今月の初め、まだ台風12号が西日本をうろうろしていた頃、撮影の仕事で岩手県は陸前高田市へ行って来ました。
ここ裏高尾から車で10時間ほど掛かりますが、不穏な天気がつづく中、クライアントのスケジュールの都合により、とりあえず強行、晴れの日が来るまで、現地にて粘る、車中泊万全の四駆を走らせ・・・。2泊3日、結局、雨は止まず、編集者と連絡を取り、仕切り直しをする事に。そしてその第二週目、またひとり現地へ。あの、大きな津波が押し寄せた、町まで。そこで、2泊3日。
仕事の依頼がなければ、僕は陸前高田へ行くことは無かったでしょう。まして、撮影など・・・。
多くの人間をさらっていった海沿い近くに車を止め、夜、明日の撮影に備え、すこし腹に何かを入れておこうと、湯を沸かし、キャンピング・チェアーに座り、カップヌードルをすする。神妙に、語り始めた波のことば、その響きに耳を澄まし、煙草を吸い、インスタント珈琲をいれて、ひとり満点の星空の下で・・・。
もちろん、僕の内の常識の輩は、「よくもまあ多くの命を飲み込んでいった場所できみは寛いでいられるものだね」と。だが、撮影の都合上、僕はそこで眠る、此処に車を止めるしか選択肢は無かったのだ。
ニュースの映像を通しのみ見知っていた場所が、今、僕を包み込むようにして、眼前に在った。
何千もの言葉や想いが湧き上がろうとする僕の思考、心の習慣、これを切断するかのように、皮膚を撫でる海からの生暖かい風、波の音、すでに草花たちが一番に根を下ろし、荒涼とした砂浜に命のオーラを与えていた、そこに住み着き始めた虫たちの鳴き声が、僕の、一人っきりの、夜をやしさく満たした。ずいぶん遠くまで来てしまったという感覚に襲われながら、少しずつ、僕の過去の思い出、数々のシーンが浮上して来ては、「それはすでに夢なのだ」と、静かに遠のいていった。
地球と名付けられた“宝石”の上で、独りで在ることが、あれ程まで自身を充足させてくれることだとは、予想していなかった、ある大きなギフトと呼べば良いのか、月明かりに照らし出された陸前高田、そのうつろな光景、夜と供に、海や、草たち、虫の音と、僕は、そこに居て、身体的、形態的な差、視覚的な区別、区切りなどは、まるで無意味なことのように感じていた。それは、無限の瞬間だった。