「工芸品」にすぎません。未知の領域を予感させるものなど一切含まれておりません。つまり「芸術」の領域まで及んでいなかったからです。
もちろん、歌とは、現代においては娯楽、慰めや感情移入のためのツールのひとつであり、そこに「芸術」云々を語るのはやや大袈裟すぎますが、アイヌの唄は、僕に限りなく「唄の原点」もしくは「唄の始原性」というものを想起させてくれます。そしてこの想起によって、僕がなにを得、なにを観たのかと言えば、この文明が矢継ぎ早に僕たちの五感を誘惑し、方向付けをし、見えなくさせていった「なにか」、数多の気晴らしの渦の中で見失ってしまった「someting great」です。そしてこれこそがアートの「真髄」であり、存在の謎に迫るための最後のチケットである、と。

かつてのアイヌの生活様式はうつくしい。そして、今なおアイヌの唄はすばらしい。それで日本の伝統芸能、日本の美学もすばらしい。そういうことです。

2008/10/15

カピウ ウポポ / Kapiw Upopo

こども、何人いるの?
二人、いるよ
どうやってあなた、食べさせるの?
私、盗んでも食べさせるよ
どうやって、あなた着せるの?
私、盗んでも着せるよ

How many children do you have?
I have two.
How do you feed them?
I feed them even by stealing.
How do you dress them?
I dress them even by stealing.


here・こちら

2008/10/05

シルヴィ・ギエム+土方 巽の友枝喜久夫ブレンド / moderndance

photo by Takeshi Kainuma

一昨日、日本橋劇場までカミさんと一緒に「第29回選抜新人舞踊公演」を見に行ってきました。
もちろん、僕が1990年に作った楽曲「the end park」を伊東由里というダンサーがどのような解釈をし、また振り付けをするのか、これを見るのが目的でありました。
でなければ、僕は振付家ではありませんので、わざわざ遠方まで“新人の舞台”を見に行かない。

その後、やや僕の内側でダンス熱が再燃し、再燃したところで、また「踊ろう」とは思いませんが、しばし考える事あり、インターネット上で記憶の再確認作業をしていたら、なんだかダンスについての啓蒙精神がふっと目覚め、とりあえず乱文覚悟で、この熱が覚めやらぬうちにすこし書いておきます。

単刀直入に結論だけ述べれば、21世紀のダンスとは、シルヴィ・ギエム(Sylvie Guillem, 1965年2月25日 - )と土方巽(1928年3月9日 - 1986年1月21日)の一見大きく異なる2つのスタイルの高次ブレンド、それを能役者・友枝喜久夫 ブレンドと呼ぶことが出来ますが、そこら辺にしか無いように、若手の創作モダンダンスに久方ぶりに触れ、そう観じたのでした。

シルヴィ・ギエム、そして土方 巽は「天才」であり、まして友枝喜久夫翁に至っては「あの世とこの世を往来しながら」舞台上に見事な異次元空間を拓かせる才を掴み取った稀有の踊り手でしたから、僕がやんちゃに21世紀のダンサーの目指すべき場所は「シルヴィ・ギエム+土方巽の友枝ブレンド」なんて、「おいおい、中尾彬かっ!」って話ですよね。

まずシルヴィ・ギエムのダンスビデオを ここ で見てください。
そして、伝説の舞踏家・土方巽のビデオは ここ で見ることが出来ます。

たとえば、コンテンポラリーダンス、つまりモダンダンスや舞踏は難解であるという声をよく聞きますが、これは、観る側が「言葉によって意味を構築、解釈しようとする」からであります。
そもそもダンス、身体表現とは、言葉にならぬ「なにか」を身振りや手振りを交えて伝達しようとする行為、またはその延長にあるものに過ぎません。

書き文字を持とうとしなかった民族の踊りが非常にシンプルなもので、時として文明にやられた僕らの眼から見て、いわゆる「鑑賞」には堪えませんが、人間が書き言葉というもの手にし、編み出した後の文明、そこから生まれたダンス表現とは、「踊りたい」という僕らが本来的に有している原始本能はとうぜん変質を被りますし、またそのパッションは微妙に個別化され、意味の網目(一種の文明病)はより複雑なものに成ってゆきます。ですから、実際、ある舞踊作品を「理解」していると自覚(錯覚)しているのはその作品の振付家、もしくは演出家のみで、別に現代の舞踊、舞踏というものを、僕らが「理で解する」必要はまったく無いわけです。

ダンス表現が「難解」なのではなく、たぶん僕らが太古の時代に有していた共通の「条件」、広義な意味での共有しうる「法・根幹」というものを喪失し、人類が、そのほとんどが集合意識から個人意識へとシフトし、「孤独」という共有不能なそれぞれの個人的感情を、あの星空の元へ今なお昇華しえないがゆえの「離脱感」、それが一般の方々が感じられる「難解」という感想の因なのではないでしょうか。

伊東由里さんの「the end park」、彼女が付けたタイトルは「そして骸になりて」という、やや観念的なタイトルでしたが、人間が抱えてしまった「意味」の複雑な網目の裂け目からふっと垣間見えるあの「ヒカリ」にそっと手を伸ばそうとする、、、、人間的苦悩の限界を知る、その罠を本能的に知悉する者の身体表現でした。


p.s.苦悩と戯れる事を選び続けているある種誠実でもっとも優秀なダンサー+振付家ウィリアム・フォーサイスとピナ・バウシュのビデオは、こちら と こちら。よろしければ参考までにご覧下され。

2008/10/02

21世紀のワイルド・サイドとは?/ Walk On the Wild Side

昨日に引き続き Lou Reedネタですが、彼の1970年代の曲に「ワイルド・サイドを歩け」という洒落た作品があります。
ワイルド・サイド・・・? あの、歌舞伎町を歩けって事ではないですから。

ロックロック、ポップポップ、ラップラップ・・・って、実際は、ロックミュージックとはすでに1970年代に、すさまじい“高み”まで到達してしまったわけです。

パンク音楽(?)で一斉風靡したピストルズのジョニー・ライドンが、確か1980年後半(定かでない)、「ロックは死んだ」と嘯いていましたが、事の真相は、ロックまたはジャズは1970年代を霊的に駆け抜け、その使命を果たすことなく、つまりロックやフリージャズにそもそも始めから内在していた「あるもの」、その本来の理念を物象化することなく、世界をおごそかに変えることも無く、ただただ深い眠りに就いただけです。

ルー・リードの70年代の名曲「Take A Walk On The Wild Side」


そしてこちらは、したたかに生き延びたオトナなルー・リードの「ワイルド・サイドを歩け」。
さらにこちらは、オペラ歌手のパバロッテイと饗宴した際の「Perfect Day」という曲ですが、やや緊張のルー・リードと、いかにリハが不十分であるかが分ります。
それでこれは必見!各界の一流ミュージシャン、シンガー達が、ルーの「Perfect Day」を歌っています。特に、U2のボノが良かですたい。

ぜし、見ませう。

そして、21世紀のワイルド・サイドを各自、歩きませんか?

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 p.s.アイヌの唄に内在している「あるもの」・・・。
    いつ、その「眠り」から目覚めるのだろう?

2008/10/01

ルー・リードに花を ・・・。/ Lou Reed's Berlin


昨夜、ちょろっとネットサーフィンしていたら、思わぬ人がある「映画」に出演していることを知り、懐かしさのあまり、すこし書きます。
その人とは、ロックミュージシャンのルー・リード(Lou Reed)

2007年度のカンヌ映画祭で監督賞をとった「潜水服は蝶の夢を見る」の監督(元画家)ジュリアン・シュナーベルの新作「Lou Reed's Berlin 」というドキュメンタリー映画に堂々出演していたのです。

監督であるジュリアン・シュナーベルについては、彼が監督業にシフトする前の職業、まあるい白地のお皿の破片をどでかいキャンバスにべたべたくっつけた作品、当時はジャン=ミシェル・バスキアと共にソーホーのギャラリー街を絵描きのふりして大見得切っていた頃の印象しか無く、またそれゆえ、彼が絵描きから映画監督に転業した事実も、「身からさびが出る前の保身術」ていど、まったく興味がもてず、「相変わらずいいかげんなヤローだな」と、まだ1本も彼の映画を見ていないというのが実情でありますが、が、彼が、あ、、あの、ルー・リードを・・・おもろー。

ルー・リードの音楽に心酔していたのはもう随分遠い話、高校生の頃だから今から26、いや28,9年前の事となります。当時の僕のヒーローはドアーズのジム・モリソンであり、ルー・リードであり、ジミ・ヘンドリックス・・・。
そして今にしてふと想うーーー。かれらに共通していたことは何だったのだろうか?と。
それはたぶん、ただひとつーーー。
皆、なにかを、狂おしいまで、信じていたという事です。

僕はすでにかれらの音楽を必要としていませんが、年若い頃に、かれらの音楽と出会えたことは、もう「決定的」だったような気が今さらながらにするのです。

p.s.ルー・リードの超イキでニューヨークなweb、興味のある方はこちらまで。


photo by Takeshi Kainuma