在米中、ある月刊誌に「TAKESHI KAINUMA from N.Y. 小夜曲」というタイトルでしばらくフォトエッセイを連載していたのですが、今回は趣向を変え、そこに書いた星野道夫についての拙文を再掲載したいと思います。
今月は、ごく最近気になっている1人の写真家について書きます。その写真家の名を、星野道夫と言います。
1996年8月、今から5年ほど前に、ロシアのクリル湖畔の小屋で就寝中のところをヒグマに襲われ、逝去した動物写真家として有名な彼のことは、皆さんよくご存知かもしれません。たしかに、星野道夫の名前はよく眼にするし、その写真については度々見る機会があります。けれど当時の私は、動物写真家たちの写真など軽蔑していたので、彼の写真については「ただのカレンダー写真じゃないか」と、さほど魅了されることもなく、「被写体に頼りすぎている内はまだ“写真家”とは呼べないのだ」と、星野道夫の写真は私の興味の圏外にありました。
ところが先日、イラストレーターであるカミさんが絵の資料のためにと買ってきた彼の写真集を漠然と見ていたら、私もここ1年あまり近所の犬ばかり撮影していたせいか、彼の写真をとても身近に感じることができたのです。かつて見落としていた、見過ごしていた「なにか」が、どさっと意識の中心に飛び込んで来て、謎が解けたというか、はじめて、星野道夫の仕事の意図といいますか、その数多の写真の連なりに、遅ればせながら「ガツン!」とやられてしまったわけです。
それで早速、『旅をする木』という彼のエッセイ集を紀伊国屋ニューヨーク支店にて購入し、精読、彼の人柄、その輪郭に触れ、今では「参りました!」という気分です。
何はともあれ、星野道夫という人物は“ただ者”ではなかったのですね。「そんなことは百も承知さ」と皆さんに笑われてしまうかもしれない。ですから、いま、ここには、皆さんがまだ気づかれてはいないだろう事を書きます。
それは、星野道夫の“死”についてですが、ニュースではこれを「事故死」として扱い、以後、思考停止しています。でも実際は、そんな単純に片付けられる類の死ではないですよね。この死について、彼の作品、仕事、彼という存在そのものを真摯に、また精密に追い駆けてゆけば、星野道夫の死が、実はサクリファイス、供儀ではなかったかと、ふっと視える瞬間があります。
異様に聞こえるかもしれませんが、あの日、クリル湖畔で、星野道夫に起こった出来事は、表面的には事故死なんですが、そういった演出法による“秘密の供儀”だったんじゃないのかと私には映るのです。(藤原新也が何かの記事に書いた彼の死に対する“読み”はジェラシーですね。)
たぶん、現代の、高度なテクノロジー社会の内側では非常に稀な、ひとつの神秘的な出来事が、あの日、クリル湖畔で起こった、彼の身に降りかかったのだ、と。
「君ノ務メハ十分デアル」と、その“声”は、一体どこから? 天から? 自然神、ワタリガラスから・・・。
故、星野道夫を襲ったヒグマとは「使者」にあたります。もちろん、そのヒグマの聖なる暴力に対する彼の叫び声は肉体器官による反応に過ぎず、精神からのものではありません。
太古の心をもってしか理解できない出来事が、あの日、私たちの記憶の一番深い層にもある、懐かしい、ひどく秘境的な出来事が、クリル湖畔で起こったのではないでしょうか。
ということを、かつて僕は書きましたが、もうすこし噛み砕くなら、星野道夫は、唯一、あのアイヌ民族が指差した処、カムイの国、「熊たちの世界」へ入ることが許された人間ではなかったか。たぶん、彼は、この世の人間の世界、営みより、野生の、僕たちが近づくことはできても、決して交じり合うことのできぬ、越境することの許されていない<向こう側>へ、大自然の生命圏、動植物らが無心に暮らす場、白銀の熊たちの聖地へと、誰よりも強烈に魅了され過ぎたゆえ、超えようとしたのではなかったか?
生活者としての彼は、結婚し、子供に恵まれ、人間の世界にとどまることを良しとしていたが、信じがたいほど多くの神秘的な光景、無垢で、無駄のない、美しいシーンを見てきてしまった彼の無法の意思は、すでに収まりがつかない処まで来ていたのではないだろうか・・・。そして遂に入る事が許された・・・。僕はこんな風に感じる。
もちろんこんな考えは、「星野道夫を伝説化しようとしている」と思う方々もいるだろう。が、彼が伝説、神話化されたとしても、実は誰も困りはしない。事実というものは、過酷で、暢気な言葉、流行キャッチや甘ったるい表現、感傷など入り込む余地はないのだから。
そして、最後に、これはあえて書きますが、星野道夫という人は、登山家ラインホルト・メスナーのような超人的な記録を残したわけでもなく、写真家として革新的な仕事をした人でもないだろう。ただただアラスカに魅せられ、そこに在住するために、「something great」に感応するために写真を撮り、そこで考え、感じたことを綴り、徹頭徹尾、個人的なこだわりのみを生きた、普通の、ある種極端に無骨、正直で、物静かな人だったんじゃないかと僕には映る。日本人として生まれ育ちながらも、一等身近であるはずの日本人に対して、他人に対し、まったく思いやりを持てなかった人・・・。けれど、星野道夫はひとり黙々と<奇跡のルート>を辿り、向こう側へ入る事が許された・・・。
--以上です。
Yuta by Takeshi Kainuma
2 件のコメント:
ユタくん、いい表情しているね。
どこか寂しげにうつって見えるけど。。
どういうわけか、なぜか?父さんの微笑む顔とダブってしまう。
きっと、仲良く楽しく笑って過ごしているのでしょうね。
親父かあ~、確かにそうかもしれないし・・・、でもユタは孤高だったよ、さびし気でもなかったよ、親父もユタも、奔放に、その生を全うしたと僕は思っているよ。
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