2008/09/28
床絵美 ライブインフォ / Toko Emi Live Info vol.3
アイヌの叙事詩ユーカラを語るという、東京の詩人の方と知り合い、「トゥーマイ」で共演することになりました。
(当日は北海道旭川の川村兼一さんのお話もあり)
カムイユカラは動物の神が自らを語るという形をとったお話で、沢山の教訓や教えが含まれています。
独特のリズムに乗せて謡われる物語の世界とウポポ、そしてお話を是非聞きに来て下さい。
Toko Emi
『かむい語り』 2008年10月17日(金)
開場 17:00 開演 18:30~21:00
前売り 2000円 当日 2500円
場所 トゥーマイ (予約・問合せ先)
参加者:川村兼一 (トーク・合唱劇「カネト」を語る)
床絵美 (ウポポ・唄)
港敦子 (ユカラ・語り)
主催:Project for VOICES
協賛:ピリカ関東
Illustrated by Tsukushi
2008/09/22
福岡正信の生 / Masanobu Fukuoka
福岡正信・・・翁が逝かれた。
昨夜、ネットサーフィン(?)をしていたカミさんから伝えられた。
「いつ?」
「先月、8月の16日だって・・・」
福岡さんとは一度だけ、お会いしたことがある。
ニューヨークでの8年近くの暮らしをあとにし、日本での生活をはじめたばかりの頃だから、4~5年前の事か・・・。
福岡さんのご自宅、愛媛県伊予市まで、「断られたっていいさ、畑をちらっと見せてもらうだけでもいいじゃん」と、カミさんをそそのかし、その頃はまだ生きていた犬のユタも連れ、アポなし強行、車を走らせ会いに行った。
福岡正信という人物を知ったのは、これまたカミさんがたまたままニューヨークのブックオフで見つけてきた本からだ。
『わら一本の革命』(春秋社)という1970年代の匂いがぷんぷんする装丁とタイトルをもった書籍。
当時、農業にまったく興味のなかった僕は(今もさほどないが…)、「ふーん」って感じで手にすることもなかった。
やがて、カミさんは福岡さんの著作につよい興味を覚え、マンハッタン在住の日本人にとっては憩いの場、そう、紀伊国屋ニューヨーク支店で『自然に還る』(春秋社)というカラー写真付のインタビュー集という体裁をもった本を購入してきた。
ちらりその本の扉をひらけば、菜の花に囲まれた福岡さんのポートレイトが…。大地からにょきっとその姿を惜しげもなく現した、やんちゃなフォルムをもった、まるでオッカサンのような大根の横に、やんわり腰を降ろす福岡正信が、そこに在った。“自然農園の風景と著者近影”というキャプションが付されていた。
只者ではなかった。
合気道創始者、植芝盛平さんの事を、ふっと思い浮かべた。
早速、読み始めた。
読破し、腰を抜かした。
まるで、ソクラテスの生まれ変わりのような人物が、いわば「百姓のソクラテス」ような人がまだ生きて、この世に存在している、この時間を共有しているという事実にただただ驚愕した。
突如「お会いしたい!」と、念った。
翁は、すでに高齢であられたので、“肉体”という何かと不自由な衣を脱ぎ捨ててしまう前に「早く会いに行かねば」と、こころが騒いだ。
愛媛県のご自宅を訪ね、玄関のブザーを鳴らすと、感じの良い、凛とした50~60代の女性(福岡さんの息子さんの奥さん)が出てきた。その眼が、どこか警戒しているようでもあり、これから面接を受けるのだなと感じ、僕は速やかに緊張した。
用件をしどろもどろ話した。
じっと、こちらの眼を逃さず聞き入る女性。
唐突に許可がでた。「裏に回ってください」と。
裏に回った。
さて、これからどうすれば良いのやら、とりあえず、指示された場所の窓に向かって「福岡さーん!」などと声をかけてみた。
しばらくして、福岡さんの声が上がった。
昨夜、カミさんから福岡さんの死を知らされた際には、茫然と、そして動揺し、僕の得技でもある「悲劇的な気分」にどっぷり浸かり、言葉にできぬ感情は溢れ、ただ「無念」の一語が…、明けて僕をこのブログに向かわせている。が、なんだろう、本日東京裏高尾は物悲しい雨がしとしと降り続くという死者を悼むには出来すぎの状況であるにもかかわらず、僕を感傷的な気分、つまり広義な意味での自己撞着、または厳密な意味での自己憐憫の輪の内へ向かわせようとはしない「なにか」が、今、動きはじめている。
福岡さんの農法は、翁が言うように、かつての百姓(百の姓をもつ者の意)が皆知っていた「古の農法」であり、矛盾するようだが、もっとも新しい原始農法なのでしょう。(人間の身体の根本的な仕組み、機能、この生理的現象、または寿命百年ぐらいという限界組織が突然変異でもしない限り。)
そして彼の思想、哲理もまた、古くからあり、また、それが万人にとって開かれているにもかかわらず、今だ習得・体得しえた者がわずか、という意味においてもっとも新しいものなのでしょう。
福岡さんが寝起きしているその場所、部屋で、ちょっと足を崩させてもらい、なんだあかんだあ~と話し込んでいるうちに1時間は過ぎ、「これ舐めるか?」と、人工化学調味料100%の飴玉を渡され、ふと小さなテーブルに目をやれば缶コーヒーが…。エコだ有機農法だ自然破壊だあと頭一杯になっている人々からすれば「おやまー」と思われる言動が、物がときおり散見しうる自然農法の祖・福岡正信さんのアトリエ兼寝床において、当時、着手なされていた書の作品、ロール半紙に描かれた「いろは歌」の一部を、僕は不遜にも「これ、いただいてもいいですか?」とお願いし、やがて愚痴っぽくなってきた翁を前に、「福岡さんはもう“花咲か爺さん”になるしかないでしょう!」などと、若輩の想いを伝え・・・。
あれほど、自然を前にして「無邪気」でありえた福岡さんも、ニンゲンを前にしては容赦しなかった。容赦できなかった。
あの途轍もない無邪気さをもった稀有な人が「頑固さ」さだけは生涯手放せなかった。
福岡さんの晩年のビデオ、No.1~6まであり、延べにして60分近くありますが、興味のある方は自然農法60年の歩み「粘土団子世界の旅」1/6 をクリック。
福岡正信翁の死 その生……
すべて あっぱれ ゆえ
お悔やみは申し上げません
昨夜、ネットサーフィン(?)をしていたカミさんから伝えられた。
「いつ?」
「先月、8月の16日だって・・・」
福岡さんとは一度だけ、お会いしたことがある。
ニューヨークでの8年近くの暮らしをあとにし、日本での生活をはじめたばかりの頃だから、4~5年前の事か・・・。
福岡さんのご自宅、愛媛県伊予市まで、「断られたっていいさ、畑をちらっと見せてもらうだけでもいいじゃん」と、カミさんをそそのかし、その頃はまだ生きていた犬のユタも連れ、アポなし強行、車を走らせ会いに行った。
福岡正信という人物を知ったのは、これまたカミさんがたまたままニューヨークのブックオフで見つけてきた本からだ。
『わら一本の革命』(春秋社)という1970年代の匂いがぷんぷんする装丁とタイトルをもった書籍。
当時、農業にまったく興味のなかった僕は(今もさほどないが…)、「ふーん」って感じで手にすることもなかった。
やがて、カミさんは福岡さんの著作につよい興味を覚え、マンハッタン在住の日本人にとっては憩いの場、そう、紀伊国屋ニューヨーク支店で『自然に還る』(春秋社)というカラー写真付のインタビュー集という体裁をもった本を購入してきた。
ちらりその本の扉をひらけば、菜の花に囲まれた福岡さんのポートレイトが…。大地からにょきっとその姿を惜しげもなく現した、やんちゃなフォルムをもった、まるでオッカサンのような大根の横に、やんわり腰を降ろす福岡正信が、そこに在った。“自然農園の風景と著者近影”というキャプションが付されていた。
只者ではなかった。
合気道創始者、植芝盛平さんの事を、ふっと思い浮かべた。
早速、読み始めた。
読破し、腰を抜かした。
まるで、ソクラテスの生まれ変わりのような人物が、いわば「百姓のソクラテス」ような人がまだ生きて、この世に存在している、この時間を共有しているという事実にただただ驚愕した。
突如「お会いしたい!」と、念った。
翁は、すでに高齢であられたので、“肉体”という何かと不自由な衣を脱ぎ捨ててしまう前に「早く会いに行かねば」と、こころが騒いだ。
愛媛県のご自宅を訪ね、玄関のブザーを鳴らすと、感じの良い、凛とした50~60代の女性(福岡さんの息子さんの奥さん)が出てきた。その眼が、どこか警戒しているようでもあり、これから面接を受けるのだなと感じ、僕は速やかに緊張した。
用件をしどろもどろ話した。
じっと、こちらの眼を逃さず聞き入る女性。
唐突に許可がでた。「裏に回ってください」と。
裏に回った。
さて、これからどうすれば良いのやら、とりあえず、指示された場所の窓に向かって「福岡さーん!」などと声をかけてみた。
しばらくして、福岡さんの声が上がった。
昨夜、カミさんから福岡さんの死を知らされた際には、茫然と、そして動揺し、僕の得技でもある「悲劇的な気分」にどっぷり浸かり、言葉にできぬ感情は溢れ、ただ「無念」の一語が…、明けて僕をこのブログに向かわせている。が、なんだろう、本日東京裏高尾は物悲しい雨がしとしと降り続くという死者を悼むには出来すぎの状況であるにもかかわらず、僕を感傷的な気分、つまり広義な意味での自己撞着、または厳密な意味での自己憐憫の輪の内へ向かわせようとはしない「なにか」が、今、動きはじめている。
福岡さんの農法は、翁が言うように、かつての百姓(百の姓をもつ者の意)が皆知っていた「古の農法」であり、矛盾するようだが、もっとも新しい原始農法なのでしょう。(人間の身体の根本的な仕組み、機能、この生理的現象、または寿命百年ぐらいという限界組織が突然変異でもしない限り。)
そして彼の思想、哲理もまた、古くからあり、また、それが万人にとって開かれているにもかかわらず、今だ習得・体得しえた者がわずか、という意味においてもっとも新しいものなのでしょう。
福岡さんが寝起きしているその場所、部屋で、ちょっと足を崩させてもらい、なんだあかんだあ~と話し込んでいるうちに1時間は過ぎ、「これ舐めるか?」と、人工化学調味料100%の飴玉を渡され、ふと小さなテーブルに目をやれば缶コーヒーが…。エコだ有機農法だ自然破壊だあと頭一杯になっている人々からすれば「おやまー」と思われる言動が、物がときおり散見しうる自然農法の祖・福岡正信さんのアトリエ兼寝床において、当時、着手なされていた書の作品、ロール半紙に描かれた「いろは歌」の一部を、僕は不遜にも「これ、いただいてもいいですか?」とお願いし、やがて愚痴っぽくなってきた翁を前に、「福岡さんはもう“花咲か爺さん”になるしかないでしょう!」などと、若輩の想いを伝え・・・。
あれほど、自然を前にして「無邪気」でありえた福岡さんも、ニンゲンを前にしては容赦しなかった。容赦できなかった。
あの途轍もない無邪気さをもった稀有な人が「頑固さ」さだけは生涯手放せなかった。
福岡さんの晩年のビデオ、No.1~6まであり、延べにして60分近くありますが、興味のある方は自然農法60年の歩み「粘土団子世界の旅」1/6 をクリック。
福岡正信翁の死 その生……
すべて あっぱれ ゆえ
お悔やみは申し上げません
2008/09/20
2008/09/13
第29回選抜新人舞踊公演
2008年10月3日(金)
開場 18:00 開演 18:30
日本橋劇場(日本橋公会堂4階)
全自由席 ¥2,500
ある日、「・・・コンテンポラリーダンスをやっているものです。実は私の作品の音楽に、海沼さんの”the end park"という曲を使わせていただきたいのですが・・・」というメールをいただきました。
the end park、これは僕が20代の頃に発表した自主制作CD『時空の破片』に収録された一楽曲なのですが、はじめは「え?どこで聞いたの?見つけたの?」と、なにやら懐かしいような、不思議な・・・。
the end park、これは、ダンス曲として作られた音楽ではありませんから、すこし(いや、かなり)興味を持ちましたが、「ひどい扱いされたらどうしよう?」という、正直、そんな気持ちもあります。
モダンダンスといえば、僕はもう手放しでイサドラ・ダンカンとニジンスキー、ですが、最近は頓にダンスとは無縁の生活、舞うことも、人の舞踊を観に往くこともまったく無くなっていたので、これは良い機会だと思い、また「”the end park"をどう解釈するんだろう?」と、さらにその日が僕の誕生日であるという何やら因縁めいたものを感じ、今回は、ぜひ”伊東由里”という方の舞踊を観に往きたいと思っているのです。
これは余談ですが、僕が最後に観た舞踊とは、モーリス・ベジャールの「ボレロ」。それも今から22年前のニューヨーク、ジョルジュ・ドンの「ボレロ」です。
熟れきった肉付きの良い果実が、あのヨーロッパの栄光が、崖っぷちで、今まさに眼の前でその終わりを告げようとする戦慄ボレロ、そんな印象を受けましたね。
ダンス、観ませんか?
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