写真:清野賀子
先日、知人が画廊をひらいたという案内状をいただき、茅場町まで足をのばした。
その際、その知人から写真家・清野賀子(せいのよしこ)が自殺したことを知らされた。
ぼくは、清野さんとは一度も面識なく、たんに数年前に彼女のファースト写真集『THE SIGN OF LIFE』を六本木の書店にて見かけただけという、緩い、一方的な関係だったが、「・・・ドイツの新しい風景写真の流れ、影響を受けている。でも、なかなか誠実な仕事、美しい中性的な人だな」という感想だけは持っていた。
だが、同じ職に就く者にとって他人の仕事などはしょせん人事で、「さあ、この後、どこへ往くのさ?」と、すでに彼女が赴いた意識の場所、<風景>を見てきた自分にとっては、彼女の仕事はさほど斬新なものではなく、「これからが大変なのさ」と、ただただ先輩面した想いだけが不遜にもぼくの中から生まれて来ていた。
新しく画廊のオーナーとなった知人は、清野賀子さんとは「ウツ友達だったの」と漏らした。「今まであんな泣いたことは無かったよ」と続けた。
ぼくは、なぜかその時、まったく面識の無い清野賀子をとても身近に感じ、その知人に対してかなり饒舌になってしまった。
それで思わず、画廊の棚にそっと、さりげなく置かれた清野賀子の写真集『THE SIGN OF LIFE』を手にしていた。なにかを確かめようと、もう一度、眼を通していた。
ひとりの写真家が自殺した理由を、他の写真家が問うことは無意味なこと、言葉なしの挨拶を交わすこと、送ることしか許されていないだろう。
そして、写真集『THE SIGN OF LIFE』が残された。
直訳すれば、「命の徴(しるし)」。
彼女ならたぶんこう呟くかも知れない。
「これが、わたしの見て来た風景、光景・・・わたしが求めてきた。ようやくここまで来て、来ル事ガデキテ、見ツケタノサ、コレガ、“命の徴”ナンダ」と。
清野さんが赴いた場所、たどり着いた所は、明るくも、暗くもなかった。そして、楽しくもなければ、悲しみもなかったはず。しかしそんな事態に耐え切れずに、彼女はその風景に言葉を紡ぎ、物語を纏わせることもできただろう。写真家が、特に男の写真家がふっとやらかすあの「懐かしい」という感情を誘発させる視点へと、情景へと逃げ込むことも容易かったと思う。が、彼女の誠実さ、真摯が、これを許さなかった。
まるで、絶筆となったゴッホの最期の作品「カラスのいる麦畑」のようなトーンを秘めた<風景>の場所、意識の縁にまで、彼女はとつとつと赴き、粋がって「サイン・オブ・ライフ・・・」などと口ずさみ、(かっこ良すぎるんだね)、「ほら、存在についての写真集、ね」と世に問うてみたが、さほど話題にならず、その数年後、みずから果てた。
いや、厳密に言えば、2008年に「a good day, good time」というタイトルで微妙にその位相を変えようとする写真展を開いたが、たぶん、こういった延命法、もしくは情感がはしゃぎだそうとする写真は許せなかったのだろう。彼女にとって「リアル」ではなかったのかも知れない。ただただ生きようとする、見極めようとする彼女にとっては、自身の存在を放れるほどの光景ではなかったのか。
やがて清野賀子は「写真家として死ぬ」ことだけを、ひとり静かに選んでいた。
清野賀子さん、ご冥福を祈る。
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