今、ここに、北海道釧路市阿寒湖温泉に住んでいらっしゃる「日川キク子」という女性シンガーについて書こうとしている僕の個人的な理由は、たったひとつしかありませんが、「日川キク子」と言われても、たぶん皆様は一体誰のことやら、グーグル検索かけてもヒットすることのないこの恐るべきシンガーについて、阿寒の方々をのぞいて、知る者はまずいないと思います。
朝崎郁恵ーーー。鹿児島県大島郡瀬戸内町花富生まれの歌手。奄美島唄伝承の第一人者。朝崎さんについては皆さんよくご存知かと思われます。中孝介さんのおっかさん的存在ですね。
もしまだその歌声を聴いたことのない方々は
ここをどうかクリックしてみてください。
これはYouTube動画ですが、この朝崎郁恵というシンガーが一体どのくらいの力量の持ち主であるのか、すぐさまご理解できるかと思います。
ただし、歌というもの、ボーカリストという存在について、月並みな幻想というか、年若きころに数多の情報によって洗脳された、自己愛に満ちた「歌手のイメージ」を終わらせていないリスナー方には、「ただのオバサンの歌声」としてしか響いてはこないでしょう・・・いやいやそんな事は無いか。
安東ウメ子ーーー。北海道帯広市フシココタン出身のアイヌの音楽家。 ムックリ(口琴)とウポポ(歌)の名手。
このアイヌの歌い手はすでに逝去されましたが、「西に朝崎郁恵、東に安東ウメ子あり」というぐらいの存在で、トンコリ奏者として著名なOKIさんのプロデユースにより2枚のソロアルバムを発表しております。これはどちらも名盤ですが、当時は音楽評論家のピーター・バラカンや坂本龍一などの耳をガツンと唸らせたのでした。
安東ウメ子さんの歌声は
こちらから試聴することができます。
もしくはiTunesストアにて「安東ウメ子」で検索すれば、同様に試聴できます。
そして今、日川キク子ーーー。
彼女に強烈なスポットを浴びせようとする僕の試み・・・、彼女の唄声を直に聴くことのできるCD、音源というものがまだ公的には存在しておりませんので、どうも歯切れの悪い言い回しになります。
たとえば、日本のポップス界では、奇跡的な声の持ち主とは小田和正であり、また松崎しげるも上質な歌い手ではあります(「愛のメモリー」以外は、さほど良い楽曲に恵まれませんでしたが)。もちろん、ちあきなおみ、美空ひばりも、大きな才能をもった歌姫ではありました。
海外では、ドアーズのジム・モリソン、ジェームス・ブラウン、マヘリア・ジャクソン、マリア・カラス、ボブ・マーリー、ジャニス・ジョプリン・・・(今、思い出せる範囲内で)、彼等はたいへん優れた歌い手であり、世界には「偉大なボーカリスト」たちが多数存在しておりました。が、皆、すでに死んでしまいました。
僕たちは彼らのその稀有な歌の有り様を、声の、響きの有り様を、彼らが残した録音物を通してのみ、触れる機会が許されておりますが、歌とは何か? 皆さんは考えたことがありますか? 歌とは、単刀直入に申し上げて、人間だけに許された、人間という形態をもった生命体の、その精神の軌跡、奇跡であります。
日川キク子ーーー、彼女の歌声、その天賦の才、恐るべきその喉から発散される複雑な響き、人間の喉、声というものの秘密を開示しようとする、そしてこの秘密とは、森羅万象のあらゆるサウンドのエキス、エッセンスがすでに人間の声の内に、喉という小さな器官の内に内包されて在るという「認識」の告知ですが、そう言ったもろもろの神秘的で、じつは「当たり前」の事実を、彼女の歌声は、まるで僕の全存在を垂直に切断し、別次元に追いやろうとするかのような圧倒的な暴力、聖なる暴力によって、「今」を取り囲む数多の幻想を一挙に消し去り、すっと知らしめてくれたのでした。
「今」というこの時空が、ほんものの、「裸の今」として、過去であるとか、未来であるとか、そういったまやかしの時間軸を一斉に剥奪し、おおいなる、無限の自由性へと飛翔させてくれたのです。くどいようですが、その音源をお聞かせできない現状が心苦しいです。
まあでも、そのような事をキク子さんに伝えても、彼女はポカンとするだけで、「キク子さんはマリア・カラス級のボーカリストですよ!」と、昨年阿寒滞在時のおりにそうお伝えしたのですが、誰それ?って顔をしていました。