2010/09/10

堀内幹「デスマスク」について / deathmask

最近、僕はこのRiwkakantのブログで、むかし書いた散文などを載せていますが、それもこれも堀内幹の「デスマスク」という作品のせいです。
皆さんは、彼の「デスマスク」を聴き(僕も今回はじめて耳にしたのですが)、どのように感じられましたか? 僕にとってはかなり衝撃的なものでした。
ちなみに、堀内幹の「デスマスク」という動画は、先月の8月3日に吉祥寺の「MANDA-LA2」というクラブにて、フォトグラファー熊谷絵美によってライブ録音され、「幹ちゃんのライブ見てきたよ~」と、彼女から送られてきたファイルを少しばかり編集し、ご紹介させてもらったものです。
ですから、僕も、皆さんと同じように、彼の生の演奏ではなく、動画を通じて、はじめて「デスマスク」という唄に触れたわけです。それで、このブログとYouTubeにこの動画をアップする前に、了解を得ようと、堀内幹に電話を入れてみたところ、「ところでデスマスクという曲はいつ頃書かれたものなの?」と訊ねれば、「15年ぐらい前かな・・・」と。

ぶらぶらさせたカラダは
音をたてて老いてゆく
もっと明かりをくれないか
美しく腐るから

22、3の若者が、こういった言葉たちを浮上せずにはいられなかった、その心境というか、追い詰められ方というのは、尋常なものではない。
中原中也の「汚れつちまつた悲しみ」云々が、とても可愛らしく響いてくるような場所へ、彼、堀内幹は、人知れず赴いてしまった。そこで、彼は“詩人”として誕生したが、時代は、彼にポエトリーリーデイングなどという暢気な形式、表現方法を許さなかった。ゆえ、堀内幹によって掴まれた崖っぷちの言葉たちは、メロデイーを与えられ、彼自身が、これを歌わざるを得なかったのでしょう。
中也の言葉も、「異臭を放った宝石」と歌ったタテタカコの言葉たちも、透明な叙情性の内にて張りつめ、震えていますが、堀内幹はより生々しい場所へと赴いた。
たぶん、彼は22.3で夭折できたのかもしれない。いや、彼の心はすでに壊れているのか? もし、今もなお持ち堪えているなら、凄まじい気力と体力、身体力が要求されるはず。
僕は、堀内幹のスタジオ録音盤『one』というアルバム制作のお手伝いさせてもらいましたが、「デスマスク」という作品からこの『one』へと至るまでの15年間、人が、もし“表現者”であるならたぶん避けては通れないきびしい道程を、彼の歩みを想像し、ちょっと恐ろしくなりました。

皆さんは、音楽になにを求めるのでしょうか? 音楽に、娯楽を要求するのでしょうか? たとえば、文学に、なにを求めるのでしょうか?
もしくは、“表現者”に、なにを期待するのでしょうか?
僕たちは、たとえば、オランダのピストル自殺したゴッホの絵を見て、驚嘆します。なぜ、驚嘆するのでしょうか?
ピカソの仕事、その多作ぶりをみて「彼は天才だ」と嘆息もします。なぜ、嘆息するのでしょうか?
彼らの「生」にとって止むに止まれぬ行為、表現・・・、歌も、絵も、そして文学も、娯楽ではないですね。
プログラマーが01を相手にするように、土木業者がアスファルトを、もしくは大地に挑むように、“表現者”とは、自身の魂を相手に熾烈な挑戦を強いられた者たちではないでしょうか。
ただ、それだけのことです。

「ほんのたわむれだと信じて、息が止まるまで殺されると思わず、さからいひとつせず、お前の膝を枕に眠ってくれるような、そんな神仏のような殺し方がお前に出来るかね。・・・」 川端康成 『散りぬるを』より

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