2009/04/06

戸恒慎司の栄光 / the fool is beautiful



馬鹿と間抜け(アホ)ではだいぶ違うと思います。
馬鹿とは、間髪入れず、生きている者の姿です。存在の、無防備な姿、その状態を指します。
「間」の入る余地がない「生」とは、ずいぶん性急な、疲れそうな生き方、スタイルではありますが、馬鹿はそういった生き方しか選択の余地がないというか、「選択」するという態度が、頭ではなく「本能」と化しているという意味において、たぶん、野人、原始人にちかい存在の姿なのかもしれません。
戸恒慎司という男の生き方に触れる度に、ぼくはこいつを本当に「馬鹿っ!」だと思う。
であるがゆえに、彼は、美しい。うつくしい、知性的な野人、ニンゲンだと感じる。
では知性とは何か? 知性とは、ほんらい思考が生(魂)を彩る筋肉と化した存在、その煌めきであり、「才」であります。彼とは、哲学的な言説による存在論も、美術、アート全般についての話も全くしませんが、彼の生き方そのものが、哲学的であり芸術的な「実践」に見えてくるのです。
ぼくたちはまるで西洋人のふりして、西洋の思考法、価値認識を鵜呑みにし、これを良しとし、根源的な知性というか、魂の判断能力を喪失し、なんとなく自意識の曲芸に勤しみ、これに付随する「架空の恐怖する心」ばかりを肥大化、増進させてきました。ですが、この「恐怖」とは、すべて、純人間的な生理的な類のものではなく、文明によって捏造され、情報によって加工、スパイスされた、甚だ観念的なものばかりだったわけです。

(…ここにきて、いま書いている自分がたいへん阿呆らしく思えて来たので、止めます。)


健闘を祈る。


*戸恒慎司のブログはこちらこちら

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