2025/12/25

〜愛について〜


 

「愛とは何か?」
 
この問いの回りには、愛の感情を誘発した相手の姿形を看過し、自分の内に湧き起こる「愛それ自体」への観察、そしてその考察へ向かおうとする意思を禁じる何かがあります。
 
愛とは、相手(対象)によって触発された感情なので、具体的な行為による経験にこそ価値があり、そもそも「愛それ自体」を考察の対象にすることは観念上の遊戯であると。
 
愛の対象、彼または彼女のイメージ、外的な形象やそこから生まれる知覚内容などから離れ、自分の内に芽生えた、「愛そのもの」を観照しようとすることの意図とは何だろう?
たとえば、人間が抱く憎しみについて省察してみてはどうか?
これは考えるまでもなく、憎しみとは愛の不在に過ぎないので、人間の業や狂気、愚かさなどを描く文学や映画の表現世界にあたれば良いです。

闇が光の不在であるように、愛と光は近似的な関係、働きを持つので、愛について考えることはそのまま光の原理、その本質を思考することへと繋がってゆきます。
自分の内側で沸き起こった「愛それ自体」の考察または観照は、ある壮大な世界への扉を開くことになりますが、やがて心は自らの出自(アイデンティティ)を想起することになります。

数年前から、長期に渡った体調不良を契機に、僕は柄にもなく愛について考えるようになりました。
それ以前は、外的な対象(相手)との出会いをきっかけにして、自然発生的に湧き起こった感情や思いを、この知覚の舞台で直接的に身体表現することだけが実りある行為だと思っていました。
知性による「愛それ自体」を考察の対象にするのはいかがなもの?
自分の内側を観察して、愛を誘発した相手の姿形を手掛かりに、愛の感情認識だけの世界に入って行くことは単なる自己満足、妄想?それは相手(対象)を無視した「愛」に対する冒涜ではないのか?と、まぁ、皆さんもそうだと思いますが、漠然とそんな風に考えていました。

愛について考えること、考え続けることは、否が応でも「神(超越的存在)」について考えることへと移行します。
なぜなら、愛の感情の発源地はそこに在るからです。
つまり、愛とは、自然発生的にこの世界が獲得した概念、アイデアではなく、神からの「贈り物」として、僕たちの心の中に置かれたのではないのか?

ちなみに僕は、この地上に現存する組織的、形式的宗教にはまったく興味がありません。
通常、そのような輩は無神論者と呼ばれていますが、無神論者とは、安易な信仰を解せぬ実証主義、現実主義者です。ただ、神について考えることを不毛であると思考(観照)停止するなら、愛の本質への貫入は断念せざるを得ませんし、これによって得られる人間存在への飛躍的な視座を手にする機会を放棄することでもあります。

なぜなら、様々な宗教が提示し、イメージ化している神や仏ではなく、「抽象としての(1としての)神」を措定し、これを軸に思考を展開することは、未整然の知覚内容がパズルのように整いはじめ、自意識の巧妙さや出鱈目さをクールに外から観察できるようになるからです。
この世界創造の原因とその目的、意識誕生の意味について、そしてまた決して移り変わることのない愛の出自、由来についての理解に迫ることが出来るのです。

たぶん、『君たちはどう生きるか』と問うことには意味がなく、この現象世界と人間の本質を一望できる可能性を秘めた、愛についての考察と観照とは、実にスリリングな内的な冒険となるでしょう。

この世界は、時間と空間に限定された形態への一時的な愛の「影」に満ち溢れています。
身体上の五感によって知覚認知される、時の経過と共に過ぎ去ってゆく愛と喜び、楽しみの向こう側には、広大無辺な実相世界が広がっています。
それぞれの知覚と思考を踏み台にして、この見慣れた世界から飛び立つことは、いつでも、そして誰にでも可能なことなのです。

(未推敲)

2025/09/26

海沼武史写真展『而今』トークショウ vol.1~vol.2

 


 

自分の展覧会で、誰かを招き、トークショウをするのは初めてのことだった。
  
昔、展覧会期中に、装丁家の故・坂川栄治氏をお呼びし、彼との対談を企画しましたが、タイミングが合わずに流れてしまったことが、今、ふと思い出す。
 
写真家は被写体を必要とします。
対象が無ければ、存在できない。
写真家は、被写体との思いがけない出会いにより、揺さぶられ、シャッター切り、その記録が、一枚の写真として現われます。
けれど、写真家ではない普段の日常生活を送る僕にも、様々な人間との「出会い」があり、時に、強く揺さぶられる瞬間があります。
 
蜂須賀公之、中村明博、内田和男、僕の心を見事なまでに揺さぶってくれた彼らを己の展覧会に招くこと……。
 
シャッターは切られた。
 
僕にとってこのトークショウとは、高尾駒木野庭園という名称を持った舞台、この舞台自体が、インスピレーションの庭であり、もう一つの「写真」なのだと。
 
写真家は、対象(被写体)と共に生きるのです。
 
 
 

 

2025/08/28

写真集『インスピレーションの庭』発売中!

 

この写真集『インスピレーションの庭』は、9月15日(月)~23日(火)まで開催される高尾駒木野庭園で販売いたします。

直接ご購入希望の方は、下記のメールにてお問い合わせください。郵送、もしくは(近隣の方は)手渡しをします。
 

『A Garden of Inspiration インスピレーションの庭』

判型:210×297㎜

頁数:108頁

写真点数:91点

製本:ソフトカバー

発行年:2025

定価:3,500円(税込)

 
写真集1部・定価3500円+送料430円(レターパックライト) 合計3,930円
(写真集2部まで・送料430円)
 
〜お振込先〜
みずほ銀行
店番号:161
普通預金:1733565 
名義:カイヌマタケシ
 
郵送先のご住所とお名前、お電話番号をお知らせください。
 

 
写真集『インスピレーションの庭』は、1995年から2010年までに撮影した幾つかのシリーズの中から代表的なカットを選び、撮影年月日にはあまり囚われずに、一枚一枚の写真が放つ微妙に異なる響きやメッセージに寄り添い、纏め上げたものですが、音楽のベストアルバム的な離散感は与えないように、ページとページをどのように紡いでゆき、展開させれば、ひとつの大きな世界が立ち現れてくれるのか、随分苦心しました。
昨年発表した2冊の写真集はチャプター毎に区切った、時系列によるオーソドックスな編集スタイルでしたので、今回は少し新しいフェーズに挑戦してみました。
ところで、写真家の写真集とは、映画や小説などと比べますと、一般的にはあまり手にする機会のない、決してポピュラーなジャンルとは呼べません。それでもこれまでに数多くの写真集が発表されて来ましたが、ややもすれば一部のコアな読者層に向けた趣味嗜好性の強い写真集ばかりが出版されて来たような気もします。
「より開かれた可能性と甚深な内容を持った写真集とは?」
それが今回の僕のテーマのひとつでした。そしてこの写真集『インスピレーションの庭』の本望は、皆さんにとっての"直観の庭"となること、これに尽きると思います。
写真集でしか表せない、味わえない魅力というものを、存分に愉しんでいただけたら、大変光栄に存じます。
 

 




2025/08/23

海沼武史写真カタログ/Takeshi Kainuma Catalogue 2025

 






 

海沼武史写真展『而今』2025年9月15日(月・祝)〜23日(火・祝)無休

*本展会場にて、(お一人様一部)ご自由にお持ち帰り下さい。

 

 

2025/08/12

海沼武史写真展『而今』 / Takeshi Kainuma Exhibition 2025


 

海沼武史展『而今』
2025年9月15日(月・祝)〜23日(火・祝)無休
開閉時間 9:00〜16:30 入場無料 
 
場所:高尾駒木野庭園
住所:東京都八王子市裏高尾町268-1
TEL :042-663-3611 
 
【トークショウ vol.1】
9月20日(土) 開始14:30〜16:00終了 
 海沼武史 + 蜂須賀公之(作家ナチュラリスト) 
ゲスト・中村明博(額装ディレクター展示設営コーディネーター)
 
【トークショウ vol.2】
9月21日(日) 開始14:30〜16:00終了
 海沼武史 + 内田和男(カウンセラー) 
ゲスト中村明博(額装ディレクター展示設営コーディネーター)
 
※トークショウに関しては、当日中止になる場合も御座いますので、どうかご了承ください。 
 
 
 

 
 
共催:高尾駒木野庭園指定管理者・駒木野庭園アーツ 

 

2025/08/07

写真家の新たなる挑戦 / A new challenge for photographers

 写真は、僕たちの眼前に、現れては消え現れては消えを繰り返す現象世界のある一面を切り取ることを得意とするメディアですが、ただ移り変わるだけの現象世界の彼方、背後には、通常の五感の働きでは知覚し得ない普遍的な事象、ヴィジョンが隠れ潜んでもいることをも予感させることが出来ます

現象を通じて、これを踏み台にし、視覚の可能性を押し開いてゆくことへの意欲や意志を持つこと、これが「見る」から「観る」への移行となり、これまで写真家や鑑賞者が見過ごしてきた新たなる視覚の開示へと繋がってゆきます。
 
この「観る」については、以前このブログやFacebookでも取り上げましたが、宮本武蔵の「観の目つよく、見の目よわく」、これは身体上の目を使って見ることだけに頼らず、心の目で観ようとする、心眼を磨くことの大事さを伝えています。肉眼による知覚はすべて形態上の差異に依存せざるを得ませんが、心の次元には色や形はありませんので、そこで捕まえることの出来る世界とは、肉眼による知覚世界とは全く異なる新しい世界、様相を呈しているはずです。心眼による目付け、この眼差しで「観る」ことは、前世紀には叶わなかった写真家にとっての新たな挑戦であり、撮影行為の新しい試み、冒険となります。
 
なぜなら、世界はすでに撮り尽くされ、似たような現象、表層的な、網膜上の差異のバリエーションを、写真家は繰り返し撮影しているだけだからです。
そして現代では、動画による表現が主流となり、世界の(表層的な)出来事の記録、伝達手段として写真に期待された役割りは影をひそめ、情報量の的確さや密度においては動画の方がより優っています。
 
しかし、動画は撮影者および鑑賞者の「観の目」の開花については抑圧的に働きますが、「瞬間」を捉える写真の方は、撮影者の意識次第では、現象世界を別の見方で見ることを促す、「観の目」の誘いとしての機会を十分に提示しうる、形而上の機能を秘めたメディアへと変容を遂げることが可能なのです。

作品の内に、それを鑑賞する側が「内観」へと向かう為の配慮、スペースを作り出すこと。意図的に作り出すことは出来ませんが、そこに向けて絶えず心や視を意識的に開き、磨いてゆくこと。
AIによる合成写真が興隆すればするほど、この「内観」へと誘う、「心眼」による写真作品の重要度は増すことでしょう。なぜなら、表層上のアレンジや編成しか知らないAIには五感を超えた世界は迫り切れず、AIとは、五感の向こう側の世界を知覚しようとする意欲や機能とは無縁な、心を持たない否芸術的な道具だからです。

美(芸術)とは、この世のものではないのです。
 
 
 

2025/08/03

写真集について / About the photo book

 

写真家の写真集とは、実際、被写体としてそこに何が撮られていても、厳密に言って、この世界には2種類の写真集しかありません。

それは「(まだ)この世界にしがみついています」というタイプの写真集と、「(もう)この世界から解放されます」という眼差しを持った写真集、このどちらかだけです。
ほとんどの写真集は前者ですが、それは撮影という行為が、対象を必要とし、良くも悪くもこの世界の事物や現象に魅了され、はじめて成立するからです。
 
「この世界とは何か?」
「この世界は本当に実在するのか?」という問いが、なぜか自分の内側で湧き起こり、後者のメッセージへと突き進もうとする写真家、写真集は今のところまだ顕著に現れてはいません。これは写真の世界のみならず、映画や小説というジャンルでも「この世界へのこだわり」を、様々な物語り、ドラマ、仮想の設定を舞台に、そこに無数の人間模様、現象学的記憶や世界の不条理、葛藤劇、狂気を抉り出し、この閉じた世界内での「やりくり、やり取り」への嗜好に囚われ続けているからです。
ただし、音楽や絵画、論考などの表現世界では、「この世界から飛翔することによってはじめて見出される世界」について、作者の意識が向けられた作品は少なからず存在しています。例えば、ヨハン・セバスティアン・バッハの音楽作品、モネの睡蓮画、円空の木彫作品、リチャード・バックの『イリュージョン』、ニサルガダッタ・マハラジの講話録などは明らかに後者に属します。
 
芸術のジャンルを問わずに、作品とは作者の思考内容や知覚内容が反映された表現世界なので、僕が近々発表する写真集『A Garden of Inspiration (インスピレーションの庭)』は後者であり、昨年上梓した『廻向』や『奇蹟』も同様に、この世界の背後、存在の本質へと踏み込もうとする僕の世界観が色濃く入り込んでいますし、またそうあることを望でいます。
出来れば、僕が撮影した写真や、音楽作品でも、僕のそんな想いを念頭に置いて、皆さんに触れていただければ光栄です。 

芸術とは、この有限の世界で不滅なるものを指し示す美しい道標であると思います。
 
 
 

2025/07/31

展覧会のお知らせ

 今朝、2004年にニューヨークからこの町に引っ越し、昨年「20周年だった!」ことに気づき、お陰様で友人たちのお力添えで初の写真集を2冊も上梓出来たことが、何やら不思議な運命の計らいだなと感じました。

今年は、裏高尾在住21年目にあたり、ウチから歩いて5〜6分の所にある高尾駒木野庭園で写真展を開催いたします。期間中には、2日連続でトークショウを行う予定です。
山に囲まれた谷間のような小さな町に住み、これまで様々な人たちと出会う機会を得ましたが、その中で特に強い印象を僕に与えてくれた3人の盟友にお声がけし、写真や芸術、自然、人間の本質などについて、ざっくばらんな談笑空間を共に作り出せたらなと思っています。
 
 
海沼武史展「而今」
2025年9月15日(月・祝)〜23日(火・祝)開閉時間 9:00〜16:30
 
【トークショウvol.1】
9月20日(土) 開始14:30〜16:00終了 
 
海沼武史+蜂須賀公之(作家・ナチュラリスト) 
ゲスト・中村明博(額装ディレクター・展示設営コーディネーター)
 
【トークショウvol.2】
9月21日(日) 開始14:30〜16:00終了
 
海沼武史+ 内田和男(カウンセラー) 
ゲスト・中村明博(額装ディレクター・展示設営コーディネーター)
 
備考・トークショウの模様は録画し、後日YouTube動画として配信する予定。
 
※トークショウに関しては、当日中止になる場合も御座いますので、どうかご了承ください。
 
さらに、この展覧会にあわせて新しい写真集『インスピレーションの庭』を発売いたします。
この写真集は、昨年発表した2冊の写真集以前、1995〜2010年に撮影した写真だけでまとめています。イントロダクション(序説)は、蜂須賀公之に書いてもらいました。
そして会場に展示する写真作品は中村明博による額装ディレクションによるもので、展示コーディネートの方も彼に一任しています。
 
円融なる高尾の自然に囲まれ、旧民家内に展示された作品鑑賞から離れ、豊かな植生の庭園内(池泉回遊式庭園、枯山水、露地)を散策するも良し、ささやかながら、皆さんにとって素敵なインスピレーションの時空間となることを期待し、海沼武史展「而今」、どうぞよろしくお願いいたします。