先日お伝えしましたように、純粋な「Ainu music video」集は、幻と化してしまいましたが、装いあらた、「Ainu music video plus one」というDVD映像作品集を、下記のCD6枚の中から3枚以上お買い上げの方、先着100名様にプレゼントいたします。
既に、これらCDをお求めになったという方々も、大切な人への贈りもとして、再度ご購入してくだされば光栄であります。
詳細はこちら。
そしてオーダーは riwkakant@yahoo.co.jp まで。
この歳になれば、自身の死について、ふと思うことはある。
今夜、夕食前に、そんなイメージがわき起こった。
目頭が熱くなったのはなぜだろう?
死は、誰にでもやって来る、とても静かで、平和な出来事のはずなのに・・・。
僕は思った。
「そうだな、死に場所は、・・・できれば外がいいな。」
明るい初夏の昼下がり、新宿の代々木公園のような、グリーンの絨毯がまばらに広がる場所が良いね。地べた座り、寄りかかるには丁度素敵なぐらいの樹の元で。
僕はそこに凭れかかり、静かに息を引き取れたらサイコーだね。
愛するカミさんが傍に居なくてもいい。僕は誰にも見取られたくないのだ。
甘い、そよ風を感じながら、無邪気にはしゃぐ小鳥たちの意味のない生の、天から降下する響きを受けて、もう最後の呼吸を楽しんでさ、、、、向こう側が見える、遠くが見える所がイイね。
僕はただ、ただ独り、消えるように、静かに深い眠りに就く。
宇多田ヒカル - Goodbye Happiness
これまで、このブログと辛抱強く付き合ってくださった皆さんからすれば、今回の動画チョイスはやや意外に感じるかもしれませんが、何を隠そう、僕は宇多田ヒカルという音楽家をそのデビュー当時から注目していたのでした。
宇多田ヒカルさん、ボーカリストとしてはさほど恵まれた喉、歌唱力は与えられませんでしたけれど、「音楽家」として、トータルにその存在の有り様に接近してみれば、その歩みを追いかけてみれば、ほんとすごい才能の持ち主であることを感覚することができます。
たとえば、Perfumeなどはね、そもそも多くの広告系プロフェッショナルによって加工され、吟味、捏造されたイメージの集合体、商品に過ぎませんから、僕はマジに聴こうとは思わないし、なんらこちら側を啓発するものが無いので興味のわき様もありませんが、宇多田ヒカルさんのこれまでの音楽家としての歩み、その実験精神は、なんだろう、とにかく「粋」なんだよなあ。美しいんだ。もちろん全米デビューにおけるあの日和見主義はちょっと、「またかあ」って気がしましたけど、あれはたぶん周りにいたスタッフ、デレクターのアドバイスの欠如ですね。
ポップスであるとか、アバンギャルドだとか、土着派?都会派?現代音楽、少数民族音楽、コンピューターミュージック等々と、僕は音楽の周りに付与された「イメージ」、ご都合主義的なジャンル区分ではその輝きの、響きの総体の内側に入り込み、耳を澄ましたりはしませんので、聴かないので、ちょっとマニアックな音楽を聴いて知ったかぶり、通を気取っている方々には、ぜひ一度、宇多田ヒカルさんの真摯さと対面、マジに触れていただく機会になればと、すこしご紹介させていただきました。
謙虚になりますよ。あるジャンル、職業におけるプロフェッショナルとは、その姿とは、立ち位置とは、マナザシとは、一体どうあるべきなのか、どういうことなのか、彼女は、慎ましくも、そっと教えてくれるのです。
『人間活動』宣言?
僕ら極貧系の表現者からすれば、ずいぶん暢気な事が言える身分だなあ、羨ましい境遇だなウンウンですが、宇多田ヒカルはその与えられた能力を十二分に、それも短期間で、「売れっ子」であるという凄まじいプレッシャーの内、なんら動じる事なく、淡々と、矢継ぎ早に「CD」というカタチに注ぎ込んで来た人間だから、そのケツノマクリ型も潔い事潔い事、お見事です、ボーダレスチルドレンさん!
この度「+Plus Tokyo Contemporary Art Fair」に出展することになりました。
エモン・フォトギャラリーから、飛田英夫、尾仲浩二、海沼武史の3名が作品を展示致します。
作品集の販売も行うそうです。皆様ぜひ足をお運びください。
プリュス トウキョウコンテンポラリーアートフェア
2010年11月19日(金)-11月21日(日)
東美アートフォーラム(東京美術倶楽部)
*詳細はこちらへ
先日、沖縄本島最南端にあるFM局「FMたまん」にて堀内幹のCD『one』が紹介されたと、このブログでご紹介させてもらいましたが、その音源を(カセットテープ!でした)いただいたので、皆さんに聴いていただきたいと思います。
ただ、その音質が、遠い沖縄からの電波を、ここ東京の裏高尾の山の麓にてなんとか傍受したような、ミステリアス、ちょっと近頃では耳にできないアナログ感が炸裂しております。申し訳ない。
それと、これは急遽お知らせが入ったラジオ生番組だったので、堀内幹をおさえることができず、代わりに僕が出演することになってしまいました。
トーク、めちゃくちゃ下手です。緊張しました。
阿寒に行く準備をしていた前日です。
下記の文章は『堀内幹 / one 』のCDレビューです。
どうぞ読んでみて下さい。
*余談ですけど、僕の先輩に15年以上お付き合いさせてもらっているアブストラクトのペインターがおります。
ひとりの絵描きとして、僕は先輩の仕事、作品を敬愛し続けておりますが、彼は大の音楽好きでもあり、それこそ60年代70年代の本物のロックを聴き込んできた方です。
僕より一回り近く年上であるその先輩が、先々月、うちに遊びに来てくださったんですが、そのとき、こんなことを仰っていました。
「ブログ、たまにのぞいて見ているよ。それでさ、日川キク子さんってほんとすごい人だね!あと、堀内幹さん。彼はなんだかジミヘンみたいなサウンドを彷彿させるね。彼のライブ、見てみたいなあ」と。
ジミヘンみたいなサウンド、先輩はあまり説明しない方なので、ちょっと補足させていただくと、・・・堀内幹は、ジミ・ヘンドリックスの音楽から感じられるようなエネルギー、バイブレーションに近いなにかを放射している、という意味です。
僕がはじめて沖縄の地を踏んだのは確か2002年の頃だから、今から8年前の事。以来、沖縄とは無縁。
当時、僕はニューヨークで生活していたので、長い時間のフライトの末にアメリカから入国するという、ちょっと厄介な入り方をしました。
なぜ沖縄に向かったかと言えば、その頃、まだ寝起きを供にしていた犬のユタ、このユタという名前は沖縄では“口寄せする者”、つまりシャーマンのことを指すのですが、名付け親であるカミさんが異様にそこらへんの事情に精通していて、「沖縄にさ、久高島という小さな島があるんだけれど、そこに行ってみない?」と言われ、彼女が勧めてくる旅行プランはいつも突飛なものだったから、「よし、行こう、行こう!」と。
透き通るような海を眺めながらのんびり海水浴、僕が沖縄についてイメージしていたのはその程度のものだった。
久高島に入り、僕らはある中年のカップルと出会った。
この夫婦は、旦那さんのお母さんがユタより各上(?)の“ノロ”、そのノロを育てるという役割を担った中心人物、代表であり、息子さんである彼自身も母親の能力を濃厚に受け継いだ雰囲気を持っていて、さらにその彼のパートナーである奥様も口寄せする人という、いわば最強霊的カップル? 周りの風景をすとーんと静けさの中に落とし込むような摩訶不思議なエネルギーを放つ二人連れに、なぜか出会ったのだ。
「今、私たちは・・・と・・・を融和させるため・・・をしているところですが、もし宜しければ貴方たちもご一緒に同行していただけませんか?」
詳細はあまり書けないので、ぐんぐん省いてゆきますが、久高島に着いたその夜、僕たちはある民宿を予約していましたが、そのカップルの旦那さんのお母さんが生前住んでいたという実家に、「今はもう誰も住んでいませんから」と、「(泊まってください)」となり、彼らのひそやかなショートトリップ、儀式へと、同行することとなった。
どのくらいの時間を彼らと供に過ごしただろうか?
太古の、真っ暗闇の夜の海を見つめながら、波の音が全身を貫いていった。カミさんも僕も訳も分からず、ただただ彼らに付き添い、神秘的な時空間に招かれて、ちょっと口外できない、公にされていない幾つもの聖地に案内され、濃密な時間の中、ひたすらコウベを垂れ続けた。彼らとの道往きで見たいくつもの光景と霊妙なサウンドは今なお僕の内側を巡り続けている。
霊的な話、神秘体験については、人によっては煙たがるし、拒絶する人も多いので、僕はあまり直接的にはそこら辺の話しは遠慮して来ました。それは奇異な眼、誤解されることを恐れたからです。しかしこの恐れが僕の中でなぜか徐々にほどけて、もしくは神秘的な体験や霊的現象についてほとんど重きを置かなくなったからかも知れません。気が向けば話せばいいし、乗らなきゃ黙っていれば良い。“それ”は、在るとも言えるし、無いとも言えるから。
(話変わり)
最近、たまたまカミさんが見てたテレビのニュースで、朝昇龍が引退するシーンを見かけました。彼は、その最後の取り組み後、土俵ギワで、まるで大地に口づけするかのように深々と頭を下げ、一瞬、口を寄せた。
祭事や儀式というものは、その地で暮らす民をまとめるための、その風土や人が必要とし、育てた形式、作法ですが、朝昇龍がただ一人、土俵ギワに接吻する所作はひどく心を討つものがあり、なんだろう、「存在感覚」とでも言うのか、現代の日本ではなかなかお目にかかれない素敵な光景を見せてもらった感じがしました。
存在感覚とは、自分の信念や思い込みを翻すような全的知覚、全的体験の謂いですが、日本の常識、マナーと呼ばれているものの犠牲者となったヤンチャ坊主の朝昇龍が、最期に途方も無い美しさを置き去ってゆく姿はじつに見事なものでした。
++++++++++++++++++++++++++++++++
では、今夜の未完成楽曲をーーー。
タイトルは「Huna」。Funaではないよ、フナ。
以前、このブログでも案内しましたが、10月末まで開催されている「海沼武史x中村明博」展のDMに使用した写真、あれはハワイのカウアイ島で撮影されたものですが、その島での出来事がこの音楽作品のモチーフになっています。
現在、僕はPCの前で阿寒滞在中に収録した日川キク子さんのビデオ編集を終え、彼女のファミリーへのDVD郵送の手はずも整え、ややほっとしているところです。
日川キク子さんのPV制作、これは、殊更誰かに頼まれたものではなく、今回、録音・録画させていただいた筋を通す、というかささやかなお返しになれば……いや、僕の内で唐突に渦巻くものあり、その声に、衝動に突き動かされただけなのかも知れません。
二泊三日の阿寒アイヌコタン訪問。
地元に住んでいらっしゃる友人たちの暖かな心遣いの元、ゆったり揺られ、甘えさせてもらい、かなりスリリングな愉しい時間を過ごさせてもらいました。
今回の旅の目的は、日川キク子さんへ「ソロCDを作りませんか? そのお手伝いをさせていただけませんか?」という話をするのが主目的でありました。
有り難いことに、キク子さんは快く引き受けてくれました。
が、現実問題、このCDはいつ完成するのか、いや、それ以前に、CD制作のための具体的なプラン、見取り図が見えてこず、今、僕はなにも考えられずにいます。
あるシンガー、もしくはミュージシャンのソロCD作りのお手伝いを一人きりで行うということは、たぶん皆さんには想像できないと思われますが、凄まじいパワーと知力、直観力、配慮等々が要求されます。これは当然、自分のアルバムを作る以上のパワーと、厳しさ、やさしさ、刻々とした作業となります。ただ、他者のフィールドに赴くということは、信じられないほどの光景、非常に不可思議な旅を僕に約束してもくれます。他者の内で煌々と静かに燃え上がる“無限”に触れてしまう瞬間、ちょっとうまい表現が見つかりませんが・・・。でも、正直、「日川キク子」さんについて語らせていただくならば、彼女は七十三歳ですが、今だ一枚もその歌声を収録した音源がこの世に存在しない、纏まった作品集(CD)が無いという驚きが僕の中心にあります。また、他のミュージシャン、もしくは録音技師、音楽プロデューサー、さまざまな方々が彼女の歌声の神秘に触れ、早急に、彼女の数多のウポポ(唄)を録音し、世に問うべきではないのかという気持ちが強くあります。
ところで、僕がアイヌ民族音楽の研究者を好かない理由をすこし書かせていただきます。
彼らは、アイヌの唄を研究対象にし、もしくは「資料」としてこれを扱い、まるで自身の研究成果を披瀝する事を主目的とし、または、第一発見者であることに学問的優越感をおぼる小癪な私欲が見え隠れするからです。
ある個人が、ある巨きなものと出会い、もし感動を覚えたなら、理屈はさておき、これをいち早く世に放とうとするのが人間の本能というものです。故、学者とは、“今、生きて在る”ものを、整理し、噛み砕き、纏め上げ、悉く「伝統」という枠の中に収め、博物館送りにし、アイヌの唄に内在する恐ろしいくらいの可能性、「未来性」に賭けようとはしない。単に過去を懐かしむための作業に終始する方々……。
まあ、でも、研究者も大学も必要なんでしょうね。ただ、その仕事、主旨とか内容はさておき、言語による表現そのものが、うつくしいものであれば。「今」を、リアルに明るみにするものであれば。
日川キク子さんのソロCD、これは僕の不遜な夢に過ぎないのだろうか?
数多の娯楽音楽が量産され続ける節操無き現在のミュージックシーン、意味のない歌声が横行するこの聴覚世界にあって、彼女のソロアルバムを、ただ誰よりも待望しているだけなのかも知れません。
この地球上に、僕たち人間が住めなくなる日はやがて来るだろう。
人類の終焉を、せっせと早めているのは、もちろん僕たち人間なのだが、この地球から消滅するのは「人間界」と呼ばれている生態系だけだから、別に構わないか……。
しかし、問題は<音楽>。
音楽は、この世にあるべきか、あらざるべきか?
もし、この世に人間がつくる音楽、“響き”の表現体がある日ぱたっと消滅したら、僕たちは一体どうなる?
たぶん、医者と薬局が繁盛するくらいで、いや、その繁盛がまたこの世の終わり、人間界の終息を加速化するだけで、やはりこれも大した問題ではない(と、音楽の制作に携わってきた者がこんなことを書くのは問題か……。)
「無人島に一枚だけ持ってゆくCDは?」と訊かれても、電気のない、人間のいない無人島で、人間がつくった音楽を聴きたくなるだろうか?
もし、その島にカモメがやって来るようなら、かれらの鳴き声に耳を澄まし、僕たちはのんびり風と共に過ごすのさ。鳥たちの歌声、波の音がナチュラルオーケストレーション……。
やがて、僕たちは鳥たちの鳴き声に合わせ、思わず口ずさんでしまうかもしれない。
「〜〜〜〜♪」
そしてこの瞬間が、人間の“唄”のはじまりなんだ。(知っていましたか?)
アイヌの唄、ウポポとは、この唄の<はじまり>から、もっとも近い所にあるように感じる。そして今も、そこに身を置いている。まるで、自分の美しさを知らない草花のように。ちいさな恥ずかしがり屋さんのように、目立たず、ひかえめで……唄は、ただ<在る>。
ただ在る、これが一番むづかしい存在の姿だけれど、ウポポはまさに其処に在る。
たとえば、喉をウイウイすればアイヌの唄に近づける、歌えるなどと、おおきな勘違い。唄の出自(ふるさと)は、大自然が鳴らす、奏でる、無限の音色、無数の響きからもっとも近い所に在る。
たとえば、樺太アイヌのトンコリという楽器の生音がなぜあんなに小さくてか細いのか、わかりますか? 人間が意図的にたてる音が、自然界の音をけっして邪魔してはいけない、凌駕してはいけないという思想が、真心が、生活が、彼らの内に揺るぎ無いものとして在ったからだ。大自然の音、もしくは<声>を聴いていた……。
が、最近はどうよ、アイヌの唄を歌おうとする、学ぼうとする日本人が増え、皆、なにを勘違いしているのか、仲良く喉を使ってウイウイやって、恥ずかしくないのかしら?
まず最初に、唄の心(中心)というものを学ぶべきなのだ。そこに身体を拓いてゆくべき。でなければ、自分の心臓に直結した歌い方、自分の足元から淡々と膨らんでくるだろう唄い方を逃してしまう。歌い手の個性、その魂と、それぞれの喉という器官の形状または特徴に合った唄い方以外は、不毛なのだ。
アイヌの唄は誰もが歌える、覚えやすい、シンプルなメロディーだけれど、実は誰もが歌えない、歌い手の心がもろバレしてしまう、歌唱力などでは誤魔化しようのない「なにか」が秘められている、内在されてしまった恐ろしい唄、作品なのだ。だから、気軽に歌わない方が良い、貴方の素性がばれてしまう。
ところで、ネイテイブ・アメリカンのブームが去り(ちょっと乱用し過ぎたから)、次はアイヌだと、品のないスローライフな人々が、「アイヌ」というキャッチに寄り添い、利用して、“表現”することの恐ろしさも知らずに、楽しければいいんだって軽いノリで(でもその自意識だけはへヴィー級)、なんだかワイワイやっているけれども、ほんと最近の日本人ってのは節度・節操を放棄してしまったようだ。
では、唐突に、僕が尊敬するミュージシャン、今日はボブ・マーリーの歌声を。
彼は神でもヒーローでもオピニオン・リーダーでもない。ただ、奇跡的なミュージシャンだった、としか言えない。
この曲のタイトルは「Redemption song」というのだけれど、直訳すると「救いの唄」って感じか。
他のジャマイカのレゲエ・ミュージシャンはほとんど「スタイルとイメージ」で終わったけれど、彼の音楽、唄は「スタイル」ではなかった。単独的で、荒唐無稽な幻想力、想像力(愛)をもっていた。ゆえ、日本人がドレッドヘアーにしてどうすんのさ!って話。。。
Bob Marley - Redemption song
一昨日に引き続き、SANPEこと千葉伸彦のトンコリ演奏をお愉しみください。
それでこれは余談ですが、今月末、僕はカミさんと供に阿寒のアイヌコタンへ行く予定です。
一ヶ月ぐらい前、事の成り行きで(?)、いや、星の誘惑により、日川キク子さんの元へ挨拶に往くことになりました。
たぶん、郷右近富貴子さん、その母上である床みどりさんにはかなりのご迷惑をお掛けしつつの小旅行になるかと思います。でも、今回のショートトリップは決して僕にとっては“旅行”ではないのよね。
数年前、一度だけ、阿寒に足を踏み入れたことがあります、という言い方も変ですが、これは千葉伸彦さんの研究、フィールドワークのお手伝いで、フォトグラファー海沼としての同行でありました。千葉さんご自身も、ミュージシャンとしてではなく、アイヌ民族音楽の研究者という立場、阿寒地方に古くから伝わるウポポ(うた)を採譜化するためのレコーデイング、記録、調査等が主な目的でありました。
しかし、アイヌ民族の文化、またはその伝統音楽の研究者ではない僕はひたすら暢気なもので、「ああ、床絵美の歌声が育まれた場所はこういった空気と温度が流れていたのか・・・」と、かなり千葉さんにご迷惑をお掛けしたことを思い出します。それで、第二回目の調査の折にも、千葉さんから「また阿寒に往かない?」と誘われましたが、千葉さんと僕の微妙な立場の違いから、ちょっとした行き違いとなり、その時はお断りしたのでした。
あれから、はじめての阿寒往きから、もう二年以上が経ちました。「もう二度と、僕はここに来ないだろうな」と、釧路空港へと向かう車の中でひとり心に決めたことを、さらっと、まるで無かったことのように胸底に沈め、「奥さんも連れていらっしゃいよ」という床みどりさんの一声により、また、床絵美の配慮(?)から、カミさんご同伴ということとなり、「(んー)」、今から、すでに少しばかり緊張しつつ、やや気が重くもある武史さん、「ハイ!」でした。
昨日、「世田谷ものづくり学校」で、トンコリ奏者・千葉伸彦のライブがあった。
一ヶ月ほど前のことか、千葉さんから、「ライブをやるんで、撮影してくれないかな」という電話があり、「あ、いいですよ」と返事をしておきながら、ちょっと不安になって詳細を訊ねたところ、どうもそのライブの始めから終わりまでの記録映像を残したい、撮影して欲しい・・・そうな。
基本的に、僕は“記録”のための撮影はやらないので、そんな撮影は、舞台の位置を確認し、三脚でも立てて、ビデオカメラ君に任せておけば良いのだし、なにもわざわざそこまで行き、Recボタンを押す必要もないでしょう。(笑)
でも、千葉さんからの依頼なので断るわけにもゆかず(彼は滅多に人にものを頼まない)、「もし、youTubeにアップできる動画を撮っていいなら手伝ってもいいけど」と。
単なる記録映像と、“作品”としての記録映像の違いを、今ここに書こうとすれば長くなるので止めますが、とにかく、昨日の千葉伸彦のギグは最高だった。久方ぶりに、彼のトンコリ演奏、歌声を聴き、撮影しながらも、僕は思わず泣きそうになりました。
三年前に、僕はアイヌの唄い手・床絵美の紹介でアイヌの血は流れていない千葉伸彦というトンコリ奏者、音楽家を知り、彼が奏でる、紡ぎだすトンコリの音、その深い、奥行きのある“響き”に打ちのめされ、当時、僕は床絵美との共同作業、スタジオワークに専心していましたから、その勢いで、彼の初めてのソロCD『千葉伸彦 Nobuhiko Chiba / トンコリ Tonkori』のサウンドスケープおよびプロデュースのお手伝いをさせてもらいました。
あれから、早いもので、もう三年の歳月が流れました。
それで、「これは手前味噌になるから」と、今まで彼のソロCDについて書くことを一切自分に禁じて来ましたが、そろそろ書いてもいいかな、と。
CD『千葉伸彦 Nobuhiko Chiba / トンコリ Tonkori』は、たぶん十年に一度出るか出ないかの、ちょっと奇跡的な作品に仕上がったと感じております。
千葉伸彦とは、アイヌの、古くから伝わる伝統曲の“演奏家”、トンコリ奏者ですが、唯一無二、天才的なプレイヤーです。そして、トンコリ楽曲の、現存するただ一人の正統継承者かもしれません。
もちろん僕は、ここに“アイヌ”という言葉、枠を入れる必要は最早無いとは感じています。なぜなら、音楽家として、演奏家として、彼のその表現レベルは、美しい位階へと達しているからです。スペインのパブロ・カザルスというチェロ奏者が、ドイツの作曲家であるバッハ作品の天才的な表出者、演奏家であったという、その客観的事実において...。
床絵美という野生とエレガントを見事に融和させたような存在と出会い、彼女の歌声を通じ、僕ははじめてアイヌの唄を耳にしましたが、アイヌの唄、伝統曲が、いかに人間にとって根源的な響きをみなぎらせているか、“作品”として恐るべき完成度に至っているのか、これについては以前リウカカントのCDのライナーノーツで簡単に触れました。また、北海道の阿寒湖畔に現在する天才シンガー(あえてシンガーと書いているのです)、日川キク子さんについてもこのブログにてご紹介させてもらいました。
本来一人の作家であり、批評家、言葉と印象を弄ぶだけの評論家ではない僕が、非常に高度な、すぐれた表現を紡ぎだす彼らの、千葉伸彦と日川キク子のご紹介など、実はたいへん不本意なことだと思っています。もし誰かが、彼らの素晴らしさを、僕のような稚拙な言語表現ではなく、明瞭なる形式によって紹介してくだされば、書いてくだされば、どんなに有り難いことか・・・。
上記の、アップした動画は、昨日の千葉さんのライブからです。この日のライブより、千葉さんはご自身をサンペ SANPE (アイヌ語で心臓の意)と名乗っています。
アイヌ伝統曲であるとか、トンコリという見慣れぬ楽器であるとか、こういったことを括弧に入れ、なんら“音楽的な”先入観なしに聴いていただければ、演奏家としての彼の偉大さが、十分にご理解していただけるかと思っております。
p.s.この映像の音、その録音の質はあまり良くありませんし、前半、ガタンゴトン!という会場音がかなり気になりますが、その発信地は千葉さんのお二人のお子さんによるものなので、どうかご了承ください。
夏ノ終ワリ (Sep/10/01)
スクット立ッタ
樫ノ樹ニ背中ヲツケ
根元ノ膨ラミニオ尻ヲオイテ
今日 ボクハ
天ニ拓いた夏ノ葉ノヒトツヘ
変ワッテイタ
何カガ
沈メテイタ
見ズ知ラズノ夜ヲ
見セテクレタ
天ニ拓イタ夏ノ葉ヨ
天ニ拓イタ夏ノ言霊
受ケ止メキレヌホドノ
星タチノ激シイ視線ノ下
「足が有るなら歩けば」
囁ク 樹
気
生・・・
柵ニ囲マレタ
無辺ノ大地デ
スクット立ッタ
樫ノ樹ノ元へ
夏ノ終ワリ二
夏ノ終ワリ
沈メテイタカナ染ミガ
スクット天マデ広ガッタ
タッタ四次元ノ現象二
見蕩レテバカリイル
ジブン以外ノ人ニ成レレバト
イツモ夢見テイタ
多クヲ語ラナイ小動物ヲ前ニシテ
喉ヲ詰マラセテイル
戻ルハズノナイ
過去ノ記憶ヲ追イカケ
手ヤ胸ヲ合ワセテイル
カリソメノ
言葉デデキタ
「教え」ニハ
モウ頼ルマイ
今夜ハ タダ星空ノ下
樫ノ樹ノ元
キミノ歌バカリヲ聞イテイタ
++++++++++++++++++++++++++++++
この散文が書かれたのは2001年9月10日ですが、当時、僕はニューヨークのブロンクス、Riverdaleという街に住んでいました。そして翌日、あの「9.11.同時多発テロ」、マンハッタンの世界貿易センタービルが倒壊するという大惨事が起きたのです。
今日は、奇しくも9月11日で、別に狙ったわけではありませんが、あの日から、すでに9年もの歳月が流れています。ちょっと不思議な気持ちになりますね。
9月11日----。午前中、僕たちは突然の電話、高知県に住むカミさんの母上から「あなたたち大丈夫!テレビ点けてみなさい!いま、大変なことが起こっているじゃない!!」という連絡により、事の真相を知りました。
暢気なもんで、現場近くに住んでいる人間が、日本に住む親から事態を教えてもらうなんて。幸い、ブロンクス・リバーデイルという地区は、マンハッタン島からやや離れた北に位置しているので、なんら被害を受けずには済んだのです。
そして、テレビを点けてみると、まるで良くできたドキュメント映画を見ている感覚に・・・。「大変なことが起きてしまった!!」それでも、成す術はないので、いつものように犬の散歩へと、歩いて5~6分の所にある<John's Run>へ(それが僕たち夫婦の日課)、そこで仲間たちと朝の挨拶を交わし、いつものように犬の手綱を解き・・・。
犬にとって、WTCなるものは存在しませんから、その巨大なビルが爆破されようが、倒壊しようが、数多くの人間が瞬時に殺されようが、死のうが、まるで別世界のお伽噺、普段どおり、犬たちは大はしゃぎ、でもその朝は、僕たち人間は、なぜかあまり冗談を飛ばしあうこともなく、皆、やたら静かにしていたことを想い出します。
その「John's Run」という名のドッグランは、高台にあったので、南の方角に眼をやれば、濛々とした煙が上がっていることをすぐさま確認出来ました。
成す術がないとき、そしてその成す術のない状態を共有せざる負えない時、僕たち人間はあまり多くを喋らなくなります。そして、人種、そこの犬仲間たちはユダヤ人もいればユーゴの人、ラテイーノ、チャイニーズ等々と、人種的に多様でしたが、なんだろう、あの朝だけは、皆、生粋の人間、人種を超えた裸の、ヒトとして、その場所、異様な時間の流れを、ただただ共有し、見つめあい、ひとりひとりが、立っていた様な気がします。
もし自然災害であったなら、僕たちはまたちがった感情を抱くことになりますが、あの朝起こった出来事は、あくまでも“人為的”なもであったこと、生暖かい血が通う僕たちと同じ人間によって引き起こされたという事実が、言葉にはならない状態へと、僕たちをある心理の奈落の方へと緩やかに突き落としたのでしょう・・・。
普段、<John's Run>に集う犬仲間たちを、「この粗雑なアグロサクソンどもめ!」とか、「ここは個人主義の末期の国さ!」とか、毒づきまくって、彼らから“モンスター”などと呼ばれていた僕が、あの朝だけは、・・・どうもうまく言葉になりませんが、なにか、人間の一等深いところにある真の“姿”を、ありありと見せてもらったような気がしたのです。
今から9年前のこの日に起きたあの大惨事も、実はアメリカの自作自演であったとか、色々言われています。が、僕たちのような庶民にとって成す術のないことが現実の裏手で動き続けていることは、たぶん間違いないことで、それもある少数の人間、グループによってこの社会が、経済がコントロールされていることも、まあ、確かなことかも知れませんね。
あの、なにが言いたいかって?
かわりに誰か言ってくれませんか?
・・・僕らはどうしょうもなく意気地なしで、また、崇高なんだ、と。
はてなしの舞 (July/17/01)
はてなしのはて
そのはてまいり
そのはての國へ
さてはワカモノ
ひとり首すじに
いとうるわしき
ちょうをつれて
遍く聲にゆられ
よいと体うかし
気を祓いしずめ
はてなしのはて
そのはてを往く
こころ以て
こころ伝え
こころ以て
こころ送り
非を割るか
無を身篭り
カミくだき
カミおろし
カミむかえ
カミのみや
よのしらべ
よにしらせ
はなたれた矢
ゆくへ知らず
われをわすれ
遍く聲にふれ
めざせやあの
はてなしの國
更にめざせや
はてなしの宇
はてなしの空
町も人も離れ
あのはてなしの國にてはてなしの舞
やがてよるもひるも (July/28/04)
やがてよるもひるもめをさますだろう
自己滅却という
ことばのウラを覗くまえ
草原が
ほら 全身に
拡がりはじめた
やがてよるもひるもめをさますだろう
自己認識という
ことばのハリを消し去るまえに
朝顔が
ほら全身に
咲きはじめた
気をもんで
気をもんで
気を枯らす
医者が繁盛する時代はおかし
沖縄の民は
気の振れた者を丁重にあつかう
都会では
気の振れた者をクスリ漬けにする
病名が増え続けるこの世界
健全な人間は同情に値しない
のびちぢみのびちぢみ
ひきこもるとくべつなりゆうもなしにひきこもる
のびちぢみのみくだし
ろうじんまでもがひきこもり
ひとめをきにしてひきこもる
すでに部屋の中は世界
世界はもはや部屋の中
だれが満月に触れようとするのか
手を延ばせば
届くかもしれないというのに
ああ だれか三千年ぶんの雨を
はやく三千年ぶんの愛を
百の姓を名乗っていた農民が
スターだった時代は疾うに過ぎた
道ゆくエンジェルたちはポッチャン便所を知らぬ
芸のない成金にはどうか無人島三年ひとり暮らしを
テレビのない明るい生活
満点の星空とふるえるような闇の中で
換金できない至上のヒカリは
今もただ黙ってそこに在るというのに
だから三千年ぶんの愛を
はやく三千年ぶんの雨を
ここに降らせよ
巧妙なブレイン・ウオッシュ
顔のない神経風の悪戯か
気をもんで
気をもみすぎて気を枯らす
おおジーザス煙色の御人
あての無いココロたちの内ではやく目覚めよ
こどもをあいせなくなった親たちの集い
親たちをみとめられなくなったこどもたちの黄昏
部屋の外に住む
動植物たちがみたら さぞかしおっ魂消ることだろう
三千年ぶんの愛を
お肌の曲がり角
地球にも幾多の曲がり角はあった
地球というボデイーのお臍は
ギザのピラミッド とは?
この世の片隅で起きた馬小屋の奇跡
それは美しい物語
菩提樹の下では柔和な笑みがうまれ銀河もふるえた
世界史の裏通りでは
数多の見知らぬ覚者たちの歌声が 音楽が
今もなお響きつづけている
数千の御ワザと数十億のアヤマチ
無意識の泥濘は視界を被い
ろくでもない思考はココロを惑わす
<存在>にはあの楽園の記憶
午睡の光景 ことばによっては囲いきれぬヒカリが
びっしりと詰め込まれている
齧られた真紅の林檎
だれの仕業か
善と悪が真っ二つに割れ
善悪を知り
善悪の愉悦に酔い
混乱し 追い込まれ
ゆえ彼岸へと渡り
宗教が生まれ
此岸へ返り 芸術がうまれ
どこに置き忘れたのか
こじんてきな
すいたほれたはもういいから
はやく
はやく三千年ぶんの愛を
終わるまえに
ここが終わるまえに
まぼろしがまぼろしとして朽ちてゆくまえに
ここに降らせ
嘆きつづけた壁たち
立っていることに疲れ
人間の切ない祈りに耳澄ますことを止め
ヨーロッパの国境あたりの死の淵で
思い思いに倒れこむ
だが
こうして・・・
やがてよるもひるもめをさますだろう
僕の甘ったれた心を突き刺した理不尽な出来事が早朝すくっと予期せぬ方角からやって来た。それが僕をまたあの哀しみの沼地へと誘い、今ここ、には、そんな出来事は記憶の夢跡、すでにリアルではないのに、厭世観というコトバ、誰が考え付いたのか、みょうちくりんな文字の呪縛、罠に引っかかりそうなのさ。
ニンゲン界にはさほど期待しておらぬ絶望の果てにも愉悦が在るのだと、すでに幼児期に悟りを得たカミさんからすれば失笑されそうな出来事であることには違いないが、今だ崖っぷちは「ヒカリでできている」のだと、・・・いや、逆にカミさんこそがニンゲンのどうしようもない程の残酷非道ぶりを、いや、真善美を確信し・・・、が、真相はどうだろう?希望も絶望も無いフィールドで、なんとも懐かしいような、深い、点滅する黄金色の粒子を撒き散らす存在の、思わず自意識などという架空の物語が幾重にも層を成してバウムクーヘンのような不埒な「私という(名前)意識」をとろけけさすような「微笑のヒト」には、今だかつて出会ったこと無いから、どこで身に付けたものやらニヒリズム、ヒロイックな思想感覚にたぶらかされている僕は、ニンゲンの、いや、人類の何マン年の歴史の様々なドラマについて行けず、困っているのだ。
…ならば、
旅に出ようか?
…「どこへ?」
虫になろうか?
…「どんな呼吸か?」
名前を持たぬ小さな草花の祈り
いずれにせよ、さほど長くもないヒトの世の夢。いっそ芸に身を滅ぼすまで歩いてみようか、それとも…。
「至る所 otherness 」
- 写真家 海沼武史と額装デイレクター 中村明博のコラボレーション展 -
期間:2010年9月4日(土)~10月31日(日)
場所:喫茶おとくら
住所:〒522-0201滋賀県彦根市高宮町1121
時間:土・日のみ営業 10:00~17:00
交通:JR彦根駅にて近江鉄道乗り換え高宮駅下車徒歩10分
またはJR南彦根駅下車徒歩20分
連絡先:otokura.kissa@gmail.com
+++++++++++++++++++++++++++++
ある写真関係の知人が、「海沼武史も、ついに写真だけではもたなくなったから額装にこだわったか。そんな風に思われやしないか」と、そっと忠告してくれた。
なるほど、世の中にはひねくれたモノの見方をする人もいるから、今回の展覧会について、そんな風に皮相的にとらえる方々もいることだろう。
が、そう思われても仕方ないほど、確かに、額装デイレクター・中村明博の仕事はたいへん美しいものである。
具体的な額装について、僕はいつも彼に写真を渡すだけで“完全おまかせ”だが、これは当然のことで、才能ある、際立った美感をもつ人に、とやかく「こうしてほしい、ああしてほしい」などと要求するものではない。
こちら側のセンスを相手に押しつける、もしくは指示してしまうのは、勿体なさ過ぎるというもの。
たぶん、クリエイター、アーチストを名乗る者たちは、じぶんの美意識について、実のところ深いところでは自信が持ちづらい故に(?)、つまり聡明に客観視することの難しさ、他人が開く秘めやかなる美意識に気づき、これを愉しみつつ、自身の仕事に取り込んで往くスペース、余裕がもてないのだろう。(あ!僕は誰にでも“完全おまかせ”をする訳ではありません)。
それで、この「額装デイレクター」という名称、「コピーライター」という職業がまだ存在していなかった50年前(?)と同様、額職人という職種はありましたが、僕が中村の仕事を確認し、咄嗟に思いついたことで、これについてはこのブログでも触れましたが、なにやら胡散臭く感じる方々もいらっしゃることでしょう。でも、これも覚悟の上、ゆえ、実際は、「とにかく実物を見てください」としか言えないのです。
ただ、僕は、有難いことに、目映いばかりの仕事をする人と出会ってしまった。そして写真家のサガが獣のように躍動し、思わず、その存在に見合った「ライト」を浴びせたくなった。ただそれだけのことです。
江戸の初期、この日本に俵屋宗達と本阿弥光悦という本物のクリエイターがいましたが、かれらの仕事、その共作をご覧になったことがありますか?
<共作の夢>---。
おこがましくも中村明博と僕は、そんな夢を、21世紀という表現者にとってはすこぶる虚弱な時代に、ただひたすら、見つめようとしているのです。
もしお時間の都合よろしければ、一度、その眼で確かめに来てくだされば、光栄に存じます。
2010年9月1日発売 (9MNT001) - here
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
年明け早々の1月4日(月)---。
堀内幹が2本のギターを携え、裏高尾の麓にある僕の自宅兼作業場にお越しになられ、その2階にあるhigh tail studioにて、一気呵成に録音された彼の、その眩いばかりの祈りのカタチが、ようやく世に放つことが叶いました。
彼の凄まじい熱量を、一つの「CD作品」というイノチの塊を、ようやく皆さんの元へ送り届けることができます。
彼は、この10年もの間、「ライブにしか音表現の真実は無い」と、ひたすらライブ活動に専念し、ひとり果敢に生の現場にて数多の聴衆の前で歌い続け、今なおその揺るぎ無い意志はぶれることを知りませんが、この『堀内 幹 / one 』は 、彼の初めてのスタジオ録音盤となります。そして、堀内幹のライブを目撃し続けてきたファンにとってこのCDは、やや戸惑いの反応をなされる方々もいるかもしれません。ただ、ライブでの体験と、純粋に音だけ、CD鑑賞における体験とは別物であることも忘れないでください。僕もいちミュージシャンとして、10年以上も人前で演奏してきましたが、ライブとは、その場の状況や雰囲気によって出来不出来がかなり左右されるものであり、純粋なる音体験、シビアな音との対峙はかなり困難な場でもあります。なぜなら、視覚的な情報が氾濫し、聞き手の集中力を削ぐからです。人は、音を集中的に聴き込もうとする際には目を閉じます。
もちろん、ライブの現場における触覚的な感受、予期せぬ事件性、生々しい身体的体験がライブ演奏の魅力ですが、CD、かつてはレコードと呼ばれていましたが、録音物とは、ライブにおける「出来不出来は蓋を開けてみるまで分からない」的な曖昧な態度は禁じられ、言い訳ナシ、つまりスタジオワークとは逃げ場の無い、誤魔化しの効かぬ、ミュージシャンのもうひとつのぎりぎりのライブ(生)の姿を定着し得る世界であり、ライブ演奏とはまた異質の厳粛さと緊張を強いられるシビアなフィールドであるように感じています。そして、本来の楽しみ、張りつめた娯楽とは、こういった生への実践、プロフェッショナルとしての自覚、謙虚さ、または真摯さの内から思いがけず炸裂するものなのです。
僕たちは、ジョン・レノンやボブ・マーリーのライブ演奏を生で見たことはありません。しかし、彼らの残したす音源を通して、音源のみで、彼らと出会っている、出会うことが可能でありました。
『堀内 幹 / one 』全8曲。すべて、テイク1~2。
聴衆のいないスタジオにて、その窓の向こうに広がる高尾の山を前にして、彼は一体、誰に向かって歌ったのか? どこに向けて、何に向かい歌っていたのか?
ミュージシャンにとって、もし奇跡が起こる瞬間があるとするなら、それはたぶん途方も無く静かな場所で起こると思ってます。
言葉に成らない、リピートのきかぬ、たった1回限りの向こう側の響きの神秘(マジック)を、物質という硬化なプラスチック盤に録音、記録すること、その奇跡に賭けること。
++++++++++++++++++++++++++++++++
床みどりさんの唄声は、以前、僕のソロ楽曲「カリフ kalif」という作品内で慎重に使用させてもらいましたが、今回はみどりさんのウコウク(輪唱)、そしてソロ、本物のウポポを贈らせていただきます。
キクさんとはまた位相の異なる美しい歌声を、響きを・・・。
僕たちが、まだこの大地に在ることを強烈に実感させてくれる、恐ろしいぐらい包容力のある唄声を・・・。
a film by Takeshi Kainuma 海沼武史
『Silent Monochrome』 -Living with Photography-
2010.6月2日(水) - 6月30日(水) 休廊日 : 日曜 / 祝日
エモン・フォトギャラリーでは、『Silent Monochrome -Living with Photography-』と題し、生活空間の中に取り入れる写真作品を提案す る試みとして、4名の作家によるモノクローム作品による展示を開 催致します。
自然や人工的な造形物の中に「無限の調和」を見いだし、ミニマル で洗練された美の世界を追求するDavid Fokos
静謐な闇と光が作り出す一瞬のゆらぎの瞬間を捉え、昨年の個展で はインテリアとコラボレートした展示で好評を博した木村尚樹
一見無機質な都会の雑草の中に息づく「光」と「生」を捉え、限り なく白=無の世界へと近づいた海沼武史の『the Bush』
そして日本人であることの精神性を写真を通して探し求める作家、Coju の作品は、見る者を旅へといざない心のうちにさざ波のようなやわらかな波紋を作り出します。
また、この展示は6月2日から4日まで東京ビックサイトで開催される新しいコンセプトのライフスタイルフェア、『Tokyo Life Style Photo』のサテライトとして連動しています。
ギャラリースペースでは今回のフェアで展示している作家の中から上記4名の作家によるサイレントモノクロームの世界を展開します。
皆様のお越しをお待ち申し上げております。
EMON PHOTO GALLERY
106-0047東京都港区南麻布5-11-12Togo Bldg,.B1
Gallery 03/5793/5437 Fax 03/5793/5414