2010/01/27

滲有無 / the Pit of the Soul


忙しい日々が続いている。
朝6時半起床。7時20~40分頃には家を出、その日の現場までの距離、町並みを、足早に撮影する(これは携帯電話で)。そして誘導棒をふり、案山子のように、成す術がないね、頭を下げ、人や車を招く。奪われてしまうのは個人名だが、慣れてしまえばこれはこれで清清しい時間。ある種の精神修養につながる。
そして、昼休み。毎日、カミさんが作るオニギリ2個、ポットに容れた温かいお茶とともに、これを15分ぐらいで済ませ、残りの45分間を撮影にあてる。
毎日、毎日、現場のロケーションが変わるから、この仕事に就いていなければまず足を運ばないような地区、町を散策することができる。ふと、視えて来れば、撮影、撮影…。
休憩を終え、またずっと立ちっぱなし。配置につき、人や車、工事車両を誘導する。辺りが真っ暗になる頃、午後5時~6時には開放となり、帰り道、美しい、艶やかな夕暮れの町を、オレンジ色に染まる空を、撮影しながら帰る。(これはキャノンのPowerShot G10で)。
家に着き、夜7時に夕食。30分程で済ませ、7時半頃には2階の仕事部屋に入る。PCに向かい、この2週間ほど、堀内幹の、high tail studioで録音したスタジオ音源のエンジニアリング、およびミックスダウン、サウンドスケープの作業。
前々回、このブログで紹介した堀内幹のアルバム『無限-infinity-』、彼の演奏はまったく問題ないが、僕にはまだ遣り残したことが。ちょっと納得がゆかず、ずっと懸かりっきり。
人のサウンドをいじるとはどういうことか?
人の歌声や演奏を、ただ録音するだけなら誰でもできる。ボタンひとつで、機械がしてくれる。僕はなにも関与する必要はない。いや、サウンドスケープ、ミックスダウン・・・これらの作業は、嫌がうえでもその演奏者の「存在」と相対することになる。その柔らかな秘密に触れることとなる。それが、時として苦しい。だが、うまくゆけば、歓びに繋がる。
「作品」を生むとは、ひとりではできない。寄り添うて、寄り添うて、和して同じない友愛の軌跡のうちに、たぶん育まれてゆくものなのだろう。
夜11時~12時までには就寝、明日の仕事(週休1日)に備える。

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