2008/10/15
カピウ ウポポ / Kapiw Upopo
二人、いるよ
どうやってあなた、食べさせるの?
私、盗んでも食べさせるよ
どうやって、あなた着せるの?
私、盗んでも着せるよ
How many children do you have?
I have two.
How do you feed them?
I feed them even by stealing.
How do you dress them?
I dress them even by stealing.
here・こちら
2008/10/05
シルヴィ・ギエム+土方 巽の友枝喜久夫ブレンド / moderndance
photo by Takeshi Kainuma
一昨日、日本橋劇場までカミさんと一緒に「第29回選抜新人舞踊公演」を見に行ってきました。
もちろん、僕が1990年に作った楽曲「the end park」を伊東由里というダンサーがどのような解釈をし、また振り付けをするのか、これを見るのが目的でありました。
でなければ、僕は振付家ではありませんので、わざわざ遠方まで“新人の舞台”を見に行かない。
その後、やや僕の内側でダンス熱が再燃し、再燃したところで、また「踊ろう」とは思いませんが、しばし考える事あり、インターネット上で記憶の再確認作業をしていたら、なんだかダンスについての啓蒙精神がふっと目覚め、とりあえず乱文覚悟で、この熱が覚めやらぬうちにすこし書いておきます。
単刀直入に結論だけ述べれば、21世紀のダンスとは、シルヴィ・ギエム(Sylvie Guillem, 1965年2月25日 - )と土方巽(1928年3月9日 - 1986年1月21日)の一見大きく異なる2つのスタイルの高次ブレンド、それを能役者・友枝喜久夫 ブレンドと呼ぶことが出来ますが、そこら辺にしか無いように、若手の創作モダンダンスに久方ぶりに触れ、そう観じたのでした。
シルヴィ・ギエム、そして土方 巽は「天才」であり、まして友枝喜久夫翁に至っては「あの世とこの世を往来しながら」舞台上に見事な異次元空間を拓かせる才を掴み取った稀有の踊り手でしたから、僕がやんちゃに21世紀のダンサーの目指すべき場所は「シルヴィ・ギエム+土方巽の友枝ブレンド」なんて、「おいおい、中尾彬かっ!」って話ですよね。
まずシルヴィ・ギエムのダンスビデオを ここ で見てください。
そして、伝説の舞踏家・土方巽のビデオは ここ で見ることが出来ます。
たとえば、コンテンポラリーダンス、つまりモダンダンスや舞踏は難解であるという声をよく聞きますが、これは、観る側が「言葉によって意味を構築、解釈しようとする」からであります。
そもそもダンス、身体表現とは、言葉にならぬ「なにか」を身振りや手振りを交えて伝達しようとする行為、またはその延長にあるものに過ぎません。
書き文字を持とうとしなかった民族の踊りが非常にシンプルなもので、時として文明にやられた僕らの眼から見て、いわゆる「鑑賞」には堪えませんが、人間が書き言葉というもの手にし、編み出した後の文明、そこから生まれたダンス表現とは、「踊りたい」という僕らが本来的に有している原始本能はとうぜん変質を被りますし、またそのパッションは微妙に個別化され、意味の網目(一種の文明病)はより複雑なものに成ってゆきます。ですから、実際、ある舞踊作品を「理解」していると自覚(錯覚)しているのはその作品の振付家、もしくは演出家のみで、別に現代の舞踊、舞踏というものを、僕らが「理で解する」必要はまったく無いわけです。
ダンス表現が「難解」なのではなく、たぶん僕らが太古の時代に有していた共通の「条件」、広義な意味での共有しうる「法・根幹」というものを喪失し、人類が、そのほとんどが集合意識から個人意識へとシフトし、「孤独」という共有不能なそれぞれの個人的感情を、あの星空の元へ今なお昇華しえないがゆえの「離脱感」、それが一般の方々が感じられる「難解」という感想の因なのではないでしょうか。
伊東由里さんの「the end park」、彼女が付けたタイトルは「そして骸になりて」という、やや観念的なタイトルでしたが、人間が抱えてしまった「意味」の複雑な網目の裂け目からふっと垣間見えるあの「ヒカリ」にそっと手を伸ばそうとする、、、、人間的苦悩の限界を知る、その罠を本能的に知悉する者の身体表現でした。
p.s.苦悩と戯れる事を選び続けているある種誠実でもっとも優秀なダンサー+振付家ウィリアム・フォーサイスとピナ・バウシュのビデオは、こちら と こちら。よろしければ参考までにご覧下され。
2008/10/02
21世紀のワイルド・サイドとは?/ Walk On the Wild Side
ワイルド・サイド・・・? あの、歌舞伎町を歩けって事ではないですから。
ロックロック、ポップポップ、ラップラップ・・・って、実際は、ロックミュージックとはすでに1970年代に、すさまじい“高み”まで到達してしまったわけです。
パンク音楽(?)で一斉風靡したピストルズのジョニー・ライドンが、確か1980年後半(定かでない)、「ロックは死んだ」と嘯いていましたが、事の真相は、ロックまたはジャズは1970年代を霊的に駆け抜け、その使命を果たすことなく、つまりロックやフリージャズにそもそも始めから内在していた「あるもの」、その本来の理念を物象化することなく、世界をおごそかに変えることも無く、ただただ深い眠りに就いただけです。
ルー・リードの70年代の名曲「Take A Walk On The Wild Side」
そしてこちらは、したたかに生き延びたオトナなルー・リードの「ワイルド・サイドを歩け」。
さらにこちらは、オペラ歌手のパバロッテイと饗宴した際の「Perfect Day」という曲ですが、やや緊張のルー・リードと、いかにリハが不十分であるかが分ります。
それでこれは必見!各界の一流ミュージシャン、シンガー達が、ルーの「Perfect Day」を歌っています。特に、U2のボノが良かですたい。
ぜし、見ませう。
そして、21世紀のワイルド・サイドを各自、歩きませんか?
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p.s.アイヌの唄に内在している「あるもの」・・・。
いつ、その「眠り」から目覚めるのだろう?
2008/10/01
ルー・リードに花を ・・・。/ Lou Reed's Berlin

昨夜、ちょろっとネットサーフィンしていたら、思わぬ人がある「映画」に出演していることを知り、懐かしさのあまり、すこし書きます。
その人とは、ロックミュージシャンのルー・リード(Lou Reed)。
2007年度のカンヌ映画祭で監督賞をとった「潜水服は蝶の夢を見る」の監督(元画家)ジュリアン・シュナーベルの新作「Lou Reed's Berlin 」というドキュメンタリー映画に堂々出演していたのです。
監督であるジュリアン・シュナーベルについては、彼が監督業にシフトする前の職業、まあるい白地のお皿の破片をどでかいキャンバスにべたべたくっつけた作品、当時はジャン=ミシェル・バスキアと共にソーホーのギャラリー街を絵描きのふりして大見得切っていた頃の印象しか無く、またそれゆえ、彼が絵描きから映画監督に転業した事実も、「身からさびが出る前の保身術」ていど、まったく興味がもてず、「相変わらずいいかげんなヤローだな」と、まだ1本も彼の映画を見ていないというのが実情でありますが、が、彼が、あ、、あの、ルー・リードを・・・おもろー。
ルー・リードの音楽に心酔していたのはもう随分遠い話、高校生の頃だから今から26、いや28,9年前の事となります。当時の僕のヒーローはドアーズのジム・モリソンであり、ルー・リードであり、ジミ・ヘンドリックス・・・。
そして今にしてふと想うーーー。かれらに共通していたことは何だったのだろうか?と。
それはたぶん、ただひとつーーー。
皆、なにかを、狂おしいまで、信じていたという事です。
僕はすでにかれらの音楽を必要としていませんが、年若い頃に、かれらの音楽と出会えたことは、もう「決定的」だったような気が今さらながらにするのです。
p.s.ルー・リードの超イキでニューヨークなweb、興味のある方はこちらまで。
photo by Takeshi Kainuma
2008/09/28
床絵美 ライブインフォ / Toko Emi Live Info vol.3

アイヌの叙事詩ユーカラを語るという、東京の詩人の方と知り合い、「トゥーマイ」で共演することになりました。
(当日は北海道旭川の川村兼一さんのお話もあり)
カムイユカラは動物の神が自らを語るという形をとったお話で、沢山の教訓や教えが含まれています。
独特のリズムに乗せて謡われる物語の世界とウポポ、そしてお話を是非聞きに来て下さい。
Toko Emi
『かむい語り』 2008年10月17日(金)
開場 17:00 開演 18:30~21:00
前売り 2000円 当日 2500円
場所 トゥーマイ (予約・問合せ先)
参加者:川村兼一 (トーク・合唱劇「カネト」を語る)
床絵美 (ウポポ・唄)
港敦子 (ユカラ・語り)
主催:Project for VOICES
協賛:ピリカ関東
Illustrated by Tsukushi
2008/09/22
福岡正信の生 / Masanobu Fukuoka
福岡正信・・・翁が逝かれた。
昨夜、ネットサーフィン(?)をしていたカミさんから伝えられた。
「いつ?」
「先月、8月の16日だって・・・」
福岡さんとは一度だけ、お会いしたことがある。
ニューヨークでの8年近くの暮らしをあとにし、日本での生活をはじめたばかりの頃だから、4~5年前の事か・・・。
福岡さんのご自宅、愛媛県伊予市まで、「断られたっていいさ、畑をちらっと見せてもらうだけでもいいじゃん」と、カミさんをそそのかし、その頃はまだ生きていた犬のユタも連れ、アポなし強行、車を走らせ会いに行った。
福岡正信という人物を知ったのは、これまたカミさんがたまたままニューヨークのブックオフで見つけてきた本からだ。
『わら一本の革命』(春秋社)という1970年代の匂いがぷんぷんする装丁とタイトルをもった書籍。
当時、農業にまったく興味のなかった僕は(今もさほどないが…)、「ふーん」って感じで手にすることもなかった。
やがて、カミさんは福岡さんの著作につよい興味を覚え、マンハッタン在住の日本人にとっては憩いの場、そう、紀伊国屋ニューヨーク支店で『自然に還る』(春秋社)というカラー写真付のインタビュー集という体裁をもった本を購入してきた。
ちらりその本の扉をひらけば、菜の花に囲まれた福岡さんのポートレイトが…。大地からにょきっとその姿を惜しげもなく現した、やんちゃなフォルムをもった、まるでオッカサンのような大根の横に、やんわり腰を降ろす福岡正信が、そこに在った。“自然農園の風景と著者近影”というキャプションが付されていた。
只者ではなかった。
合気道創始者、植芝盛平さんの事を、ふっと思い浮かべた。
早速、読み始めた。
読破し、腰を抜かした。
まるで、ソクラテスの生まれ変わりのような人物が、いわば「百姓のソクラテス」ような人がまだ生きて、この世に存在している、この時間を共有しているという事実にただただ驚愕した。
突如「お会いしたい!」と、念った。
翁は、すでに高齢であられたので、“肉体”という何かと不自由な衣を脱ぎ捨ててしまう前に「早く会いに行かねば」と、こころが騒いだ。
愛媛県のご自宅を訪ね、玄関のブザーを鳴らすと、感じの良い、凛とした50~60代の女性(福岡さんの息子さんの奥さん)が出てきた。その眼が、どこか警戒しているようでもあり、これから面接を受けるのだなと感じ、僕は速やかに緊張した。
用件をしどろもどろ話した。
じっと、こちらの眼を逃さず聞き入る女性。
唐突に許可がでた。「裏に回ってください」と。
裏に回った。
さて、これからどうすれば良いのやら、とりあえず、指示された場所の窓に向かって「福岡さーん!」などと声をかけてみた。
しばらくして、福岡さんの声が上がった。
昨夜、カミさんから福岡さんの死を知らされた際には、茫然と、そして動揺し、僕の得技でもある「悲劇的な気分」にどっぷり浸かり、言葉にできぬ感情は溢れ、ただ「無念」の一語が…、明けて僕をこのブログに向かわせている。が、なんだろう、本日東京裏高尾は物悲しい雨がしとしと降り続くという死者を悼むには出来すぎの状況であるにもかかわらず、僕を感傷的な気分、つまり広義な意味での自己撞着、または厳密な意味での自己憐憫の輪の内へ向かわせようとはしない「なにか」が、今、動きはじめている。
福岡さんの農法は、翁が言うように、かつての百姓(百の姓をもつ者の意)が皆知っていた「古の農法」であり、矛盾するようだが、もっとも新しい原始農法なのでしょう。(人間の身体の根本的な仕組み、機能、この生理的現象、または寿命百年ぐらいという限界組織が突然変異でもしない限り。)
そして彼の思想、哲理もまた、古くからあり、また、それが万人にとって開かれているにもかかわらず、今だ習得・体得しえた者がわずか、という意味においてもっとも新しいものなのでしょう。
福岡さんが寝起きしているその場所、部屋で、ちょっと足を崩させてもらい、なんだあかんだあ~と話し込んでいるうちに1時間は過ぎ、「これ舐めるか?」と、人工化学調味料100%の飴玉を渡され、ふと小さなテーブルに目をやれば缶コーヒーが…。エコだ有機農法だ自然破壊だあと頭一杯になっている人々からすれば「おやまー」と思われる言動が、物がときおり散見しうる自然農法の祖・福岡正信さんのアトリエ兼寝床において、当時、着手なされていた書の作品、ロール半紙に描かれた「いろは歌」の一部を、僕は不遜にも「これ、いただいてもいいですか?」とお願いし、やがて愚痴っぽくなってきた翁を前に、「福岡さんはもう“花咲か爺さん”になるしかないでしょう!」などと、若輩の想いを伝え・・・。
あれほど、自然を前にして「無邪気」でありえた福岡さんも、ニンゲンを前にしては容赦しなかった。容赦できなかった。
あの途轍もない無邪気さをもった稀有な人が「頑固さ」さだけは生涯手放せなかった。
福岡さんの晩年のビデオ、No.1~6まであり、延べにして60分近くありますが、興味のある方は自然農法60年の歩み「粘土団子世界の旅」1/6 をクリック。
福岡正信翁の死 その生……
すべて あっぱれ ゆえ
お悔やみは申し上げません
2008/09/20
2008/09/13
第29回選抜新人舞踊公演

ある日、「・・・コンテンポラリーダンスをやっているものです。実は私の作品の音楽に、海沼さんの”the end park"という曲を使わせていただきたいのですが・・・」というメールをいただきました。
the end park、これは僕が20代の頃に発表した自主制作CD『時空の破片』に収録された一楽曲なのですが、はじめは「え?どこで聞いたの?見つけたの?」と、なにやら懐かしいような、不思議な・・・。
the end park、これは、ダンス曲として作られた音楽ではありませんから、すこし(いや、かなり)興味を持ちましたが、「ひどい扱いされたらどうしよう?」という、正直、そんな気持ちもあります。
モダンダンスといえば、僕はもう手放しでイサドラ・ダンカンとニジンスキー、ですが、最近は頓にダンスとは無縁の生活、舞うことも、人の舞踊を観に往くこともまったく無くなっていたので、これは良い機会だと思い、また「”the end park"をどう解釈するんだろう?」と、さらにその日が僕の誕生日であるという何やら因縁めいたものを感じ、今回は、ぜひ”伊東由里”という方の舞踊を観に往きたいと思っているのです。
これは余談ですが、僕が最後に観た舞踊とは、モーリス・ベジャールの「ボレロ」。それも今から22年前のニューヨーク、ジョルジュ・ドンの「ボレロ」です。
熟れきった肉付きの良い果実が、あのヨーロッパの栄光が、崖っぷちで、今まさに眼の前でその終わりを告げようとする戦慄ボレロ、そんな印象を受けましたね。
ダンス、観ませんか?

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