2010/12/20

LE NOISE / DANIEL LANOIS


Neil Young - Walk With Me

昨日、高尾駅南口の京王ストアの2階にある本屋さんにて、久方ぶりに“サンレコ”こと「Sound & Recording」を読み、ちょっと元気にさせてくれるインタビュー記事あり、即購入。と言うのも、現在、僕は先日お知らせしました6枚のCDのリマスター作業をしてまして、気分はほぼエンジニアなんでございます。
「なぜ、リマスターを?」と問われたら、理由はいくつかございますが、まず、1ヶ月ほど前、新しいDAWソフトを入手し、その機能はどんなものであるか、と。

今回アップさせていただいたこの動画は、二ール・ヤングの新譜『 LE NOISE(ル・ノイズ)』、その1曲目の「Walk With Me」という作品のビデオクリップですが、アルバムのプロデュースであるダニエル・ラノワという人、今月の「サンレコ」のトップインタビューは彼、僕は以前より彼の録音、ミックスダウンに対する考え方に共感しておりましたので、一般的にはあまり目立つことの無いないエンジニア、プロデュースというお仕事、地味で寡黙なその作業のあらましについて、その“聴感”、それぞれの個性の色合い、こだわり等について、すこし注目していただく機会になればなあー、と。
ダニエル・ラノワと言われても知らない方は多いかと思いますが、実は彼、これまでにU2やボブ・ディラン、ピーター・ガブリエルなどを手掛け、過去に7回グラミー賞を獲得した人らしいです。

僕は今年、堀内幹のソロCDのお手伝いをさせてもらったのですが、それ以来、僕の内で、エンジニアという業務およびプロデュース、というより音楽ディレクションなんですが・・・ドカーン! どうも開眼してしまったようなんです。


p.s 上記の音源、たぶん基本1発録り。愉しげなノイズがちょこちょ入ってます。あとでカットするという余計なことをしてませんが、ラノワ、さりげなくいじってます。ディレイかけたり膨らましたり・・・とか。DUBは良いけどオーバーダブは無し、だそうです。

でも、ラノワの音響学は素敵ですね。汚しても汚れてもそのサウンドはほんと“エレガント”です。

2010/12/16

待望の豪華DVDプレゼント! / Ainu music video plus one



先日お伝えしましたように、純粋な「Ainu music video」集は、幻と化してしまいましたが、装いあらた、「Ainu music video plus one」というDVD映像作品集を、下記のCD6枚の中から3枚以上お買い上げの方、先着100名様にプレゼントいたします。

「床絵美 / ウポポ」 ¥1.800(税込)
「千葉伸彦 / トンコリ」 ¥2.000(税込)
「床絵美+千葉伸彦 / ハンター」 ¥1.800(税込)
「リウカカント / リウカカント」 ¥2.000(税込)
「リウカカント / ダブルファンタジー」 ¥2.000(税込)
「the Pianoscaoe across ... / 海沼武史」 ¥2.000(税込)

既に、これらCDをお求めになったという方々も、大切な人への贈りもとして、再度ご購入してくだされば光栄であります。

詳細はこちら

そしてオーダーは riwkakant@yahoo.co.jp まで。


2010/12/14

on 海沼武史 radio / FM Taman in 沖縄


それは先月のこと---。
以前にもここにアップしましたが、沖縄は糸満市のFM局「FMたまん」にてDJの仕事をしていらっしゃる戸恒慎司氏より電話あり。
「明日なんですけど、また電話インタビュー出演してもらえませんか?」
僕はその時、すぐさま堀内幹と床絵美、千葉伸彦のことを思い浮かべたのですが、「ちょっと返事は一時間後でも良い?」と、なんとなし「どう思う?」とカミさんに相談。
すると「あなたも一応音楽家なのだから、他人ばかり紹介せんで、自分の音楽を紹介しないでどうする」と言われ、「・・・それもそうだな」と。
確かに、僕もいちおうはミュージシャンであります。そしてそのキャリアは「写真」より長いときてる。

では、そのあらましです。

2010/12/12

アイヌ民族とは? / AINU NEW WAVE


「問う」とは、何だろう?

若い頃は、「答え」を手に入れようと、忙しなく、遠くを旅したり、色々な試みや実験を自分に課しては、その途中途上にて、多くの葛藤や不和、軋轢などを起こしてしまい、またこれも過ぎ、それでも、一歩一歩「答え」に近づいているという思いだけは捨て切れずにいました。でもね、ある時、様々な直感的行為、態度の持続によって身につけた視界の広がり・・・そのフィールドで、「答え」なんぞはそもそも必要ないことに気付くんだね。いや、在ってはいけない、というか・・・。
たぶん、僕が求めていたものは、己を安心させてくれる、もしくは戦慄させてくれる「答え」などではなく、方法論でも、「教え」でも、イデオロギーでもなく、この視界の「広がり」そのものだったのかも知れないなと、今夜、熱に浮かされた、思考停止ぎみのオヤジは相変わらず適当な感じで、ふと思うのでした。

求めて見つかるものなど、手に入るものなぞ、たぶん、高が知れているよね。その瞬間は、満足するのかも知れないけど、多分すぐ飽きるのよね。

問い続けることによって、得るだろう、得てしまうだろう無数の謎、謎は、どんどん深まって往く、否、「広がり」は彼方へと通じる門前まで、深まってゆく(?)。早朝の、霧の立ちこめる森の隅にポツンと置かれた芥子色のベンチ、遮るモノたちをまるで楽しむかのように自在に舞うヒカリの粒子たち、無限の、数えきれない、抱えきれぬほどの「謎」に包まれて、暮らす。

この世は、楽園であり、煉獄である。そして奇跡であり、幻なんだなあ〜と。。。

2010/12/08

歌はスタイルじゃないんだね / ADELE


ADELE - 'Rolling In The Deep' (Studio Footage) 


・・・歌は、“スタイル”じゃないんだね。

・・・ジャニス・ジョプリンの再来? 

・・・サウンド、アレンジ等が、もろ60年代のつくり。

イメージ系、捏造型ミュージシャンまたはシンガーが横行する時代には・・・。未来を予感させる力は無いけれど、「音楽とは?唄とは?」という、根源的な問いかけに迫る種類の「作品」ではないけれど、久方ぶりに、言葉やスタイルで逃げようとしない、飾らない、誤魔化さない骨のある歌い手だと感じ、ご紹介させていただきました。

これ、スタジオ録音物だけれど、この曲「Rolling In The Deep」を、彼女の“ライブ”ではない、“真実”はないと、誰が言えるの? 真実って何よ?
ちなみに僕は彼女の生演奏を聴きたい、見てみたいとは思わない。なぜなら、すでにこの作品の内に凝縮した形で、“ライブ”・・・それは在るからね。

2010/11/30

あたたかな死


この歳になれば、自身の死について、ふと思うことはある。
今夜、夕食前に、そんなイメージがわき起こった。
目頭が熱くなったのはなぜだろう?
死は、誰にでもやって来る、とても静かで、平和な出来事のはずなのに・・・。
僕は思った。
「そうだな、死に場所は、・・・できれば外がいいな。」
明るい初夏の昼下がり、新宿の代々木公園のような、グリーンの絨毯がまばらに広がる場所が良いね。地べた座り、寄りかかるには丁度素敵なぐらいの樹の元で。
僕はそこに凭れかかり、静かに息を引き取れたらサイコーだね。
愛するカミさんが傍に居なくてもいい。僕は誰にも見取られたくないのだ。
甘い、そよ風を感じながら、無邪気にはしゃぐ小鳥たちの意味のない生の、天から降下する響きを受けて、もう最後の呼吸を楽しんでさ、、、、向こう側が見える、遠くが見える所がイイね。
僕はただ、ただ独り、消えるように、静かに深い眠りに就く。

2010/11/22

伊東由里の挑戦 / Yuri Ito

drawing : Akira Ito 伊東晃


昨年の十一月、舞踊家・伊東由里さんから「第30回選抜新人舞踊公演にて新人賞を受賞しました」というメールをいただき、僕は「当然といえば当然だと思いますよ。ようやくあなたのダンス表現の真摯さが“届いた”っ感じかな」などという、ほんとエラソーですね、僕の言葉はいつも・・・。でも、正直、彼女のソロダンスは一度しか見ていませんが、彼女の踊り、そのパッションの質が、僕には非常に心地よかったし、他の若手ダンサーの表現と比べ、現代の表現者が陥りがちな、自己愛から来る自虐性への“耽溺”がすぱっと切れていて、硬質で、純度の高い魂、可能性を予感していましたからね、伊東由里さんへの言葉に嘘はなかった。

そして今年の七月の終わり、なにを思いついたのか、一度しか面識のない、携帯の番号も知らぬ、ましてメル友でもない伊東由里さんへ、突如「PVでも撮りませんか?」とメールを出していた。

そのPVのあらましは、このブログにもアップしましたので、皆さんはもうご覧になっているかと思いますが、つい三日前の十一月二十日(土)、彼女は「第25回神奈川県芸術舞踊祭ヨコハマ・コンペティション・モダンシニア部門」で、作品『JIKUU ー時空- 』により、第一位最優秀賞、並びに横浜市長賞をいただいたそうな。

確実に進んでいるなあ。
でもね、ちょっとグサッと来ること、言いたい事はちょっぴりあるんですがね、今回は書かずにいまーす。なぜなら、彼女は、僕があえて書かずにいる事を、すでにキャッチしてますから、たぶん。


p.s.
上記のドローイングは、由里さんの弟・伊東晃さんが描いた「舞踊家・伊東由里」です。ゆたかな才能を感じさせてくれる確かな絵ですね。

2010/11/21

宇多田ヒカル讃 / Hikaru Utada


宇多田ヒカル - Goodbye Happiness

これまで、このブログと辛抱強く付き合ってくださった皆さんからすれば、今回の動画チョイスはやや意外に感じるかもしれませんが、何を隠そう、僕は宇多田ヒカルという音楽家をそのデビュー当時から注目していたのでした。

宇多田ヒカルさん、ボーカリストとしてはさほど恵まれた喉、歌唱力は与えられませんでしたけれど、「音楽家」として、トータルにその存在の有り様に接近してみれば、その歩みを追いかけてみれば、ほんとすごい才能の持ち主であることを感覚することができます。

たとえば、Perfumeなどはね、そもそも多くの広告系プロフェッショナルによって加工され、吟味、捏造されたイメージの集合体、商品に過ぎませんから、僕はマジに聴こうとは思わないし、なんらこちら側を啓発するものが無いので興味のわき様もありませんが、宇多田ヒカルさんのこれまでの音楽家としての歩み、その実験精神は、なんだろう、とにかく「粋」なんだよなあ。美しいんだ。もちろん全米デビューにおけるあの日和見主義はちょっと、「またかあ」って気がしましたけど、あれはたぶん周りにいたスタッフ、デレクターのアドバイスの欠如ですね。

ポップスであるとか、アバンギャルドだとか、土着派?都会派?現代音楽、少数民族音楽、コンピューターミュージック等々と、僕は音楽の周りに付与された「イメージ」、ご都合主義的なジャンル区分ではその輝きの、響きの総体の内側に入り込み、耳を澄ましたりはしませんので、聴かないので、ちょっとマニアックな音楽を聴いて知ったかぶり、通を気取っている方々には、ぜひ一度、宇多田ヒカルさんの真摯さと対面、マジに触れていただく機会になればと、すこしご紹介させていただきました。

謙虚になりますよ。あるジャンル、職業におけるプロフェッショナルとは、その姿とは、立ち位置とは、マナザシとは、一体どうあるべきなのか、どういうことなのか、彼女は、慎ましくも、そっと教えてくれるのです。

『人間活動』宣言? 
僕ら極貧系の表現者からすれば、ずいぶん暢気な事が言える身分だなあ、羨ましい境遇だなウンウンですが、宇多田ヒカルはその与えられた能力を十二分に、それも短期間で、「売れっ子」であるという凄まじいプレッシャーの内、なんら動じる事なく、淡々と、矢継ぎ早に「CD」というカタチに注ぎ込んで来た人間だから、そのケツノマクリ型も潔い事潔い事、お見事です、ボーダレスチルドレンさん!

2010/11/10

プリュスアートフェア / Tokyo Contemporary Art Fair


この度「+Plus Tokyo Contemporary Art Fair」に出展することになりました。
エモン・フォトギャラリーから、飛田英夫、尾仲浩二、海沼武史の3名が作品を展示致します。
作品集の販売も行うそうです。皆様ぜひ足をお運びください。

プリュス トウキョウコンテンポラリーアートフェア
2010年11月19日(金)-11月21日(日)
東美アートフォーラム(東京美術倶楽部)
*詳細はこちら

2010/10/19

“Love”って何さ / LOVE ?


“Love”って何さ

ラヴラヴ・・・って軽々しく
言葉にしなきゃおさまらないほど
僕らは冷たく 此処は
凍えそうなのか

季節はめぐる
まるで何事もなかったかのように・・・


“Love”って何さま

「愛してるよ」なんて
よくもまあ言葉にできるものだね
アイも 恨み辛みもない
何も無い だから全てがひらく
眠っている
きみも僕もいない


その美しさに
ただ討たれていること

2010/10/17

アントナン・アルトーの受難劇 / Antonin Artaud




アントナン・アルトーの受難劇 (Aug/28/04)

----ネガテイブな亡霊ごっそり背につけアルトーさん
底で何してんの?

「・・・私は彼女を抱く。彼女に口づけをする。ある最後の圧力が、私を引き止め、凝結させる。私の腿の間で、教会が私を止め、嘆くのを感ずる。
(中略)・・・いや、いや、私はこの最後の壁を押し開く。かつて私のsexを監視していた、アッシジの聖フランチェスコは今や離れ去る。聖ビルイッタが私の歯を開く。聖アウグスチヌスが、私の帯を解く。シエナの聖カタリナが、神を寝入らせる。」*

エクリチュールのデルタ地帯
照れ隠しの自己劇化
苦痛に酔うケンタウロス
自虐への耽溺は
中世以来の信徒の流行

「・・・一切の文章表現は豚のやるような仕事だ。
曖昧なものから出発して、それが何であろうと、とにかく己の思考の中に生ずるものを明確にしようと試みるような連中は、まさしく豚野朗である。」*

五歳の時 彼は脳膜炎前躯症を患い 九死に一生を得たが 後 神経症の兆候を示すようになり 生涯 身体的苦痛と狂気の極限で生きた 詩人にして前衛演劇の実践者 アントナン・アルトー  晩年は 八年八ヶ月におよぶ入院生活(精神病院のハシゴ) そして千九百四十六年 最後の宿・ロデーズの病院から退院 その二年後 永眠五十二歳。

風の上にありか定めぬ塵の身はゆくへも知らずなりぬべらなり 
(古今和歌集)

狂気とは何か? 
ヒトを無闇に姦淫し 
憎悪に駆られ
ヒトを殺めた経験のない者が
せいぜい公園で無法の雄叫びを上げ
ちょいと小部屋の片隅でアヘン吸い
(ゴッホは、片耳を削いで愛する者へ贈った・・・)
高ぶった神経を弛緩させようと
ほんのりよい気持ちを貪っていただけの男が
時に熱に魘され文章書き
ウンチなんかしませんよ!
なんて顔したマドモアゼルが群がる都心部へ
ショーウインドウを真似た
数多の装飾的な恋愛劇に亀裂を
古代のカミナリを走らせようとした男が
ある日“精神分裂病”というモダンな病名を宣告され
半ば強制的 ほぼ暴力的 
柵で仕切られた白い巨塔に連行され
そこの大親分から狂人初心者マークをペコンと御でこに張られ
狂気とは何か?
そして院内では サドマゾ愛好家もびっくりするような
原始人も腰を抜かすであろう最先端の治療法
電気ショック療法とクスリ漬けの日々
ああ これが本物の<残酷劇>
舞台は客席不在の白を基調とした病室X
これではノーマルな人間も
アブノーマルな人間さえもが
正真正銘の狂人へと変容できる
・・・狂気とは何か?
それはどこにある?
どこにあったのか?

「かつては、魂は実在していなかったし、
精神もまたそうであった、
意識にいたっては、誰もそんなもんについて考えたこともなかった、
それにまた、破壊されるやいなや再び組み立てられる、まったくの戦闘状態にある要素だけでできた世界においては、思考はどこにあっただろうか?」*

『神の裁きと訣別するために』
こんなタイトル(書名)を考えつく者は
たぶん敬虔な裏クリスチャンか
骨の髄までバイブルのお伽噺に洗脳された隠れ信者
ザ・西洋人!以外には考えられまい
(日本のクリスチャンとは憧れちゃんレベル 踏み絵を踏むべきか踏まざるべきか 絵に描かれた偶像神を前にして思い悩むなんて 悪魔が見たら さぞかしぶっ魂消ることだろう)
アルトーさん
貴方の歯軋りは全くのヨーロッパ仕込み
そう考え 離れてみることもできた
文明がこしらえた架空の夜は
神経衰弱者から南国の放神を奪い
機敏な魂たちを磔にかける
『ヴァン・ゴッホ 社会が自殺させた者』
こういったタイトル(書名)を思いつく者は
本来 純朴なる魂の持ち主か
沈黙を愛する 生まれる時と場所を誤った羊飼い・・・

「・・・卑劣な猿どもや、濡れしょぼった犬どもから成る人類を前にすれば、ヴァン・ゴッホの絵は、魂も、精神も、思考もないような時代の、次々と結ばれまた離れる原初的な要素以外の何も無いような時代の絵と思われたことだろう。」*

神経の秤=アルトー
神経の秤に引っ掛かって来るモノやコトなど
実は高が知れている
そこに質量を感じてしまうのは
己がひどく西欧文明に毒され
キンジュウソウモク(自然)から切断されてしまったからだと
そう考えてみることもできた

「・・・人は、無限のために生きることもできるし、無限によってのみ満足することができる。この地上と諸天体には、無数の偉大な天才を満足させられるだけの無限がある。」*

ふりかえる
灼熱の眼は
ひるがえる
黒いマントの裾
水気を含んだ
初老のガラス細工
そよ風が
無限定を
引き寄せた
未明の刻
無数の星々が散りばめられた
深紅の底なし絨毯
硬直したカラダは
惑星メトロノーム
小刻みに震え
意味を剥ぎ取られた
黒い穴のあいた襟首から
二頭の幻獣が
熱に侵された彼の頭上をめがけ
その外部思考まで食いちぎる


*アントナン・アルトー『ヴァン・ゴッホ』粟津則雄訳(ちくま学芸文庫)

2010/10/13

日川キク子 Kikuko Hikawa / 阿寒 AKAN


日川キク子 Kikuko Hikawa : 唄 Vocal


日川キク子さんの第二弾PVのご紹介をさせていただきます。
撮影に協力してくれた様々な方々、阿寒に住む人々の温かな心情に感謝いたします。
そして僭越ながら、この動画はアイヌの若い唄い手の皆さまへ贈らせていただきます。

*film and soundscape by Takeshi Kainuma  海沼武史

2010/10/10

日本の伝統音楽 / Japanese traditional music

今日は、日本の伝統音楽をご紹介します。

この動画は、神奈川県川崎市にある洗足学園音楽大学による「伝統音楽デジタルライブラリー 」から、世界の伝統音楽をハイビジョン映像で収集するという企画のまず第一弾「邦楽」に焦点をあてたものらしいですが、面白いなあとおもい、その一部をアップさせていただきました。
なかなか、邦楽演奏の場に足を運ぶ機会をもてない方のために、いわゆる日本の民族音楽(?)、伝統音楽の魅力をすこしでも感受していただければ、もちろん、僕は洗足学園音楽大学の回し者のではありませんが、ちょっぴりワクワクしてしまいます。(おいしいモノやコトはみんなでシェア)。

彼ら、ぶれる事をまったく知らぬ演奏者のパフォーマンス、奏でる音色の内に人柄が、品位が、その人性の総体が現れてしまいますが、超カッコいい!と思いませんか。
僕がウワーッ!って感じで映像を撮りたいくらいです。たぶん小生が撮影したら、「今」の音楽として、「今」の事として“作品化”してしまうんだけどなあ。そしたらどういうことが起きるのか?
音楽のジャンル分けという横暴が、ご都合主義が仲良く横死し、伝統であるとか、古典音楽であるとか、そんな音楽の入り口に取り付けられた看板、よくある装飾語を消しにかかる、一等重要な問い、人間にとって音楽とはなにか?人間の音楽とはなにか?という“問い”だけをさらり残そうと思っているのですが・・・。

昨日、たまたま菊地成孔のインタビュー記事で、「今の音楽には毒が足らない、もっと毒を盛れなきゃ」みたいな発言を見かけたのですが、なんかとっても古臭いことを言っているなあと感じてしまうのは僕だけでしょうか。
とにかく下記の動画、音楽を聴いてみてください。毒だの悪意だのへったくりだの、そんなこたあ作品、表現にとってはどうでもいい糸くずみたいな与太、ということがすぐさま直覚できるかと思います。


「讃歌」 箏:吉原佐知子



「波頭」 大皷:荒井ふみ子 鼓:西川啓光 


 
琵琶:田原順子 ヴァイオリン:水野佐知香

2010/10/08

on 床絵美 & リウカカント radio / FM in 沖縄


昨日に引き続き、今日は床絵美の電話による「FMたまん」ラジオ番組生出演、その収録音源をお届けいたします。


2010/9/26 pm 5:00-pm 6:00

2010/10/07

on 堀内幹 radio / FM Taman 76.3 M㎐ Okinawa

2010/9/26 am10:00-am11:00


先日、沖縄本島最南端にあるFM局「FMたまん」にて堀内幹のCD『one』が紹介されましたと、このブログでご案内させてもらいましたが、その音源を(カセットテープ!でした)をいただいたので、皆さんに聴いていただきたいと思います。
ただ、その音質が、遠い沖縄からの電波を、ここ東京の裏高尾の山の麓にてなんとか傍受したような、ミステリアス、ちょっと近頃では耳にできないアナログ感が炸裂しております。ので、スイッチ・オ~ン!!
それと、これは急きょお知らせが入ったラジオ生番組だったので、堀内幹をおさえることができず、代わりに僕が出演するはめになってしまいました。
ああ、恥ずかしい。
トーク、めちゃくちゃ下手です。緊張~る、ですた。
阿寒に行く準備をしていた前日に、いきなリーン!だよ。
(ごめん、幹ちゃん、うまく喋れませんでした。)

それで、下記の文章は、『堀内幹 / one 』のCDレビューです。
どうぞ読んでみて下さい。
例えのミュージシャン名がね、ちょっと気に入りませんが・・・違うんじゃないかな。



今月最も個性が際立っていたのが、堀内幹『one』。
基本的にギターの弾き語りなのだが、時にトルコのサズやペルシャのタールのような、あるいは津軽三味線のようにも聴こえたりするギター・ストローク(サワリを付けフレットレスに自分で改造した無間棹なるギターか(?)がとてもパワフルだし、語るように絶叫するヴォーカル・スタイルにもついつい引き込まれてしまう。
日比谷カタンのペイガニズムと三上寛のパッションと因幡修次の縄文性を併せ持ったシンガー・ソングライターってとこか。要注目。

(松山晋也 「CDジャーナル」 2010年10月号から)


96年から東京でライブを始めた堀内幹は、初のスタジオ録音CD『one』(9monote 9MNT001)を発表。
アコースティック・ギターに加え、それを三味線や琵琶のようにサワリ付でフレットレスに改造した楽器の自称”無間棹”でも弾き語る。
リフレインする曲にブルースの流れも感じたが、しっとりした曲も荒ぶる魂がみなぎる曲もスケールが大きく、打楽器みたいに演奏する骨太のヘヴィな音に激しくえぐられる。
町田康が切迫感を増した如きデリケイトな野武士をイメージする歌声も吹きすさび、言葉の意味性以上に瞬間瞬間の鳴りのインパクトが強烈で、鈍く光る音の美しさに息を呑むのだ。
写真家でもある海沼武史のプロデュースも功を奏し、広大な野外でのレコーディングにも聞こえるダイナミックな音作りと、声と弦の響きの一つ一つに意思が脈動する仕上がりも素晴らしい。
二つ折りの紙ジャケット仕様の約46分8曲入り。

(行川和彦 「ミュージック・マガジン」 2010年10月号から)


*余談ですけど、僕の先輩に15年以上お付き合いさせてもらっているアブストラクトのペインターがおります。
ひとりの絵描きとして、僕は先輩の仕事、作品を敬愛し続けておりますが、彼は大の音楽好きでもあり、それこそ60年代70年代の本物のロックを聴き込んできた方です。
僕より一回り近く年上であるその先輩が、先々月、うちに遊びに来てくださったんですが、そのとき、こんなことを仰っていました。

「ブログ、たまにのぞいて見ているよ。それでさ、日川キク子さんってほんとすごい人だね!あと、堀内幹さん。彼はなんだかジミヘンみたいなサウンドを鳴らす人だね。ライブ、見てみたいなあ。」

ジミヘンみたいなサウンド、先輩はあまりくどくど説明しない人なので、ちょっと翻訳させていただくと、・・・堀内幹は、ジミ・ヘンドリックスの音楽から感じられるようなエネルギー、バイブレーションに近いなにかを放射している、という意味です。

2010/10/05

沖縄・久高島の思い出 / accident in Kudaka


僕がはじめて沖縄の地を踏んだのは確か2002年の頃だから、今から8年前の事。以来、沖縄とは無縁だね。
当時、僕はニューヨークで生活していたから、長い時間のフライトの末、アメリカから入国するという、ちょっと厄介な入り方をしました。
なぜ沖縄に向かったかと言えば、その頃、まだ寝起きを供にしていた犬のユタ、このユタという名前は沖縄では“口寄せする者”、つまりシャーマンのことを指すのですが、名付け親であるカミさんが異様にそこらへんの事情に精通していて、「沖縄にね、久高島という小さな島があるんだけれど、そこに行ってみない?」と囁かれ、彼女がプレゼンスする旅行はいつも快適なものだったから、「よし、行こう、行こう!」と。透き通るような海を眺めながらのんびり海水浴、僕が沖縄についてイメージしていたのはその程度のものでした。

久高島に入り、僕らはある中年のカップルと出会いました。
この夫婦は、旦那さんのお母さんがユタより各が上(?)である“ノロ”、そのノロを育てるという役割を担った中心者、中枢であり、息子さんである彼自身も母親の能力を濃厚に受け継いだ雰囲気を発散させ、また現在のパートナーである奥様も口寄せする人という、いわば最強の霊的カップル?、なんて表現は不味いですが、ちょっと辺りの風景をすとーんと静けさの中に落とし込むような摩訶不思議なエネルギーを放つ二人連れに、なぜか出会ったのでした。

「今、私たちは・・・と・・・を融和させるため・・・をしているところですが、もし宜しければ貴方たちもご一緒に同行していただけませんか?」

あまり細かく書きたくないので、ぐいぐい省いてゆきますが、久高島に着いたその夜、僕たちは島で一泊するつもりで、ある民宿を予約していましたが、そのカップルの旦那さんのお母さんが生前住んでいたという家に、「今はもう誰も住んでいませんから」と、「(泊まりなさい)」となり、さらに彼らのひそやかな道行き、儀式へと、同行することに・・・。どのくらいの時間を供に過ごしただろうか、太古の、真っ暗な夜の海を見つめながら、波の音が全身を貫通するという不可思議な体験、訳も分からず、ただただ彼らに付き従い、神秘的な時空間をギフトされ、ちょっと口外できない、公にされていない幾つもの聖地、場所に案内され、いや、連れて往かれ、僕は生まれてこのかたあれほどまで濃密な時間を過ごしたことが無かったな、ひたすらコウベを垂れ続けた日はなかったと、彼らとの道往きで見た無数の光景と霊妙なサウンドは今なお僕の内側を巡り続けています。

霊的な話、神秘的体験、事象について、人によっては煙たがる、拒絶する人も多いので、僕はあまり直接的には、そこら辺の事を話して来なかったけれど、いや、たぶん、こう見えても、小生、極端に他人から理解されなくなることを恐れていたんだね。
でも、この恐れというものが、僕の中で徐々にほどけ、さらに、神秘的な体験、霊的現象等について、ほとんど重きを置かなくなった自分が今ここにあり、なんて言ったら良いのか、気が向けば話せばいい、乗らなきゃ口をつぐめば良し・・・。
“それ”は、在るとも言えるし、無いとも言えるから。

(話変わり)最近、たまたまカミさんが点けていたテレビのニュースで、朝昇龍が引退するシーンを見かけましたが、彼は、その最後に土俵ギワで、まるで大地に口づけするかのように、そこに深々と口を寄せたのです。
祭事や儀式というものは、その場で暮らす民をまとめるために、その風土が生んだ、育てた形、有効に働くひとつの手段でもあり、またそれ以上の、他所のものがとやかく言うものではない“It”を圧縮した必然としての形式なのですが、朝昇龍がただ一人、単独で、土俵ギワに接吻するシーンは、僕の心をひどく討つものがあり、なんだろう、「存在感覚」とでも言うんでしょうか、現在の日本社会ではなかなか見え辛くなった、味わえなくなった、全的に喪失したものとは、この「存在感覚」なんだなあと、朝青龍の所作に触れ、強く感じたのでした。
存在感覚とは、自身の根底を揺るがすような体験、あるシーンとの対峙、出会い、注視、傾聴により引き起こされる知覚、全的感覚の謂いですが、いろいろ問題を無邪気に引き起こし、びくびく見え見栄の建前社会に成り下がった日本の上っ面の形、常識、マナーと呼ばれているものの犠牲者であった朝昇龍が、最期に途方も無い美しさだけを置いて去ってゆく姿は、たぶん、今の日本人には誰も真似できないだろうなと、これは切ない現実認識でありますが、「じゃあどうすの?」って話し・・・、いやいや、人はそれぞれの道を往けば良いのです、僕もミチを往きますから、思いが観念に逃げ込む前に・・・。


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では、今夜の未完成楽曲をーーー。
タイトルは「huna」。funaではないよ、フナ。

以前、このブログでも案内しましたが、10月末まで開催されている「海沼武史x中村明博」展のDMに使用した写真、あれはハワイのカウアイ島で撮影されたものですが、その島での出来事がこの音楽作品のモチーフになっています。

2010/10/04

阿寒滞在記 / theshorttrip


阿寒湖 lake Akan


現在、僕はPCの前で阿寒滞在中に収録した日川キク子さんのビデオ編集を終え、彼女のファミリーへのDVD郵送の手はずも整え、ややほっとしているところです。
日川キク子さんのPV制作、これは、殊更誰かに頼まれたものではなく、今回、録音・録画させていただいた筋を通す、というかささやかなお返しになれば……いや、僕の内で唐突に渦巻くものあり、その声に、衝動に突き動かされただけなのかも知れません。

二泊三日の阿寒アイヌコタン訪問。
地元に住んでいらっしゃる友人たちの暖かな心遣いの元、ゆったり揺られ、甘えさせてもらい、かなりスリリングな愉しい時間を過ごさせてもらいました。

今回の旅の目的は、日川キク子さんへ「ソロCDを作りませんか? そのお手伝いをさせていただけませんか?」という話をするのが主目的でありました。
有り難いことに、キク子さんは快く引き受けてくれました。
が、現実問題、このCDはいつ完成するのか、いや、それ以前に、CD制作のための具体的なプラン、見取り図が見えてこず、今、僕はなにも考えられずにいます。

あるシンガー、もしくはミュージシャンのソロCD作りのお手伝いを一人きりで行うということは、たぶん皆さんには想像できないと思われますが、凄まじいパワーと知力、直観力、配慮等々が要求されます。これは当然、自分のアルバムを作る以上のパワーと、厳しさ、やさしさ、刻々とした作業となります。ただ、他者のフィールドに赴くということは、信じられないほどの光景、非常に不可思議な旅を僕に約束してもくれます。他者の内で煌々と静かに燃え上がる“無限”に触れてしまう瞬間、ちょっとうまい表現が見つかりませんが・・・。でも、正直、「日川キク子」さんについて語らせていただくならば、彼女は七十三歳ですが、今だ一枚もその歌声を収録した音源がこの世に存在しない、纏まった作品集(CD)が無いという驚きが僕の中心にあります。また、他のミュージシャン、もしくは録音技師、音楽プロデューサー、さまざまな方々が彼女の歌声の神秘に触れ、早急に、彼女の数多のウポポ(唄)を録音し、世に問うべきではないのかという気持ちが強くあります。

ところで、僕がアイヌ民族音楽の研究者を好かない理由をすこし書かせていただきます。
彼らは、アイヌの唄を研究対象にし、もしくは「資料」としてこれを扱い、まるで自身の研究成果を披瀝する事を主目的とし、または、第一発見者であることに学問的優越感をおぼる小癪な私欲が見え隠れするからです。
ある個人が、ある巨きなものと出会い、もし感動を覚えたなら、理屈はさておき、これをいち早く世に放とうとするのが人間の本能というものです。故、学者とは、“今、生きて在る”ものを、整理し、噛み砕き、纏め上げ、悉く「伝統」という枠の中に収め、博物館送りにし、アイヌの唄に内在する恐ろしいくらいの可能性、「未来性」に賭けようとはしない。単に過去を懐かしむための作業に終始する方々……。
まあ、でも、研究者も大学も必要なんでしょうね。ただ、その仕事、主旨とか内容はさておき、言語による表現そのものが、うつくしいものであれば。「今」を、リアルに明るみにするものであれば。

日川キク子さんのソロCD、これは僕の不遜な夢に過ぎないのだろうか?
数多の娯楽音楽が量産され続ける節操無き現在のミュージックシーン、意味のない歌声が横行するこの聴覚世界にあって、彼女のソロアルバムを、ただ誰よりも待望しているだけなのかも知れません。

2010/09/25

波長ヲ合ワス / breeze

インディアン居留地(2001)


波長ヲ合ワス (Sep/09/01)

スコシダケ
クタビレタ晩ハ
風ノ唄デモ聴キナガラ
夜ニ
波長ヲ合ワス

アノ
星ヲ隠シタ
ヤミノ内 へ
ヤシシイ ヤミノ家 ヘ

ムダノナイ
空(くう)の
ココヲ放チ
波長ヲ 合ワス
コノ夜ニ
波長ヲ合ワス

脳ミソヤト
胃ブクロマデ
足クビガ反リ返ル
モシ
マゴコロ在ルナラ
滑リ込マセテ居タイ
ソコニ 滑リ込マセテ居タイ

ヒトリデニ浮カビ
ヒトリデニ bye
カラダノコトヲ忘レ
内ヲ外ヘ
外ヲ内へ
ヒックリ返シテ闇雲ニ
ヤサシイ
ヤミノウチへ
アノ
フクヨカナ 初マリノ方へ

産マレル前ノコト
ドーモ
忘レテシマッタ 
ヨーダ
死ンダアトノコト 
モ ナゼカ
忘レテシマッタ

連レテユケルモノナド
何ヒトツナイカラナ
名前モ形モ
ソーダ 気楽ナモノダ

波長ヲ合ワス
コノ夜ニ
波長ヲ合ワス


2010/09/24

ぜつぼうのうた / the Last Resort

ヘンリー・ハドソン公園                                                   John's Run


ぜつぼうのうた (Aug/01/04)

ぜつぼうのうた
ぜつぼうはゆめ
ぜつぼうのくち
ぜつぼうのうち
ぜつぼうをしに
ぜつぼうのはて

絶望とは
よくいるモダン
足踏み外さぬ
ドウショクブツには無縁の贅沢
コトバ食べて生きる僕らのドストエフスキー
エクリチュールの水死体
意味をめぐるフーガの技法
うっとりとまあ耽溺
絶望は 欲望の裏山こえて
つましい日だまりで消されたか
ほら コトバ悶えた
意味は困った

ぜつぼうのうた
こえなき草花
メロデイーはやさしさ
母音から見捨てられた孤児
子音からのあやしいギフト
蛇の目だらけの現場にて
とうざいなんぼくうおうさおう
どうしてうたがうたえよう
どうしてうたがうまれよう

蝋燭を点し
のびるぜつぼうの影
鉱物たちの思考のしじま
ぜつぼうのち
書斎に飾られた髑髏と
コトバを食べしのぐポーの酩酊
最期のタンゴ
ノヴァーリスの華

ぜつぼうてきなしかい
詩?
むしの詩 史の死
されどコトバの売人にも生活あり
肉体あり
食事の時間だバスタイム
寝たり起きたりルールにのまれ
日々のやりくり脅し脅され
暗がり探索は最早時代遅れ 
(恥部を照らす明かりの強度が怖いから)
ぜつぼうのはてのうらのうらかた
詩策とは
つまり陽気な人の為せる技
どうしてうたがうたえよう
どうしてコトバがうまれよう

 彼女をベッドに運ぶまえに
 ピタゴラスは夜々に唄をあたえた

(希望がなければ絶望なし?)

きぼうのうた
ぜつぼうをわすれ
クウをとりだす
きぼうのうた
おもくのしかかった
せつない濁音が
いっせいにコトバの罠から解き放たれ
意味をうしない軽やかに
せんばんへんげ
ため息の傍でそっと服をぬぐ妖精を
みごとよるのすみずみまで
無限のやさしさを添え
神殺しの惑星として悪名高きこの地にて
ひとりベッドに誘うのだ
ほかの惑星まで 届くようにと
妖精のなきごえにあわせ
きみがしずかにきぼうをうたうのだ

どこから連れてこられたのか?
なにを教え込まれてきたか?
ひとびとのふかいそのねむりをめがけ
夜と石
コトバなき住人と供に ドウショクブツのもと
むすうの星々のライトをうけ
きみがひとりしずかにきぼうをうたうのだ

++++++++++++++++++++++++++++++++

では、今夜ご紹介する曲は、アメリカ西海岸のイーグルス(Eagles)ってバンドの『ホテル・カリフォルニア(Hotel California) 』の最後に収録された曲「ラスト・リゾート(The Last Resort)」。
このLP(当時はレコードのことをLPとかアルバムって呼んでました)がアメリカで発売されたのが1976年、僕がこのアルバムを購入したのが高校一年の頃、だから1978年、二年遅れ。
当時、洋盤はリアルタイムで日本発売されず、だいたいその一年後ぐらいにレコード店に並んだんだけれど、イーグルスなんて、優等生的な感じがして馬鹿にしてたから、“まじ聴き(まじぎき)”はやや遅れたんだね。
その頃の感想は、なんでこんなクライ、重いアルバムがアメリカで空前のヒットを飛ばすのさ、ちょっと分からないなあ、でもイイ、素敵!!と、結局レコードが擦り切れるまで聴いていました。
歌の内容なんて、実は昔からほぼ興味がなかったんで、なぜって人が歌っている、何を言っているかわからない、でも痺れてしまうんだからデクショナリーは無用、つまりロック音楽において歌詞の正確な内容なんてもんはどっちでも良かったわけ。“意味”を聴いていたわけではないから、ね。
で、なんとなく今回この散文をアップしようと思ったところ、なぜか、イーグルスのこの曲がひょいと鳴って、早速検索すれば曲名は「ラスト・リゾート」。なるほど、確かにそんなタイトルだった。見覚えあるある。ついでだから歌詞の内容はと検索すればありました、ちょっと長いんだけど、興味のある人はここを参照してください。
それで改めて歌詞の内容を知れば、「へーっ!」て感じです。
アメリカの当時のリスナー環境はほんと上質だったんだね。堀内幹の「祈り」が空前のヒットを飛ばすようなものだ。それに比べて現在のリスナーの程度の低いこと低いこと・・・(なーんてね)。


The Eagles - The Last Resort(1976)

2010/09/23

わずかなひかりあうと / the village of the wind

わずかなひかりあうと (July/20/01)

わずかなかおりあうと
わずかなひかりあうと

ちいさな威光をはなつ
クリムゾン絨毯のうえ
ひびきながら点滅する 
傀儡女のように火照る
秘めるsmellサムシング
わずかにかおりながれ
わずかなひかりアウト
古の液が零れ落ちた
薫るコトバひびく声の
ひかりmeetサムシング

底なしのコトバさぐり
さぐりやめた夏の夜に
闇に浮かぶ天の逆鉾
わずかなかおりあうと
かすかにひかりあうと

またたきの虹
星国の冠
淡の島にて
ひとしれず艶やかに
鷹の羽を身につけた
長い黒髪の民族
さんらんせよと きせいをあげ
薫るコトバひびけ唄よ
結びあえばわれる岩戸
わずかにひびきあえば
汝eatサムシング

わずかなかおりあうと
わずかなひかりあうと

2010/09/22

アイヌのウポポについて / Redemption song

この地球上に、僕たち人間が住めなくなる日はやがて来るだろう。
人類の終焉を、せっせと早めているのは、もちろん僕たち人間なのだが、この地球から消滅するのは「人間界」と呼ばれている生態系だけだから、別に構わないか……。
しかし、問題は<音楽>。
音楽は、この世にあるべきか、あらざるべきか?
もし、この世に人間がつくる音楽、“響き”の表現体がある日ぱたっと消滅したら、僕たちは一体どうなる? 
たぶん、医者と薬局が繁盛するくらいで、いや、その繁盛がまたこの世の終わり、人間界の終息を加速化するだけで、やはりこれも大した問題ではない(と、音楽の制作に携わってきた者がこんなことを書くのは問題か……。)

「無人島に一枚だけ持ってゆくCDは?」と訊かれても、電気のない、人間のいない無人島で、人間がつくった音楽を聴きたくなるだろうか?
もし、その島にカモメがやって来るようなら、かれらの鳴き声に耳を澄まし、僕たちはのんびり風と共に過ごすのさ。鳥たちの歌声、波の音がナチュラルオーケストレーション……。
やがて、僕たちは鳥たちの鳴き声に合わせ、思わず口ずさんでしまうかもしれない。
「〜〜〜〜♪」
そしてこの瞬間が、人間の“唄”のはじまりなんだ。(知っていましたか?)
アイヌの唄、ウポポとは、この唄の<はじまり>から、もっとも近い所にあるように感じる。そして今も、そこに身を置いている。まるで、自分の美しさを知らない草花のように。ちいさな恥ずかしがり屋さんのように、目立たず、ひかえめで……唄は、ただ<在る>。
ただ在る、これが一番むづかしい存在の姿だけれど、ウポポはまさに其処に在る。
たとえば、喉をウイウイすればアイヌの唄に近づける、歌えるなどと、おおきな勘違い。唄の出自(ふるさと)は、大自然が鳴らす、奏でる、無限の音色、無数の響きからもっとも近い所に在る。
たとえば、樺太アイヌのトンコリという楽器の生音がなぜあんなに小さくてか細いのか、わかりますか? 人間が意図的にたてる音が、自然界の音をけっして邪魔してはいけない、凌駕してはいけないという思想が、真心が、生活が、彼らの内に揺るぎ無いものとして在ったからだ。大自然の音、もしくは<声>を聴いていた……。
が、最近はどうよ、アイヌの唄を歌おうとする、学ぼうとする日本人が増え、皆、なにを勘違いしているのか、仲良く喉を使ってウイウイやって、恥ずかしくないのかしら? 
まず最初に、唄の心(中心)というものを学ぶべきなのだ。そこに身体を拓いてゆくべき。でなければ、自分の心臓に直結した歌い方、自分の足元から淡々と膨らんでくるだろう唄い方を逃してしまう。歌い手の個性、その魂と、それぞれの喉という器官の形状または特徴に合った唄い方以外は、不毛なのだ。
アイヌの唄は誰もが歌える、覚えやすい、シンプルなメロディーだけれど、実は誰もが歌えない、歌い手の心がもろバレしてしまう、歌唱力などでは誤魔化しようのない「なにか」が秘められている、内在されてしまった恐ろしい唄、作品なのだ。だから、気軽に歌わない方が良い、貴方の素性がばれてしまう。
ところで、ネイテイブ・アメリカンのブームが去り(ちょっと乱用し過ぎたから)、次はアイヌだと、品のないスローライフな人々が、「アイヌ」というキャッチに寄り添い、利用して、“表現”することの恐ろしさも知らずに、楽しければいいんだって軽いノリで(でもその自意識だけはへヴィー級)、なんだかワイワイやっているけれども、ほんと最近の日本人ってのは節度・節操を放棄してしまったようだ。
では、唐突に、僕が尊敬するミュージシャン、今日はボブ・マーリーの歌声を。
彼は神でもヒーローでもオピニオン・リーダーでもない。ただ、奇跡的なミュージシャンだった、としか言えない。
この曲のタイトルは「Redemption song」というのだけれど、直訳すると「救いの唄」って感じか。
他のジャマイカのレゲエ・ミュージシャンはほとんど「スタイルとイメージ」で終わったけれど、彼の音楽、唄は「スタイル」ではなかった。単独的で、荒唐無稽な幻想力、想像力(愛)をもっていた。ゆえ、日本人がドレッドヘアーにしてどうすんのさ!って話。。。


Bob Marley - Redemption song

2010/09/21

ひふとひふが / totheotherside


ひふとひふが (July/17/01)

ほのぐらいトイをかさね
迷うほどにヤミに暮れる
ここに来て何処にとまる
懐かしい彼の地の鎮まり

瑠璃色のツミをたばね
しらずしらずミチに迷う
いづれ妖しいヒトのよ
安らげるトキも来るか

ひふとひふがふれあえば
流れるかなよのかなしみ
落ちるかなよのざわめき
果てるかなよのくるしみ

かぞえかぞえた彼岸の骸
ひふとひふがふれあえば
ただひとりわれはさとる
世は
余ははるかいにしえの事


The Doors - Break on Through (1967)

2010/09/20

サシダサレタナイフ / Howie's jackknife


サシダサレタナイフ (Aug/30/01)

近所にあるヘンリーハドソン公園にて、今夜ユダヤ人のHowieが僕にジャックナイフを手渡した。
「預かっておいてくれないか」

1969年にブロンクスで生まれた彼は、二十代の終わり、なにを思ったのか単身イスラエルに行き、そこでアーミーに志願したそうな。
が、どう見ても、現在の彼は元兵士には見えない。葉っぱ好きの、女性をこよなく愛する、「俺はチベットのタントラ密教を学んだからな、あっち方は凄いんだぜ」なんて、ニヤニヤしながら嘯くあたりはパンク・ジュー、単なる生粋のブロンクス育ちだ。

夏の夜
互いのカラダの輪郭が空ろになるまで
暗闇の中を
芝生の上 ふたり暢気に横になっていれば
生まれた国のちがい 魂の色合いの差など
どうでもよくなり
使い慣れた言語の顔つき
網目だらけの言葉の絡まりなど
静かに
闇が吸い込んでくれる

そして、架空の故郷イスラエルでの生活、摩天楼の人口色でも恋しくなったのか、二、三年後にはアーミーを辞め、実の故郷であるニューヨーク・ブロンクスに戻り、以来「いつも携帯しているよ、当然だろ?」と、Howieはその隣で寛いでいた僕の腹の辺りにそっと護身用のジャックナイフを置いたのだ。

「ギャングでもないお前がなぜそんなもん持ってんだよ」
「自衛のためさ、当然だろ」
「そうかな・・・。ナイフが暴力を、血を誘うってこともあるだろ」
「タケシ、真夜中の地下鉄に乗ったことあっか?」
「あるさ」
「お、恐っかねーだろ!!」
「もちろん怖いさ・・・」

サシダサレタジャックナイフ
ナゼワタシニ?
無造作ニ 
サシダサレタ銀ノナイフ
カレノ 指紋ガビッシリ憑イタ・・・

夜露で光る僕の懐の片隅で、Howieのナイフは、今、ようやく眠りに就こうとしている。
このナイフには、彼の悪夢が、傷つくことをまったく恐れない魂たちへの憧憬が、奇妙な形で混在し、付着している。
かれのangerが
そして、あの濡れたようなマナザシの奥に仕舞い込まれたfearが・・・。


Lou Reed - the Gun(1982)

2010/09/16

草は・・・まねる / moonforest


草は・・・まねる  (Sep/06/04)

狼が

ひらいた
声の

暗雲は途切れ
マ に
月の光をかざる
草 は・・・

かがみこめ
うすく横になり
肌に彫りむ
言の葉の様 が
目を覚ます
その奥行きから
膨らむ
乳白の調べに 酔う
草 は

折りこまれた
写しとられた
黄泉のヒ 戸
天蓋はひらき流れ
千切れた願い縫い合わす
宙のさだめと銀河の 吐息 を
クウとトキのマに

草 は・・・
まねる

呼び合う
おおかみの
声を ・・・まねる


++++++++++++++++++++++++++++++++

それでは、今夜はまた僕の未完成楽曲をお送りしたいと思います。
タイトルは「月の森-moonforest-」。
静かな、それぞれの森の中へまぎれ込んでみてくだされ。

2010/09/15

サンペ SANPE / カピウ ラン Kapiw Ran



一昨日に引き続き、SANPEこと千葉伸彦のトンコリ演奏をお愉しみください。

それでこれは余談ですが、今月末、僕はカミさんと供に阿寒のアイヌコタンへ行く予定です。
一ヶ月ぐらい前、事の成り行きで(?)、いや、星の誘惑により、日川キク子さんの元へ挨拶に往くことになりました。
たぶん、郷右近富貴子さん、その母上である床みどりさんにはかなりのご迷惑をお掛けしつつの小旅行になるかと思います。でも、今回のショートトリップは決して僕にとっては“旅行”ではないのよね。
数年前、一度だけ、阿寒に足を踏み入れたことがあります、という言い方も変ですが、これは千葉伸彦さんの研究、フィールドワークのお手伝いで、フォトグラファー海沼としての同行でありました。千葉さんご自身も、ミュージシャンとしてではなく、アイヌ民族音楽の研究者という立場、阿寒地方に古くから伝わるウポポ(うた)を採譜化するためのレコーデイング、記録、調査等が主な目的でありました。
しかし、アイヌ民族の文化、またはその伝統音楽の研究者ではない僕はひたすら暢気なもので、「ああ、床絵美の歌声が育まれた場所はこういった空気と温度が流れていたのか・・・」と、かなり千葉さんにご迷惑をお掛けしたことを思い出します。それで、第二回目の調査の折にも、千葉さんから「また阿寒に往かない?」と誘われましたが、千葉さんと僕の微妙な立場の違いから、ちょっとした行き違いとなり、その時はお断りしたのでした。
あれから、はじめての阿寒往きから、もう二年以上が経ちました。「もう二度と、僕はここに来ないだろうな」と、釧路空港へと向かう車の中でひとり心に決めたことを、さらっと、まるで無かったことのように胸底に沈め、「奥さんも連れていらっしゃいよ」という床みどりさんの一声により、また、床絵美の配慮(?)から、カミさんご同伴ということとなり、「(んー)」、今から、すでに少しばかり緊張しつつ、やや気が重くもある武史さん、「ハイ!」でした。

2010/09/13

トンコリ奏者・千葉伸彦の軌跡 / Nobuhiko Chiba



昨日、「世田谷ものづくり学校」で、トンコリ奏者・千葉伸彦のライブがあった。

一ヶ月ほど前のことか、千葉さんから、「ライブをやるんで、撮影してくれないかな」という電話があり、「あ、いいですよ」と返事をしておきながら、ちょっと不安になって詳細を訊ねたところ、どうもそのライブの始めから終わりまでの記録映像を残したい、撮影して欲しい・・・そうな。
基本的に、僕は“記録”のための撮影はやらないので、そんな撮影は、舞台の位置を確認し、三脚でも立てて、ビデオカメラ君に任せておけば良いのだし、なにもわざわざそこまで行き、Recボタンを押す必要もないでしょう。(笑)
でも、千葉さんからの依頼なので断るわけにもゆかず(彼は滅多に人にものを頼まない)、「もし、youTubeにアップできる動画を撮っていいなら手伝ってもいいけど」と。
単なる記録映像と、“作品”としての記録映像の違いを、今ここに書こうとすれば長くなるので止めますが、とにかく、昨日の千葉伸彦のギグは最高だった。久方ぶりに、彼のトンコリ演奏、歌声を聴き、撮影しながらも、僕は思わず泣きそうになりました。

三年前に、僕はアイヌの唄い手・床絵美の紹介でアイヌの血は流れていない千葉伸彦というトンコリ奏者、音楽家を知り、彼が奏でる、紡ぎだすトンコリの音、その深い、奥行きのある“響き”に打ちのめされ、当時、僕は床絵美との共同作業、スタジオワークに専心していましたから、その勢いで、彼の初めてのソロCD『千葉伸彦 Nobuhiko Chiba / トンコリ Tonkori』のサウンドスケープおよびプロデュースのお手伝いをさせてもらいました。
あれから、早いもので、もう三年の歳月が流れました。
それで、「これは手前味噌になるから」と、今まで彼のソロCDについて書くことを一切自分に禁じて来ましたが、そろそろ書いてもいいかな、と。
CD『千葉伸彦 Nobuhiko Chiba / トンコリ Tonkori』は、たぶん十年に一度出るか出ないかの、ちょっと奇跡的な作品に仕上がったと感じております。

千葉伸彦とは、アイヌの、古くから伝わる伝統曲の“演奏家”、トンコリ奏者ですが、唯一無二、天才的なプレイヤーです。そして、トンコリ楽曲の、現存するただ一人の正統継承者かもしれません。
もちろん僕は、ここに“アイヌ”という言葉、枠を入れる必要は最早無いとは感じています。なぜなら、音楽家として、演奏家として、彼のその表現レベルは、美しい位階へと達しているからです。スペインのパブロ・カザルスというチェロ奏者が、ドイツの作曲家であるバッハ作品の天才的な表出者、演奏家であったという、その客観的事実において...。

床絵美という野生とエレガントを見事に融和させたような存在と出会い、彼女の歌声を通じ、僕ははじめてアイヌの唄を耳にしましたが、アイヌの唄、伝統曲が、いかに人間にとって根源的な響きをみなぎらせているか、“作品”として恐るべき完成度に至っているのか、これについては以前リウカカントのCDのライナーノーツで簡単に触れました。また、北海道の阿寒湖畔に現在する天才シンガー(あえてシンガーと書いているのです)、日川キク子さんについてもこのブログにてご紹介させてもらいました。
本来一人の作家であり、批評家、言葉と印象を弄ぶだけの評論家ではない僕が、非常に高度な、すぐれた表現を紡ぎだす彼らの、千葉伸彦と日川キク子のご紹介など、実はたいへん不本意なことだと思っています。もし誰かが、彼らの素晴らしさを、僕のような稚拙な言語表現ではなく、明瞭なる形式によって紹介してくだされば、書いてくだされば、どんなに有り難いことか・・・。

上記の、アップした動画は、昨日の千葉さんのライブからです。この日のライブより、千葉さんはご自身をサンペ SANPE (アイヌ語で心臓の意)と名乗っています。
アイヌ伝統曲であるとか、トンコリという見慣れぬ楽器であるとか、こういったことを括弧に入れ、なんら“音楽的な”先入観なしに聴いていただければ、演奏家としての彼の偉大さが、十分にご理解していただけるかと思っております。

p.s.この映像の音、その録音の質はあまり良くありませんし、前半、ガタンゴトン!という会場音がかなり気になりますが、その発信地は千葉さんのお二人のお子さんによるものなので、どうかご了承ください。

2010/09/11

夏ノ終ワリ / at the end of summer


夏ノ終ワリ (Sep/10/01)

スクット立ッタ
樫ノ樹ニ背中ヲツケ
根元ノ膨ラミニオ尻ヲオイテ
今日 ボクハ
天ニ拓いた夏ノ葉ノヒトツヘ
変ワッテイタ

何カガ 
沈メテイタ
見ズ知ラズノ夜ヲ
見セテクレタ

天ニ拓イタ夏ノ葉ヨ
天ニ拓イタ夏ノ言霊
受ケ止メキレヌホドノ
星タチノ激シイ視線ノ下
「足が有るなら歩けば」
囁ク 樹

生・・・

柵ニ囲マレタ
無辺ノ大地デ
スクット立ッタ
樫ノ樹ノ元へ
夏ノ終ワリ二
夏ノ終ワリ
沈メテイタカナ染ミガ
スクット天マデ広ガッタ

タッタ四次元ノ現象二
見蕩レテバカリイル
ジブン以外ノ人ニ成レレバト
イツモ夢見テイタ
多クヲ語ラナイ小動物ヲ前ニシテ
喉ヲ詰マラセテイル
戻ルハズノナイ
過去ノ記憶ヲ追イカケ
手ヤ胸ヲ合ワセテイル

カリソメノ
言葉デデキタ
「教え」ニハ
モウ頼ルマイ
今夜ハ タダ星空ノ下
樫ノ樹ノ元
キミノ歌バカリヲ聞イテイタ

++++++++++++++++++++++++++++++

この散文が書かれたのは2001年9月10日ですが、当時、僕はニューヨークのブロンクス、Riverdaleという街に住んでいました。そして翌日、あの「9.11.同時多発テロ」、マンハッタンの世界貿易センタービルが倒壊するという大惨事が起きたのです。
今日は、奇しくも9月11日で、別に狙ったわけではありませんが、あの日から、すでに9年もの歳月が流れています。ちょっと不思議な気持ちになりますね。
9月11日----。午前中、僕たちは突然の電話、高知県に住むカミさんの母上から「あなたたち大丈夫!テレビ点けてみなさい!いま、大変なことが起こっているじゃない!!」という連絡により、事の真相を知りました。
暢気なもんで、現場近くに住んでいる人間が、日本に住む親から事態を教えてもらうなんて。幸い、ブロンクス・リバーデイルという地区は、マンハッタン島からやや離れた北に位置しているので、なんら被害を受けずには済んだのです。
そして、テレビを点けてみると、まるで良くできたドキュメント映画を見ている感覚に・・・。「大変なことが起きてしまった!!」それでも、成す術はないので、いつものように犬の散歩へと、歩いて5~6分の所にある<John's Run>へ(それが僕たち夫婦の日課)、そこで仲間たちと朝の挨拶を交わし、いつものように犬の手綱を解き・・・。
犬にとって、WTCなるものは存在しませんから、その巨大なビルが爆破されようが、倒壊しようが、数多くの人間が瞬時に殺されようが、死のうが、まるで別世界のお伽噺、普段どおり、犬たちは大はしゃぎ、でもその朝は、僕たち人間は、なぜかあまり冗談を飛ばしあうこともなく、皆、やたら静かにしていたことを想い出します。
その「John's Run」という名のドッグランは、高台にあったので、南の方角に眼をやれば、濛々とした煙が上がっていることをすぐさま確認出来ました。
成す術がないとき、そしてその成す術のない状態を共有せざる負えない時、僕たち人間はあまり多くを喋らなくなります。そして、人種、そこの犬仲間たちはユダヤ人もいればユーゴの人、ラテイーノ、チャイニーズ等々と、人種的に多様でしたが、なんだろう、あの朝だけは、皆、生粋の人間、人種を超えた裸の、ヒトとして、その場所、異様な時間の流れを、ただただ共有し、見つめあい、ひとりひとりが、立っていた様な気がします。
もし自然災害であったなら、僕たちはまたちがった感情を抱くことになりますが、あの朝起こった出来事は、あくまでも“人為的”なもであったこと、生暖かい血が通う僕たちと同じ人間によって引き起こされたという事実が、言葉にはならない状態へと、僕たちをある心理の奈落の方へと緩やかに突き落としたのでしょう・・・。
普段、<John's Run>に集う犬仲間たちを、「この粗雑なアグロサクソンどもめ!」とか、「ここは個人主義の末期の国さ!」とか、毒づきまくって、彼らから“モンスター”などと呼ばれていた僕が、あの朝だけは、・・・どうもうまく言葉になりませんが、なにか、人間の一等深いところにある真の“姿”を、ありありと見せてもらったような気がしたのです。
今から9年前のこの日に起きたあの大惨事も、実はアメリカの自作自演であったとか、色々言われています。が、僕たちのような庶民にとって成す術のないことが現実の裏手で動き続けていることは、たぶん間違いないことで、それもある少数の人間、グループによってこの社会が、経済がコントロールされていることも、まあ、確かなことかも知れませんね。
あの、なにが言いたいかって?
かわりに誰か言ってくれませんか? 

・・・僕らはどうしょうもなく意気地なしで、また、崇高なんだ、と。

2010/09/10

堀内幹「デスマスク」について / deathmask

最近、僕はこのRiwkakantのブログで、むかし書いた散文などを載せていますが、それもこれも堀内幹の「デスマスク」という作品のせいです。
皆さんは、彼の「デスマスク」を聴き(僕も今回はじめて耳にしたのですが)、どのように感じられましたか? 僕にとってはかなり衝撃的なものでした。
ちなみに、堀内幹の「デスマスク」という動画は、先月の8月3日に吉祥寺の「MANDA-LA2」というクラブにて、フォトグラファー熊谷絵美によってライブ録音され、「幹ちゃんのライブ見てきたよ~」と、彼女から送られてきたファイルを少しばかり編集し、ご紹介させてもらったものです。
ですから、僕も、皆さんと同じように、彼の生の演奏ではなく、動画を通じて、はじめて「デスマスク」という唄に触れたわけです。それで、このブログとYouTubeにこの動画をアップする前に、了解を得ようと、堀内幹に電話を入れてみたところ、「ところでデスマスクという曲はいつ頃書かれたものなの?」と訊ねれば、「15年ぐらい前かな・・・」と。

ぶらぶらさせたカラダは
音をたてて老いてゆく
もっと明かりをくれないか
美しく腐るから

22、3の若者が、こういった言葉たちを浮上せずにはいられなかった、その心境というか、追い詰められ方というのは、尋常なものではない。
中原中也の「汚れつちまつた悲しみ」云々が、とても可愛らしく響いてくるような場所へ、彼、堀内幹は、人知れず赴いてしまった。そこで、彼は“詩人”として誕生したが、時代は、彼にポエトリーリーデイングなどという暢気な形式、表現方法を許さなかった。ゆえ、堀内幹によって掴まれた崖っぷちの言葉たちは、メロデイーを与えられ、彼自身が、これを歌わざるを得なかったのでしょう。
中也の言葉も、「異臭を放った宝石」と歌ったタテタカコの言葉たちも、透明な叙情性の内にて張りつめ、震えていますが、堀内幹はより生々しい場所へと赴いた。
たぶん、彼は22.3で夭折できたのかもしれない。いや、彼の心はすでに壊れているのか? もし、今もなお持ち堪えているなら、凄まじい気力と体力、身体力が要求されるはず。
僕は、堀内幹のスタジオ録音盤『one』というアルバム制作のお手伝いさせてもらいましたが、「デスマスク」という作品からこの『one』へと至るまでの15年間、人が、もし“表現者”であるならたぶん避けては通れないきびしい道程を、彼の歩みを想像し、ちょっと恐ろしくなりました。

皆さんは、音楽になにを求めるのでしょうか? 音楽に、娯楽を要求するのでしょうか? たとえば、文学に、なにを求めるのでしょうか?
もしくは、“表現者”に、なにを期待するのでしょうか?
僕たちは、たとえば、オランダのピストル自殺したゴッホの絵を見て、驚嘆します。なぜ、驚嘆するのでしょうか?
ピカソの仕事、その多作ぶりをみて「彼は天才だ」と嘆息もします。なぜ、嘆息するのでしょうか?
彼らの「生」にとって止むに止まれぬ行為、表現・・・、歌も、絵も、そして文学も、娯楽ではないですね。
プログラマーが01を相手にするように、土木業者がアスファルトを、もしくは大地に挑むように、“表現者”とは、自身の魂を相手に熾烈な挑戦を強いられた者たちではないでしょうか。
ただ、それだけのことです。

「ほんのたわむれだと信じて、息が止まるまで殺されると思わず、さからいひとつせず、お前の膝を枕に眠ってくれるような、そんな神仏のような殺し方がお前に出来るかね。・・・」 川端康成 『散りぬるを』より

2010/09/09

はてなしの舞 / In the Moment


はてなしの舞  (July/17/01)

はてなしのはて
そのはてまいり
そのはての國へ

さてはワカモノ
ひとり首すじに
いとうるわしき
ちょうをつれて
遍く聲にゆられ
よいと体うかし
気を祓いしずめ
はてなしのはて
そのはてを往く

こころ以て
こころ伝え
こころ以て
こころ送り
非を割るか
無を身篭り
カミくだき 
カミおろし
カミむかえ
カミのみや
よのしらべ
よにしらせ

はなたれた矢
ゆくへ知らず
われをわすれ
遍く聲にふれ
めざせやあの
はてなしの國
更にめざせや
はてなしの宇
はてなしの空
町も人も離れ
あのはてなしの國にてはてなしの舞

2010/09/08

やがてよるもひるも / closeyoureyes

やがてよるもひるも  (July/28/04)

やがてよるもひるもめをさますだろう
自己滅却という
ことばのウラを覗くまえ
草原が
ほら 全身に 
拡がりはじめた

やがてよるもひるもめをさますだろう
自己認識という
ことばのハリを消し去るまえに
朝顔が
ほら全身に
咲きはじめた

気をもんで
気をもんで
気を枯らす
医者が繁盛する時代はおかし

沖縄の民は
気の振れた者を丁重にあつかう
都会では
気の振れた者をクスリ漬けにする
病名が増え続けるこの世界
健全な人間は同情に値しない

のびちぢみのびちぢみ
ひきこもるとくべつなりゆうもなしにひきこもる
のびちぢみのみくだし
ろうじんまでもがひきこもり
ひとめをきにしてひきこもる

すでに部屋の中は世界
世界はもはや部屋の中
だれが満月に触れようとするのか
手を延ばせば
届くかもしれないというのに

ああ だれか三千年ぶんの雨を
はやく三千年ぶんの愛を

百の姓を名乗っていた農民が
スターだった時代は疾うに過ぎた
道ゆくエンジェルたちはポッチャン便所を知らぬ
芸のない成金にはどうか無人島三年ひとり暮らしを
テレビのない明るい生活
満点の星空とふるえるような闇の中で
換金できない至上のヒカリは
今もただ黙ってそこに在るというのに
だから三千年ぶんの愛を
はやく三千年ぶんの雨を
ここに降らせよ

巧妙なブレイン・ウオッシュ
顔のない神経風の悪戯か
気をもんで
気をもみすぎて気を枯らす
おおジーザス煙色の御人
あての無いココロたちの内ではやく目覚めよ

こどもをあいせなくなった親たちの集い
親たちをみとめられなくなったこどもたちの黄昏
部屋の外に住む
動植物たちがみたら さぞかしおっ魂消ることだろう

三千年ぶんの愛を

お肌の曲がり角
地球にも幾多の曲がり角はあった
地球というボデイーのお臍は
ギザのピラミッド とは?
この世の片隅で起きた馬小屋の奇跡 
それは美しい物語
菩提樹の下では柔和な笑みがうまれ銀河もふるえた
世界史の裏通りでは
数多の見知らぬ覚者たちの歌声が 音楽が
今もなお響きつづけている
数千の御ワザと数十億のアヤマチ
無意識の泥濘は視界を被い
ろくでもない思考はココロを惑わす
<存在>にはあの楽園の記憶
午睡の光景 ことばによっては囲いきれぬヒカリが
びっしりと詰め込まれている
齧られた真紅の林檎
だれの仕業か
善と悪が真っ二つに割れ
善悪を知り
善悪の愉悦に酔い
混乱し 追い込まれ 
ゆえ彼岸へと渡り
宗教が生まれ
此岸へ返り 芸術がうまれ
どこに置き忘れたのか
こじんてきな
すいたほれたはもういいから
はやく
はやく三千年ぶんの愛を
終わるまえに
ここが終わるまえに
まぼろしがまぼろしとして朽ちてゆくまえに
ここに降らせ

嘆きつづけた壁たち
立っていることに疲れ
人間の切ない祈りに耳澄ますことを止め
ヨーロッパの国境あたりの死の淵で
思い思いに倒れこむ

だが

こうして・・・
やがてよるもひるもめをさますだろう

2010/09/02

堀内幹の旅路 / Kan Horiuchi's blood


七尾旅人がTwitterで書いていた。
「堀内幹さんに会ってまた改めて強く思ったが、シンガーソングライターって埋もれた怪物がごろごろいる。
SSW(シンガーソングライターの略)はシーンを基盤にしない。
基本、結託しないので、何年も孤立し続け無名のまま怪物的な芸に達した人たちが全国にいる」と。

堀内幹、いや、僕は幹(かん)ちゃんと呼んでいるから、彼は孤立した存在ではない。単独的であり、孤高かもしれないけれど、孤立はしていないと思う。
幹ちゃんは確かにミュージシャンとして“怪物的”な能力を持っているけれど、怪物くんではないわよ。

1937年、結核のため30歳という若さで死去した中原中也という詩人については皆さんよくよくご存知かもしれませんが、中也の「山羊の歌」にはこんな詩が収録されています。

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

そして、映画「誰も知らない」挿入歌でもあったタテタカコの「宝石」という作品は、たぶん25,6歳の頃に書かれたのでしょうか

氷のように枯れた瞳で
僕は大きくなっていく
誰にも寄せつけない
異臭をはなった宝石


昨日、9月1日に全国で一斉に発売された堀内幹、初スタジオ録音盤『one』には収録されていませんが、幹ちゃんが15年ほど前に、22,3歳ですでに書いてしまった「デスマスク」という作品を、今夜は皆さん聴いていただきたいと思います。

わ!もちろん『堀内幹 / one 』は、“買い”です。

2010/08/30

ところで、わかってんの? / End it; one

青空がたっぷり注ぎ込まれた杯を一気に飲み干せば、僕らの身体はダイナミックに天空へと拡散し、あの、果テ無シ、の、“瞬きの庭”まで、よ。
(ああ、距離ってのはしょせんイツワリだったんだな)
初まりも、終わりも無い、瞬時に変容する色彩の魅力、光景の、大海原へと僕らは生をうっちゃり委ね切るのさ。

音楽とは、形式ではない。呼吸なんだね。
なんて、音楽をコトバによって表現してはいけないはず。音楽は、ほら、そこに在る。どこにでも在る。
音楽を作る「意味」というものはない。真実は、まるで深い谷間の洞窟の奥のまた奥に豪奢に佇む(?)水晶のようにニンゲンの脳にひびく形式など持たない。
西洋世界が、これまで「音楽」として認めてきたその聴覚構造による認知は、なんとみすぼらしい事か。その幅たるや・・・。
現場監督アングロサクソンは、虫たちの、たとえば鈴虫の音に「唄」を、サウンドを感じ取る聴感、風雅なし。(ほんとだよ)。
僕らは、カザルスの無伴奏チェロや、スメタナ弦楽四重奏団の演奏を深く味わうことができるし、蛙の鳴き声や芋虫の寝転がる微かなサウンドなんかにも痺れてしまい、そのセクシーな響きの存在感に「唄」を読むマナザシ、聴感を育んで来たんだ。
わが国はほぼアメちゃんの属国となってしまったけれど、そんな事は知ったこちゃないって感じで、西洋のあらゆる文物を愉しんで、ハーゲンダッツにも歓喜し、トコロテンに涙する日本特有の美学、美感というものは、まだ捨ててはおらぬさ。あらゆる「物」、気配やうなじや大麻(おおあさ)など味わってきたし、めでて来たが、僕らはこれまでどおり自然の音に「音楽」を感覚しつづけることだろう。季節の移り変わりを「読む」ことの歓びを捨ててしまうことは無いさ。
モナリザの微笑みにうっとりし、さらに風情の異なる弥勒菩薩のマナザシに戦慄するというこの「心」を母体とした知覚、五感はかなり贅沢な代物なんだね。(そこのアンタ、わかってんの?)
などと、のらりくらり語りつつ、今夜の未完成楽曲、皆さんの聴感にはどのように響くのでしょうか?いやいや、それぞれの“瞬きの庭”まで、いざなうことのお手伝いができればいいな。

2010/08/28

瞳が空に消える前に

僕の甘ったれた心を突き刺した理不尽な出来事が早朝すくっと予期せぬ方角からやって来た。それが僕をまたあの哀しみの沼地へと誘い、今ここ、には、そんな出来事は記憶の夢跡、すでにリアルではないのに、厭世観というコトバ、誰が考え付いたのか、みょうちくりんな文字の呪縛、罠に引っかかりそうなのさ。
ニンゲン界にはさほど期待しておらぬ絶望の果てにも愉悦が在るのだと、すでに幼児期に悟りを得たカミさんからすれば失笑されそうな出来事であることには違いないが、今だ崖っぷちは「ヒカリでできている」のだと、・・・いや、逆にカミさんこそがニンゲンのどうしようもない程の残酷非道ぶりを、いや、真善美を確信し・・・、が、真相はどうだろう?希望も絶望も無いフィールドで、なんとも懐かしいような、深い、点滅する黄金色の粒子を撒き散らす存在の、思わず自意識などという架空の物語が幾重にも層を成してバウムクーヘンのような不埒な「私という(名前)意識」をとろけけさすような「微笑のヒト」には、今だかつて出会ったこと無いから、どこで身に付けたものやらニヒリズム、ヒロイックな思想感覚にたぶらかされている僕は、ニンゲンの、いや、人類の何マン年の歴史の様々なドラマについて行けず、困っているのだ。
…ならば、
旅に出ようか?
…「どこへ?」
虫になろうか?
…「どんな呼吸か?」
名前を持たぬ小さな草花の祈り
いずれにせよ、さほど長くもないヒトの世の夢。いっそ芸に身を滅ぼすまで歩いてみようか、それとも…。

2010/08/17

Daniele Sestili / Musica e tradizione in Asia Orientale



*Daniele Sestili氏のご依頼によりトンコリ奏者の千葉伸彦を通じ
僕が撮影した床絵美の写真が
その著書「Musica e tradizione in Asia Orientale」に上梓されました。

2010/08/13

「海沼武史 x 中村明博」展 / Takeshi Kainuma x Akihiro Nakamura



 この人の写真には、いつも溶け込んだ静けさが薫る。   坂川栄治(装丁家)


「至る所 otherness 」
- 写真家 海沼武史と額装デイレクター 中村明博のコラボレーション展 -


期間:2010年9月4日(土)~10月31日(日)
場所:喫茶おとくら
住所:〒522-0201滋賀県彦根市高宮町1121
時間:土・日のみ営業 10:00~17:00
交通:JR彦根駅にて近江鉄道乗り換え高宮駅下車徒歩10分
またはJR南彦根駅下車徒歩20分
連絡先:otokura.kissa@gmail.com

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ある写真関係の知人が、「海沼武史も、ついに写真だけではもたなくなったから額装にこだわったか。そんな風に思われやしないか」と、そっと忠告してくれた。
なるほど、世の中にはひねくれたモノの見方をする人もいるから、今回の展覧会について、そんな風に皮相的にとらえる方々もいることだろう。
が、そう思われても仕方ないほど、確かに、額装デイレクター・中村明博の仕事はたいへん美しいものである。

具体的な額装について、僕はいつも彼に写真を渡すだけで“完全おまかせ”だが、これは当然のことで、才能ある、際立った美感をもつ人に、とやかく「こうしてほしい、ああしてほしい」などと要求するものではない。
こちら側のセンスを相手に押しつける、もしくは指示してしまうのは、勿体なさ過ぎるというもの。
たぶん、クリエイター、アーチストを名乗る者たちは、じぶんの美意識について、実のところ深いところでは自信が持ちづらい故に(?)、つまり聡明に客観視することの難しさ、他人が開く秘めやかなる美意識に気づき、これを愉しみつつ、自身の仕事に取り込んで往くスペース、余裕がもてないのだろう。(あ!僕は誰にでも“完全おまかせ”をする訳ではありません)。

それで、この「額装デイレクター」という名称、「コピーライター」という職業がまだ存在していなかった50年前(?)と同様、額職人という職種はありましたが、僕が中村の仕事を確認し、咄嗟に思いついたことで、これについてはこのブログでも触れましたが、なにやら胡散臭く感じる方々もいらっしゃることでしょう。でも、これも覚悟の上、ゆえ、実際は、「とにかく実物を見てください」としか言えないのです。

ただ、僕は、有難いことに、目映いばかりの仕事をする人と出会ってしまった。そして写真家のサガが獣のように躍動し、思わず、その存在に見合った「ライト」を浴びせたくなった。ただそれだけのことです。
江戸の初期、この日本に俵屋宗達本阿弥光悦という本物のクリエイターがいましたが、かれらの仕事、その共作をご覧になったことがありますか?

<共作の夢>---。
おこがましくも中村明博と僕は、そんな夢を、21世紀という表現者にとってはすこぶる虚弱な時代に、ただひたすら、見つめようとしているのです。

もしお時間の都合よろしければ、一度、その眼で確かめに来てくだされば、光栄に存じます。

2010/08/11

舞踊家・伊東由里 / the contemporary dancer Yuri Ito





現代舞踊家 contemporary dancer : 伊東由里 Yuri Ito


舞踊家の伊東由里さんについて、以前このブログでご紹介しましたが、今回は彼女のPV(プロモーションビデオ)です。
しかしこのPVという呼称は、かなりいかがわしい感じがして、自身で多用しておきながら、なかなかしっくり来ないものですね。
さて、今回の映像作品の狙い、テーマは、『Shika -紫花-』同様、「伊東由里というニンゲン紹介」ですが、「ダンスという一表現ジャンルについて」の僕の考え、想いなども散りばめられております。
それで、なんでしょう、今まで現代舞踊(コンテンポラリーダンス)に興味を持てなかった人に、「伊東由里さんってどんな人だろう?一度生の舞台を見てみたいな」と、こういった気持ちを引き起こすことが出来たら、僕の役目は終わりで、成功なんじゃないかなと思っています。
どうぞごゆるりと鑑賞してくださると有り難い。

一人の才能あるダンサーが、もし“天才”に変身する瞬間があるとするなら、いや、これはダンサーに限らず、あらゆるジャンルに存在する表現者すべてに言えることでもありますが、僕たちの、つまり観客、視聴者たちの圧倒的なまなざし、全存在を賭けた真摯な鑑賞によってこれは起きる、と信じているところが僕にはありまして、いや、こういった荒唐無稽な信念なくして本来PVは作れないのだし、いや、そもそも「写真」など続けてはいられませぬ・・・。ん〜、信じ切って表現者たちと付き合った方が愉しいしね。才能とは、ほんの些細なことで開花するのだし、ちょっとした他人の言葉、行為によってすくっと大きく育ってしまうものだから。あとは本人の度胸のモンダイ。“素直さ”のもんだい。
(由里さん、そんな度胸ありますか?)

そしてずばり、ダンスとは何か?
二十代の頃、僕は遊び半分で短期間踊っていましたが、二年程前、僕のファーストCD『時空の破片』が縁で、伊東由里さんというダンサーを知り、今回、彼女に集中的にスポットを当て、この“動画制作”をくぐり抜け、はじめて、僕は「ダンスとは何か?」、その答えを見出したような気がしたのです。

p.s.
あ、それでこのブログをちら読みしたカミさんから「“圧倒的なまなざし”って何よ?よ〜わからん」と云われ、いわく、これはダ・ヴィンチのモナ・リザの視線であり、広隆寺の弥勒菩薩像の「視」であります。なんて、ますますわからぬか、、、。

2010/08/08

書家・紫花 / calligrapher Shika





書道家 calligrapher : 田中紫花 Shika



書道家の田中紫花さんと知遇を得たのは二年程前の事か、当時、遊びで動画制作に手を染めだした僕は、いつものように軽々しく、「田中さん、ご自身のプロモーションビデオなどを作らない?」と、確か、六本木にある美術館に展示されていた彼女の書の前で、ふっと思いついたように声をかけていた。

今月の初め、わが家から一番近くにあるコンビ二「ポプラ」へ、カミさんとアイスクリームを買いに行った際、レジのおばちゃんと無駄話をはじめたカミさん、これはこれは時間つぶしモードに、と僕はいそいそ本棚に…。すると、『Pen』という雑誌の表紙に大きく描かれた「書」という文字が眼に飛び込んで来た。
普段、滅多に印刷物は購入しないのだが、二年前、紫花さんに気軽に提案してしまった自分の言葉と、凛とした彼女の清純な人柄を思い出し、『Pen』という雑誌を即購読、「書か、よくわからんな」と、翌日には紫花さんに電話をかけていた。
「どうですか? 二年前は滅相も無いと言っていたけれど・・・」

これまで、僕はなんだかんだと勢いで動画を作ってきましたが、実は惚れた人しか撮ってませんよ。録っていません(微笑)。それで今回も、意味不明なる衝動に突き動かされ、『Shika-紫花-』という作品を、撮影もふくめ、2週間足らずで仕上げてしまいました。なんて、僕の事はどうでもよろしい。
この動画は、「紫花」という書道家、そして「書」についての作品です。


p.s.余談ですが、「youTube」は10分以上の動画がアップできないので、不本意ながらpart1、part2と分けております。さらに、紫花さんの書はすでに「リウカカント・Riwkakant / gift」と「海沼武史 Takeshi Kainuma / カリフ kalif」で使用させてもらっています。



film and music by Takeshi Kainuma 海沼武史

2010/07/04

『堀内 幹 Kan Horiuchi / one 』 先行予約開始 !!

2010年9月1日発売 (9MNT001) - here

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年明け早々の1月4日(月)---。
堀内幹が2本のギターを携え、裏高尾の麓にある僕の自宅兼作業場にお越しになられ、その2階にあるhigh tail studioにて、一気呵成に録音された彼の、その眩いばかりの祈りのカタチが、ようやく世に生まれ落ちることとなりました。
粗相のないよう、奇抜なイメージによって人を欺くことのないようにと、すこしばかり洗練された衣を着せ、音に籠められた、そのCDという音源に流し込まれた凄まじい熱量を、まだ見ぬリスナーたちを裏切ることのないように、注意深く抑制された生き物としての、いや、一つの「CD作品」というイノチの塊を、ようやく皆さんの元へ送り届けることが可能となったわけです。
彼は、この10年もの間、「ライブにしか音表現の真実は無い」と、ひたすらライブ活動に専念し、ひとり果敢に生の現場にて数多の聴衆の前で歌い続け、今なおその揺るぎ無き歩行はぶれることを知りませんが、この『堀内 幹 / one 』は 、彼の、初めてのスタジオ録音盤となります。そして、堀内幹のライブを目撃し続けてきた彼のファンにとってこのCDは、やや戸惑いの反応をされる方々もおられるかもしれません。ただ、ライブでの体験と、純粋に音だけ、CD鑑賞における体験とは別物であることも忘れてはいけません。僕もいちミュージシャンとして、10年以上も人前で演奏してきましたが、ライブとは、その場での状況によって出来不出来がかなり左右されるものであり、純粋なる音体験、シビアな音との対峙はかなり困難な場でもあります。なぜなら、視覚的な情報が氾濫しすぎ、聞き手の集中力を削ぐからです。人は、音を集中的に聴き込もうとする際には目を閉じるように・・・。
もちろん、ライブの現場における触覚的な感受、予期せぬ事件性、生々しい身体的体験がライブ演奏の魅力ですが、CD、かつてはレコードと呼ばれていましたが、録音物とは、ライブにおける「出来不出来は蓋を開けてみるまで分からない」的な曖昧な態度は禁じられ、言い訳ナシ、つまりスタジオワークとは逃げ場の無い、誤魔化しの効かぬ、ミュージシャンのもうひとつのぎりぎりのライブ(生)の姿を定着し得る世界であり、ライブ演奏とはまた異質の厳粛さと緊張を強いられるシビアなフィールドであるように感じます。そして、本来の楽しみ、張りつめた娯楽とは、こういった生への実践、プロフェッショナルとしての自覚、謙虚さ、または真摯さの内から思いがけず炸裂するものです。

僕たちは、ジョン・レノンやボブ・マーリーのライブ演奏を生で見たことはありません。しかし、彼らの残したす音源を通して、音源のみで、彼らと出会っている、出会うことが可能でありました。

『堀内 幹 / one 』全8曲。すべて、テイク1~2。
聴衆のいないスタジオにて、その窓の向こうに広がる高尾の山を前にして、彼は一体、誰に向かって歌ったのか? どこに向けて、何に向かい歌っていたのか?

ミュージシャンにとって、もし奇跡が起こる瞬間があるとするなら、それはたぶん途方も無く静かな場所で起こる。言葉に成らない、リピートのきかぬ、たった1回限りの向こう側の響きの神秘(マジック)を、物質という硬化なプラスチック盤に録音、記録すること、その奇跡に賭けること、その場をセットすること・・・散りばめられた、音の秘密の開示を・・・。



photo : 熊谷絵美 Emi Kumagai
design : 千葉健太郎 Kentaro Chiba

2010/06/22

床みどり / Toko Midori



床みどり Toko Midori : 唄 Vocal
コーラス chorus : 弓野恵子 Keiko Kiyuno + Toko Emi 床絵美

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床みどりさんの唄声は、以前、僕のソロ楽曲「カリフ kalif」という作品内で慎重に使用させてもらいましたが、今回はみどりさんのウコウク(輪唱)、そしてソロ、本物のウポポを贈らせていただきます。
キクさんとはまた位相の異なる美しい歌声を、響きを・・・。
僕たちが、まだこの大地に在ることを強烈に実感させてくれる、恐ろしいぐらい包容力のある唄声を・・・。


a film by Takeshi Kainuma 海沼武史

2010/06/04

『Silent Monochrome』/ EMON PHOTO GALLERY


『Silent Monochrome』 -Living with Photography-

2010.6月2日(水) - 6月30日(水) 休廊日 : 日曜 / 祝日

エモン・フォトギャラリーでは、『Silent Monochrome -Living with Photography-』と題し、生活空間の中に取り入れる写真作品を提案す る試みとして、4名の作家によるモノクローム作品による展示を開 催致します。

自然や人工的な造形物の中に「無限の調和」を見いだし、ミニマル で洗練された美の世界を追求するDavid Fokos

静謐な闇と光が作り出す一瞬のゆらぎの瞬間を捉え、昨年の個展で はインテリアとコラボレートした展示で好評を博した木村尚樹

一見無機質な都会の雑草の中に息づく「光」と「生」を捉え、限り なく白=無の世界へと近づいた海沼武史の『the Bush』

そして日本人であることの精神性を写真を通して探し求める作家、Coju の作品は、見る者を旅へといざない心のうちにさざ波のようなやわらかな波紋を作り出します。

また、この展示は6月2日から4日まで東京ビックサイトで開催される新しいコンセプトのライフスタイルフェア、『Tokyo Life Style Photo』のサテライトとして連動しています。

ギャラリースペースでは今回のフェアで展示している作家の中から上記4名の作家によるサイレントモノクロームの世界を展開します。

皆様のお越しをお待ち申し上げております。


EMON PHOTO GALLERY
106-0047東京都港区南麻布5-11-12Togo Bldg,.B1
Gallery 03/5793/5437 Fax 03/5793/5414

2010/06/01

荒野にて / Toko Emi and Kan Horiuchi

photo by Takeshi Kainuma

(余談ー)
先日、床絵美に誘われ、ライブを見た 新宿にて 『タテタカコ × OKI 』 日曜日 終電に間に合うように帰宅 その中央線にて 長い長い帰り路だ 下記の写真は 上記の、21世紀というなんにも無い時代 その荒野にて 新たなルートを 海図なき航海に旅立とうと、いや、旅立っているの? 二人のミュージシャン、堀内幹と床絵美、その付録 です ほんのりイイ感じで酔つぱらった床絵美が チンシもっこう睡眠中の僕をぬすみ写メ 遊び半分でアップ!
が、上記二人のポートレイトは遊びではない。


2010/05/21

CD レヴュー / the review to Toko Emi and Riwkakant


CD『床絵美(Toko Emi)/ ウポポ(UPOPO)』
おすすめ度 ★★★★★ H・I様 2009-09-04

音楽を専門に学んでおり、これまでクラシックからジャズその他の音楽をコンサートやCDでも1000枚以上聴いてきましたが、自費制作CDで、ここまでシンプルな音楽を毎日のように繰り返して聴くようになるとは思いませんでした。心の奥まで響いてくる美しいアイヌの言葉とメロディーを聴いてアイヌ文化が多くの人に正しく認知され、尊敬され、継承されてゆくことを願う次第です。アイヌ文化に直接触れたいと思い、この夏は、ついに北海道阿寒まででかけました。


CD『Riwkakant(床絵美+海沼武史)/ Riwkakant(リウカカント)』
おすすめ度 ★★★★★ H・I様 2009-09-05

アイヌ音楽の本質を守りながら、美しくアレンジができた作品です。アイヌ文化には、この様な芸術的な音楽があり、美術があり(アイヌの紋様またアイヌの民族衣装で正装した女性は気高く美しい)、知里幸恵さんに代表されるような文学があり、そして自然とともに生きるという崇高な哲学がある。また、アイヌの古くからある昔話に書かれている精神牲は”アイヌの聖書”ともいえると思います。倭人系日本人はもっとアイヌ系日本人から学ばなければならないことがあるように感じます。床さんの歌声は阿寒湖の透き通る湖のように美しいと感じました。


Middles -お客様の声-』より

2010/05/07

日川キク子 / Kikuko Hikawa



北海道は釧路市阿寒にお住まいの日川キク子さんについて、以前このブログでも触れましたが、ようやく皆さんの元へ、彼女の歌声をお届けすることができます。
この動画は、2年前に記録され、その映像および音源を1年前に編集、サウンドスケープしたものですが、ある諸事情により、一般に公開することができませんでした。
日川キク子さんご自身にも見てもらうこと叶わず、聴いていただくことすら許されませんでした。
僕は、2年もの間、今回アップさせていただいた、すでに完成していたこの動画を、お蔵入りとし、ただひたすら待ち続けて、待ち続け・・・今、ようやく皆さまの元へ、そっと贈らせていただきます。

昨日、同郷の郷右近富貴子さんを通じ、この動画をおキクさんに見てもらう機会を作っていただき、また、ご子息にもご覧になってもらい、日川ファミリーの快い了承を得、こうして公開する運びとなりました。

この動画について、僕はあえて何も語らないことにします。
一切の先入観なしに、この、日川キク子さんの唄声に耳を澄ませ、その存在を・・・、聴いていただければ、ただただ光栄に存じます。

2010/04/26

蜂須賀公之 / Masayuki Hachisuka



2010年4月19日(月)---。
盟友・蜂須賀公之が、突如わが家にやって来て、料理を作りはじめた。
命の料理、その手の平から溢れ、零れだす、数々の品々・・・。

食材は、彼が見惚れた何種類かの野草、そしてキノコ。北海道の友人から戴いたという貴重な鹿の肉、something・・・。
はじめから、僕とカミさんへ本物の料理をご馳走するつもりだったんだろう。

この動画は、その時なぜかシャンシャンと手持ちのPowerShot G10で撮影し、のちに編集したもの。
彼が作り出す料理の味を、その深い、向こう側の味を、感じてもらえるだろうか? 

一番伝えたい事、彼について伝えたい事は、なかなか言葉にはならない。だから、動画を撮ったのだろう。

蜂須賀公之という本等の人間について、無防備に〈ELEGANT=至上のやさしさ〉を体現してしまうこの男について、「本当のナチュラルとは、芸術だよ」と、さりげなく囁く彼の料理について・・・、言葉は、その言葉がさし示す「そのもの」には永遠に成れない。
ただ、僕はこんな人間の傍で、皆さんも立っている此処、この場所で、同じ地平上と時間軸に生きて在ることが、これほどまで有り難く感じられたトキは無い。

2010/04/12

「リウカカント」レヴュー / the review to Riwkakant

photo by Takeshi Kainuma


『新・新・新 岩田先生の日記』より

February 14, 2010 [Riwkakantというユニット、いいなあ。]

もう十数年も前に北海道を旅した時、阿寒湖にあるアイヌ・コタンと、平取町二風谷に立ち寄った。阿寒湖は、かの坂田明さんもゲスト参加していた「舞踊団MOSHIRI」の拠点であったし、二風谷は、「アイヌの碑」の萱野茂さんのゆかりの地であり、そのクーキを吸いたかったのだ。当時、喜納昌吉&チャンプルーズの一熱烈支持者であった僕は、喜納さんが起こした「ニライカナイ祭り」への感心もあって、先住民について理解を深めんとしていた時期でもあったのだ。80年代~90年代に、国連が先住民に関して動き出すようになり、今、何らかの変化が起こりつつあるのかどうかを知りたいという思いもあった。(その後、「先住民の権利に関する国際連合宣言」が2007年9月13日に採択されたということだ。2008年には「Tokyoアイヌ」という映画も上映されたらしい。「プロモ」でしか、知らないけれど。)

文学と音楽が自分が生きるための軸にあるので、沖縄やアイヌに関わる音楽は、多少なりとも追いかけている。伝統の掘り起こしだけでなく、新手のOKIさんも好きだ。最近のDUBを取り入れた彼のスタイルも、「ああ、こういうやり方もあるのか」と表現方法に驚くだけでなく、楽曲自体も気に入っている。
しかし、このところ、頭の中に繰り返し鳴っているのが、Riwkakantというユニットの「Gift」という曲(床絵美さんの歌声の魅力を海沼武史さんが引き出しているらしい。)である。アンビエントというか、ミニマム・ミュージックというか、そのコアに伝統を内在させながらも、「新しい世界」を構築している。
正直なところ、モシリは「心静か」だが、いかにも寒いと思った。「酒造りの歌」をはじめ、大好きな詞曲も多いが、「毎日は聞きづらい」と感じた。OKIさんは、北と南のリズムの融合を試み、新しい地平を開いていて、その「胎動」に賛同するが、大きなうねりが持ち上がる前の「過渡期」であるように感じる。
して、Riwkakantというユニット。何ら「無理」を感じない。毎日聞ける。「聞くもよし。聞かぬもよし。」のアンビエントとして、しっかりと成立しているように思う。新しい可能性を感じる。

「音楽を寄せ付けない鬱状態の自分」が言うのだから、確かなことだと思う。
一音楽好きとして、しばらくは、目が(耳が)離せないな、と感じた次第。

2010/04/02

雅楽山禮図 / GarakuSanraiZu

芦雁図(左隻)・宮本武蔵(永青文庫蔵)

老子の言葉に「虚其心 實其腹 弱其志 強其骨(そのこころを虚しくし、その腹を満たし、その志を弱くし、その骨を強くす。)」というのがあります。ですが、写真家の態度としては、「虚其心 忘其腹 弱其志 忘其骨」ではないかなと、不遜にも、僕はこう思ってしまう訳です。

江戸初期の剣豪、宮本武蔵はその著書の中で、兵法の目付について、「眼の付け様は大きに広く付くるなり、観見の二つあり、観の目つよく、見の目よわく、遠き所を近く見、近き所を遠く見ること」と、このような言葉を遺しておりますが、言葉だけなら誰でも立派な事を言える、超常的な事についても語れる訳で、が、彼自身が本当にそのような目付、“まなざし”を会得したのかその真偽は、武蔵が晩年に描いた書画、「芦雁図」を鑑賞すれば直ちに看破する事ができます。正に、と。
ただ、彼の云う目付とは、洋の東西を問わずに、視覚のスペシャリスト、つまり優れた画家たちにとっては至極もっともな、当たり前の“まなざし”であり、さらに職を問わずとも、たとえば、野球選手のイチロー選手も会得している処のまなざしでもあります。ですから、この武蔵の云う目付とは、僕たち人間にとって、あらゆる営み、多分にここ一番と云うのっぴきならぬシーンにおいて特に、最も効果の期待できる、ひとつの静謐な“態度”の謂いなのです
現代は、単純すぎるくらい、〈見〉の時代ですから、〈見〉に応える、人々の〈見〉を満たそうとする表現ばかりが巷に氾濫しております。故に、武蔵のこの見の目・観の目については、様々なジャンルの職業に就く方々から再注目され、度々引用されているようです。が、残念なことに、“視覚の要職”に住まう現代美術、現代写真の内側において、この“目付”についてまったく論議されていない現状はやや奇妙な感じが致します。

昨日、先日お伝えした『ふじだな』での写真展のための搬入を無事済ますことができました。と言っても、飾り付けをしたのは額装デレクターの中村明博であります。僕は仕事の都合で遅くなり、自身の展覧会でありながら、まったく手伝うことが…いや、はじめから、中村明博という人間にすべてを委ねるつもりでいました。
本来、美の現場に入りますと、あらゆるシーン、その細部にいたるまで、自身の美意識を通底させようと、強烈なエゴを発動する僕が、彼、中村明博の、それこそ“観の目”と遭遇し、討たれ、ただ写真を撮るだけに……。
今展は「雅」をキイワードに、中村明博の額装から起こる“雅”、と、僕の写真から現れる“雅”、このふたつの「雅(=幽玄)」が不思議なハーモニーを空間へとひらきます。



蓮池水禽図・俵屋宗達(京都国立博物館)

2010/03/30

余白の折り目 / sweetest route




(ちょっと小話ー。)

〈写真の世界〉に在籍している、写真界に職を置くものにとって、ロラン・バルトの『明るい部屋』、ゲルハルト・リヒターの『写真論/絵画論』、ヴァルター・ベンヤミンの『複製技術時代の芸術』、これらの著作は、写真について語られた、論考された、非常に代表的な、お馴染み3点テキストですが、実は、あまり大したことは描かれていないんですね。もちろん、《写真》に携わっている方、またはこれから係わろうとしている方々にとっては必読の書、だとは思いますが、《写真》そのものに近づくためのルート、これは、難事と言ったら難事だし、いや、単純と言ったらほんと単純な事なんですが、どうも彼等には描き切れなかったようです(ある種の人々は自身の視覚の密度、その射程範囲の限度を補うためについつい複雑に考える、言葉による思考を利用することを好む、そしてますます《写真》から遠ざかる)。
では、他人の表現をとやかく言う前に、僕がその《写真》そのものに近づくためのルートを示せ、という事になるのですが、「野暮だな」と知りつつ、僕はこのブログにおいて“間接話法”により、いや、間接話法に頼るしか実の処ないんですが、ずっと描き続けていたのですね…(誰もやらないから)。「写真へのルートだと?だからなんなんだ!」と言われたら、まさしく、だからなんてーことはない、でも、気づきませんでした?

2010/03/27

ゴダールの岸辺にて / on the JLG bank



意外に感じられるかも知れませんが、今回アップさせてもらった「映画」は、ジャン=リュック・ゴダールの『時間の闇の中で』という作品です。
彼の作品は、よく「難解」と言われていますが、通常の、たとえばハリウッド映画などの映画鑑賞法をそこに求めずに、彼が作り出す、生み出す、編み上げる映像と音の世界に注視し、謙虚に、おごそかに参入する技さえ見い出せれば、実に気持ち良い、強烈な作品を作り続けている作家の一人なんですね。
もちろん、以前このブログに書いたように、僕は「映画」というものをほとんど見なくなったので、今回アップしたゴダールの作品は、たまたまyouTubeにて見つけたもの、それで、久方ぶりに「グッドくるぜよ!」ってなもんで、今回、唐突にご紹介させてもらいました。(ちょっと泣けてくる作品ですよ。)

ゴダール映画について、作家・JLG氏について書くことは、机上で遊ぶことを好む人々が散々やらかしておりますから、別に僕がここで無闇に言葉を費やす必要は感じませんが、ただ彼らの論述はほぼ自己満足のぬかるみにはまり込み(つまり“整理”し、解説しているだけ)、ジャン=リュック・ゴダールという映像作家を思い切り新鮮な土壌に連れ出してしまおうという、ニンゲンとの付き合い、個人と交遊する上で、なにかを理解、交感しようとする際に忘れてはならぬ「至上のやさしさ」、もしくは論者としての恋の企み、恋するゆえの「企み」がほぼ欠如していますね。
I always think it necessary.
この言葉は、上記の作品の冒頭で、暗闇の内にある男に指示した台詞なんですが、、、。

ゴダールの他、僕はイランの映像作家アッバス・キアロスタミの仕事も好きな方でしたが、もちろん、好き嫌いで作品・仕事のレベルを判断している訳ではなく、ゴダールやキアロスタミが不在の20世紀の映画界なんて実際、考えられない、ほんとツマラナイと思う。

ゴダールの岸辺にて
そこから、(かなり困難です)
旅に出ようとする者は、一体
誰?

『ライフライン』ビクトル・エリセ(2002年)

2010/03/24

海沼武史 写真作品展 / Takeshi Kainuma Exhibition


海沼武史展 『雅楽山禮図 / GarakuSanraiZu』
期間:2010年4月2日(金)~4月30日(金)
場所:珈琲自家焙煎の店『ふじだな』
時間:10時~18時(最終17時)  定休 / 水・木 臨時休業20日

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日頃から、懇意にさせてもらっている珈琲自家焙煎の店『ふじだな』にて、写真展を開催いたします。
この、高尾の山々に囲まれたちいさなお店に写真を飾らせてもらうのは、これで3度目となります。
額装および写真のキューレイトは、以前このブログでもご紹介した中村明博、故、このショーは、僕にとっては都心のコマーシャルギャラリーでやるのと何ら変わらない展示であり、重要事であります。
気分転換に、高尾の観光がてら、どうぞ立ち寄ってみてくださいね。


2010/03/21

鹿の肉を食べたさ。/ the night of the deer

昨夜は、風が強かった。

下倉夫妻(アゲと絵美)に呼ばれ、かれらの家の前で、鹿の肉を食べた。
舗装されてはいない、土の、柔らかな温もりのうえで、火の番をするのは男の仕事、アゲが「ナマで食べられるんだけどさ、両面をさっと焼いて・・・」と、北海道を駆け巡っていた野生の鹿の肉を焼いてくれた。
夜の、懐かしい暗がりを壊さぬようにと、抑えられた蝋燭の明かりの輪の内側で、「どんどん食べて、、、わさび醤油が合うんだよ」。
たしかに、わさび醤油との相性はバツグンだった。
そして絵美は、アルコールをやらない僕に、アイヌのシケレベ茶を煎れてくれた。彼女が煎れたお茶を、すこし甘味のあるシケレベのお湯割りを、僕はなぜか肌身で味わっている(?)、そんな感覚に揺られながら、言葉にならないイメージの侵入に、いつもすこしだけ不安にさせられた。
キャンプ用のテーブルの上には、カミさんの作ったベーグルや、畑で採れた野菜、絵美のおにぎり等々が並んでいたが、僕はガツガツと、鹿の肉だけを食べていた。
山に住み、どんな呼吸で、どうやって走り抜け、なにを見、感じながら、いつ、殺されたのか?
いにしえの人が、特別の、儀式の日にだけ、動物の肉を有り難くいただく、いただこうとした気持ちの動きが僕の中に入って「今夜は、野菜とかベーグルなど食べてはいけない!」などと豪語すれば、アイヌの歌い手・絵美は、いい感じに焼けた蓮根を目前で揺らし「えーっ、蓮根も食べなきゃ。見通しが良くならないよ~」と、日本の正月ではよく耳にする言葉を無邪気に放つ。

人間の世界では、土着だのブルースなどと、やや草臥れた心達のいろはにほへと、そういったテイストに対する愛着というか、そんな所にみょうなリアリテイーを感じてしまうムードはあるが、本物の土着、本当の野生とは、実はかぎりなく清潔で、ピュアで、純度の高い生活、混じりけの無い、全身に風をはらんだ、情念などという人間界のお伽噺が入り込む余地の無い、清浄な姿ではなかったかと、たぶん半月ほど前には北海道の荒野をびゅんびゅん走り回り、跳ね回っていたはずの鹿が、その肉が、僕の身体の内へと潜り込み、生命の、あの生暖かい音楽が全身に広がって、あるメッセージを、原野のイメージと供に残していった。

風の強い夜だった。
四方八方から、遠くの方で、それぞれの渦の巻き方で遊び、そのダンスを、声を、静かな樹々たちとの協奏で知らせ、唐突に、思いのまま僕たちの元へ、なんの合図もせずにやって来ていた。
下倉夫妻は、意図せず、いや、風のように、鹿が、大地があるからそこを走り回るように、なんら意図を持たなかったからこそ、たぶん、僕とカミさんに、未知の、原初の領域を拓いてくれたのだった。

夜だった。

2010/03/13

八人の王が眠りに就く処 / in the dream of the Creator


最近、不愉快なことがつづき、なかなか思うように仕事のペースが掴めず、右往左往していたところ、ちょっと気まぐれにGoogleで「マイルス・デイビス語録」と検索したら、彼の言葉が幾つか紹介されていた。

「ミュージシャンは変わるさ。変わるだけのイマジネーションが無いヤツは、本当の意味のミュージシャンじゃないね。」

素敵な発言ですね。
でも、これはミュージシャンだけに当てはまる言葉ではなく、画家、フォトグラファー等々のあらゆる表現者にとっては自明の理、・・・否、もしかしたら、この世を生きるすべての人間に求められた、普通に自身に課さなければ「ツマラナイ!」、倫理的態度ではないでしょうか。

「オレは過去にやってもうすっかり分かってしまった事は、2度とやらない。」

僕は40歳を過ぎた辺りから、ほとんど「映画」というものを見なくなったのですが、テレビも見ない、小説も読まない、人様のCDも買わない、聞かない、年を追うごとに益々この兆候は著しく、徹底しモノに成ってきて、時にその理由を訊ねられると、「つまらないから」と応えていますが、このような態度、感慨は傲慢でしょうか?でも、過去に散々感覚のすべてを這わせてきた事々、分かってしまったことの内へ、また繰り返し戻ってゆくことほど退屈で、不毛なことは無いと思う。

ある人は、僕に、おなじことを繰り返せ、と言う。なぜなら、分かりやすいから。前例のないモノや事は、まず評価されないよ、と。
そして人は、楽しみたいと言う。でも、「それ以上、どう楽しみたいのさ?どれほど楽しんだら気が済むのよ?」
人は、物事の本質や意識の極限に向こうことなどまるで興味なく、快適で、凡庸なイメージの連鎖、単純な思考内に収まる安穏としたイメージの領内、夢見心地、その繰り返しの内で満足するものなのよ、なぜなら、安心できるじゃない?むずかしい表現と付き合っている余裕はないんだよ、みんな忙しいんだからさ・・・と。
ヨユウ?
イソガシイ?
まるで貴族のような享楽、ゴラクぶりを手にした僕らのこの21世紀の暮らしぶり・・・、あ、誰もが個人名をぶら下げて自己主張可能なこの時代に??

インタビュアー「あなたの音楽とは?」
マイルス・デイビス「統制された自由」


顔のない創造主の夢の内外で、教義しらずの佛サマの掌で、物事の本質だの、極限への指向・嗜好性なんか、別段新しくも何ともない狩人の祈りに過ぎないが・・・。

春だというのに、僕はなんだかとても哀しいのだ。

2010/03/07

堀内幹の「祈り」 / the Prayer of Kan Horiuchi



年始から、堀内幹(ほりうちかん)のソロCD制作のお手伝いをし、こちらの方でもすこしご案内させてもらいましたが、今回アップした動画は、じつは、マスタリング・エンジニアに渡すための音源の最終微調整をしていた昨夜、突如、このブログをご覧になっている皆様方に堀内幹の「祈り」というスタジオ音源をいち早く、ぜひ聴いていただきたい!と、いつものように熱病発作は起こり、それですぐさま彼の了解をえ、最初は24bit48kHzの音源をMP3ファイルに変換した“音”だけを載せるつもりでしたが、音楽のみをこのブログ・ページ貼り付ける方法がよく分からず、ならば「Windows Media Playerに読み込んで・・・」のはずが、アルバム『one』の宣伝にもなればと、ちょこっと撮りためてあった映像などを付けてみました。ですが、基本的には、音だけ、音楽だけに意識をこらし、聴いてみてくださいね。(「祈り」は本来6分15秒の曲ですが、動画の方は4分03秒、つまり途中でフェードアウトしています。)
たぶん、現在の日本のミュージックシーンにおいて(なんてもんがあるの?)、堀内幹というミュージシャンは、もっとも真摯で、凄まじい熱気をはらんだ方だと、僕は思っています。