2010/12/12

アイヌ民族とは? / AINU NEW WAVE


「問う」とは、何だろう?

若い頃は、「答え」を手に入れようと、忙しなく、遠くを旅したり、色々な試みや実験を自分に課しては、その途中途上にて、多くの葛藤や不和、軋轢などを起こしてしまい、またこれも過ぎ、それでも、一歩一歩「答え」に近づいているという思いだけは捨て切れずにいました。でもね、ある時、様々な直感的行為、態度の持続によって身につけた視界の広がり・・・そのフィールドで、「答え」なんぞはそもそも必要ないことに気付くんだね。いや、在ってはいけない、というか・・・。
たぶん、僕が求めていたものは、己を安心させてくれる、もしくは戦慄させてくれる「答え」などではなく、方法論でも、「教え」でも、イデオロギーでもなく、この視界の「広がり」そのものだったのかも知れないなと、今夜、熱に浮かされた、思考停止ぎみのオヤジは相変わらず適当な感じで、ふと思うのでした。

求めて見つかるものなど、手に入るものなぞ、たぶん、高が知れているよね。その瞬間は、満足するのかも知れないけど、多分すぐ飽きるのよね。

問い続けることによって、得るだろう、得てしまうだろう無数の謎、謎は、どんどん深まって往く、否、「広がり」は彼方へと通じる門前まで、深まってゆく(?)。早朝の、霧の立ちこめる森の隅にポツンと置かれた芥子色のベンチ、遮るモノたちをまるで楽しむかのように自在に舞うヒカリの粒子たち、無限の、数えきれない、抱えきれぬほどの「謎」に包まれて、暮らす。

この世は、楽園であり、煉獄である。そして奇跡であり、幻なんだなあ〜と。。。

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