2010/08/30
ところで、わかってんの? / End it; one
(ああ、距離ってのはしょせんイツワリだったんだな)
初まりも、終わりも無い、瞬時に変容する色彩の魅力、光景の、大海原へと僕らは生をうっちゃり委ね切るのさ。
音楽とは、形式ではない。呼吸なんだね。
なんて、音楽をコトバによって表現してはいけないはず。音楽は、ほら、そこに在る。どこにでも在る。
音楽を作る「意味」というものはない。真実は、まるで深い谷間の洞窟の奥のまた奥に豪奢に佇む(?)水晶のようにニンゲンの脳にひびく形式など持たない。
西洋世界が、これまで「音楽」として認めてきたその聴覚構造による認知は、なんとみすぼらしい事か。その幅たるや・・・。
現場監督アングロサクソンは、虫たちの、たとえば鈴虫の音に「唄」を、サウンドを感じ取る聴感、風雅なし。(ほんとだよ)。
僕らは、カザルスの無伴奏チェロや、スメタナ弦楽四重奏団の演奏を深く味わうことができるし、蛙の鳴き声や芋虫の寝転がる微かなサウンドなんかにも痺れてしまい、そのセクシーな響きの存在感に「唄」を読むマナザシ、聴感を育んで来たんだ。
わが国はほぼアメちゃんの属国となってしまったけれど、そんな事は知ったこちゃないって感じで、西洋のあらゆる文物を愉しんで、ハーゲンダッツにも歓喜し、トコロテンに涙する日本特有の美学、美感というものは、まだ捨ててはおらぬさ。あらゆる「物」、気配やうなじや大麻(おおあさ)など味わってきたし、めでて来たが、僕らはこれまでどおり自然の音に「音楽」を感覚しつづけることだろう。季節の移り変わりを「読む」ことの歓びを捨ててしまうことは無いさ。
モナリザの微笑みにうっとりし、さらに風情の異なる弥勒菩薩のマナザシに戦慄するというこの「心」を母体とした知覚、五感はかなり贅沢な代物なんだね。(そこのアンタ、わかってんの?)
などと、のらりくらり語りつつ、今夜の未完成楽曲、皆さんの聴感にはどのように響くのでしょうか?いやいや、それぞれの“瞬きの庭”まで、いざなうことのお手伝いができればいいな。
2010/08/28
瞳が空に消える前に
ニンゲン界にはさほど期待しておらぬ絶望の果てにも愉悦が在るのだと、すでに幼児期に悟りを得たカミさんからすれば失笑されそうな出来事であることには違いないが、今だ崖っぷちは「ヒカリでできている」のだと、・・・いや、逆にカミさんこそがニンゲンのどうしようもない程の残酷非道ぶりを、いや、真善美を確信し・・・、が、真相はどうだろう?希望も絶望も無いフィールドで、なんとも懐かしいような、深い、点滅する黄金色の粒子を撒き散らす存在の、思わず自意識などという架空の物語が幾重にも層を成してバウムクーヘンのような不埒な「私という(名前)意識」をとろけけさすような「微笑のヒト」には、今だかつて出会ったこと無いから、どこで身に付けたものやらニヒリズム、ヒロイックな思想感覚にたぶらかされている僕は、ニンゲンの、いや、人類の何マン年の歴史の様々なドラマについて行けず、困っているのだ。
…ならば、
旅に出ようか?
…「どこへ?」
虫になろうか?
…「どんな呼吸か?」
名前を持たぬ小さな草花の祈り
いずれにせよ、さほど長くもないヒトの世の夢。いっそ芸に身を滅ぼすまで歩いてみようか、それとも…。
2010/08/27
2010/08/17
Daniele Sestili / Musica e tradizione in Asia Orientale
*Daniele Sestili氏のご依頼によりトンコリ奏者の千葉伸彦を通じ
僕が撮影した床絵美の写真が
その著書「Musica e tradizione in Asia Orientale」に上梓されました。
2010/08/13
「海沼武史 x 中村明博」展 / Takeshi Kainuma x Akihiro Nakamura
「至る所 otherness 」
- 写真家 海沼武史と額装デイレクター 中村明博のコラボレーション展 -
期間:2010年9月4日(土)~10月31日(日)
場所:喫茶おとくら
住所:〒522-0201滋賀県彦根市高宮町1121
時間:土・日のみ営業 10:00~17:00
交通:JR彦根駅にて近江鉄道乗り換え高宮駅下車徒歩10分
またはJR南彦根駅下車徒歩20分
連絡先:otokura.kissa@gmail.com
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ある写真関係の知人が、「海沼武史も、ついに写真だけではもたなくなったから額装にこだわったか。そんな風に思われやしないか」と、そっと忠告してくれた。
なるほど、世の中にはひねくれたモノの見方をする人もいるから、今回の展覧会について、そんな風に皮相的にとらえる方々もいることだろう。
が、そう思われても仕方ないほど、確かに、額装デイレクター・中村明博の仕事はたいへん美しいものである。
具体的な額装について、僕はいつも彼に写真を渡すだけで“完全おまかせ”だが、これは当然のことで、才能ある、際立った美感をもつ人に、とやかく「こうしてほしい、ああしてほしい」などと要求するものではない。
こちら側のセンスを相手に押しつける、もしくは指示してしまうのは、勿体なさ過ぎるというもの。
たぶん、クリエイター、アーチストを名乗る者たちは、じぶんの美意識について、実のところ深いところでは自信が持ちづらい故に(?)、つまり聡明に客観視することの難しさ、他人が開く秘めやかなる美意識に気づき、これを愉しみつつ、自身の仕事に取り込んで往くスペース、余裕がもてないのだろう。(あ!僕は誰にでも“完全おまかせ”をする訳ではありません)。
それで、この「額装デイレクター」という名称、「コピーライター」という職業がまだ存在していなかった50年前(?)と同様、額職人という職種はありましたが、僕が中村の仕事を確認し、咄嗟に思いついたことで、これについてはこのブログでも触れましたが、なにやら胡散臭く感じる方々もいらっしゃることでしょう。でも、これも覚悟の上、ゆえ、実際は、「とにかく実物を見てください」としか言えないのです。
ただ、僕は、有難いことに、目映いばかりの仕事をする人と出会ってしまった。そして写真家のサガが獣のように躍動し、思わず、その存在に見合った「ライト」を浴びせたくなった。ただそれだけのことです。
江戸の初期、この日本に俵屋宗達と本阿弥光悦という本物のクリエイターがいましたが、かれらの仕事、その共作をご覧になったことがありますか?
<共作の夢>---。
おこがましくも中村明博と僕は、そんな夢を、21世紀という表現者にとってはすこぶる虚弱な時代に、ただひたすら、見つめようとしているのです。
もしお時間の都合よろしければ、一度、その眼で確かめに来てくだされば、光栄に存じます。
2010/08/11
舞踊家・伊東由里 / the contemporary dancer Yuri Ito
現代舞踊家 contemporary dancer : 伊東由里 Yuri Ito
舞踊家の伊東由里さんについて、以前このブログでご紹介しましたが、今回は彼女のPV(プロモーションビデオ)です。
しかしこのPVという呼称は、かなりいかがわしい感じがして、自身で多用しておきながら、なかなかしっくり来ないものですね。
さて、今回の映像作品の狙い、テーマは、『Shika -紫花-』同様、「伊東由里というニンゲン紹介」ですが、「ダンスという一表現ジャンルについて」の僕の考え、想いなども散りばめられております。
それで、なんでしょう、今まで現代舞踊(コンテンポラリーダンス)に興味を持てなかった人に、「伊東由里さんってどんな人だろう?一度生の舞台を見てみたいな」と、こういった気持ちを引き起こすことが出来たら、僕の役目は終わりで、成功なんじゃないかなと思っています。
どうぞごゆるりと鑑賞してくださると有り難い。
一人の才能あるダンサーが、もし“天才”に変身する瞬間があるとするなら、いや、これはダンサーに限らず、あらゆるジャンルに存在する表現者すべてに言えることでもありますが、僕たちの、つまり観客、視聴者たちの圧倒的なまなざし、全存在を賭けた真摯な鑑賞によってこれは起きる、と信じているところが僕にはありまして、いや、こういった荒唐無稽な信念なくして本来PVは作れないのだし、いや、そもそも「写真」など続けてはいられませぬ・・・。ん〜、信じ切って表現者たちと付き合った方が愉しいしね。才能とは、ほんの些細なことで開花するのだし、ちょっとした他人の言葉、行為によってすくっと大きく育ってしまうものだから。あとは本人の度胸のモンダイ。“素直さ”のもんだい。
(由里さん、そんな度胸ありますか?)
そしてずばり、ダンスとは何か?
二十代の頃、僕は遊び半分で短期間踊っていましたが、二年程前、僕のファーストCD『時空の破片』が縁で、伊東由里さんというダンサーを知り、今回、彼女に集中的にスポットを当て、この“動画制作”をくぐり抜け、はじめて、僕は「ダンスとは何か?」、その答えを見出したような気がしたのです。
p.s.
あ、それでこのブログをちら読みしたカミさんから「“圧倒的なまなざし”って何よ?よ〜わからん」と云われ、いわく、これはダ・ヴィンチのモナ・リザの視線であり、広隆寺の弥勒菩薩像の「視」であります。なんて、ますますわからぬか、、、。
2010/08/08
書家・紫花 / calligrapher Shika
書道家 calligrapher : 田中紫花 Shika
書道家の田中紫花さんと知遇を得たのは二年程前の事か、当時、遊びで動画制作に手を染めだした僕は、いつものように軽々しく、「田中さん、ご自身のプロモーションビデオなどを作らない?」と、確か、六本木にある美術館に展示されていた彼女の書の前で、ふっと思いついたように声をかけていた。
今月の初め、わが家から一番近くにあるコンビ二「ポプラ」へ、カミさんとアイスクリームを買いに行った際、レジのおばちゃんと無駄話をはじめたカミさん、これはこれは時間つぶしモードに、と僕はいそいそ本棚に…。すると、『Pen』という雑誌の表紙に大きく描かれた「書」という文字が眼に飛び込んで来た。
普段、滅多に印刷物は購入しないのだが、二年前、紫花さんに気軽に提案してしまった自分の言葉と、凛とした彼女の清純な人柄を思い出し、『Pen』という雑誌を即購読、「書か、よくわからんな」と、翌日には紫花さんに電話をかけていた。
「どうですか? 二年前は滅相も無いと言っていたけれど・・・」
これまで、僕はなんだかんだと勢いで動画を作ってきましたが、実は惚れた人しか撮ってませんよ。録っていません(微笑)。それで今回も、意味不明なる衝動に突き動かされ、『Shika-紫花-』という作品を、撮影もふくめ、2週間足らずで仕上げてしまいました。なんて、僕の事はどうでもよろしい。
この動画は、「紫花」という書道家、そして「書」についての作品です。
p.s.余談ですが、「youTube」は10分以上の動画がアップできないので、不本意ながらpart1、part2と分けております。さらに、紫花さんの書はすでに「リウカカント・Riwkakant / gift」と「海沼武史 Takeshi Kainuma / カリフ kalif」で使用させてもらっています。
film and music by Takeshi Kainuma 海沼武史