2025/01/26

裸の鹿 Native Opera


 音楽の面白さとは、これは小説や絵画、ファッション、あらゆる表現ジャンル全般に言えることですが、現実の人間の生きた社会生活の場面ではなかなかな生じ得ない出会いやドラマを演出、創作できることです。


文化人類学者のクロード・レヴィ=ストロースが『野生の思考』という著作で取り上げた"ブリコラージュ"という概念があります。これは「ありあわせの道具、材料を用いてモノをつくること」を意味するのですが、この「Native Opera」という作品は、様々のメーカーのサンプル音源を多用し、重ね、編み上げ、そこにアメリカン・インディアンの独特な歌唱をリードとし、モンゴルのホーミー(喉声)をコーラスとして背後に添わせ、2020年に制作したものです。

つまり、まさに音楽のブリコラージュ。

ありあわせの音源を使い、夢幻の音楽世界を創出すること。

ただ、制作当時は、"ブリコラージュ"という概念については知らず、サンプル音源を使用しながらそこに手弾きのフレーズを混ぜ、イマジネーションの交流を深めてゆけば一体どんな世界が展開するのか?見えて来るのか?という興味、遊び心や実験精神みたいなものがありました。


そもそも楽器とは、音楽を表現する為に、様々の音を鳴らせるよう調整され、工夫が施され、時間をかけ作り出された音楽に仕える道具ですが、すべての楽器が"人為的"な音源装置、道具という意味では、スタインウェイのグランドピアノも電気的に音を合成するシンセサイザーも等価です。

たとえば写真機がフィルムカメラなのか?それともデジタルか?という問いは、すでにあまり拘るべき問いではなくなりましたが、音楽については一般的なリスニング環境が千差万別、出音の状態や印象はバラバラであるにも関わらず、今なおアナログ神話は生き続け、それは別段悪いことでもありませんが、そもそも音楽とは人為的な道具によって成立するものなので、どんな楽器を使ったとしても、最も重要なことは、「人為的なものを通して人為的ではない」本源へと迫り、その豊穣な響きや彩り、動きをどうやって表すことができるのか?もしくは思い出し、融和する、ここに尽きるかと思います。

写真は瞬間を捉えた光景の定着ですが、時間芸術である音楽は、時間を利用しながら一瞬の場所へ、まるで時空を超えた狩人のように、超時制を捕まえようとします。

 


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