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年明け早々の1月4日(月)---。
堀内幹が2本のギターを携え、裏高尾の麓にある僕の自宅兼作業場にお越しになられ、その2階にあるhigh tail studioにて、一気呵成に録音された彼の、その眩いばかりの祈りのカタチが、ようやく世に生まれ落ちることとなりました。
粗相のないよう、奇抜なイメージによって人を欺くことのないようにと、すこしばかり洗練された衣を着せ、音に籠められた、そのCDという音源に流し込まれた凄まじい熱量を、まだ見ぬリスナーたちを裏切ることのないように、注意深く抑制された生き物としての、いや、一つの「CD作品」というイノチの塊を、ようやく皆さんの元へ送り届けることが可能となったわけです。
彼は、この10年もの間、「ライブにしか音表現の真実は無い」と、ひたすらライブ活動に専念し、ひとり果敢に生の現場にて数多の聴衆の前で歌い続け、今なおその揺るぎ無き歩行はぶれることを知りませんが、この『堀内 幹 / one 』は 、彼の、初めてのスタジオ録音盤となります。そして、堀内幹のライブを目撃し続けてきた彼のファンにとってこのCDは、やや戸惑いの反応をされる方々もおられるかもしれません。ただ、ライブでの体験と、純粋に音だけ、CD鑑賞における体験とは別物であることも忘れてはいけません。僕もいちミュージシャンとして、10年以上も人前で演奏してきましたが、ライブとは、その場での状況によって出来不出来がかなり左右されるものであり、純粋なる音体験、シビアな音との対峙はかなり困難な場でもあります。なぜなら、視覚的な情報が氾濫しすぎ、聞き手の集中力を削ぐからです。人は、音を集中的に聴き込もうとする際には目を閉じるように・・・。
もちろん、ライブの現場における触覚的な感受、予期せぬ事件性、生々しい身体的体験がライブ演奏の魅力ですが、CD、かつてはレコードと呼ばれていましたが、録音物とは、ライブにおける「出来不出来は蓋を開けてみるまで分からない」的な曖昧な態度は禁じられ、言い訳ナシ、つまりスタジオワークとは逃げ場の無い、誤魔化しの効かぬ、ミュージシャンのもうひとつのぎりぎりのライブ(生)の姿を定着し得る世界であり、ライブ演奏とはまた異質の厳粛さと緊張を強いられるシビアなフィールドであるように感じます。そして、本来の楽しみ、張りつめた娯楽とは、こういった生への実践、プロフェッショナルとしての自覚、謙虚さ、または真摯さの内から思いがけず炸裂するものです。
僕たちは、ジョン・レノンやボブ・マーリーのライブ演奏を生で見たことはありません。しかし、彼らの残したす音源を通して、音源のみで、彼らと出会っている、出会うことが可能でありました。
『堀内 幹 / one 』全8曲。すべて、テイク1~2。
聴衆のいないスタジオにて、その窓の向こうに広がる高尾の山を前にして、彼は一体、誰に向かって歌ったのか? どこに向けて、何に向かい歌っていたのか?
ミュージシャンにとって、もし奇跡が起こる瞬間があるとするなら、それはたぶん途方も無く静かな場所で起こる。言葉に成らない、リピートのきかぬ、たった1回限りの向こう側の響きの神秘(マジック)を、物質という硬化なプラスチック盤に録音、記録すること、その奇跡に賭けること、その場をセットすること・・・散りばめられた、音の秘密の開示を・・・。
photo : 熊谷絵美 Emi Kumagai
design : 千葉健太郎 Kentaro Chiba