2010/04/26

蜂須賀公之 / Masayuki Hachisuka



2010年4月19日(月)---。
盟友・蜂須賀公之が、突如わが家にやって来て、料理を作りはじめた。
命の料理、その手の平から溢れ、零れだす、数々の品々・・・。

食材は、彼が見惚れた何種類かの野草、そしてキノコ。北海道の友人から戴いたという貴重な鹿の肉、something・・・。
はじめから、僕とカミさんへ本物の料理をご馳走するつもりだったんだろう。

この動画は、その時なぜかシャンシャンと手持ちのPowerShot G10で撮影し、のちに編集したもの。
彼が作り出す料理の味を、その深い、向こう側の味を、感じてもらえるだろうか? 

一番伝えたい事、彼について伝えたい事は、なかなか言葉にはならない。だから、動画を撮ったのだろう。

蜂須賀公之という本等の人間について、無防備に〈ELEGANT=至上のやさしさ〉を体現してしまうこの男について、「本当のナチュラルとは、芸術だよ」と、さりげなく囁く彼の料理について・・・、言葉は、その言葉がさし示す「そのもの」には永遠に成れない。
ただ、僕はこんな人間の傍で、皆さんも立っている此処、この場所で、同じ地平上と時間軸に生きて在ることが、これほどまで有り難く感じられたトキは無い。

2010/04/12

「リウカカント」レヴュー / the review to Riwkakant

photo by Takeshi Kainuma


『新・新・新 岩田先生の日記』より

February 14, 2010 [Riwkakantというユニット、いいなあ。]

もう十数年も前に北海道を旅した時、阿寒湖にあるアイヌ・コタンと、平取町二風谷に立ち寄った。阿寒湖は、かの坂田明さんもゲスト参加していた「舞踊団MOSHIRI」の拠点であったし、二風谷は、「アイヌの碑」の萱野茂さんのゆかりの地であり、そのクーキを吸いたかったのだ。当時、喜納昌吉&チャンプルーズの一熱烈支持者であった僕は、喜納さんが起こした「ニライカナイ祭り」への感心もあって、先住民について理解を深めんとしていた時期でもあったのだ。80年代~90年代に、国連が先住民に関して動き出すようになり、今、何らかの変化が起こりつつあるのかどうかを知りたいという思いもあった。(その後、「先住民の権利に関する国際連合宣言」が2007年9月13日に採択されたということだ。2008年には「Tokyoアイヌ」という映画も上映されたらしい。「プロモ」でしか、知らないけれど。)

文学と音楽が自分が生きるための軸にあるので、沖縄やアイヌに関わる音楽は、多少なりとも追いかけている。伝統の掘り起こしだけでなく、新手のOKIさんも好きだ。最近のDUBを取り入れた彼のスタイルも、「ああ、こういうやり方もあるのか」と表現方法に驚くだけでなく、楽曲自体も気に入っている。
しかし、このところ、頭の中に繰り返し鳴っているのが、Riwkakantというユニットの「Gift」という曲(床絵美さんの歌声の魅力を海沼武史さんが引き出しているらしい。)である。アンビエントというか、ミニマム・ミュージックというか、そのコアに伝統を内在させながらも、「新しい世界」を構築している。
正直なところ、モシリは「心静か」だが、いかにも寒いと思った。「酒造りの歌」をはじめ、大好きな詞曲も多いが、「毎日は聞きづらい」と感じた。OKIさんは、北と南のリズムの融合を試み、新しい地平を開いていて、その「胎動」に賛同するが、大きなうねりが持ち上がる前の「過渡期」であるように感じる。
して、Riwkakantというユニット。何ら「無理」を感じない。毎日聞ける。「聞くもよし。聞かぬもよし。」のアンビエントとして、しっかりと成立しているように思う。新しい可能性を感じる。

「音楽を寄せ付けない鬱状態の自分」が言うのだから、確かなことだと思う。
一音楽好きとして、しばらくは、目が(耳が)離せないな、と感じた次第。

2010/04/02

雅楽山禮図 / GarakuSanraiZu

芦雁図(左隻)・宮本武蔵(永青文庫蔵)

老子の言葉に「虚其心 實其腹 弱其志 強其骨(そのこころを虚しくし、その腹を満たし、その志を弱くし、その骨を強くす。)」というのがあります。ですが、写真家の態度としては、「虚其心 忘其腹 弱其志 忘其骨」ではないかなと、不遜にも、僕はこう思ってしまう訳です。

江戸初期の剣豪、宮本武蔵はその著書の中で、兵法の目付について、「眼の付け様は大きに広く付くるなり、観見の二つあり、観の目つよく、見の目よわく、遠き所を近く見、近き所を遠く見ること」と、このような言葉を遺しておりますが、言葉だけなら誰でも立派な事を言える、超常的な事についても語れる訳で、が、彼自身が本当にそのような目付、“まなざし”を会得したのかその真偽は、武蔵が晩年に描いた書画、「芦雁図」を鑑賞すれば直ちに看破する事ができます。正に、と。
ただ、彼の云う目付とは、洋の東西を問わずに、視覚のスペシャリスト、つまり優れた画家たちにとっては至極もっともな、当たり前の“まなざし”であり、さらに職を問わずとも、たとえば、野球選手のイチロー選手も会得している処のまなざしでもあります。ですから、この武蔵の云う目付とは、僕たち人間にとって、あらゆる営み、多分にここ一番と云うのっぴきならぬシーンにおいて特に、最も効果の期待できる、ひとつの静謐な“態度”の謂いなのです
現代は、単純すぎるくらい、〈見〉の時代ですから、〈見〉に応える、人々の〈見〉を満たそうとする表現ばかりが巷に氾濫しております。故に、武蔵のこの見の目・観の目については、様々なジャンルの職業に就く方々から再注目され、度々引用されているようです。が、残念なことに、“視覚の要職”に住まう現代美術、現代写真の内側において、この“目付”についてまったく論議されていない現状はやや奇妙な感じが致します。

昨日、先日お伝えした『ふじだな』での写真展のための搬入を無事済ますことができました。と言っても、飾り付けをしたのは額装デレクターの中村明博であります。僕は仕事の都合で遅くなり、自身の展覧会でありながら、まったく手伝うことが…いや、はじめから、中村明博という人間にすべてを委ねるつもりでいました。
本来、美の現場に入りますと、あらゆるシーン、その細部にいたるまで、自身の美意識を通底させようと、強烈なエゴを発動する僕が、彼、中村明博の、それこそ“観の目”と遭遇し、討たれ、ただ写真を撮るだけに……。
今展は「雅」をキイワードに、中村明博の額装から起こる“雅”、と、僕の写真から現れる“雅”、このふたつの「雅(=幽玄)」が不思議なハーモニーを空間へとひらきます。



蓮池水禽図・俵屋宗達(京都国立博物館)