カタログには、古今東西の名品、作品群が、これでもか!というぐらい、独特な緊張感をもって網羅され、そのトーンは、熾烈であるとともに、厳密な“眼”の存在を予感させ、こういった美術館カタログと出会うことは非常に稀なこと、「ようやく、日本においても、これほどまで高水準の美術館が誕生したのだ」と、僕は思わず感動してしまい、すぐさまその妹分に「これください!」と叫んでいた。最近、このブログで、美にまつわる話が続いたので、これも流れかなと思い、この『MIHO MUSEUM』という美術館について少し書きます。
この美術館は、滋賀県甲賀、信楽町の山奥にあります。設計者は20世紀のアメリカを代表する(らしい)中国系アメリカ人建築家I.M.ペイ氏、宗教団体「神慈秀明会」の会主・小山美秀子(こやま みほこ、1910年5月15日 - 2003年11月29日)のコレクションを展示するために、1997年11月に開館したようです。つまり、日本人の大好きな新興宗教団体が経営する美術館ということになります。ちょっと胡散臭い背景ですが、今は、そんな事はどうでもよく、ただこの美術館、小山美秀子の眼力、その眼の利かせ方は瞠目に値する、大変なものだと、先に明言しておきます。
長い間、僕もそれなりに美術館巡りはしてきましたが、ほとんどの美術館、世界のどの美術館をのぞいても、良いモノとつまらぬモノが混在する場であり、「あっ!」と驚愕作品の横に平気でどうでもいいような代物が(歴史的には価値があるのでしょうが)ポケーと無造作に陳列されている、これが現状で、鑑賞者としては、その度に肩透かしをくらったような、騙された気持ちになるものなのです。なぜなら、鑑賞中は全感覚がフル稼働だから、「つまらぬ作品は倉庫にでも仕舞っておけよ!」だし、「目を利かせることが館長のシゴトだろ、一体誰がチョイスしやがったんだ」なーんて、わざわざ美術館まで足を運ぶというこちら側の労力、意識について、すでに無感覚になっている美術館サイドの高慢な態度、プロ意識の欠如・・・、それで僕はあまり特別な展示物がない限り、ほとんど美術館には足を向けなくなりました。
数年前、僕は一度だけ、この『MIHO MUSEUM』を訪ねてました。
アクセスがすこしやっかいなのですが、たいへん素敵な所でしたよ。
機会あれば、再び訪れてみたい。
ただし、I.M.ペイ氏の建築はミスチョイスだったと思いますが・・・。(たぶん小山美秀子の指名ではない。であるなら、彼女にとって器はなんでも良かったんでしょうか。たぶん、娘さんの知恵、客寄せです)
『MIHO MUSEUM』は、至極、粒ぞろいの作品群がならび、普段あまり使用していない集中力を引き出してくれます。高次元鑑賞することの出来る、稀有な場となっています。
小山美秀子の、国境に捉われない、文化文明の色彩、特色、様式という表面的な事々に惑わされない審美眼はまったく見事であり、あえて言うなら、超人的であり、その視線はまったく真摯に張り詰めています。彼女には、しばしコレクターが陥るあの感傷の寄り道、作品を自身の感傷の拠り所にすることにより曇らされる眼、心の弱さというものが一切無く、たおやかで、優雅で、厳しく、その選択はほぼ狂いを知らないようです。ゆえ、その姿勢は、逆に“狂気”を孕んでいます。
たとえば、茶器、茶道具にたいする小山の審美眼、これは日本独自の、たいへん高度なまなざしを要求されるものですが、そのコレクションを拝見するに、やはりまったくブレていません。幾つかの平面作品については、「おや?」というものもありますが、それでもこれは全コレクションの一割程度に過ぎません。いずれにせよ、「茶器をめでる」、その隠された、慎み深い姿を前に、厳かに観入し、その内にて遊び、「花」をそっと捕まえるまなざし、特異な精神の動きは、西洋人には不可能だと思いますが、こういった感性を大事に想い、これを保持しようとした民族は、この日本という島国以外に在るのだろうか?否、在っただろうか?話が脱線してますが、僕は、とりあえず日本人なので、これまでのアート史、世界のアートシーンをみるにつけ、ピカソの絵、仕事ほどには、北斎の仕事、肉筆画の凄みがほとんど評価されず、ダ・ヴィンチのようには俵屋宗達の画がまったく認知れていない、この日本が生んだ最大級の天才の仕事が世界ではまったく評価されていない現状が、とても訝しい。
話がまた逸れましたが、あらゆる点において、『MIHO MUSEUM』は個人ミュージアムとしては世界1、2かと思われます。
ただ残念なことに、1点1点の「見せ方」が凡庸、通俗的なので、そこはもっともっとこだわって欲しかった。内館デザインも凡庸であり、それぞれの作品に見合った状況、「フレーム」は作り得ていません。照明、光の当て方、まわし方も甘いような気がする。別に奇抜なことをやれ、個性的たれ、というのではなく、粋を極めて欲しかったのです。それほどまでに、彼女の収集した作品は恐るべき作品、ブツであった、ということです。
「美に触れる」というのは、ある種感覚が開放された状態にあるから、“すべて”視えてしまうわけです。ちょっとした手抜きや優等生的身振りが巨大に感じられてしまうものなのです。
事実、あれほどまで優れたコレクションの数々を一つの場所で一気に鑑賞できるのは、実際、奇跡的なことです。
自然が絶えず美しいのは当たり前。では芸術とは、作品鑑賞とは、“人間”の仕事の美しさに触れるための唯一の機会ではないでしょうか。これは“無限”に触れることでもあり、鑑賞者一人一人の存在の深層、中心に座す“美”に触れることでもあるのです。
しかしながら、『MIHO MUSEUM』とは、神慈秀明会の信者のお布施を湯水のごとく使っての建設であり(たぶん)、眩暈がするような莫大な金をばらまき購入したコレクションの数々であることには違いありません。これについては、ある種複雑な気持ちになりますが、信者の方々は一体どのように感じているのでしょう? たとえば、「皆さんのお布施によってダ・ヴィンチの最後の晩餐を購入することができました」であるなら、きっと皆様は納得、満足することができるのでしょう。が、・・・難しい問題です。小山美秀子のコレクションは、超玄人の眼差しによって厳選され、収集されたものですから、信者の方々はまったくの“個人の眼”、“孤の眼差し”を取り戻し、これに触れるしかありません。彼女が見抜いた「美」とは、そうやって捕まえることしかできないからです。あの世が、さらさら見え隠れするような、あの艶やかな「美」のふくらみは・・・。
もちろん、宗教団体は僕とって無縁の場所ですが、『MIHO MUSEUM』は神慈秀明会という宗教法人がスポンサーであり、信者さんがこつこつとお布施をしてきたゆえの成立・・・が、国立西洋美術館、上野の森美術館、東京都美術館、ジブリ美術館、等々、「そんな器と内容じゃあどうしょうもねえだろ」という本音もあり・・・、難しいです。
本来は、国が、日本人の眼力の特殊性、強い日差しには弱い青い眼、そのような目の質、眼力では見逃してしまうであろう美への眼の利かせ方、妙意妙味を、美術館というカタチにより、それこそルーヴル美術館じゃないけれど、世界を「あ!あ!あ!」と3度ぐらい唸らせるほどの、他国から人々が「日本のあの美術館を見るためだけに来ました」と嘆息させる内容をもった美術館を作らなければと思います。
・・・が、この日本には、“サイコー美術館”は、そもそも必要ないのかもしれません。僕は、たまたま、こっちの世界、美の世界に裸足で踏み込み、魅了され来ましたから、このような文章を書いていますが、名画または名作、優れた作品に触れること、鑑賞すること、もしくは創作することなど、実は本来の人間の最終“目的”ではないのではないか。宗教と芸術、その他、諸々の人間の営みは、すべて、真剣な、余技に過ぎないのではないか。ちょっと誤解を生む、最後に混乱させてしまうような発言ですが、先ほども類することは書きました、宗教や芸術とは、“方便”であり“きっかけ”に過ぎないのではないか、そしてこの生は、夢のまた夢・・・。
最近とみに、そう感じるのです。
よし、、。?ここ