2009/05/28
2009/05/20
モダン畑リビング / Blow
のち、5~6年ほど放置されていた草ボーボーの、いや、篠竹と葛のツルのやりたい放題、他の植物をよせつけぬほど絡みついた、なんとなく投げやり、つまり種類のとぼしい植生のジャングル化した500坪ほどの空き地を、畑として、環境整備、開墾を、下倉夫妻も誘い、始めたのでした。
で、そういった作業最中に、視えて来た事、感じてしまった事々はたくさんあって、紐解けた事、「ああー」と、今だ言葉にならない諸々の知覚内容についてはまた次の機会に書くとして、我が家の食卓は、その畑で収穫したサンチェと小松菜、春菊、ルッコラばかり、いただき過ぎて、「ウップ!」って気分です。でも、ありがたやありがたや・・・。
それでぼくはひそか「この畑では虫一匹たりとも殺してはならぬ」という声が、「この畑には、種(または苗)以外の他所からのブツブツ(まあ化学肥料とか石灰とかその他諸々ね)は一切進入禁止!ぜ~んぶ此処の生命、イノチによってまかなうのだっ!」なんて、百姓のプロが聞いたら失笑されそうな感覚が、内部で破裂しちまったんもんだから、ぼくはスパイのようにその「倫理(唄)」に従うことにしている。なぜなら、別にノルマ、どこかに出荷する義務も責任も背負ってないわけだし、畑仕事とは、はっきり申し上げて、大人の「遊び」ですから。しかしながら「遊び」によってしか、途中経過、過程をおおいに楽しめない、なにやらニンゲンにとっての普遍的重大事を修得できはしない、学べないといいますか、もし「収穫」を目的にしてしまえば、その執着イメージが事を見失わせる、そう感じたからなのです。
もちろん、汗水流せば誰もがそこでの「収穫」を願い、「結果」によって満足感を得ようとします。でも、これなんでしょうかね? こういった情動は、本当にぼくたちをあの確たる「シアワセ」の王国に導いてくれるんですかね。なにかを観察したり、感じているそのときの方が、いわゆるオトナな満足感なんてものはないけれど、ゾクゾクしちゃうもんじゃーないのかな。「ああ、天道虫ってみょうな名前をつけられた、食べたら不味そうな生命が葉っぱの上でじ~っとしているさあ」とか、「おお、ようやく出てきた敬三さんからいただいた白花豆の若葉に恐竜のような風情をもった小さな虫がびっしり付いてるじゃーあ~りませんか」なんて、自分が蒔いてしまった「種」だからこそ、その植物の成長に最後まで、できうるかぎり厳かにかかわろうとするものだし、見守って、「かわいいやつ」だなんて言ったりして、そんな気分の時だよね、あの「イノチ」が視えて来る瞬間ってさ。単なる「観察」でしかなかったものが、いきなり自身がニンゲンであることを超え、「一体」(一即多)となってしまう瞬間が・・・。
またまた動画をアップしちゃいます。
楽曲は、昨年、床絵美さんとのユニット、リウカカント(Riwkakant)の2ndの「ダブルファンタジー」を制作中に、ちょいと気分転換に仕上げた「Blow」という作品(一部)です。
唄声は、タイのモスクから響いてきたもの。
2009/05/17
レクイエム / REQUIEM
all by Takeshi Kainuma
行きつけの自家焙煎珈琲のお店「ふじだな」で顔なじみのIさんから、あるとき話の流れで昔のカセットテープをCD-Rに焼き付けて!という事となり、ぼくはカセットデッキというものを持っていない由をお伝えすると、「借りてくるよ」とIさん、それで2~3日、我が家にカセットデッキが居候しており、彼の愛聴テープ、ばりばりの韓国歌謡ポップをちょいとPC上の音楽ソフト「キューベイ巣」でコントロールし、すぐさまCD化。
で、なんとなし、気分転換に、せっかくデッキがここにあるのだから、昔ぼくが作った音楽テープを幾つか聴いていたら、ああ、懐かしくなり、ぱっぱっと動画をこしらえてしまいました。
音楽は、1985年に作られた「レクイエム」という作品です。
2009/05/14
Michiとのあるき / walk on the unknown
彼女の掟にしたがうならば
花はここ
罪はあちらへ河はどこ?
むすうの屍がうかぶう河は?
手入れのゆき届いたドレスはあちらねミチはここ
まだ 触れたことの無い月の花弁をまさぐって・・・
彼女の掟にしたがうならば
唄はここに
指揮はあちらねチェロはどこ?
おおくの棺を仕舞いこんだ夢は?
手入れのゆき届いた意味はあちらねミチはここ
カザルスの
無伴奏チェロをききながら
長くのびたバッハの影を宿にして
もうしばらくの間
ここにこうして居ようかな
炊事洗濯あとにして
もうしばらく
ここで休んでいようかな
指揮者不在の初春の朝へ
夢やドレスは打っ棄って
チェロの小舟に身をまかせ
花の唄でもききながら
ミチとのあるき
Michiとのあるき
(May/06/01)
2009/05/10
美 / the beauty
小林秀雄 『私の人生観』(角川文庫)より
なぜ、美は、現実の思想であってはならないのか。
だが、通念というものは、あらゆる疑問を封ずる力を持つものです。
美という言葉が、何かしら古風な子供らしい響きを伝えるのは、誰のした仕業でもない。空想とか夢想とかいう考えを伴わずに、美という言葉を発言するのは容易ではない。誰のせいでもない、通念の力である。考えの落ちてゆく往くところはひとつです。夢もまた人生には必要ではないか、と。しかし、夢とは、覚めてみたればこそ夢なのではないか。日常の通念の世界でわれに還るからこそ、あれは美しい夢だったというのではないか。そして、通念とは万人の夢ではないでしょうか。
美しい自然を眺めてまるで絵のようだと言う、美しい絵を見てまるで本当のようだと言います。これは、私たちのごく普通な感嘆の言葉であるが、私たちは、われ知らずたいへん大事なことを言っているようだ。要するに、美は夢ではないと言っているのであります。
この文章は、小林秀雄が昭和23年秋「新大阪新聞」主催の講演会で話したものに後日手を加えたものだそうですが、ぼくが得て勝手に抜粋し、そのまま引用してみても、「なんのことやら?」でしょうから、下記に、ちょいと現代語訳(?)というか、ぼくの独断による自由訳、変換引用文を掲載させていただきます。(すいません、小林翁。)
たとえば、クロード・モネの晩年の仕事に「睡蓮の連作」というものがありますが、なぜ彼は、晩年、あれほどまで執拗に睡蓮ばかりを描き続けたのか?
こういった疑問こそが、絵が一つの「精神」として皆さんに語りかけて来る糸口なのであり、絵はそういう糸口を通じて、皆さんに、あなた方はまだ一ぺんも睡蓮を、通念的に見てきただけで、「自然の本体」というものを、ほんとうには見たことないのだと断言しているのです。
私は美学という一種の夢、屁理屈を語っているのではない。皆さんの目の前にある絵、「作品」は、実際には皆さんの知覚の根本的革命を迫っているのです。
しかし通念の力によって、知覚の拡大など不可能である、眼には見えるものしか見えはせぬ、知覚の深化拡大など思いもよらぬ、と人は言うかもしれない。だが、議論は止めよう。実際には、この不可能事を可能にしたとしか考えられぬ人間がいるのです。それが優れた芸術家たちです。彼らの仕事、作品とは、通念という夢から覚めたひとつの「現実」なのです。
そして芸術家とは、すべての人間に備わる、あの通念の果て、私たちひとりひとりに内在してある「美」の領地に住む「もうひとりの私自身」の姿でもあるのです。
小林秀雄の著作は、20代の頃、よく読んだものです。最近、当ブログにランボウの手紙を紹介しようと、久しぶりに、約20年ぶりぐらいにふらっと覗いてみたら、なんだかとっても素敵な文章ばかりが散りばめてあったのでついつい紹介しちゃいました。
小林秀雄、読んでみてください。
写真論として読むこともできるし、ちょっと大袈裟ですが、「生きる」という事の王道が見えてくると思います。
2009/05/07
風に吹かれて / Blowin' In The Wind
だが、むかし(?)のディランを聴いてきたぼくの耳に、彼のニューアルバムはさほど魅力のあるものとして響いてはこなかった。
「衰退したなあ」というのが、正直な感想だった。
ボブ・ディラン(Bob Dylan, 1941年5月24日 - )、アメリカのシンガーソングライター。
彼の最盛期は、最盛期なんて言葉はちょっと失礼な言い方だけれど、ぼくは彼の60年~70年代の歌に「やられてしまった」人間のひとりで、これはもう30年以上前のお話ですが、当時、ぼくはディランとルー・リードにもろに影響された歌をつくり歌っていました。なんだか懐かしさのあまり、今日はしとしと雨の降る湿っぽい一日でしたが、むかし聴いたディランの歌をネット上でさらさら聴いていました。
「A Hard Rain's A-Gonna Fall」
「Mr. Tambourine Man」
「Like A Rolling Stone」
「All Along The Watchtower」
「Hurricane」
「Forever Young」
ボブ・ディランのHP、ここに飛べば彼のほとんどの歌を耳にすることができます。
音楽が好き、という方々、または音楽ツウおよび音楽にうるさいと自負している年若い方々には、ぜひ聴いていただきたいものです。
XジャパンだビーズだミスチルだドラゴンアッシュだJポップだとか、ふーん、そんなに良いかなあ・・・。
ちなみに、ディランの代表作のひとつに「風に吹かれて / Blowin' In The Wind」という楽曲があります。
こんなことを説明しきゃいけないほど、ぼくは阿呆で、ウヴですが、この歌声は、声の表情、トーンと詩の内容が、彼自身の当時の意識というか「存在の位置」、この三つがぴったりと重なり合い、どこにもウソ偽りがない貴重なテイクなんであります。(最近の流行歌、ロック、ポップ、ジャズ、すべてはほぼ気分ソングであり、能天気、勘違いです。)
ボブ・ディラン、彼は筋金入りの厭世家ですが、その奥底には、途轍もない、苦し紛れの、ぎしぎしとうなる、壊れかけた「希い」が隠しこまれています。
ラブだ、ピースだ、エコだ、ガンシャ!だなんて、この時代に軽々しく言える奴は、彼の、あの澄んだ、狼のような眼差し、その「視」をモロに受けたら、たぶん失語症に陥るかもしれないね。いや、一度、失語症にもなれば、本物の唄が見える、歌えるようになるのかも知れません。
なぜなら、「歌」とは、本来、言葉の限界点、無力感、厭世観の極点において、産まれるものだからです。
The answer, my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.
友よ、答えは風の中で揺れている
真実は、風の中で揺れている・・・。
2009/05/06
2009/05/03
ウジェーヌ・アジェへの手紙-1 / Lettre à Atget (1)
ウジェーヌ・アジェ(Eugène Atget)とは、20世紀初頭のフランスの(都市)風景写真家です。
そしてもう一人、エドワード・カーティス(Edward S. Curtis)とは、19世紀末アメリカの肖像写真家です。
に独論しますが、まだ200年足らずの「世界の写真史」においてもっとも偉大なフォトグラファーとはこの2人ではないかと、ぼくは密かに確信しています。
2つのピーク点、風景写真ではアジェ、肖像写真ではカーティス。まだ誰もこの2人を超える「仕事」を成していない、写真家は登場していないように思います。
では、彼等の仕事を超える必要があるのかと問われれば、たぶんエドワード・カーティスの仕事、ポートレイトを越える事はほぼ不可能ですが、アジェの仕事に関して言えば、これは詩人アルチュール・ランボウの手紙の中の一節「・・・彼が数多の前代未聞の物事に跳ね飛ばされて、くたばろうとも、他の恐ろしい労働者達が、代わりにやって来るだろう。彼等は、前者が倒れた処から又仕事を始めるだろう」(小林秀雄訳)、可能ではないかと・・・。
もちろん写真に興味のない方々にとっては、馬の目に写真のニンジンですが、幸か不幸か、ぼくはフォトグラファーの道を選び、ずっと歩いて来ていますので、自身の仕事を絶えず計量し、判断をし、その時々に決着をつける必要があります。さらに、先人先達の仕事があったからこそ、こうして此処で撮影することが出来、彼らパイオニアの仕事を昇華し、これに向け挑戦してゆくことが、後続の務め、のちに続く者たちの役割ではないかと思うのです。
今回アップした2点の写真は、昨年末から今年の4月あたりまでに撮影された新しい写真シリーズ『ウジェーヌ・アジェへの手紙 -Lettre à Atget- 』です。
アジェの写真、彼の仕事の凄み、功績とは、パリの古い町並みを撮影したことにあるのではなく、彼の、その特異な<立ち居地>にあります。これを「現実と非在のあわい」と呼んでも構いませんが、そういった場所にすうっと身を置き、延々と撮影を敢行した写真家は今のところアジェ以外には見当たりません。つまり彼の仕事、写真の凄みとは、その不可思議な<幽玄性>にあります。これについては、ドイツの文芸批評家ヴァルター・ベンヤミンは舌足らずにも<アウラ>と名づけましたが、このアジェの立ち居地は、『新たなる凝視』以降の日本の写真家・中平卓馬のそれとは全く似て非なるものです。
エドワード・カーティスの功績とは、北米インデイアンばかりを大量に撮影したことあるのではなく、その肖像写真から匂い立つ「人間の誇り、気高さ」にあります。これはナダールの肖像写真と比較すると明らかに理解できることですが、今だかつて、カーティスほど、<人間の魂の可能性の中心>を、顕在化したフォトグラファーはいません。もちろん、被写体の力(もしくは存在感)による処は大きかったですが、「人間存在、その精神の真摯な姿」が、たったひとりの人間、写真家によってひたすら撮り続けられたという事実は奇跡的な事ではないでしようか。カーティスの写真を見、その眼差しの有り様に触れ、鑑賞者は、自身の「可能性の中心」と対面する瞬間、想起する場を得ることでしょう。その点、ナダールの肖像写真は、西洋中心主義、貴族趣味的であり、ポーズ、虚飾です。いわば西洋絵画における肖像画の延長でしかない。
さらに、1960年以降のダイアン・アーバスのフリークス写真、肖像写真家の仕事は、殊更撮影しなくとも「現実」を見渡せばいくらでも散見している人間の姿形であり、ただただ負の面、安上がりな覗き見趣味的情動を誘発する類の仕事ですから、ぼくはさほど評価する気にはなれません。なぜなら、負への共感とは、自己憐憫であり、自身への誤摩化し、時代への茶化しであり、嘲笑、ぼくたちがすでにフリークス化しているという事実との対峙を曖昧にしてしまうからなのです。love & peaceと叫ばれた「時代」が生んだ、甘ったれた仕事のように見えます。(ただし、アーバスの死後発表された『untitled』は、たいへん優れた、驚異的な“視”です。)
かなり話が脱線しまくりましたが、アジェの仕事、写真とは、写真を続ける者が決して避けては通れぬ手強い関門ではないかと、ぼくは思っています。
2009/05/01
雅楽山禮図-1 / the another mountain
*雅楽山禮図(がらくさんらいず)
山というのは何だろう?
たぶん、日本で一番多く撮影された山といえば「富士山」なんでしょう。
富士山、うつくしいですね。
「ああ、美しい」
手元に、もしカメラなどあれば、皆、きっと、パチリと一枚撮影してしまいます。
「なぜ、撮影するの?」と訊ねれば、「美しいから」と答える。
でも、ぼくのように、長年撮影を続けていると、「美しい」だけでは、「撮影」しようという気にはなりません(たぶん)。
それは、「モノのうつくしさ」とは、ほんらい撮影できない、というか、・・・。
「写真」になる、「写真」として成立(?)するためには、撮影者が被写体と共振、これを「ともぶれ」とも言いますが、ひどく共振する必要があります。
「美しい」という撮影者の感情を、技術によって、「美しい写真」として仕上げることは条件さえ整えばさほど難しいことではありませんが、「美」とはそんな単純なものではなく、「美」とは、瞬間瞬間に生まれ変わる、けっして固定化しえない有機的な「あるなにものか」です。
ちょっと難しい言い方になりますが、「現物(被写体)」としての富士山は確かにうつくしい、のですが、「うつくしい富士の写真」などは無い、この世には存在しないとぼくは言いたい。
ちょっと理屈っぽくなりますが、「うつくしい山」だけが在る、「うつくしい命」だけが在る。
醜い山、醜い命などとというものは、実際、存在しないのですね。
つまり、「生命の雅楽(がらく)」だけが在る。あとは一切が「空(くう)」、幻のダンス、種々のショータイムです。
やや仏教っぽい言い草ですが、今まで後生大事にして来たものが、大事だと思い込んで来た、また思い込まされて来た、教育されてきた事々が、ぽろぽろと(自分と言う意識の総体から)零れてゆくことの恐怖、不安感、・・・写真を撮るということは、世界を撮るということは、実はそういうことなんだとぼくは思っています、本当に、突き詰めてゆくなら・・・。
もうー、たまんないね。